2008年9月22日

欲望は知識だ(3)

 テレビや雑誌やウェブは僕らの心の乾きを癒しはしない。そこで生み出される欲求の多くは、刹那的で、代替可能なものだ。うまく距離を保たないとメディアが作り出す欲求のシステムに囲い込まれ、従属させられ、消費へと駆り立てられ、しかしいつまでも満たされることはない。

 僕は快楽を悪いというつもりはない。ただ、あれが欲しい、これが欲しい、こうしたい、ああしたい、そうしたことの大半は、3日もすれば忘れるものだ。そればかり求め続けた先で振り返った時、「あれ、オレ、何してたんだろう」と言いたくはない。だからこそ僕は、未知の世界の果てまで、知るためだけに走り続けていくのだろう。

 一連のエントリーの最初の言葉をもう一度引いてみる。

 「求めよ、されば与えられん」

      『聖書』マタイ伝7章7節

 何を? 聖書の通りに答えるなら、神を、だ。求めれば、神さえも与えられる。僕らはそういう世界に生きている。ある瞬間に求めたものが、その通りに手に入るわけじゃない。でも、求め続ければ、必ず求めているものが与えられる。今までそんな話を馬鹿にしていたけれど、最近の僕は確信に近い思いを抱くようになっている。

 「そんなにうまくいかないよ」という人は、本気で求めていないだけだ。あるいは、本気で求められないのかもしれない。いずれにせよ僕は、本気で求めている人を直感的に嗅ぎ分けられるようになった。あぁ、こいつ本気だなって。もちろんそれは必ずしもいわゆる「成功」につながるわけじゃない。本気で求めて与えられることと、社会的成功とは別の話だ。

 ただし、今の僕はいわゆるビジネスの世界に身を投じているわけで、まずはその事業を証明して見せないとこのエントリーにも説得力がない。僕がリアルタイムに証明し続けていけば、「早稲田への道」がそうだったように、僕より若い人たちが未来に希望を抱くきっかけを作り出せると思う。そのために、僕は身をもって証明し続けていくだろう。

 過去も現在も未来も、知識を求め、欲望に忠実に、貪欲に生き続ける。そうした僕という存在を知ることが、まだ見ぬ彼らの欲望の源泉となることを願って。


 【フォト】 ちょっと前に、レインボーブリッジにて。こういう風にゆっくりしてないせいかな。最近の僕はすこし戦闘的になっている気がする・・・(それで迷惑蒙った人いたらごめんなさい)。