2008年10月30日

仕事と生活の一致。ニューノーマル。

 昨日付けのエントリーでこんな風に書いた。

 今年になってから僕は「仕事と生活の一致」ということを語るようになった。24時間の中で、生活の時間と仕事の時間を分けない、という考え方だ。僕にとっては、生活は仕事であり、仕事は生活であり、どちらも喜怒哀楽の源泉であるからには、変わりないものだと思いたかった。

 このことには長らく愛用してきた(今は文庫本カバーになっている)「ほぼ日手帳」の思想も入っていた。ただ、この考え方について、最近すこし思うことがあった。今日はちょっと長くなったから、それについてはまた明日にでも書こう。
 (『いつの間にか』

 「生活と仕事の一致」を目指すと、まず生活と仕事の時間を区切らないスケジュール帳が必要になる。1日24 時間を途切れることなく管理できるツールとして僕が選んだのが「ほぼ日手帳」だった。今はパソコンと携帯を併用することでGoogle Calenderが「ほぼ日」の代わりになっているが、基本的な意味合いは変わらない。

 24時間軸という目盛りの中で、仕事と生活とに同じ価値を与え、どちらも同じように楽しもうとする。それが僕の「仕事と生活の一致」だった。ただ、1日が24時間以上欲しくなる日々の中においては、仕事と生活を等価にすることはできないということに最近気がついた。

 仕事と生活が僕に与える影響は本質的に異なる。そのことに気がつかずに僕は「仕事と生活の一致」を標榜していた。すると次第に仕事が生活を圧迫し、生活が仕事を浸食するようになった。一方の負担が増えると、もう一方にしわ寄せがいき…という悪循環の繰り返し。

 そういう時間感覚と格闘する中で、はっと気づかされた一節。

 ニューノーマルでは、仕事は大いなる満足感と金銭的な報酬を与えてくれることはあるが、安定感や安らぎはほとんど与えてくれない。確かに、安定感や安らぎを得られることはある。しかし、それを当てにしては絶対にいけない。仕事に取られる時間が増え、仕事から生まれるストレスも増える中、家庭生活を人生の安定剤にすることを最優先すべきである。 (ロジャー・マクナミー『ニューノーマル』 P77 )

 ロジャー・マクナミーという人は、梅田望夫の文章によく出てくるシリコンバレーの投資家だ。昼は投資家として、夜はバンドマンとして、日本では想像すらし難いスタイルで生きている。「ニューノーマル」というのは、そんな彼が提唱する新しい時代概念のことだ。彼はこうも語る。

 ニューノーマルでは、「家族」という言葉の意味を最大限に広げて使うべきだ。血縁関係がある人だけではなく、友人や隣人を含めてもいい。家族の構成についてのガイドラインは、ニューノーマル中ずっと進化し続けるだろう。中略。家族の形態はまちまちだ。自分の家族は自分なりに決めればいい。ただ、家族にふさわしい重要性を与えよう。 (同書 P79)

 仕事を終えたら仲間と一杯ひっかける。そこにはある種の「家族」的な感覚が存在する。だが、ニューノーマルの時代にあって、それは本当の「家族」たりえない。「仕事と生活の一致」の追求には限りがないのだ。仕事と生活との線引きをしっかり行い、上手くモードを切り替えられなければ、いつまでも「仕事」を引きずったまま生き続けることになる。

 マラソンみたいな人生において、それはいくらかヘビーだ。

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 毎日書くと言いながら、実際のところ、これを書いているのは11月2日の午前3時半。相変わらず僕は僕に負け続ける。ただ、これまでのように焦りを感じることはなくなった。理想にも、並ぼうと思えばいつでも並べるという気が甦ってきた。ようやく、ようやく上向いてきたたのかな。


 【ロジャー・マクナミー】についての梅田望夫の解説はこちら