2008年10月14日

システム


 「電車に乗れ」と言われたからとりあえず電車に乗ってみたはいいが、そこは思っていたような快適な場所ではなかったし、目的地まで運んでくれるかもどうやら怪しい。そもそも、目的地ってどこなんだ? そんな状況じゃ、誰だって電車を降りたくなる。でも、そうして降りた彼らはこぞって排撃される。

 彼らは目的地にたどりつきたかったと思っていた。そのための努力もしたと思う。でも時代がそうさせなかったのだ。その原因はどこにあるのだろう? 僕は、ミスの原因をひとりの人間に求めたくはない。若者を非難する大人たちは無責任だと思うが、それも仕方ないことだと思う。

 問題はすべてシステムによって生まれる。

 そのシステムを変えていくのが、僕らのやっていくべきことだと思ってる。もちろんそんな大それたことができるわけじゃない。でも、複雑に絡み合ったシステムは、混沌とした時代においては、ほんの小さな動きでも予測できない結果をもたらすことがある。北京で舞う蝶の話のように、僕らの小さな活動がシステム全体に影響を与えることがある。

 道塾にしろ、東京家学にしろ、これから僕がやろうとしている幾つかのプランにしろ、目指している場所からすれば、どれも取るに足りないくらい小さなことだ。でも、そうした小さな活動の積み重ね以外で、何かを成し遂げられることはない。だから、日々地道にやっていくだけだ。

 このささいなblogの、このしょーもない記事の更新も、そのひとつだと信じて、今日もまた投稿ボタンを押す。


 【フォト】 東京家学で、カリキュラム会議の一コマ。