2009年1月8日

なぜ日本を愛するのか?

 返事に窮しているメールがある。

返事を読んでいて思ったのですが、馬場さんは日本が好きなのですか。海外で活躍するという選択肢もある中で、なぜ馬場さんは日本で面白いことをする選択肢を選んだのでしょうか。なぜそこまで"日本"をよくしたいと考えるのでしょうか。よかったら教えてください。

 先月の半ばにオーストラリアから届き、明確な答えが見つからないまま数週間が過ぎた。日本をよくするというのは、僕にとっては自明のことだった。「なぜ白米が好きなのですか」に対する答えと、あまり変わらないレベルで考えていた。

 白米と味噌汁で生まれ育った日本人は、どれだけ海外でパン食を続けていようとも、死ぬ前には白米と味噌汁が食べたくなるという文章を読んだ記憶がある。この話が正しいとは思わないが、DNAや「三つ子の魂百まで」のレベルで嗜好がある程度は固定されるというのは頷ける。理屈はどうあれ、僕が「日本」をよくしたいとどこかで思うのは、そうした単純素朴な実感の結果だと思えるからだ。

 なぜ僕らは自分の所属を、すなわち今いるサークルを、クラスを、大学を、部署を、会社を、世代を、国家を、世界を、そして家族をよくしたいと思うのだろう。そして、よくするとはどういうことだろう。僕にはまだ「そこに愛着があるから」という以上の答えが見えてこない。
 
 でも、たとえば、日本をよくしたいという気持ちと、世界をよくしたいという気持ちの源泉や形は、すこし異なる気がする。そこにはもうすこし分け入って考えるべきものが歩きがする。でも、まだはっきりとはしない。そうした僕の曖昧さを解消するヒントをもらえそうな場が明日あるので、それを追ってまた報告したいと思う。メールの返信はその後で。

 もしよかったら、今度あなたの考えを聞かせてください。