2009年1月12日

大学は学歴を売る商売か?

 『進学格差』(小林雅之、ちくま新書)を読み終えてあらためて感じたこと。大学というのは、「学歴」を販売している企業体ではないか。

 つまり、大学に進学することは、少なくても約一〇〇〇万円の目に見えない費用がかかっているということだ。これを加えれば、最も安い国公立大学自宅通学女子でも一四〇〇万円以上の費用がかかるのである。
(小林雅之『進学格差』p16 ちくま新書)

 大学について論じていると、共に働くジョンがよく「大学を卒業することで与えられる『学歴』がなくなってもなお、純粋な学びの場として大学に通う奴はどれくらいいるだろう?」と問いかける。

 「最終学歴」を得るために支払う、進学塾や予備校(人によっては幼稚園や小学生から!)への授業料を考えると、親が大学というものに期待していることの大きさが想像できる。だが、その期待に大学という場所は十分に応えているのだろうか?

 僕はまともに大学教育を受けていないから論じる資格はないのかもしれない。それでもね。それでも、僕はあまりにひどいと思う。現状、学歴はその内容如何に関わらず、社会へのパスポートになっていると思う。だから誰もがそれを手に入れようと必死になる。

 でも、それ以上に「大学」という場所が与えてくれるものがなければ、本来それだけの金を払う価値はないはずなんだ。ということは、どこかに歪みが生じてる。道塾には、金がなくて予備校に通えない奴が少なからず入塾してくる。そういう教育手法と出会えていない未だ見ぬ人々の中には、そのために歪みの犠牲者になっている奴がいる。

 誰もが盲目的に学歴を手に入れようとする風潮の中、学歴を相対化しようとする動きもなく、十分な教育を受ける機会のない人間は社会の中心的なルートから淘汰されていく。僕らがすべてを解決できるわけじゃないし、まだまだ道程は長いけれども、すこしでもこれを改善できればいいなと思って、今年から道塾で新しいアクションを起こしたいと思っている。