2008年7月6日

スタイルと未来の自分


 昨日のスタイル化の技術の話の続き。

 そもそもなぜスタイルを選ぶことが必要なのかといえば、それなしには僕らは(すくなくとも僕は)その時々の気分に流されてしまうからだ。感情の奴隷にならないため、理性による自由を得るのがスタイル化だと思ってる。

 その上で今日は、あるスタイルを選び取ることが、長いスパンでどのように自分に影響を及ぼすのか、ということについての僕の考え。

 昔の話をしよう。

 中学2年の頃、ゲームセンターで遊んでいたら7万円の入った財布を拾った。僕はすぐさまポケットに突っ込んで店の奥にある便所へと向かった。中身を抜いて、カードと財布はゴミ箱に捨てた。一緒にいた仲間と二人で等分し、僕らはそのままゲームを続けた。

 すこしして二十歳くらいのヤンキー風の兄ちゃんがやってきた。焦った様子で「ここに財布落ちてなかったか?」と聞いてきた。僕はすこし胸をドキドキさせながらも、きょとんとした顔を装って、いえ知らないっすよ、と答えた。人相の割に人の良さそうな彼は、辺りをすこし探してから店を出ていった。

 確信を持っていえるけれど、今の僕は昔と同じ行動を取らない。そうした生き方をしないとは思わないからだ。倫理的にというよりも、あくまで戦略的に、僕のスタイルとして然るべき場所へ届ける。

 後になって、かっこ悪い行動をしたな、と振り返りたくないという気持ちもある。が、それ以上に僕をそうした行動へと促すのは、ひとつひとつの行動の積み重ねが「自分」を形づくっていくと思うからだ。

 スタイルの真価は、中学生だった僕が7万もの大金を拾った時のような、思いがけない偶然の瞬間にこそ試される。その時にスタイルに沿った行動ができるか否かは、日常の些細な行動の積み重ねによって決まる。それは野球のバッターがプロになっても地道に素振りを続けることに似ている。

 僕らはふだん過去の自分の経験からその時の選択肢を選ぼうとする。そうではなくて、あえて未来にいる想像上の自分から、現在の自分を選び取る。1年後、5年後、10年後、30年後に理想とする自分から振り返るようにして、今この瞬間の選択を決定する。

 その選択が、未来の自分を形づくっていく。思い描いた理想へと近づけていく。それがスタイルの力だ。

 未来から振り返って今を考えることは、自分が何かをする時に必要か必要でないかを判断するのにも役に立つ。1年後にもこれは必要か? と問えば、たいていのことは省ける。ゴミ捨てのような身近なことから、一生を左右する重大な決断においても、僕はそれをいつも自分に問うようにしている。

 その時に、それでも必要だと確信したものは、僕は絶対に譲らない。スタイルを貫くとはそういうことだ。


 【フォト】 MEGA PEACE vol.1.5、本日開幕。6(日)は16:00開演(15:30開場)、7(月)は17:30開演(17:00開場)で、場所は小野梓記念講堂(大隈講堂横の建物の、地下二階にあるホール)。僕はいち参加者として歌います。会場のサイズからしても、アットホームな空間になればいいなと思って舞台に立ちます。よかったら、ぜひ。

1 Comment:

匿名 さんのコメント...

どもども。サバイブSNSのほうにメッセージ残しておいたので目を通してもらえると幸いです。
んで記事について素朴に疑問に思ったんですけど、大金の入った財布を絶対拾わないこととが、スタイルの形成にどう影響を及ぼすと考えてますか?