2009年1月5日

学生が社会に出ないで生きるということ

 今日、ある社会人の方と話して気づいたこと。僕のやっていることは学生の延長に過ぎない、ということ。外から見ると余計にそう見えることも分かった。学生発で事業をやっていると言えば「すごいね」という話になる。でもそれは社会の目からは「学生が楽しそうにやっているよね」という域を出ない。

 たしかに社会人と学生との隔たりは大きい。当然、仕事の能力の差もある。でも、それ以上に「社会人になる」という通過儀礼(initiation)を経ているか否かが影響しているように思う。通過儀礼を経ないで社会に踏み入れようとすると、共通言語の違いもあり、ある種の「逸脱した人(deviant)」という受け止められ方をされる。それが両者の関係を断絶しているように思える。

 個人的には、学生と社会人が断絶されているのは異常だと思う。現状、学生は「学生だから」という状況に甘えていて、社会人も「学生だから」という枠の中で考える。そこには「学生だから自由にやっていいよ」という反面、「学生だから社会人の領域に踏み込むな」という暗黙のルールが存在する。そういう関係のもとで、学生が伸びるわけがない。

 現実には、学生の環境はぬるい。「社会」の厳しさはその比じゃない。それが学生に何事も任せられないという結論に至るのは分かる。でも、あらためて言うが、この現状は異常だ。学生が甘やかされるのが許容されるのは、誰にとっても不幸だ。人生でいちばん伸びるはずの4年間を、コタツの中で過ごす寝正月にするようなもの。僕は恵まれた大学生活だったと思うが、別の見方をすれば温室だったとも言える。

 その現状は変えなきゃならない。そのために、僕が学生発という状況ながら、十分に社会に通用するものを生み出していきたい。それは直接的ではないにせよ、変化のきっかけになるはずだ。社会人を経てないのに、なかなかやるね。そういう「プラスの価値を持つ逸脱した人(positive deviant)」に僕はなりたいし、そういう人を多く生み出していくのは今の日本に必要だろう。

 よく「卒業してサラリーマンを経た方がいいよ」というアドバイスをもらう。ありがたい忠告だと思う。でも、それは僕にはありえないルートだ。僕は自分のスタイルを貫き通して、それを社会に認めさせる。そういう生き方もあるんだという新しいルートを開拓する。それこそが、他の誰でもない、僕がするべきことだと思うから。

 そのためには、「学生」という枠に片足を置きながら、もう片足で「社会」を踏みしめ、その両足で誰よりも速く走ればいい。そうして結果さえ出せば、世の中は後からついてくる。

 だから僕は社会を経ている誰よりも速く走り、結果を出さなければならない。でなければ社会は決して認めようとしないからだ。そして、それこそが「頑張ってるね」と褒められる学生と、結果を出さないと生き残れない社会人との一番の違いだ。

 己と勝負して、ひたすら加速する。そして、結果を出す。僕がすべきなのはそれだけだ。それなのに、このところ他者に頼ろうとしすぎていた。それは何よりもやっちゃいけないことだと決めたのに。今日、それに気づけたことに感謝。また一段ギアを上げることができそうだ。

1 Comment:

学 � さんのコメント...

ばばちゃん、明けましておめでとう!!
この前は飲み会楽しかったね。

ばばちゃんの定義によると、オレは一応社会に出ていることになるのかな? 
社会人ってのはサラリーマンってことなんかな?

自分自身は今も社会に出ているっていう気がしないんだ。サラリーマンにもなりきれない不完全なサボリーマンだしさ。

視点を変えて「社会人学生」とかってどうなんかな? 彼らは社会人?学生?

社会人っていう発想は外国にはあるのだろうか?

?ばかりで申し訳ないんだけれど、そこは曖昧な気がして、やっぱり「誰かが決めた枠組み」なんだろうね。ばばちゃんなら、それぐらいとっぱらっちゃえる力があるんじゃないかな。