2008年10月2日

児童相談所

 東京都の児童相談所に行ってきた。敷地に入るとすぐに古めの都営住宅のような建物が見えた。相談所の敷地内に職員の住む家でもあるのかなと思って地図を見てみると、そこには「一時保護所」という名前がつけられていた。虐待を受けた子を主として、行き場所のない子どもを一時的に預かる場所らしい。

 エントランスにあるパンフレット置き場を眺めていたら、「里親募集」といった紙が目についた。親と一緒に住むことができなくなった子を、一定期間預かる制度があると書いてあった。NHKの朝の連ドラでも取り上げられているようだが、僕はこれまで知らなかった。

 出てきた担当者の方と名刺を交換した後、「相談室」という部屋で話しはじめた。アポイントも取らずに伺ったのに、僕の今やっていることを話すと、興味深そうに話を聞いてくれ、と同時に僕の知らなかった話をたくさん聞くことができた。都の職員なのだろうが、地味な活動に、真摯に取り組んでいる印象を受けた。

 世界には、自分が想像できるよりもずっと多くの問題が存在する。そして、それを解決しようとしている人も、その分だけ存在する。でもそれに気がつくことは少ない。昨日のエントリー「批評される精神」の中で僕はこう書いた。

 「ある境遇を自分が不幸だと感じていたり、当たり前だと感じていたり、あるいは幸せだと感じていても、別の人はそこにまったく違う意味を見出すことがある。」

 自分の境遇のことがどのように見えるのか。その答えは人の数だけ存在し、それを知るのは容易でない。知れたとしても、その多くは身近で、価値観の近い人の意見であることが多い。今自分がいるエリアの向こう側、自分とは違う立場にいる人のことを知ること、理解すること、想いを馳せること、それは本当に難しいことだ。

 「早稲田への道」、「道塾」、「東京家学」を通じて、少なからぬ数の子どものリアルな背景を見てきた。子どもの数だけ背景があり、その中には致命的と思える問題がある。それを知れば知るほど、そうした問題が生まれざるをえない「社会」や「世界」への憤りをが生まれてくる。と同時に、世界の不条理さにやりきれない気持ちになる。

 自分の経験を超えて、その向こうにいる人々の抱える問題に気がつくことは、今の日本社会ではとても少ない。MEGA PEACEを発端として、自分のいる場所の向こう側にいる人に目を向ける機会を得てから、そうした問題の根深さに気がついた。

 僕は今日、「児童相談所」という、今まで知らなかった場所へ一歩踏み出してみた。まったく新しい世界がそこにはあった。そこで悩む人、戦う人、そうした人々の姿が垣間見えた。それと同時に、その非効率さや制度的な問題も知ることができた。誰が悪いというわけではないが、やれることはもっとあると感じた。

 僕がやっていることはちっぽけなことに過ぎないが、その小さなことの積み重ねが、何かしらの意味を持つようになればいいと思う。まだまだ僕の知らぬ世界が存在し、解決すべき問題が山積みになっているはずだ。その一つ一つを取り崩すようにやっていきたいと思う。

 
 【フォト】 「西早稲田駅」近く、明治通り沿いの居酒屋「わっしょい」の周辺にできたインドカレー屋(ワンコイン!)。2件隣には昨日オープンしたラーメン屋も。副都心線の開通で飲食店がこの辺りには増えてきた気がする。食欲の秋で、飲食店のメニューも変わり、牛丼屋に至っては安売り期間になってますが、食べ過ぎは身体を痛めます。くれぐれも気をつけましょう(と自分に言い聞かせる…)。