2008年11月30日

OB会(政友会)

 政友会のOB会があった。昔お世話になった先輩方といると自分が新入生に戻ったような錯覚に陥る。常人離れした4年、3年がいて、オールスターの2年がいて、魅力的な1年の同期たちがいる・・・、そんな懐かしい感覚。

 あの頃、僕は自分を誰よりも未熟者だと思っていたし、実際そうだった。飲み会の途中で消えて牛丼屋で眠ってたり、合宿の浴場で茹で蛸みたいになって死にかけたり、、、笑 時が経ちすこしは成長したつもりだったが、先輩方の前にいると昔と変わらない未熟者の馬場祐平に戻ってしまう。

 なんてことを思いながら歓談していたら、ある先輩が「新聞記事を読んだ時、悔しいと思ったよ」と僕に言った。就職氷河期にテレビ局へ就職し、ゴールデン番組の担当を経て入社数年で首相付きの記者となり、インパクトと質問の鋭さとで時の総理大臣にも名前を覚えられていたという俊才。僕が入学した時に四年だったその先輩は「この人には一生敵わないかもしれない」とはじめて感じさせられた人だった。

 政治や社会の見方はもちろん、「ご飯をご馳走してもらったら必ずお礼を言うこと」といった小さなマナーから、「大学1年の頃から就職のことを考えておくこと」というような大きな視点での大学生活の過ごし方まで、その人にはたくさんのことを教えてもらった。僕がいま後輩たちに伝えていることのいくつかは、その先輩から学んだことだ。そんな人が僕に「悔しいと思ったよ」と率直に言ったことが強く印象に残った。

 憧れの先輩に「悔しい」と思ってもらえたことは嬉しくもある。でも、リアルな僕はあのサイズで新聞記事になるほどの人間じゃない。それは僕が一番よく知ってるし、おそらく先輩もそう思ったはずだ。本物の大きさなら、相変わらず先輩の方がずっと上を行っている。それも含めての「悔しい」という言葉だったのだと思う。

 僕は恵まれている。人にも、運にもだ。だからこそ、虚像の自分にリアルの自分が追いつけるよう、日々を精一杯過ごしていかなければなと思う。尊敬する先輩たちに「頑張ってるな」と認めてもらえるよう走り続けていきたいと思う。


 【フォト】 めちゃめちゃお世話になった先輩たち、(色んな意味で)BIG3です。
2008年11月29日

文体とコミュニケーションの精度

 このところ困っているのが、どんな文体で書くかということ。読めばすぐ分かる通り、「早稲田への道」の「u」という書き手はかなり偉そうな文体で書いている。僕の中にはそういう一面もあるから決して「偽者」の人格ではないのだけれど、2chの特性を考えて意図的に作り上げた文体であることは間違いない。「俺は大したことない人間だよ」と偉そうな文体の中で何度も書いているものの、やはり大半の読者は「偉そうな人」「怖い人」という印象を持つようだ。

 文章のみから成るコミュニケーションの比重が増した現代において、「文体」は文学の中でしか語られていなかった時代よりはるかに重要になっていると思う。僕は2chでは原則として強気の文体を貫いてきた。弱気な文章を書くにせよ、それを乗り越える強さが伝わるような書き方をしてきた。そうじゃないと、そこにつけこむ輩がいるからだ。だから、自然とあのような強気の文体になった。

 とはいえ、最近の問い合わせは保護者からのものが少なくない。特に新聞を見ての問い合わせでは「本人」なのか「保護者」なのかよく分からないものも多かった。僕は意外に保守的なところがあって、目上に対する言葉遣いは丁寧でないと違和感があるので、保護者に向かって「俺は~と思うぞ」という文体を使うのには激しく抵抗がある。

 そこで本人か保護者か分からないケースだと、どう書き出すかに迷うことになる。ですます調で行くか、blog調で行くか、u調(早稲田への道調)で行くか・・・。

 一番書きやすいのは「u調」(早稲田への道調)で、これはほぼ完成されたキャラクターと文体があるから、それに従って書けばいい。でも、「道塾」が「u」という個人から、僕以外のスタッフまで含めた組織へと変わりつつある現在、「u」の比重は減らしていかなければならないとも思っている。だから「ですます調」で書くことが多いのだが、それの返信が受験生本人からだったりすると、また「u調」に戻ったりして、なんだか変な感じになる。受験生の側はもっと困惑しているに違いない。

 僕はわりと色々な文体で書ける。15歳くらいから様々な文章を書いてきたし、その時々に応じて試行錯誤もしてきた。公文書的な文体は苦手だが、これは僕の性格上仕方ないと割り切っている。ただ、自分を載せて、自然と僕らしさが伝わるような文体は未だに勝ち得ていない。悔しいからそれを追い求めて日々書いてはいるものの、このblog調にせよ「u調」ほど手に馴染んだものではない。

 そろそろ本格的に文章を書き始めそうだし、言葉をもうちょい洗練しなきゃ将来恥ずかしいだろうなぁとも思う。道塾の返信メールにはじまって、最近はひとりの書き手としてどんな文体にすべきかに悩んでいる。言葉は難しい。とりわけ、素直に書くっていうのが実は一番難しいんだよなぁ・・・。


 【フォト】ちょい前だけど、MEGA PEACE vol.2決起集会にて、すてきな女の子たち。あと1ヶ月を切った!だいひょー、みんな、ふぁいと~☆
2008年11月28日

僕と発達障害

 東京家学の関わりで、ある女子大学のセンターにお世話になっている。先日そのセンターに訪れて学習障害を専門とする先生と話をした。それなりに優秀な早稲田大学の学生にはあまり多くないし、だから知られていないとも思うのだけれど、「落ちこぼれ」と言われる子の中には「学習障害」と分類される子どもが少なくない。学習障害という言葉の響きが悪いため、最近は「LD(Learning Disabilities)」と呼ばれることが多い。

 一口にLDと言っても症状は様々なのだが、大きくは読字障害(ディスレクシア)、書字障害(ディスグラフィア)、算数障害(ディスカリキュリア)の3つに分類される。以前の僕は「そんな簡単に人を病名で区別してレッテルを貼るな」と思っていた。でも、道塾や東京家学で「落ちこぼれ」と呼ばれる子どもたちと接しているうちに考えが変わってきた。そうした障害を持っている子どもに対しては、症状に応じて分類して対応していくことが大切なのだと理解できるようになった。

 言葉の第一印象と違う点は、LDは一般的な頭のよさとは関係ないということ。IQが非常に高くてもLDを持つというケースは多く存在する。LD児童は「普通の人ができるやり方での学習」ができないだけであって、「学習そのもの」ができないわけではないのだ。その子どもにあった対応をすれば、LDを乗り越えて、正常な子どもと同等の学習をすることができる。より正確な対応をするために、子どもを症状で分類することは欠かせないのだ。

 そんな話をしていて、その先生が僕の文字にふと目を留めた。僕は言った。「昔から字が汚くて・・・、LDかもしれないですよね」。すこし冗談気味に言ったのだが、その先生は、「ディスグラフィア(書字障害)かもしれないわね」と真顔で返してきた。そして専門家特有のエネルギーを発揮しだして、いくつもの質問をぶつけてきた。その質問の症状に、僕は見事に当てはまっていた。例えば「大きな数字の計算をする時、紙に書く数字の縦列がズレていく」「ノートを取っても読み返せないから、ほとんど使ったことがない」みたいな。

 LDを持つ子どもの中で、自力でそれを乗り越えていくケースは多いらしい。その主な方法は、苦手なものを遠ざける、あるいは道具を使って補うといったもの。なるほど。それを聞くと合点がいった。僕が早くからパソコンに飲めりこみ、周りが不思議がるほどキータイピングが早くなった理由。それは、紙と鉛筆で「書く」ことに対する障害を無意識的に克服しようとした試みの結果だったのかもしれない。

 僕はADHD(注意欠陥多動性障害)という診断をされたこともある。小3くらいの頃、ちゃんとした精神病院で「そういう傾向がある」と言い渡された。これでADHDに加えて LDと、発達障害の代表みたいなことになったわけだ。でも、だからこそ僕は今の僕の姿になったのだと思う。まぁ、悪くない。あらゆることを抱えながら、乗り越えて、不器用でも走り続けるよ。


 【フォト】大隈講堂シリーズ。見事な冬晴れ!
2008年11月27日

「ほぼ日」が僕の原典だった(かもしれない)という話

 対談「適切な大きさの問題さえ生まれれば。」を追いかけている間にふと気づいた。そうか、僕は「ほぼ日」と深い縁があったのだ。「ほぼ日手帳」を使ってたとか、そういうレベルの話じゃない。知らず知らずのうちに「ほぼ日」は僕の人生に深いところで根を下ろしていた…。
 
 実は、僕の中にはMEGA PEACEの母体がある。庄司と構想した「想いのメディア」というプロジェクトだ。この企画はいったん潰れ、その後メガピの当日パンフへと形を変えて結実するのだけれど、驚く無かれ、それを思いついたのは、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』という古本屋で偶然手に取った一冊の本がきっかけだったのだ。

 「想いのメディア」は「情報」ではなく「想い」を人々に届けるという趣旨だった。当時よく使っていたフレーズは、「早稲田のベンチひとつにも、数え切れないストーリーが眠っていて、たくさんの「想い」が刻まれている」、「稲穂(南門前の食堂)の親父の人生を知れば、タンメンは1.5倍美味くなる」。「想い」を共有することが日々を豊かにすると信じていた。
 
 知られていないストーリーを雑誌やウェブといったメディアに載せる。それを読んで共感してくれた人たちで、目に見えない「想い」を身体で感じられる「歌」として形にしよう。手はじめに早稲田に散らばる「想い」を集めて、神宮球場を埋めて校歌を歌おう。そんなことを言って盛り上がっていた。結局、僕の力不足により数ヶ月で自然消滅してしまったが…。
 
 過去を懐かしみながら「ほぼ日の本」をぱらぱらとめくっていると、当時は気づかなかった「行間」が読めることに気がついた。ほぼ日の理念とか、今現在やっていることのすばらしさとか、そういうことの前に存在した糸井重里のチャレンジングな姿。そうか、「ほぼ日」もベンチャーだったんだ…。
 
 それに気がついた時、僕の中で新しい「ほぼ日」像が生まれた。「ほぼ日」は僕の中でMEGA PEACEの前身たるに留まらず、僕の原点、いや原典になっていたのかもしれない。何度も読み返し、ぼろぼろになり、ビールをこぼしたような痕も残っているこの本。近いうちにまた読んでみようと思う。
2008年11月26日

弱さを言える強さ

 昔の僕は人を支えることが生き甲斐だった。そうしていたのは他に賭けるべきものが見つからなかったからだろう。誰かを支えることで、自分をなんとか肯定していたように思う。金八先生は「人という字は~」と言うけれど、僕は「人」の字の右下で、左上を支えることでわずかに倒れずにすんでいるような、そんな男だった。

 あれから時間が経ち、僕はどれくらい変わったのだろう? ずいぶんと強くなったつもりだったが、最近になってそれは大して意味がないことだと気がついた。強くなればその分だけ肩に掛かる重さも増える。結局、「人と言う字は~」の右下にいる限り、ギリギリで立っている構図は変わらないのだ。

 さて、こんなことをわざわざ書いたのは、このところ弱さを言える強さについて考えることが多いからだ。このblogも以前より多くの人が見てくれるようになった。そこでかっこいいことを語り続けるのもいいのだけれど、実際の僕はそんなに大した人間じゃない。だから「弱さ」について書きたいと思うのだ。

 思えば僕が「早稲田への道」を書いていたのは、初恋の子を諦めるかどうかを悩んでいた時期だった。もしかしたら(今となっては確かめようもないが)それで暇を持て余して書いたのかもしれない。恋に破れたら仕事に打ち込むのがいい、というような感覚で。ただ、仮にそうだったとしても、それで何かが変わるわけではない。

 人間、死ぬまでそういう状況は変わらないのだと思う。いくつになっても、どれだけ有名になろうと、金持になろうと、外から強く見えようとも、僕らは孤独な生き物であり、ギリギリで生きていくものなのだ。どんな状況におかれても、そのことに自覚的でありたいと思う。逃げ出さないでいたいと思う。それを見失ったら、気づいた時に後悔するだろうから。十分過ぎるくらい悲しみに彩られている人生だから、それはできるだけ避けていきたい。

 「リーダーは勇気を奮い起こして、ひたすら誠実に目標を目指して邁進していることを示せ、ということだ。中略。その一方、チャーチルでさえ、つまりお決まりの演説で日頃その言葉が最もよく引用される二十世紀のリーダーでさえ、常に真剣だとは限らなかった。チャーチルは第二次世界大戦中、イギリスの戦争継続能力に対する疑念が頭をかすめたとき、それを明かそうとはしなかった。酒におぼれ気弱になっていることも、公言しなかった。チャーチルにしてもリンカーンにしても、その異常な職務を遂行している間ずっと悩まされ続けたしつこいうつ状態を公の場で見せることはなかった。アメリカ国民は、大統領が過ごしている芳しくない日のことなど知りたいとは思っていないのだ。」 (ジェリー・ポラス他『ビジョナリー・ピープル』 p261)

 ジェリー・ポラス。あんたにそんなこと言われなくたって知ってるよ。でもね、僕は大統領じゃない。そんな非人間的にはなれない。だから言い続ける。強くなったからって、弱さがなくなるわけじゃない。ただ飲み込めるだけなんだ。それを隠していても仕方ない。僕は一人の人間として、僕を知ってくれている人に誤解されたくはない。僕は神でもなければ、決して強い男でもない。タフでありたいと願い続けるだけの、ひ弱な酔いどれに過ぎない。

 ただ、誰よりも願い続けることだけはするよ。人と言う字が、たとえどんなに重くなっても倒れないことを。それが叶うとも思わないが、倒れるとしても自分の美学を貫き通して死にたいから、やるべきこともやると思う。性格上たまにさぼることもあるかもしれないし、よく酔っぱらってるかもしれないが、とりあえず今はまだ酒に溺れるようなことはしていないから大丈夫。

 読んでくれてありがとう。今日も頑張ろう。


 【フォト】 新聞掲載後の昼間、限界を迎えた道塾スタッフ+庄司。
2008年11月25日

適切な大きさの問題(まとめ)

 「ほぼ日」で連載していた「適切な大きさの問題さえ生まれれば。」を、自分のサイズで考えてみたいと思って書いた一連のエントリー。

適切な大きさの問題(1)
 金よりも個人の幸福が求められる時代に、

問題を世界から切り出す -- 適切な大きさの問題(2) 
 自分を賭けられる問題が生まれれば、

l問題は自然と解決する。 -- 適切な大きさの問題(3) 
 問題を切り出した個人の思惑を超えて、

解決してくれる仲間たち -- 適切な大きさの問題(4)
 それぞれの強みを発揮する人が現れ、

地球は愛で回っている -- 適切な大きさの問題(5)
 問題は自然と解決する。

 激動の日々、考えることが散らばってしまったが、こんなことを感じた1週間だった。今の僕にできることは、問題を切り出し、少しずつ解決へと進めていくこと。そして、強く願うことだけだ。
2008年11月24日

地球は愛で回っている -- 適切な大きさの問題(5)

 糸井重里、岩田聡、梅田望夫による「適切な大きさの問題さえ生まれれば。」が完結した。「ほぼ日」で連載されたこの対談を追い続けてこれで5回目になるけれど、時代をリードするこの3人の対談は読めば読むほど味が出てくる。こんなに軽やかな口調で書かれているのに、これほど中身の詰まった対談もなかなかない。

 これまで、僕が感じる「問題」を解決しようとする時、僕だけの力ではできないことが、仲間と共に解決できることについて書いてきた。もはや僕の個人的な意識を超えて、大きな流れが「自然と」問題を解決する奇跡について語ってきた。「ほぼ日」の一連の対談の中で、糸井重里はそうした奇跡的な関係を「愛」と表現している。

 (糸井) なんのためにやるのか、
 利己的なことなのか、利他的なことなのか、
 そういうことをはっきり決めなくたって、
 自然とつくり手に回る人っているわけだし、
 そういう目に見えない関係、
 しっかりとした説明のできない関係を、
 「愛」と呼ぶことだってできると思うんです。


 今回の新聞掲載で道塾や僕のblogに関心を持ってくれた人が少なからずいる。道塾の記事を娘に紹介した父親もいれば、個人的に僕にメールやblogコメントやスター(ビールマーク)をくれた人もいる。mixiやblogで紹介してくれた人もいるし、おそらくは家族や友だちの間で話題にしてくれた人もいるだろう(みんなありがとう)。

 世界という大きなフィールドで見れば、彼らの行動のひとつひとつは「自然とつくり手に回」っている「目に見えない関係」だと思う。思い起こせば「早稲田への道」もまた、そうした「しっかりとした説明のできない関係」としてはじまった。

 僕自身の行動を振り返ると、自分のためだと思うこともあれば、人のためだと思うこともあるし、世界のためだと思うこともある。でも結局はそれらすべてをひっくるめて自分の心に生まれた感情に素直に生きているだけというのが正直なところだ。それでも僕は前に進んで来れたと思うし、少しずつでも物事を変えてきたような気がする。

 勝手な推測ではあるが、僕のことを話題にしてくれた人たちの行動も、人に押しつけられた「世のため人のため」的価値観ではなく、「いいな」「たのしいな」といった、ごく私的な感情から生じた結果だと思う。でも、そうした自然な行動が誰かを励ましたり、日々がすこしいい方向に向かうきっかけになったりする。たしかにそれは愛と呼ぶに値するように思える。

  (梅田) そうですね。
 自分のためにやっていることが、
 一方から見ると利他性を帯びてくるという。

 (糸井) その理屈で、いろんなことが
 整理できるんじゃないかなぁ。
 その場その場での人の自然な振る舞いが
 誰かの助けになって、
 大きなものを進めていくという。

 (5,そういう関係を、「愛」と呼ぶこともできる。

 「いいな」「たのしいな」という小さな感情の動きは、すこし勇気を出して表現することで現実へ影響を及ぼしはじめる。そうした「愛」のかけらのひとつひとつが問題を解決する力となる。それが寄り集まって大きな流れになると、目に見える形で世界をよりよく変えていくことになる。それは「愛のうねり」とも言えるだろう。

 適切な大きさの問題。それはある種の人々の関心を惹く。その関心から生まれる小さな感情の動きは、寄り集まり大きな流れとなり、思わぬ形で問題を解決していく。環境破壊も、貧困も、戦争も、そうした愛のうねりによって克服されるものなのかもしれないと思う。

 そう、糸井重里を見習ってすこし大袈裟に表現すれば、地球は愛で回っている。そして、僕はそのうねりのまっただ中で流されている。僕の目に見えないところで物事が進んでいる今、どうにもそう思えて仕方ないのだ…。
2008年11月23日

新聞掲載 早稲田への道、道塾


 実は、先週末に載るかなと思っていた。が、早大生の逮捕で見送り。1週間後の夜。僕は日本が平和な一晩になることを誰よりも願っていた。が、またもニュース速報の流れる大きな事件が発生し、もはや掲載中止かという危機に。ハラハラしながら夜明けを待った。事件報道の裏には、表に出ない「事件」があることを知った夜。

 一夜明けて。

 朝まで付き合ってくれた庄司が新聞配達員代わりに十数部を買ってきた。手に持った新聞の一面には「早大受験 ネットの神」という見出しが。よりによって天声人語の横に「神」って…。笑 1面担当者に感謝しながら社会面を開くと、想像以上の大きさの記事。スタッフ一同食い入るように読んだ。

 はじめ、僕はうれしさと恥ずかしさとで全文通して読むことができなかった。しばらく時間が経ち、しっかり読まないと記事を書いてくれた記者の人に申し訳ないと思い直した。「神」からうってかわってリアルな僕が現れる後半部分。そこには普段語ることのない等身大の自分が描かれていて、むずがゆいのを堪えながら読み通した。

 記事が掲載されたということは、僕が取材を受けたということだ。

 僕は、日本の新聞社やジャーナリストなんてクソだと思ってきた。でも今回取材してくれた記者は、「真実なんて10%くらいしか伝えられない。でもそれを 11%にするためにちゃんと取材したい」と言ってくれた。その言葉に心を動かされ、激務の合間を縫って取材を続けてくれる記者に、僕は彼女にも話したことのないくらい自分を語っていた。記事をすべて読み終えた後、この人がはじめて僕を取材してくれた記者でよかったと、心から思った。

 今回の記事は、事件の影響もあってか関西圏をはじめ一部地域では掲載されなかったようだ。地方に住む後輩のく●さわが「うちの地元のだと載ってないですよ!」と教えてくれた。問い合わせの状況からしても、どうやらそれは間違いないらしい。だが、本当に道塾を必要としている人がいるのは情報過多の都心部ではなく、身近に頼るところのない地方・僻地なのだ。

 となれば、次なる目標は当然そのくに●わの勤めるN●K。僕の(父方の)実家があるような離島でも、NH●なら家族で食事をしながら見られるはず。だから、そこで取材されるに値するものであり続けるためにも、日々の活動を地道に続けていこうと思う。


 【フォト】 天声人語の横の記事紹介と、新聞配達員の庄司くん。記事はこちら
2008年11月22日

僕に関心を抱いてくれている、すべての人へ。

 マザー・テレサは言いました。

 「愛の反対は、無関心です」。

 The opposite of love is not hate, but indifference.

 だから、僕を愛してくれている、すべての人へ。

 いつもこんなしょーもないblogを読みに来てくれて、本当にありがとう。感謝しています。僕が世界の端の方で書き続ける言葉を関心を持って読んでくれている人がいることが、間違いなくこのblogを書き続けられている一番の理由です。コメントが少ないのはblogの常としても、「読んでるよ」という一言や、「あの記事面白かったよ」という些細な言葉に、実はものすごく---たぶん、あなたが想像している100倍くらい---励まされています。

 よかったら、明日(日曜)、朝日新聞の朝刊を買ってみてください。そして、テレビ欄の方からめくってみてください。(大きな事件が起きなければ)社会面のどこかに道塾の記事が載ります。そこに何が書かれているかは、僕も未だ知りません。でも、おそらく、僕に関心を持ってくれる人なら、面白がって、あるいは楽しんでもらえることが書いてあると思います。

 明日は僕の人生が、また少し前に進む日になります。どう進むのかはまったく分からないけれど、とにかく進むのは間違いないと思う。

 だから、もう一度、僕を愛してくれている、すべての人へ。

 blogに限らず、僕がこうして何とか前に進めているのは、すべて僕に関心を持ってくれている人のおかげだと思っています。もう既に世を去ってしまった人も含めて、そうした人たちの支えのおかげで僕は生きてこられたと思っています。たびたび振り回したり、時には悲しませたり傷つけたりもする僕を、たいして嫌な顔もせず、たいていは笑顔で見守ってくれているあなたのおかげで、今の僕があります。

 僕は、それを少しでも返していきたい。できることならあなたに、それができないとしても僕を生み育ててくれたこの世界に、僕が受け取ったのものを返していきたい。それが、僕の信じる生き方です。

 たぶん、生きていることに意味はないのだと思う。夜空に輝いては消える星の瞬きのように、僕の人生は---そしてあなたの人生も---ふっと消えるのだと思う。でも、だからこそ、その一瞬に力の限り、僕の信じるやり方で意味をつけたいと思って生きていきます。この先どんな道が待っていようとも、僕はそういう生き方を続けると思います。

 その道の過程で相変わらず、振り回したり、悲しませたり、傷つけたりもすると思う。それは先に土下座して謝りたいくらい、僕にとっての真実です。でも、それでも、もし求めてよいのならば、これからも関心を持って---愛して---もらえたらと思っています。こんな自分勝手な僕を愛してくれる人がいることを思うと胸が震えます。本当に、ありがとう。

 リアルな人生じゃ、おそらくもう二度と言わないと思う。

 だから、最後にもう一度、僕を愛してくれている、あなたへ。

 
       I love you...!!


2008年11月22日 馬場 祐平
2008年11月21日

解決してくれる仲間たち -- 適切な大きさの問題(4)

 昨日は問題が「自然と」解決することについて書いた。自然とは言っても、そこで解決する人がいなければ決して解決しない。今日は、誰が、どのように解決してくれるのかについて、最近僕が感じていること。

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 「弱みを仕事や成果とは関係のない個人的な欠点にしてしまうよう、組織をつくらなければならない。強みだけを意味あるものとするよう、組織を構築しなければならない」
  (ドラッカー 『経営者の条件』P106)

 ドラッカーが語るような立派な「経営」を僕がしているわけではないが、組織であること、すなわちチームプレーで物事を成し遂げていくことの有り難さを日々感じている。

 あるひとつの物事を、それぞれが得意なことや楽しく感じられるものに分割する。そうした分担の結果、一人では決してできなかったことが成し遂げられる。僕が仲間と今までやってきたことは、大方そのようにして成り立ってきた。

 僕には苦手なことがたくさんある。というか、苦手なことだらけだ。数少ない僕の「得意」で「楽しい」ことは、古くは「問題を引き起こす」こと、最近はすこし成長して「問題を切り出す」こと。だから僕はそれに集中する。そうして切り出された問題を解決する役目は、それを得意とする仲間が担ってくれる。

 例えば道塾のジョンは寝坊したと思いきや大きな問題を一晩でさくっと解決してきたりする。三井は切り出してきた問題の中で放置されている物事をてきぱき片付けてくれる。小竹という一年生のスタッフは、僕や三井やジョンが知らないような細かな知識で受験生を指導している。こうした構図はMEGA PEACEでも同じだったし、家学でも変わらない。

 ひとりひとりが異なる「強み」を持っている。それぞれの「強み」を活かせる「適切な大きさの問題」が生まれれば、「問題は自然と解決する」のだ。仲間たちは僕が問題を切り分ける必要もなく、それぞれの取り分を自ら抱え解決してくれる。そのようにして問題はそれを切り出してきた僕が何もしなくとも解決へと向かう。

 僕には解決したいと思うことがたくさんある。これからますます大きな問題を世界から切り出していくだろう。より大きな問題を、より多くの仲間たちと、より早く、より完全に、解決していく。それはもはや自然な流れに思える。どんなに憤りを感じても僕一人ではどうしようもないことを、共に解決してくれる仲間がいることを幸せに思う。

 僕の走り続ける姿を巨視的に眺めれば、大きな流れに身を任せているように見えるのかもしれない。僕はそんな幸福な流れに自分を浸しているだけ――。物事が自然と解決されていく日々の中、そんなことを感じている。


 【フォト】 今年も点灯式へ向けて着々と進むグランド坂のイルミネーション日を追う毎に寒さが厳しくなり、あっという間に日が沈むこの季節、真っ暗な街に灯る色とりどりの光が心を暖めてくれる。土橋ちゃんはじめWIPの皆さんお疲れさま&ありがとう!
2008年11月20日

問題は自然と解決する。 -- 適切な大きさの問題(3) 

 「適切な大きさの問題さえ生まれれば、問題は自然と解決する」という言葉に沿って、昨日はその前半部分について思うことを書いた。今日は後半部分の「問題は自然と解決する」について。キーワードは「自然」ということ。

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 僕が「問題は自然と解決する」空間に身を置いたのはMEGA PEACE vol.1がはじめてだった。その頃の僕が感じていたことが約1年前に書いたblogに残っている。

 いま俺が代表を務めている企画「MEGA PEACE」。

 どうしようもない俺にも関わらず、
 周りには素晴らしい仲間たちが集まってきてくれて
 ようやくそれが上手く噛み合いはじめた気がする!

 なぜだか、奇跡の起こる前夜のように思えてきた。


 これを書いたのは「問題が自然と解決する」よりずっと前。まだ解決するかどうかも分からなかった時だ。でも、この文章には祈りと確信の入り混じった不思議な興奮が息づいている。当時の僕は、確かに解決される予兆を感じているように思える。「奇跡の起こる前夜」にはこうした興奮が必ず混じるのかもしれない。

 残り日数はあとわずか45日くらいしかなくて、やばい。
 ほんとうに1000なんて人数が集まるのかと、時に不安になる。
 でも俺は昨日、ふるえるくらいにわくわくしてしまった。

 俺は人の上に立つという経験をしたことがなかった。
 物事を進めるときは、その傍にいつも自分がいて作業していた。
 でも今回は見えないところで色々なことが進んでいて、
 それが当たり前のように行われている。

 ものすごく不思議だけれど、とんでもなく素敵だ。
 これがチームワークというか、
 全員でひとつのゴールを目指して創り上げるということなのか、
 そう感じて、俺の心に火がついた。燃えてきた。
 たぶん今それがMEGA PEACEの至るところで起こっている。
 この熱に、いろんな人が集まってきてほしいと思う。


 適切な大きさの問題が切り出されると、「見えないところで色々なことが進」みはじめる。「それが当たり前のように行われ」るようになる。最初に動き出したひとりの個人的な意思を超え、うねりとなり、巨大な流れとなって、ひとりでは到底立ち向かえなかった大きな問題を解決するに至る。

 僕が昔書いたように「全員でひとつのゴールを目指して」いたかどうか、今となっては分からない。でもその後僕がほとんど何をすることもなくMEGA PEACEは本番へ向けて自然と加速していった。おそらく、いくつかの条件さえ揃えば、切り出された「大きな問題」は数多くの「適切な大きさの問題」に分けられ、ウェブもリアルも関係なく「自然と」解決に向かうのだ。

 僕がひとりではじめた小さなビジネスは、もはや僕の個人的な意思を超えつつある。この小さな歯車の回転は、やがて小さくない変化を引き起こすだろう。いつか日本を、もしかすれば世界を、すこし変えることになるのかもしれない。大袈裟にすぎる表現だと思うだろうが、そんな予感を今また確かに感じているのだ。祈りと確信の入り混じった興奮を抑えながら、僕は今日もそっと投稿ボタンを押す。


 ※「いくつかの条件」について:前提になるのは1「適切な大きさの問題」。ウェブならこれだけで物事が進むのかもしれないが、2「社会貢献の意識=志」があった方がより勢いが強まる。その上で、物理的制約が大きいリアル社会で物事を動かすためには3「一定の資本」が不可欠だ。大切なのは、この3つの方向性をバラバラにしないこと。問題(ソーシャル・イシュー)と志と資本の方向性を重ねることを経営戦略の言葉で「戦略的(Strategic) CSR」と言い、現代の経営の神様M・ポーターはこれで2006年にHBR論文大賞(マッキンゼー賞)を受けている(と僕は勝手に解釈している)。この戦略的CSRを軸に事業を展開していくことが、絶対に欠かせない第一条件だと思っている。

 【フォト】 先日平山ビルで行われた、竜二25歳の誕生日パーティーにて(左手に持っているのは同居人イノから教わった韓国風の誕生日祝いで、その場にいる全員分の「愛」をこめて作る飲み物。ひとりひとつ好きな物を入れて---僕は優しいので歯磨き粉だが---当人はそれを飲み干さないといけない)
2008年11月19日

問題を世界から切り出す -- 適切な大きさの問題(2) 

 昨日、「ほぼ日」で連載されている梅田望夫と糸井重里と岩田聡の対談の4本目、「適切な大きさの問題さえ生まれれば、問題は自然と解決する」を紹介した。今日はこのタイトルの前半部分、「適切な大きさの問題さえ生まれれば」について僕が感じたこと。

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 「ある問題」をクリアするのに必要となるのはスキルだ。でも、「ある問題」がなければそもそも挑戦すらできない。そして、世の中には「自分を賭けられるほどの問題」は意外と落ちていない。逆に、自分を賭けられるほどの問題が見つかればスキルは自然と後からついてくる。

 昔は「自分を賭けられるほどの問題」なんてことを考えなくてもいい時代だったのだと思う。だが価値観の過渡期たるこの時代、たった一度しかない自分の一生を、賭けるべき場所が本当にここでいいのかと若者たちは悩んでいる。当然だ。それが「3年で辞める現象」の根本だと思う。大人たちはそれを「エゴ」や「甘い」と言うのだろうが、僕にはそんな彼らの問題意識が実に「曖昧」に思える。

 自分を賭けられるほどの問題には、たくさんの壁にぶつかり、喜怒哀楽を目一杯味わって、はじめて出会うことができる。そのために必要なのは、たとえ幾多の困難が待ち受けているのが分かろうと、非日常の世界へ自ら一歩踏み出し続ける力、すなわち頭と手と足を使って動き続ける意志だ。

 自分の人生を賭けるべき問題を探すため僕は大学を目指した。入学後、丸々4年間を終えた後の5年目になってようやく形を取りはじめた。それが MEGA PEACEのはじまりだった。そして今。僕はまた賭けるべき問題を世界から切り取り、その解決へ向けて走り続けている。ひとつ解決するたびに、またひとつ新しい問題を切り出してくる、そんなことを繰り返しているようだ。

 切り出した問題に共感してくれる仲間が過去にいたし、今もいる。皆それぞれ壁にぶつかってきた奴らだからこそ、共感してくれたのだと思う。そんな奴らと共に、ひとつの問題に向けて力をあわせる。解決すべき問題を切り出すことも、切り出した問題を解決に向けて動くことも、実際に問題を解決できることも、僕一人じゃできない。志を同じくする仲間と共に走れてこれて、そしてこれからも走り続ける僕は、ほんとうに恵まれた場所にいるなと感じる。

 「自分を賭けられるほどの問題」となかなか出会えない現代において、走り続けられる僕は幸せ者だ。だからこそ、僕はもっと早く走らなければと思う。より大きな問題を切り出さなければなと思う。そう思えば思うほど、僕はますます加速していく。いつか走り終わるその日まで、自分の限界の向こうへと突っ走り続けていたい。
2008年11月18日

適切な大きさの問題(1)

 梅田望夫と糸井重里と岩田聡が対談している記事が「ほぼ日」に上がり続けている。そこで交わされる「そうですね」という瞬間的な応答を目で追っても、その「感覚」を理解するのに最低でも1秒くらいかかる。そんな自分の「遅さ」が悔しいが、おそらく、この短い対談の裏には膨大な思考の積み重ねがあるのだろう。それくらい内容のギュッと詰まった対談だ。

 ちょうど今日の更新が、この対談のタイトルでもある「適切な大きさの問題さえ生まれれば、問題は自然と解決する。」という4本目の記事。ちなみにこの元になっているのは梅田望夫とRuby開発者のまつもとゆきひろとの対談で、それについて梅田望夫が書いてるのがこの文章

 梅田望夫が「オープンソース」の世界をもとに語るため、その点ばかりがクローズアップされがちだが、糸井重里が「うちでもそうだもん」と言い、岩田聡が「ほぼ日もそういう構造ですからね」と言うように、もはやこれはITの世界だけにとどまらない。梅田望夫自身、「人を率いて何かを成し遂げようとする私たちのすべての行為に通用する普遍性を帯びている」と述べている。

 未来学者たちは20世紀を覆った金銭的な資本主義から、21世紀は社会貢献的な資本主義へ移っていくと主張する。巷では「心の時代だ」とも言われる。実際、僕の周りを見渡しても、「出世や年収よりも、やりがいを求めたい」という人間が多い。金や地位や名誉が優先された時代が終わり、個人が自らの幸福を考えながら追求できるようになった時代なのだと思う。

 最近、そういう時代における自分のふるまい方について考えることが多くなった。そんな時、僕に与えられた役割は適切なサイズの問題を切り出すことであり、それはもはや使命だとすら感じられる。昨夜も道塾スタッフの三井とこの話をしていたのだが、これについて書きはじめると長くなりそうなので、また明日。
2008年11月17日

佐多への祝電@REVOLVER打ち上げ


 SHOCKERSのタミフルから、REVOLVER(早稲田祭エンディングステージのダンスサークル5団体の混成ユニット)の打ち上げで使う「佐多さんへの電報をお願いします!」と言われて書いた文章。つい長くなってしまって…こんなのを宴会で読ませて申し訳なかったです。せっかくなので佐多くんを知る多くの人に読んでもらいたいなと思い、blogに転載します。

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 佐多くん、そしてREVOLVERの皆さんへ(長くてごめんなさい)


 佐多くん。

 君と最初に出会ったのは、君がまだ新入生の頃でした。黒髪でオールバックの君が、ビシっと決まったスーツを着て、雄弁会のブースで議論していた姿が記憶に残っています。その後1年くらいすると、君は陰毛のかたまりみたいな髪型でボイトレをはじめていて、僕は呆然とした覚えがあります。あの頃の、先輩とも、仲間とも、見境なく喧嘩をしていた君が懐かしいです。

 その後、君は元カノに決定的に振られた挙句、酔っ払って家にやってきて、「死にたい」とこぼして泣きながら眠りについたりもしていました。そういえば、君と共にMEGA PEACEを立ち上げたのは、もう1年半くらい前になるんですね。君の変化、成長には驚かされます。

 最近の君は、相変わらずなところもあるようですが、素敵な仲間に囲まれて、とても幸せそうだなと思っていました。でも、そんな君は、早稲田祭の翌日、「早稲田王のお祝いに何かごちそうしてくださいよー」と、僕にメールをくれましたね。それから、REVOLVERの打ち上げの前日(つまり昨日)にも、再び「何かごちそうしてくださいよー」と、僕に電話をくれました。わざわざ文無しの僕なんぞに電話してくるということは、相変わらず、懐(ふところ)だけでなく、心も寂しいままなのでしょう。

 そんな佐多くんを支えてきてくれたREVOLVERの皆さんへ。

 ご存知の通り、今の佐多くんは絶好調です。彼がどんなにmixiで弁解しようとも、僕の5年近い付き合いから断言しますが、この後、100倍くらいの落差を感じさせるマイナスモードの佐多くんがやってきます。そんな時にこそ、どうか不器用に頑張り続ける彼を思い出して、見捨てないでもらえたらなと思います。早稲田に大迷惑をかけ続ける、しかし愛すべき男を育ててしまった一人の先輩として、どうか、心からお願いします。

 再び、佐多くんへ。

 今年もまた、同期や、ひとつ下の代が卒業していくのを見て、人一倍涙する寂しがり屋の君の姿が目に浮かぶようです。その時にちゃんと別れを言ってもらえるよう、せっかく持った最高の仲間たちを、もう失わないように気をつけてください。身近にいる人を大切にして、もう少し素直になれれば、君の周りの人たちも安心するんじゃないかと、僕はずっと思っています。

 早稲田王おめでとう。そして何より、素敵なステージでした。これからの君のますますの成長を楽しみにしています。


 政友会員、および、MEGA PEACE vol.1代表、6年、馬場祐平




 【YouTube】 上段、リボルバーの、下段、男祭の、佐多くん。
2008年11月16日

引越願望


 昨夜、ジョンのひとつ下の早稲田祭運営スタッフ代表で、少し前に勤め先某社での過労により救急車で運ばれたS田君が平山ビルに泊まっていった。彼は社会人としての新居を、O坂くん(同期の副代表)の住む「持田」(何日か前に写真を載せた家)の向かい辺りに決めたらしい。あなたたち揃ってどんだけ早稲田好きなんですかと思ったけど、それは口にしなかった。すこし前まで麻布十番辺りに住むって言ってたような気がするんだけどな・・・。

 ところで、その話を聞いてふと気がついた。新居に住むという話を聞いて、僕は心のどこかで羨ましがっていた。どうやら最近、僕の中に「引っ越しをしたい願望」が芽生えはじめているみたいだ。

 あまり知られていないと思うが、僕は住む場所に関しては結構転々としてきた。いま数えてみたら、合計13回。つまり2年に一度は引っ越している計算になる。大学に入ってからも2回、住む場所を変えている(中野→早稲田→平山ビル)。

 今は主に過ごす場所が4つある。平山ビル(シェア)、道塾事務所、家学オフィス、熊谷の実家。とりわけ大事なのが道塾事務所。これまでは書斎兼オフィスとして、仕事のない午前中はひとり静かに過ごせていた。だがこのところ集中力が切れやすくなっていると感じる。どこも人の出入りがあるから完全に一人になれる場所を欲しているのだろうが、それだけでなく、おそらく、今の環境に飽きてきたのだ。

 2月で平山ビルはひとまず契約期限が切れる。その後どうするかは時々住人で話し合っているが、まだ未定。ただ、もし引っ越すとしたら、たいして広くなくていいから、ひたすら景色がよくて、日当たりがいい場所がいいなぁ・・・、本を読みながら、時々疲れたら遠くの高層ビルが見えるような、そんな場所に住もうかなぁ・・・なんてことを考えるけれど、まぁ現実逃避だよなぁと思う。

 逃避する前に、やるべきことをやろう。時期がくれば、自ずと物事は決まってくる。


 【フォト】大隈講堂シリーズ。明け方の隈講。
2008年11月15日

日本の縮図で

 いろんな意味で残念極まりない早大生の逮捕。周りからは「そりゃ、いるに決まってるよな・・・」という諦めに似た声が聞こえてくる。これだけ流行っていれば、そりゃ、いるに決まってるんだけろうどさ・・・。

 早稲田大学の学生は、自らの所属する大学を日本の縮図だと語る。そう。良いところも悪いところもすべて含めて、確かにここは日本の縮図だと思う。日本という国に課題が山積しているのと同様、この大学には数限りない問題が潜んでいる。

 僕らの目には「見ようとしたもの」しか映らない。だから、意識しないと目につかない。嫌なことは誰だって見たくないものだ。大切なのは、そこにある問題を見ようと意識すること。すると、見えてくるものは少なくない。

 日本の政治や世界情勢について語る時、同じくらいの熱意で身の周りに目を向けてみること。自分の大学を誇らしげに「日本の縮図だ」と言う時には、同時にそこに隠されている問題に苛立ちを覚えること。それが僕らの責任だと思う。

 これだけ大麻の報道がなされる中で、早大生の逮捕は鬼の首を取ったように扱われる。それは、僕らへの期待の裏返しなのだ。だからこそ、僕らには諦めの溜め息をもらす前にやるべきことがある。そのことにもっと自覚的でありたいと思う。

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 最近の教訓。常に最悪の事態を想定しながら生きるということ。でなければ、危機に遭遇した時に対応することができない。これを学べてよかった。
2008年11月14日

家族の風景 ~ごく私的な、ささいな、どうでもいい話~


 我が家には「家族会議」なる習慣がある。母と僕と妹の3人しかいない家族の絆を深めようと、母が提案してはじまったものだ。月1くらいで行われる会議の日程を決めようとするたび、僕と妹は面倒臭そうにスケジュール帳を開く。いつからはじまったかは忘れたが、かれこれ半年以上は間違いなく続いている。

 3人が東京で集まることも多いのだが、今回は実家で開かれることになっていた。池袋から乗車率200%くらいの高崎線に揺られること1時間。降り立った熊谷駅のホームにあるこの階段は、僕の青春が詰まっている場所で、通るたびに色々なことを思い出す。語りたいことは山ほどあるが、余談なので割愛。

 実家のドアを開けるといい香りが溢れてきた。テーブルには妹が作った料理が並べられている。季節はずれの麻婆茄子が目につくが、取り立ててどうこう言うほどのものでもない。でも、なぜだかとても美味しく感じられる。東京で外食ばかりの僕には、たしかにここでしか味わえない料理がある。

 夕飯を済ませたら家族会議がはじまる。近況報告と今後の予定とを語り合うのだが、母と僕にビールが入っていることもあり、残念ながら、会議の進行は惨憺たるものになることが多い。たいがい僕と母の言い合いになる。妹はその間ずっと黙って聞いていて、飽きると自分の部屋に戻る。こいつが我が家で一番利口だ。僕は、「帰ってくるんじゃなかった」と自分の愚かさを呪いながら母の小言を聞く。

 我が家の家族会議はいつもこんな感じで過ぎていく・・・。

 母は小言を言うのに疲れると、「まぁ、3人しかいない家族だからね」というよくわからない結論に達し、ひとり満足げな顔で眠りにつく。部屋が静かになり、僕がパソコンに向かっていると、それを見計らったように妹が部屋から出てくる。ここから二人で酒を飲みはじめることもあるが、たいてい妹は「おやすみ」とだけ言って自分の部屋へ戻っていく。

 そうしてこの家は静寂に包まれる。わずかに聞こえるのは、母の寝息と、僕の叩くキーボードの音。この寝静まった家の中で夜通し僕がパソコンに向かい続ける風景は、10年前からあったこの家庭の日常風景だ。

 日常風景と言えば、変わらない景色はたくさんある。僕と母が言い合うのも10年来変わっていないし、妹がそれを黙って聞いているのも10年来変わっていない。そして気がつく。変わったのは、日常風景を見る機会だ。いつも見ていたはずのそれは、いつしか僕の視界から消えていた。

 正直なところ、母も妹も東京に来ることが多いから、僕がわざわざ実家に帰る必要はあまりない。そのせいか、近いはずの実家への距離はけっこう離れてしまっていた。それを危惧して母は「家族会議」なるものを言い出したのだろう。この限りなく生産性のない「会議」を何度か繰り返した後、ようやく分かってきた。

 家族会議なる名目のもとに、普段はばらばらに活動している家族が同じテーブルを囲んで飯を食べる。その瞬間にしか思い出せないものがたくさんある。ついつい忘れがちだが、僕らはこの家族の中に生まれ、おむつを替えてもらい、家族と共に育ち、喧嘩もし、そして家族の作る料理によって育てられてきたのだ。

 数時間後には時間と格闘するクソ忙しい朝がやってくる。そんな日々の中で、世界のどこかに束の間でも憩える場所があるのは有り難いものだ。学生時代は若すぎて気がつかなかったが、そんなことをよく思うようになった。最近じゃ「家族」の日常風景を見るために、できるだけ帰るように心がけてもいる。

 「家族会議」なんて名前をつけても、実際にはさしたる議題があるわけじゃない。でもその「会議」の場で理解されるのは、いかに家族が大切かということだ。一般的な「会議」の本質である生産性の問題とは違う。家族で食卓を囲むという日常に立ち返り、そのことをちょっと考えてみる時間。それは、会議すること自体に意味がある、数少ない会議だと思う。

 そんな家族会議もまた、我が家の日常風景になりつつある・・・。


 【You Tube】 このエントリーのテーマBGM、ハナレグミ『家族の風景』。キッチンにはハイライトとウイスキーグラス~♪ 残念ながら、先月に解散してしまったようだけれど・・・。
2008年11月13日

タコの住まう世界

 友成真一教授にお会いした。

 京大院を卒業後、官僚として25年間勤務。その後早稲田大学大学院の教授を務めている。「自分経営ゼミ」をはじめとする授業は学生に絶大な人気を誇り、様々な取り組みはメディアにも頻繁に取り上げられている。最近では早稲田大学社会連携研究所所長も務める。先月は第3回ニッポン新事業創出大賞・支援部門・最優秀賞として経済産業大臣賞を受賞。

 ・・・というような「社会的・形式的な結果」は生きる上での本質ではない。人間は、タコが入るような厚い「つぼ」の中で身を守り、快適に暮らしていこうとする。そして多くの人(とりわけ官僚のようなエリート)はそればかりを求める。だが、生きる上での真実はそこにはなく、その厚い壁の内側に住まう「素ダコ」こそが持っている、と。それが友成教授の語る「タコ理論」だ。

 とはいえ。

 僕らは素ダコのまま生きていけるほど強くはない。若ければ特にそうだ。

 僕がそのことを尋ねると、「僕がタコつぼに興味を持たないでいられるのは、長らくタコつぼの世界で生きてきて、その構造を知っているからだ」という答えが返ってきた。なるほど。そうした認識の上で彼は、あまりに多くの人が「タコつぼ」の世界でばかり勝負しようとするのを見かねて、人間が生きる真実、すなわち「素ダコ」の大切さを語り続けているのだろう。

 「タコつぼ」の不毛さを語ることができるのは、「タコつぼ」を持っている人間の特権だ。僕の身近な話で言えば、学歴というものが「タコつぼ」の最たるものだと思う。実際、あまりに多くの受験生(と、それを育てた親)が学歴を幸福とほとんど同じレベルに置いているのは見るに耐えない。だから僕は「学歴なんて幸せとは関係ない」と語ることがある。でも、僕がそう語って意味を持つのは学歴を有しているからに過ぎない。

 学歴をはじめとする「タコつぼ」の不毛さ。それはおそらく紀元前の昔から世界中の至るところで語られてきたし、語る側にとっては紛うことなき真実ではある。でも、それは語られる側にとって本当の救いになるのだろうか?たとえば僕は、志望校に受からなかった受験生と語り合う時、彼らが悔し涙と共に吐き出す言葉を受け止めながら、そのことを自問自答してきた。

 そして、僕はある時ひとつの結論に行き着いた。学歴には意味がある。でも、それは幸福に直結するわけではない。幸福を学歴のような「外の基準」に委ねたら、自分の人生の梶を自分から手放すようなものだ。大切なのは、幸福のカタチを自分で描いていくこと。「外の基準」だけに囚われないこと。悔しいなら、それをバネにすればいい。苦悩は幸福のカタチを描く絶好の材料だ。

 幸福のカタチの輪郭を描けたら、それを探しにまた走り出せばいい。誰だって求めるものがそのまま手に入るわけじゃない。少なくとも、僕は手に入らなかったものがたくさんあるよ。でも、誰だって幸福のカタチは描きなおせる。僕自身、涙を流しながら何度も幸福のカタチを描きなおしてきた。

 友成教授は当然そんなこと百も承知で、タコ理論に基づいてこう語っていた。「『素ダコ』が最重要。ただ、「タコつぼ」づくりのプロフェッショナルになることも必要。大切なのは、「素ダコ」と「タコつぼ」という構造があるということを忘れずに悩みながら生きていくことだ」と自分の「タコ理論」を締めくくった。最後には、「そういう見方もできるよ、ということ。理論に真実はないからね」と、持ち前のユーモアを添えることも忘れなかった。学生に人気があるのも頷ける。

 話の途中、「素ダコ」の成長についてダイアモンドの研磨を例えに出して、「人間は人間にしか磨けない」と言っていた。折りしも昼間に原さんから「人は練磨によりて仁となる」という道元の言葉を聞いていたから、「人が磨かれていく」ということへのイメージを持つことができた。大学という場所は、あるいはビジネスというフィールドは、(自分次第だが)己を磨くには絶好の場所だ。

 僕はこれから「タコつぼ」を固めていくだろう。厚く、厚く、塗り重ねていくだろう。友成教授の言葉を借りれば、「タコつぼづくりのプロフェッショナル」になる。そうなることは半ば確信している。でも、それと同時に、その「タコつぼ」の中に住んでいるのは弱々しい一匹の「素ダコ」に過ぎない。強い「タコつぼ」として、そして弱い「素ダコ」として、どちらの自己も見失わないように戦い続けていく。


 【BOOK】 上に述べた「タコ理論」が正しいかどうかは心もとないので、ちゃんと知りたい人は『問題は「タコつぼ」ではなく「タコ」だった!? 「自分経営」入門』を手にとって読んでください。
2008年11月12日

原さんの授業で

 僕が大学で一番お世話になった教授、原さんの授業でまた語った。結局、もぐりはじめて3年目、一度も科目登録をしていない。ちゃんと申請していたら12単位分になるはずの出席率。いや待てよ。関わり方なら3倍くらいの単位をもらってもいいくらいコミットしてるはず。そしたら卒業もできたかもな・・・。

 そんなことを思いながら、「たぶん、これがこの授業の壇上で語る最後になると思う」という前置きをつけて僕は語りはじめた。この日、僕はあまり考えることなくあの場に立った。考えると感情が乗らないことは分かっていたから、意識的に考えなしに立ったと言ってもいいと思う。

 僕は、難しいこと、かっこいいは何一つ言えなかった。いつもの、僕が感じてきたこと、思っていることを、そのまま言っただけだった。

 中高時代は十分に楽しくはなかったということ。大学時代、出会った人に恵まれたということ。そのひとつの理由には「自ら一歩を踏み出す」のを学んだこと。それを強力に後押ししてくれたのがこの授業だということ。そうしたことに感謝しているし、それを人に伝えていきたいということ・・・・・・。

 本当に二度と壇上に立たないのかは分からない。どちらかといえば、再びあそこで語ることがある気もしている。でも、すくなくとも今日が僕にとっての一つの節目であったことは確かだ。事実、あんな短い語りに随分多くの人が反応してくれた。

 たぶん、それだけ僕の本質的な部分なのだろうと思う。そのことを、多くの人の前で語ることができ、そのことに共感してくれる人がいること。それが僕の大学時代の財産だ。

 もうあの映画みたいな大学時代に戻ることはないだろう。でも、後悔することは何一つとしてない。僕の学生生活は、胸を張って最高のものだったと言える。そして、僕はまた新たなステージへと進んでいく・・・。


 【フォト】 ジョン&大坂くん@持田。ここ、第二八愛ビルと何も変わってない気がする・・・・・・。
2008年11月11日

僕、何歳に見えますか?

 1日に1人くらいは新しい人と知り合う日々。初対面の時、場の空気を和らげようと、フォーマルな場でなければ「僕、何歳に見えますか?」と聞いている。小柄で童顔なまま育った僕は、いつも年齢より若く見られてきた。実際、今も20歳くらいでいけると思っている。それが、昨日・・・。

 「僕、何歳に見えますか?」

 その答えが、はじめて「30歳」と返ってきた。 ・・・・・・・・・・!!

 ここ2年くらい「老けたねー」と言われることが多くなった。同居のコテツ君に「小さいおっさん」と言われたり、大学に長らく在籍している身分として「長老」とか「おっさん」という風に自らを形容することはある。でも、初対面の人に「リアルおっさん」と分類されたのにはさすがに危機感を抱いた。

 疲れてなんかいない。大したことはしていない。なのに「30歳」なんて思われてしまう。今日はある人に「馬場には悲壮感が漂っているよね」なんて言われるし。なんたるザマ。

 秋の寒さにすこし滅入ってたのは事実だけれど、2008年の僕はここからが本番。

 風が冷たくなるにつれて、内に秘める熱は大きくなる。それが本来の僕の姿だ。10代に間違われるくらい、ぶっ飛ばして生きていきたい。ここらでモードチェンジして、そろそろ本来の加速力を取り戻そう。今年も僕はこれからスピードを上げ、より激しく燃え盛る。
2008年11月10日

勉強が好きだ

 道塾スタッフのみっちゃん(三井)の試験が終わった。行政書士試験。「結果は五分五分」というけれど、まぁ試験前の一週間も道塾のために随分と奔走してもらっているから、落ちたら僕がなっちゃんに怒られるのだろう。その彼が試験の翌日に言った言葉。

 「俺、分かった。勉強が好きだ」

 「好きこそものの上手なれ」という言葉通り、好きなことほどよく伸びる。覚えたことを彼女に話すのが楽しいと語っていた。みっちゃんはまた「記憶力はいいんだよね」とも言う。彼の口から出ると嫌みったらしくないのが不思議だけれど、かなり記憶力が悪い僕からすると羨ましい限りだ。

 周知の通り、みっちゃんは道塾のスタッフとしては珍しく学業優秀。「成績は基本的にA+かAだけ」という理由は、彼自身の入学時に立てた誓いを守る姿勢ということも大きいのだろうが、それを差し引いても筋道立てて物事を学ぶことを楽しめる才能は素晴らしいと思う。

 考えてみれば僕は体系だって何かを学習したことは、大学受験以外ではほとんどない。本はわりと読んできたし、自分なりに色々と学んできたつもりだが、それは言うならば行き当たりばったりの学びだった。たとえば資格にしても、大学入学資格を除けばなにひとつ持っていない。みっちゃんが大学3年間で、倍くらいの期間在籍している僕より多い単位数を取得する間に、僕はどんなことを学んだのだろう?

 僕は学ぶ意欲は人一倍強いと思う。でも、あっちにいったり、こっちにいったり。それを自分なりに組み立ててきたつもりだし、事実それでやってこれたわけだけれど、振り返ってみれば自信を持てるような体系的な勉強をしたことは、大学に入ってからはなかった。英語でも、教育学でも、経営学でも、何でもいい。なにかひとつ、自分の専攻として朝から晩まででも語れるような「軸」がひとつ必要な気がしている。

 そういえば、庄司まで「英語を勉強する」なんてことを言いはじめた。俺もそろそろ勉強しようかなぁ…!


 【フォト】 今日知り合った一年生、揚げ男(この写真だと嫌な奴っぽいけど、いい奴です!)。熱いね!
2008年11月9日

人の役に立てる技術

 人の笑顔を作ることができればいい。人の役に立つことができればいい。真顔で言うのは恥ずかしいが、大学四年の頃からそんなことを考えるようになった。人のために尽くし切れるほど僕は善人ではない。ただ、そうしたことが僕の人生において大切な喜びであることは強く感じている。

 人の役に立つ方法は色々ある。辛そうにしてる奴の横にいるだけで、そいつを支えてあげることはできる。なにげないメールの一言で救われることだってある。事実、そうやって僕はなんとかここまでやってくることができた。ただ、僕は最近すこし違った形で役に立てて嬉しかったことがある。

 ある人に連れて行ってもらった料理屋のご主人が、僕のやっていることに共感してくれた。話しているうちに、「高2になる息子が、進路や勉強で悩んでいる。よかったら相談に乗ってやってほしい」と言われたので、「読むだけでも多少は役に立つと思います」と言って、「早稲田への道」や僕のblogを書き添えて名刺を渡した。すると数日後に一連のウェブサイトを読んだ息子さんから実際に連絡があった。

 思い返せば過去にもこういうことはあった。サークルの先輩の弟だったり、友人の妹だったり。そうした後では必ず、頼まれた人に感謝された。短い時間で伝えた僕の知識や言葉がどのくらい効果があったのかは分からない。それでも「早稲田への道」や「道塾」で培った「技術」が身近な人の役に立った経験は、たいした取り柄もないと思っていた僕には嬉しい出来事だった。

 気がつかなかっただけで、僕自身もさまざまな人が長年かけて培ってきた「技術」に支えられてきたのだと思う。僕はそれを別の形で返しただけだ。ただ、人の役に立てる技術を持っていることが、これほど自分の自信になるとは思っていなかった。これだけでも人が生きていこうと思える理由にもなるのかもしれない。

 僕らは支え、支えられて生きている。その実感を、また少し味わうことができた。ビジネスという形ではあれ、そうした支え合いの関係を感じながらやっていきたいと思う。


 【フォト】 MEGA PEACE vol.1でお世話になった方にいただいたリンゴ。でかくて美味そう!これからいただきます!
2008年11月8日

最後の授業(ランディ・パウシュ)


 スティーブ・ジョブズのスピーチ以来、久しぶりに素敵な動画を見た。カーネギー・メロン大学の名物教授、ランディ・パウシュの「最後の授業」。No.1-9まですべて見ると1時間を超えるくらいあるものを、あっという間に終えてしまった。本屋でも平積みされているから知っている人も多いと思うが、表情豊かな彼の授業風景もぜひ見てほしい。

 死ぬ直前だからといって、彼の「最後の授業」を憐れみの目で見るのはあまりに安易だと思う。数ヶ月先か、数十年先かの違いなだけで、僕らは共に死すべき運命にあるのだ。大切なのは、彼が置かれた状況ではなく、その状況においてもなお彼が発する言葉、伝えようとする姿勢だ。

 僕は、極限状況に置かれたからこそ見せる、その人のありのままの姿に心打たれる。「ジェイ」という奥さんの誕生日を祝うシーンは、どんな映画よりも僕の胸を震わせた。地位も、名誉も、収入も意味をなさくなった瞬間に、それでもなお人を愛するという姿には、僕ら人間が持ちうる美しさが凝縮されていると思う。

 子どもの頃に見た夢を叶えた彼が目指したのは、人の夢を叶えるということだった。「優秀なセールスマンになれる」と保証された彼が、生涯をかけて売ったのは「教育」という他者の夢を叶える仕事だった。願わくば、僕もそういう生き方をしていきたい。

You Tube 1 2 3 4 5 6 7 8 9
2008年11月7日

欲望のサイズ

 早稲田祭の翌日から、わりと安定しているアクセス数がいくらか急に伸びている。祭が終わって燃え尽きている人が多いのかもしれない。

 友人たちのmixiを見ていると「燃え尽きることができた」というような言葉に出会う。それはとても素敵な言葉だ。ただ、幸福な彼らへ向けて僕は敢えて言いたい。僕ら若者にとって大切なのは、その瞬間からどれだけ早く、さらに大きな炎を燃えあがらせることができるかということだ。

 一時の栄光に満足せず、さらなる高みを目指して生きようとする力。生きられる時間が有限な僕らにとって、どれだけ輝いた生を送れるか否かはそれにかかっていると思う。「生への渇き」というのが固すぎるなら、Steve Jobs風に「ハングリーであれ」と言い換えてもいい。

 日本語のハングリー精神という響きには、貧乏くさい、惨めったらしい感じがある。でも、僕が言いたいのは、生きることそのものへの飢え、渇き、欲求のことだ。

 僕は欲望がないような聖人君子でありたいとは思わないい。むしろその正反対の生き方をしたい。プラスもマイナスも、すべてがほしい。僕は、誰よりも飢えていたい。生きることを激しく求め続けていたい。

 渇こう。飢えよう。求めよう。

 栄光や勲章は、翌日になったら捨ててしまえばいい。いつまでもトップスピードを更新し続けること。それを辞めるのは、走れなくなった時でいい。「生きるための水」を飲み続けるためにも、翌日には乾涸らびてしまうほどの強い欲求を、僕らは持ち続ける必要がある。


 【フォト】 春に事務所の机に置いてあって(誰が忘れていったんだろう?)、気に入ってつけていたストラップ。ポケットに入れてる携帯を引っ張り出すのに便利だったのだけれど、ついに切れてしまった。こういう小さなことが、意外と気落ちさせてくれる。次はどんなストラップにしようか・・・?
2008年11月6日

「削ぎ落とす」

 という言葉を久しぶりに聞いた。ある子と飲んでいる時に聞いたのだけれど、その子は大隈塾でのスピーチでも語っていたようだから、直接聞いた人もいるのかもしれない。

 人が何かを欲しようとすれば、曖昧なままではいられない。エゴを引き受け、自分を尖らせていく必要がある。その過程では激しくぶつかることもあるし、傷つけることもあるし、結果として何かを失うこともある。

 「受験時代、早稲田に受かるために、付き合っていた男と別れた」と、別の子が言うのを聞いた。誰だって、できることならそんな選択肢は取りたくない。けれど、限られた時間の中で生きている僕らにとって、何かを選ぶためには、何かを手放すしかないのだ。

 僕自身、依然と比べればだいぶはっきりと物を言うようになった。これでもまだ曖昧だと自分では思うけれど、このblogもその一つだ。中には僕の言葉を否定的に受けとめている読者もいるだろう。実際、書いたことに対してケチをつけられることもある。

 でも、それは仕方ないことだと思う。削ぎ落として行く中では、どこかで衝突せざるをえない瞬間、傷つけざるをえない場面はやってくる。曖昧な言葉、曖昧な選択肢の選び方をしていればそれは避けられる。でも、僕は敢えて断言していく生き方を選んだ。

 削ぎ落とすこと。明確にすること。尖らせていくこと。断言していくこと。

 そういう中で、なお共に生きられる人と出会える喜びがある。それは失うことによる悲しさを埋めることはできないにせよ、それと釣り合うだけのものをもたらしてくれる。どれだけ大きな炎を燃やせるかという生き方をするなら、そうした悲しさは飲み込んでいくしかないのだ。

 後悔している暇はない。大切なのは、早く次の炎を燃やすことだ。
2008年11月5日

ウェブ世界


 2週間くらいウェブ巡回をやめていたら、RSSリーダーが800件を超えるストックをしてくれていた。いつもは少しほったらかしても200件くらいなので、ちょっと絶望的な気持ちになる。(ちなみにRSSリーダーというのは登録しているblogの新着記事を自動的に集めてくれるソフトのこと。僕はGoogle Readerを使っている。)

 3時間くらいかけて一通りの記事を読み終えて、気がついたこと。やっぱり多くのblogを巡回するというのはいい。さまざまな人の生活や思考の断片を知ることで、自分の生活や日々の読書からは生まれないアイデアのヒントが得られる。いくら非日常を求めていても、24時間のうち23時間半くらいは日常の中で生きるしかない。そんな僕らにとって、1日に少しずつ、すこし違った生き方をしている人々を追い続けることは、いい刺激になる。

 ただ、ここから確固たる自分の何かが出てくるとも僕には思えない。このところ「リアル」と「ウェブ」の関係性について、僕自身の生い立ちと絡めて考える機会があったのだが、やはりウェブにはウェブの限界がある。それは「ウェブがダメだ」と言っているわけではなく、ごく当たり前のことなのだ。

 とはいえ。

 僕の周りにいる人々の多くはそれ以前の段階だと思う。もし「RSSリーダー」と言われてピンとこないようなら、ITという素晴らしい文明の利器を使える時代に生まれたのに、それを生かし切れていない証拠だ。言うならば、せっかく鉄道ができたのに、怖くて徒歩で移動し続けるみたいなもの。

 最終的に、鉄道に乗らないという選択肢を取るのはいい。僕は自転車で、とか、車で、とか、船で、とか。それは生き方、ポリシーの問題だ。ただ、鉄道の存在と利便性は知っておいた方がいい。もはやITというのはそれくらい普遍的なものだし、今後ますますそうなっていく。乗り遅れるということは、それだけ世界に対して後手を取るということだ。

 振り返ってみれば人生の半分くらいはウェブと共に生きてきた。さらにその半分くらいはリアルよりもウェブで過ごす時間の方が長いような生活だった。最新情勢には疎いが、この世界の皮膚感覚だけはよく分かるつもりだ(すくなくとも日本語のパソコンによるウェブ世界ならば)。そして、僕はこれからもウェブと共に生きていくだろう。

 そういう自負と責任とから、もうちょっとITとの関わりについて僕自身が意識的になり、語るべきなのかな、なんてことを考えている。mixiやって、ニュース調べて、You tubeやニコ動見て、そしてエロサイト回るくらいの使い方じゃ、あまりに勿体ないよ(そして僕の周りの男の8割くらいはこんな感じな気がする)。

 【フォト】 沖縄食堂にて、夕食。玄米ご飯セット350円也。
2008年11月4日

灯が消える時

 すこし前に「青年社長」を読み終えた。和民を立ち上げた渡邉美樹の日記を元にした小説だ。彼自身の評価は別れるのだろうが、詳しく知らない僕は差し控える。ただ、彼とほぼ同じ年齢で起業している僕としては、彼の凄まじい生き方に触発されるところは多かった。

 僕は飲食業の世界をほとんど知らない。身近なところでは、うるとらカフェ、norari:kurari、QUNEと、5年で早稲田に3店舗のカフェを立ち上げた通称「ボス」がいるが、「まぁ、3時間睡眠でいつも仕事場に立ってたね」と、さらりと言ってのけるので、その辛さを実感することはない。

 「看板の灯りが消えた白札屋は悲しい。灯が消えた瞬間、洋子がむせび泣いた。俺も、涙を堪えられなかった。 十月一日の開店から四ヶ月足らず。よくもったものだ。俺は開店二日目で、今日あることを予期した。若気の至りで済まされるとは思わない。つぼ八二店の成功で驕り高ぶってしまったのだ。会社設立二年十か月目の挫折である。」 (高杉良『青年社長』(上) P308)

 仕事帰りの馬場歩きの最中、またもラーメン屋が潰れているのを見かけた。店のレベルが高いこの街は、入れ替わりも激しい。行ってみて「二回目はないね」という店の多くは半年もしないうちに潰れていく。

 でも、そこには確かな夢があったのだ。その店の主人を支える家族や、親戚や、友人たちが応援する日々があったのだ。そういう夢が現れては消え、現れては消えていくのが、きっと僕らの住む世界なのだろう。

 世の中には素敵なストーリーがある分だけ、哀しいストーリーが存在するのだと思うと、日増しに冷たくなってくる風に吹かれながら、僕はちょっとやりきれない気持ちになった。

 ただ。

 それと同時に渡邉美樹のこと、そして僕自身のことも考えた。彼ほど頭を使い、努力をしても、失敗することはある。それは即ち、いつか僕にも訪れるということだ。念のため付け加えておくが、僕のビジネスの調子は悪くない。それでも、夢破れる時はやってくるのだ。

 でも、だからといって人生が終わるわけではない。夢が潰えたその瞬間も、また次の夢に向かって歩き出せるように生きていたい。夢が加速度的に膨らんでいく今だからこそ、そのことを忘れずにやっていきたいと思う。
2008年11月3日

早稲田祭、2日目

下駄っぷを見て、色々思うところもあって泣きそうになる。



それからSHOCKERS、杢元くんの代の単独ラストステージ。これも泣きそうになる。



そして色々とすっ飛ばして、フィナーレ。



タイミングよく野球が勝利し、夜は優勝パレード。


が、なんだか燻るものがあったので、庄司と共に夜の東京散歩へ。


家に帰ると、久しぶりの平山パーティー。やっぱり落ち着く。


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 はじめて「客」として参加した早稲田祭。なんだかんだで毎年企画をやっていたので、今年は休みを取りながらゆっくりと見て回ることができた。

 個人的に色々と思うことのある今年の祭。この前後でたくさんの人に会ったり、語ったりしていた。この瞬間にしかない熱気、高揚感はたまらなくて、僕は結構それを楽しんでいた。

 この早稲田祭で僕の知っている後輩達の多くが引退する。僕が思い入れられる部分は少しずつ減ってしまうだろう。仕方がないと分かってはいても、拭いきれない寂しさが残る。

 祭を終えて、しばらく早稲田は静けさを取り戻すだろう。つかの間の休みの後、年末へ向けて街はまた躁状態になっていく。12月28日のMEGA PEACEがその極点になることを願いつつ、僕も少しずつテンションを上げていこう。

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 参加していた人たち、お疲れさまでした。そして、ありがとう。祭を終えて、次はどんなステージへと進むのか、その話を聞けるのを楽しみにしています。一段落したら飲もうね、と言いながらなかなか時間が取りきれないことが多いのだけれど、僕もひとつ考えている企画(「午後2時のビールの会」)があるので、その時にはまた声かけさせてもらいます。では、また。
2008年11月2日

早稲田祭、1日目

早稲田祭、前々夜
一年で、いちばん大隈講堂前が騒がしい時期。


早稲田祭、前日
組み立て風景と


早稲田祭2008代表、山田健太くん


1日目は色々と見て回り、最後に男祭りを見た後で


UBC-JAMに行き、サンボマスターで踊り狂い、一冬分の汗を流す。


それからこまっちゃん企画のアフターに乱入して、


元AV女優、一世を風靡した森下くるみさんと飲み語り、
11月1日のエントリーで触れた「年上の女性論」について教授を受ける。


そんなこんなで一日目は終了。
2008年11月1日

安らげる場所

 「馬場くんは年上の人と付き合った方がいいよ。」

 と、ある素敵な女性に言われた。庄司にも言われたし、母親にも言われた。みっちゃんもそれに賛同していた。僕のことをよく分かっているなぁと思う人には、最近たいていそう言われる。

 とある会社の、数百人を束ねる経営者には「君は甘えられない奥さんじゃないと絶対にダメになる」と断言された。僕は「年上の女性と付き合う=甘える」という先入観があったのだけれど、そういうことでもないようだ。

 一昨日付けで投稿したエントリー、「仕事と生活の一致。ニューノーマル。」の中で引用したロジャー・マクナミーによれば、めまぐるしく変化する時代においては「安らぎ」がとりわけ大切なものらしい。はて、今の僕にとって安らぎとは何なのだろう?

 夜明け前の今(午前5時くらい)、こうして部屋で一人blogを書いているのは、それなりに味わい深い時間だ。でも、これが安らぎかといえば違う気もする。振り返ってみれば僕は、安らぎに没入することを意識的に避けようとしてきたのかもしれない。

 安らいでいる暇はない、と思う。

 でも、そうとばかりも言ってられない。

 そういうジレンマの中で20代を送るのだろう。そんなことをよく考えるようになった。最近いくらか小説や音楽に割く時間が増えたのは、僕なりの安らぎ方なのかもしれないな。


【フォト】 大隈講堂横にある「Cafe125」の入り口。今日の大風で、この近辺の銀杏がだいぶ落ちていた。