2009年4月2日

ネトゲ廃人(1)

 僕が人生でもっとも熱中したゲームは「Ultima Online」というネットゲームだった。MMORPG(Massively Multiplayer Online RPG)の元祖と呼ばれるこのゲームを高校入試の帰り道に買い、合格報告も耳に入らないほど没頭していった。「入学前にやるように」と高校から出された課題にも手をつけないまま、ただひたすらパソコンに向かっていた。

 後悔はまったくないが、高校を辞めた原因の何割かはこのゲームだと今でも思う。そうして社会的には落ちこぼれる一方で、僕はゲームの中で相当な力をつけた。数十人の仲間を率い、ゲーム内での1対1の戦いなら負けることがなかった。数千人いるサーバ内の一位決定戦で優勝したこともあった。

 最近あったいくつかの出来事から、こうした過去のゲーム周りの話をすることが多くなった。そのせいで、今日は久しぶりにこんな話をblogに書いている。

 僕が16,7の頃は、ネットゲームをする高校生自体が非常に少なかった。今ほどパソコンやウェブ環境が整っていなかったからだ。今じゃ「ネトゲ廃人」みたいな言葉まであり、こうした「落ちこぼれ方」はよくあるケースになったような感さえある。だが、そうした彼らに届く言葉を、いま誰が発することができるのだろう?

 僕がネットゲームにのめりこんでいった理由は、いま整理するとふたつ考えられる。ひとつは現実世界では感じられなかった自由さ。もうひとつは、無数の他者とのコミュニケーションの可能性だ。ネットゲームの世界には、田舎の中学や高校の生活では味わえない、素晴らしい世界があるように思えた。

 過去の僕と同じような境遇にいる若い子たちは、僕が彼らと同い年だった頃よりも、ずっと増えているように思える。おそらく学校は僕が通っていた頃よりも息苦しくなり、反対にウェブでのコミュニケーションの可能性はより広まったからだ。つまらない日常に飽きてウェブの世界に没入するのは、僕には「正常」なことにすら思える。

 だが、ネットゲームという世界から醒めて外に目を向けた時、その「正常」さは現実という壁にぶつかり、脆くも崩れてしまいかねない。過去のゲーム歴を語りはじめた時、あの時あの壁を運良く通り抜けられた僕は、同じ壁の前で呆然としている彼らに言葉を届けるべきだと思うようになった。

 (2)へ続く。