2008年11月7日

欲望のサイズ

 早稲田祭の翌日から、わりと安定しているアクセス数がいくらか急に伸びている。祭が終わって燃え尽きている人が多いのかもしれない。

 友人たちのmixiを見ていると「燃え尽きることができた」というような言葉に出会う。それはとても素敵な言葉だ。ただ、幸福な彼らへ向けて僕は敢えて言いたい。僕ら若者にとって大切なのは、その瞬間からどれだけ早く、さらに大きな炎を燃えあがらせることができるかということだ。

 一時の栄光に満足せず、さらなる高みを目指して生きようとする力。生きられる時間が有限な僕らにとって、どれだけ輝いた生を送れるか否かはそれにかかっていると思う。「生への渇き」というのが固すぎるなら、Steve Jobs風に「ハングリーであれ」と言い換えてもいい。

 日本語のハングリー精神という響きには、貧乏くさい、惨めったらしい感じがある。でも、僕が言いたいのは、生きることそのものへの飢え、渇き、欲求のことだ。

 僕は欲望がないような聖人君子でありたいとは思わないい。むしろその正反対の生き方をしたい。プラスもマイナスも、すべてがほしい。僕は、誰よりも飢えていたい。生きることを激しく求め続けていたい。

 渇こう。飢えよう。求めよう。

 栄光や勲章は、翌日になったら捨ててしまえばいい。いつまでもトップスピードを更新し続けること。それを辞めるのは、走れなくなった時でいい。「生きるための水」を飲み続けるためにも、翌日には乾涸らびてしまうほどの強い欲求を、僕らは持ち続ける必要がある。


 【フォト】 春に事務所の机に置いてあって(誰が忘れていったんだろう?)、気に入ってつけていたストラップ。ポケットに入れてる携帯を引っ張り出すのに便利だったのだけれど、ついに切れてしまった。こういう小さなことが、意外と気落ちさせてくれる。次はどんなストラップにしようか・・・?