2009年1月7日

私的な物語が終わりを迎え、次に語るべきは・・・

 高校を中退してブラブラしてしばらく後、ふとしたことをきっかけに政治の世界を志すようになった。大学を目指したのはその第一歩のつもりだったが、入学してまもなく僕の政治への関心は上っ面に過ぎないことを思い知った。そんな大それたことを言う前に必要なのは、僕が個人としてどう生きるのかという哲学。それなくして政治という大きな枠組みを語っても言葉は虚しく響くだけだと気づいた。それ以来、僕は自分のごく個人的な物語を深めていくことに専念した。

 今でこそ活動的に思われているが、大学はじめの4年間は、身近な仲間と酒を飲み、幾つかの恋をしたのを除けば、僕はひとり部屋にこもって本を開き、時々顔をあげて考えるという静かな生活を送っていた。新聞を賑わすような世界とは縁遠い、私的な物語を追っていた。そうした日々の末に紡ぎ出したストーリーを、できるだけ大きく描いてみたのがMEGA PEACE vol.1だった。あの日、最後の曲が終わり、音が鳴り止んだときに、僕の個人的な物語は完結していたのだと思う。

 それから1年。

 ビジネスという、いわば私的な物語の対極にある世界に生きてきたが、その間、僕は相変わらず個人的なストーリーを語り続けていた。それは、この1年間の間に書いてきたblog、まさにこの記事も含めて、それらを読めばすぐに分かる。最近気がついたのは、それが届く範囲に限りがあるということ。個人的な物語をいくら僕が語ろうとも、それが響く範囲は僕の半径数メートルの域を出ない。僕が共感を生む範囲を広げるためには、すなわち僕のストーリーでより多くの人の心を震わせるには、語る内容を根本的に変えなきゃならない。

 目の前のことに追われて考えるゆとりもなかったが、もはや僕個人の小さな物語ではなく、より大きな物語を紡がなければ前に進めない段階に来ていたようだ。それは「歴史」であったり、「社会」であったり、「未来」であったりするのだろう。それはこの数年間、意識的にシャットアウトしてきた領域だ。そうした僕にとっての新しい物語を紡ぐため、今年は新たな学びの段階に入ろうと決意した。

 今までは自分の小さな物語を紡ぐための手がかりとして、隣にはいつも「他者」がいて、脇には常に「本」があった。きっと、それはこれからも変わらない。だが語るべきストーリーが変わった以上、どのような「他者」「本」から学ぶのかは再考しなければならないのだと思う。

 また、政治への道を降りてから閉ざしていた新聞、雑誌、テレビといったメディアにも触れてみたい。しばらく離れていたものに手をつける時は、とにかく馬鹿みたいに情報を浴びることからはじめるわけだが、どんなソースがあるのかも分からない中で、どれを選ぶべきか探している。英語ができれば選択の範囲は広がるのだろうが、現状、それはやむを得まい。

 何をインプットするかで、僕がアウトプットするものも変わってくる。それはそのままこの blogにも反映されるだろう。その結果、いま興味を持ってくれている人が離れていってしまうかもしれない。だが、それは次のステージへ立つために必要なステップだと信じたい。今年は僕から見える「社会の構造」を語りたいと思っている。その多くは稚拙なものにならざるを得ないだろうが、僕にしか語れないこともあるだろうし、それに誰かが興味を持ってくれることを願いたい。

 まだまだ僕はひ弱だ。なんとか声をあげ続けてはいるけれど、張り叫ぶうちにやがて喉が嗄れるかもしれない。でもいつか、僕が語るストーリーが必要だったと思える時がくる。その時に後悔しないために、とにかく今は決めたことを続けようと思う。

1 Comment:

kiyono さんのコメント...

土俵に立て