2009年1月16日

25歳からの社会学

 僕は「文化」は王道モノが好きだ。ジブリ(それもあまり難しくないヤツ)には素直に感動できるし、J-popはミスチルをこよなく愛する。洋画なら「ショーシャンクの空に」だし、日本文学では(あまり公言しないが)村上春樹のファンだ。これら大衆的な文化に敢えて反逆しようと思ったことはあまりない。

 だからこそ、そうしたメインカルチャーに対する「サブカル」の世界は敬して遠ざけてきた。そのせいか、名前はよく目にするが自分の読書範囲からは外れているという著者が何人かいた。

 だが昨夜、知識欲の旺盛な15~6歳くらいの子に薦められる本はないかなと思い、早稲田の「あゆみブックス」で平積みされていたその本を偶然手に取ったことで、僕の読書範囲に入るはずのなかった人が突然やってきた。タイトルは『14歳からの社会学』。サブカルチャー語りのエース格、宮台真司だ。

 タイトル買いで期待はしていなかったのだが、読みはじめたら止まらなくなった。トイレに行くのも惜しいくらいで、最後の1ページまで一気に読みきってしまった。結論から言おう。こいつはヤバい。著者の言葉を使うなら「ホンモノ」だ。道塾の推薦書に決定(なんて言うと、あいつとか、あいつとか、絶対読むんだろうなぁと思いつつ・・・笑)。

 この本のテーマはありふれた社会学や哲学の入門書と大して変わらない。「社会学の最先端の知識」を「ふんだんに」盛り込んだらしいが専門外の僕には関係ない。疑問を呈したい論理、文句をつけたい文脈も数多くあった。

 読んだ人しか伝わらないのを承知で書くが、たとえば「感染(斉藤孝風に言えば「あこがれ」)」こそが「<自由>」という論理は怪しいし、「<歴史>」に棹差すという理屈も(社会学としては正しいのだろうが)僕は承認しかねる。「卓越主義的リベラリズム」を支持しておいて、「世界」にもたたずめず「社会」にも承認されなかった人々に対する「エリート」の責任には一切触れていない(そもそも「世界」にたたずむことができるのは、ごく一部の「エリート」だけだという事実を隠蔽している気さえする)。

 でも、そうした些事はひとまず措いておく。

 僕が「ホンモノ」だと思ったのは、この男が本気で「世界」そして「社会」と向き合い続けているということ。そして、それは僕が「あこがれ」てきた生き方だということ。すなわち僕は、宮台真司に「感染」した。今年最初のヒット作、そしてたぶん、今年度のNo.1(昨年度のNo.1はもちろん梅田望夫)。こういう人間が同時代に生きて、これからも発言していくのかと思うとわくわくする。

 この本をそこらの14歳が読んで分かるとは思わないが、世の中の「大人」たちが最低限このレベルから物事を語ってくれるようになることを願う。

 ・・・と言いながら自分のことを棚にあげているのは否めないので、10年ほど出遅れた感もあるが、僕も今年から「学問」をしていこうと思う。