2009年3月31日

道塾、創業3年目

 2年前の今日、道塾のホームページを公開して入塾を受け付けた。最初は1月で5人くらい申し込みがあればいいなと思っていたのが、あっという間に10人くらいが申し込んでくれた。あの時の驚きは忘れられない。

 2年目の受験が終わって代が変わり、今日から3年目。シェアハウスの隅で、わずか一人ではじめたこの塾も、今やスタッフ7名を数え、素晴らしき仲間たちと共にまた新たな一歩を踏み出そうとしている。

 受験生が皆抜けたにも関わらず、この1ヶ月で多くの入塾があり、既に2年目の塾生の最大数を超えた。人数は爆発的に増えているが、その分だけ心強い仲間が増え、一人一人のやる気も能力も上がっているので、質は下がるどころかより一層高くなるだろう。

 道塾に2年間在籍して早稲田に合格したある塾生のアンケートには、「2年目はあらゆる面が改善されパワーアップされていてよかった」と書いてあった。来年もまたそう言われるために、日々スピードを上げ続けていくよ。



 開塾当時は手作りのダサくて胡散臭いホームページで、今じゃ「よくあんなホームページで入塾してきたヤツがいるよな」なんて笑い話になるけれど、その分、一行一行には想いを込めて文章を書いていた。

 その、最初の文章がこれ。


◆道塾 開塾にあたって(2007.03)

「早稲田への道」を建ててから3年半。
その間、4回の受験があったが、
多くの読者を得て、
想像をはるかに超える反響と、結果を残せた。

ここまでたどり着けたのは
毎年3月頃にたくさん届く
早稲田への合格報告の書き込みや
メールのおかげだと思う。

早稲田に落ちてしまっても、
おかげで~大学に受かりました、とか
一年間がんばれたのは「早稲田への道」のおかげです、
なんて言ってくれるやつもいて、
誰もが志望校に受かるわけではない受験において、
こうした言葉は俺にとって何よりの救いになった。

時には批判もあった。
されるべき点は甘んじて受けるし
そうじゃないと思う部分にはそう言ってきた。
受験技術には自信があっても、
俺の対応の仕方は、正直言って反省だらけだ。
でも、それを含めても、やってきてよかったと今は思う。


ただ、自分自身がそう納得できたのは、実は最近のこと。

スレを建ててから最初の3年間は、
早稲田への道をやっていることを、周りには言わなかった。
そもそも2chでスレを持っているなんて
かっこいいことじゃないというのは、誰にだってわかること。

でも、いろんな想いや理由があって、
例えば、あまり機会は多くないけれど、
飲みながら受験時代を振り返って語る場面や
あるいは友達の兄弟から相談を受けるといった場面で
早稲田への道について公言することを厭わなくなった。

そうしていくうち、大学の内外で、
早稲田への道を見てました、
あのスレと出会えたおかげで今があります、
なんて言ってくれる奴に出会うようになった。
長い付き合いの後輩の中にもいて、
お前が? みたいなことも少なからずあった。

俺がuであり、その俺と出会えたことを
涙ながらに喜んでくれる人がいた。
その驚きと喜びとの入り混じった表情が、
スレを続けてくることができて
本当によかったなと、深く感じさせてくれた。


スレを建ててから、
「道は自分でしか歩けない、
俺やこのスレッドをはじめ、
あらゆる情報は自分の道標になるに過ぎない、
必要なのは逃げ出そうとする己に克つ力だ」
という意味のことをずっと言い続けてきた。

今でもこの考え方に変わりはない。
ただ、4回の受験を見てきて痛切に感じたことがある。
それは、己に克つ、と口でいうのは容易いけれども
自分ひとりで己に克つのはとても難しい、ということ。

矛盾しているようだけれど、
己に克てるのも、他人の助けがあってこそなんだな、
ということを俺は痛感したんだ。


道標としての俺の方法論は、
数ある受験技術の中でもかなりベストに近いものだ、
と今は自信を持って言える。

大学受験をゼロから始めるようなレベルから
一年足らずで早稲田に受かるなんて
ふつうに考えてみれば信じられないことだけれど、
「早稲田への道」では十分にあり得ることになっている。

効果や結果についてはログを何度も読み返し、
すこしでも実践すればすぐに納得できると思う。
だから、ここで多くを語ることはしない。

俺が言いたいのは
自分ひとりで歩いて行く上での「気持ち」の問題だ。

道をひとりで歩ききれるかどうか。
それが自分の意志の問題だと言えばそれまでだ。

だが、生まれてはじめての
見たこともないくらい高い、受験という壁。
それを目の前にして
ひるむことなく超えられる奴は、
4年のあいだ、ひとりも見なかった。


俺自身、受験期を振り返ってみれば
強がってはいても不安があったのを思い出す。

自分の志が高かったから
努力によって合格できたんだ、
と豪語することはできる。

でも、志を高く保てたのも、
実力を着実につけていけたのも、
幸運が積み重なったからこそだったんだな
と、あるときに気がついた。

家族は当然のように俺を支えてくれたし、
義理もないのに応援してくれた人もいた。
ともすれば一人で悩みがちな俺に
中学時代からの友人は声をかけてくれたし、
初恋が受験へのモチベーションにもなった。
本番に強いという性格もあって、
第一志望では120%の実力を出しきれた。

でも中には、
家族には見捨てられかけていて、
友達も一人もおらず、
恋愛なんてとんでもない、
本番は緊張して実力の半分も出せない、
なんていう奴もいるんだということを、
メールで対応していくうち、驚きと共に知った。

もちろんこんなひどい例は少数だけれど、
多かれ少なかれ世の中は不条理で、
その時々で何が起こるかは分からないし、
自分ひとりで解決できないことも多い。

そうした思いが強くなっていた4年目は、
妹の受験とちょうど重なったこともあって
電話やメールでの相談を今まで以上に受けつけた。
その過程で、受験技術をどれだけ活かせるかは
気持ちの問題がとても大きいということを感じた。


気持ちというのは
それ単体で独立しているわけではなくて、
志の強さだったり、
成績の伸びだったり、
周囲との関係だったり、
勉強の進み具合だったり、
たくさんのことが互いに関係し合っている。

たとえば、つらいと思っていても、
実力がついているのを実感できたり、
成績が上がったのが具体的に分かったりすると、
苦もなく勉強し続けられるようにもなるものだ。

受験技術を活かすも殺すも、
結局はいかに気持ちを維持できるか、
ずっと上向きのままでいられるか、
それによって決まる。

逆のことも言えて、
気持ちを上向きで維持できるか否かは、
受験技術を活かし続けて、
壁にぶち当たって悩んだり
間違った方法によって遠回りをしたりすることを
いかに避けられるかが、とても大きく影響してくる。

つまり受験は質+量+心(志)のような
それぞれが独立している足し算ではなく、
質x量x心(志)=結果という掛け算であり、
互いに関係し合っているということ。

そして、それぞれが高くなればなるほど、
その結果としての伸びも飛躍的に高まる。

それらをトータルで支えることができれば、
早稲田への道はぐっと歩きやすくなるし、近づく。
そして4年の結果として、今の俺にはそれができる。
そう考えて、俺は塾を立ち上げることを決めた。


「塾」なんていう古めかしい言葉を使うのには理由がある。

明治維新前夜の日本には
江戸時代から続く習慣として、
才能ある学者による私塾がたくさんあった。
その中のひとつに「適塾」という塾がある。

日本史選択なら知っているだろうが、
この塾唯一の師である緒方洪庵は
当時最新の学問とされていた蘭学、
とりわけ医学に長けていた人で、
人のために一生を捧げた教育者。
そして、俺の理想の教育者でもある。

適塾からは一万円札の福沢諭吉をはじめ、
後の日本を担うことになる多くの人間が
直接、間接に輩出された。
適塾そのものも、後の阪大医学部の原型となる。

俺は緒方洪庵のように立派な人間ではないけれど、
気持ちだけは緒方洪庵にも負けないくらい、本気のつもりだ。


この塾をはじめるいま、俺には夢がある。
日本の教育、そして社会を、少しでも変えるという夢だ。

俺は、わりといい私立中学を辞めた。
その数年後には、わりといい公立高校も辞めた。
その結果、高校中退のフリーターとなった。
残されたのは、若さという希望だけだった。

俺が中学や高校を辞めた理由は、
一言でいえば、つまらなかったから。
幸いにも友達には困ることがなかったけれど、
学校の方針に馴染めなければ、そこにいてもつまらない。

勉強して成績がよければいい
という考え方に俺は従うことができなかった。
俺には、もっとやりたいことがあったんだ。

修学旅行に合わせて宿題が山ほど出された。
旅行先にまで宿題があるなんて、俺には信じられなかった。
でも、周りみんなは文句を言いつつも、持ってきていた。

これが高2年の冬。17歳だった。
俺は勉強より、もっと楽しいことがしたい。
そんな反抗心があって、高校には行かなくなった。
そうすると、もはや社会の落ちこぼれ。
日本社会では、最底辺に分類されてしまう。

でも、そこから俺は這い上がり、舞台に立てた。
幸福な偶然が重なった結果、
いま俺はとても充実した日々を送っている。


好きなことをやっていると、
社会から取り除かれてしまい、
ふつうは二度と立ち上がれない。
志を持っても、情熱に火がついても、
現実という壁にぶち当たり、
あっけなく押しつぶされてしまう。

やりたいことをやった分だけ、
大変な道を歩まなければいけないのは仕方ない。
それは自分の責任なのだから当然のことだ。
でもだからって、そこで道を閉ざされてしまうのは
あまりにも悲しいことだと俺は思う。

だから、そこに、道を作りたい。
志ある奴が、再び舞台に上がれる道を。

どんなどん底にいたって、
本気で歩めば拓ける未来があることを伝えたい。


これがこの塾を立ち上げる、俺の想い。


そして、できることならその結果として、
さまざまな幸せのカタチが認められる世の中にしたい。

俺が大学を志した理由は、
ひとつには人との出会いがあるけれど、
もうひとつには、やはり学歴だ。
なんと言おうと、それが今の日本の基準だから。

でも、そのころから俺は
学歴なんて大事じゃないと胸の内で思っていた。
金や地位や名誉があっても、
幸せにはなれないということを感じていたから。

学歴や肩書きが不要だとは言わない。
でも、それは目的ではなく、
ゴールへの、
無数にあるうちのひとつの手段に過ぎない。
ゴールと方法とを取り違えると、
気づいた時には後悔だけが残る。
そんなの、俺は嫌だ。

ゴールってなんだ?
どこにあるんだ?

それには俺はこう答えたい。

「幸せ」だよ、と。
そして、そのカタチは人それぞれだ、と付け加える。

好きなこと、幸せ、それを追い求められればいい。
誰も彼もが、幸せを肩書きや数字に置き換える必要はない。
そう言うために、俺には学歴が必要だった。

志さえあれば誰でも大学に入れるのであれば、
偏差値や学歴という尺度は相対化されるはずだ。

数字や肩書きではなく、
ひとりひとりの生き方
それぞれの「幸せ」のカタチが
もっと尊重される世にしたい。
偏差値や学歴だけがモノサシの目盛り
という価値観を変えたい。

幸せのカタチが見つかっている奴は、
そのカタチを信じて生きていけばいい。
でも、まだそれがぼんやりとしている奴にとって、
大学というフィールドは、
幸せのカタチを探したり、
創ったりするのにもってこいの場所だ。

幸せのカタチの多様性、
その大切さを伝えながら、
それぞれの幸せのカタチを追い求める手助けをしたい。
そんな夢物語を、俺は自分の胸に抱いている。


受験生にとっては、
遥かなる早稲田への道。
俺にとっても、理想、夢への道。

そこから塾の名前は、
夢への道をあゆむ塾、
道塾(どうじゅく)、とすることにきめた。

道という言葉は、
人生であったり、
老子の道(ドウ)という言葉であったり、
なにかと俺の好きな言葉でもある。
名に恥じぬ塾にしたいし、塾生になってほしい。


俺は塾生全員を
緒方洪庵に負けないくらいの気概で、
早稲田ないし志望校に受からせるつもりでやる。

塾に入るやつも、
福沢諭吉に負けないくらい強く熱い気持ちと
高く真っ直ぐな志と、
強い意志とをもった奴にこそ、入ってほしい。

一人じゃ勉強できないけれど
塾へ入れば成績が上がるだろう、
なんて志の低い奴には入ってほしくないし、
そういう心構えでは、受験は乗り切れない。
俺の塾を利用しても、無駄なだけだと思う。

根本にあるのは、
自分ひとりで、遙かなる道を切り拓いていく覚悟。

だが、そういう奴でも挫けそうになる時がある。

そんな時に、
単なる道標を超えて、
ひとりの人間として、
俺が役に立てればいいと思う。


適塾から輩出された多くの人材は、
激動の明治維新に影響を与えたというだけに留まらず、
20世紀の日本の礎を築いたといえるほどの功績を残した。

今と昔では、塾という言葉の意味が違う。
今は受験テクニックを教える場所が塾といわれる。

でも、
昔の塾は、もっと素敵な場所で、
人生を切り拓き、世をよくするために、
命がけで学ぶ場所だった。

閉塞感が漂い、もはや落ちるだけに思える日本でも、
21世紀の世界を担う人間の1人として俺は役立ちたい。
そして、そんな想いと志とをもった塾生が、巣立ってほしいと願う。

俺は全力を尽くす。
夢は叶えるためにあるんだ。

俺の志を理解して、
心に響くものがあれば、
ぜひこの塾で学んでほしい。

2007.03.31 written by u



想いは今も変わらず。
2009.3.31 written by u こと 馬場祐平
2009年3月29日

出会いと別れと結婚と

ここ3日間のフォトアルバム


政友会追いコン




メガピ卒業音楽会








庄司送別会







WIF卒業パーティー






鈴木モトヨシさん結婚式二次会








その後@わっしょい


それぞれ、また新たなステージへ。
愛する(尊敬する)彼らと時を重ねられた僕は幸せ者です。
これからも変わらず互いの土俵で勝負し続けていきましょう。
2009年3月25日

卒業式

 7年生トリオになるかと危ぶまれた塩原正一郎が無事卒業し、6年組で次も残るのは結局僕とジョンの二人だけに。

 あれ、残るの?と思われた方へ。

 そう、残るんです。

 今までずっと「辞める」と公言してきて、この2年間は一切の単位を取らなかったが、数多くの前言を撤回して1年後の卒業を目指すことにした。「中退一流」と呼ばれるこの大学で、入学する前から惹かれ続けていた「中学からの中退x3」を並べることにもようやく踏ん切りがついた。

 理由は1年後に書こう。だから、この話はこれでおしまい。

 ----------

 僕より1年早く卒業した、たくさんの愛する仲間と、後輩たちへ。

 今までどうもありがとう。新たなステージで頑張ってください。そんなことは何度も言われているだろうし、そしてこれも今日はもう何度も聞いていると思うけれど、あらためてこの歌を送りたい。

あれ見よかしこの 常磐の森は
心のふるさと われらが母校

集り散じて 人は変れど
仰ぐは同じき 理想の光

いざ声そろへて 空もとどろに
われらが母校の 名をばたたへん

わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ

 理想の光を求め続ける旅の途中、やがて再び道が交わる時が来る。僕はそんなドラマみたいな日を夢みてる。そして、その時に担える役割があるように、これからの日々を全力で走り続けようと思ってる。

 きっとあなたもそんな想いを、心の片隅に抱いているかな。

 でも、社会に出ると巨大なシステムの中で摩耗させられ、心が磨り減っていくこともある。だから言いたいことはひとつ。これからの幸せを心から願っているけれど、もし疲れることがあれば、たまには「心のふるさと」に帰っておいで。僕はしばらくそこに留まっているからさ。

 また、一緒に何かやれる日を楽しみにしています。あらためて、今までほんとうにありがとう。楽しかったです。

 卒業、おめでとう。
2009年3月23日

3月23日

 『生活リズムの改善』と書いた夜、マッコリを1本空け、贈り物でいただいた日本酒も一本空け、そのまま眠りに落ちた。今朝、前夜に熟睡できた分だけ、いつもより早く起きた。健康なんだかそうでないのか分からないが、いずれにしろリズムは整った。

 そうして迎えた3月23日。

 今日から本の執筆に取りかかった。刊行の目標日は7月末。その2ヶ月前には初稿を上げることになっているから、5月末には原稿を書き終えねばならない。本の執筆というはじめての作業でペースだけが心配だったが、気持ちのいい朝日を浴びながら、久しぶりに訪れた絶好調のテンションで瞬く間にイメージが完成した。

 これは、いける。

 細かいことには触れないが、今日はこの興奮だけを書き記しておきたい。まだスタートも切っていないような段階だが、ここから約2ヶ月、僕のベストを尽くして、多くの若者の心に希望の灯を点せるような本を書いていくよ。


 PS. ささやかだが今日は沖縄に灯が点った。 砂川@琉球新報
2009年3月22日

生活リズムの改善

 今日、ある塾生(とその保護者の方)と面談をしていて、生活リズムがいかに大切か、という話になった。このトピック自体は道塾ではよくある話なのだが、今日はその大切さを自分の体験として実感した。

 昨年の4月頃から1日1冊の読書を基本ペースとして読み進めてきた。だいたい半年くらいはそのペースを維持できていたのだが、12月頃から生活のリズムが一定でなくなり、読書に割ける時間が大幅に減っていた。追い打ちをかけるように年明けから道塾会社化へ向けた日々のタスクに忙殺されるようになり、2月半ばからは日課としていたblogの巡回さえもできなくなった。

 上海から帰ってきて1ヶ月ぶりにGoogle Readerを開いてブログを読もうとすると、未読エントリー数を示す「1000+」という数字が並んでいた(推定5000オーバー)。すべてを追うのは不可能だと判断し、「すべて既読にする」というボタンを押して文字通りゼロからの再スタートを切った。

 すると、引きずっていた重りの鎖を断ち切ったかのように、ウェブ世界を歩く自分の足取りが一気に軽くなった。

 軽い足取りのまま、ここ数日間にアップされたblog記事を読み返してみると、自分がいかに狭い世界での思考に留まっていたかを痛感した。世界では膨大な人が各自の日常を生き、それについて夥しい考察を重ね、文字を連ねていた。それに瞬時に触れられるblogというツールが、いかに僕の思考に刺激を与えていたかということを今更ながらに知った。

 と同時に、読書が僕の思考の核になっていたことも、今回の旅を通じてあらためて気がついた。いつもは3-4冊持って行くのだが、今回は本屋で平積みされていたのを手に取った中島義道『人生に生きる価値はない』の1冊だけ。ただ、大学一年の頃によく読んだ懐かしい著者の思考を味わっているうちに、わずか1冊の書物から、僕がいかに「物を考えなくなっていたか」を振り返ることができた。

 日々襲ってくる物事にかまけていると、必然的に思考は、すなわちblogの内容は、そのことばかりになってしまう。でも、それじゃ世界が広がらない。日々すべきことは全力でこなしながら、一方で、いつだってまだ見ぬ世界へと目を向けていたい。僕にとって、そのための最大の武器は本とネット。そして、それを正しく有効に使うためにまず行うべきは、生活リズムの改善。

 そんな基本的なことを3泊4日の旅は深いところで気付かせてくれた。ゆっくり休みを取るべきだと思うほど仕事をしたことのなかった僕にとって、これはちょっとした発見だった。受験生にはいつも言っていることだが、4月からのスタートに向けて僕もリズムを見直そう。
2009年3月21日

このクソ忙しい時に


 行ってきました、上海。

 3泊4日という最短の海外旅行。iPhoneは何も設定せずとも国際電話になったし、ノートPCも携えてウェブ環境を整えたので、日本と変わりなく過ごせた。上海の中心で揚げ男から着信があって普通に仕事の話しをするという……、実に不思議な感覚だったが、これがウェブ時代の仕事スタイルなのかな。

 それはともかく。

 こんなにゆっくりしたのは、1年を振り返ってもなかった気がする。最高の旅行だった。フル充電して、また明日から走りはじめるよ。


 PS. 留守中の道塾は、みっちゃんをはじめ、スタッフ全員が守ってくれていた。何の心配もなく出国し、さっき帰国して事務所のドアを開けると、いつもと変わらず電話相談を受けているスタッフ達が。もはや頼もしい。
2009年3月17日

モバイルサイト

 最近の人(保護者も含めて)は携帯からウェブを見る率が高く、道塾への問い合わせも携帯からが少なくない。今の道塾ウェブサイトは、携帯から見ることはできるものの、あまりキレイではない。ということで、1週間ほどの準備期間を経てようやくオープン(「道塾モバイルサイト」)。

 作ったのは道塾スタッフの揚げ男。2ヶ月前は「Internet Explorer」の意味すら分からなかった男が(いま聞いたら相変わらず「ブラウザ」の意味が分かってない男が)、まだ改良すべき箇所は数多いとはいえ、ここまで作れたのは大したもの。

 今後はウェブ周りすべてを揚げ男が担当することになる。道塾スタッフは全体的にITリテラシーが低く(みんな旧式なんです…)、今までは僕がやってきたので、これでまた負担を減らしてもらえそうだ。揚げ男の今後の成長に期待。

 揚げ男の成長スピードにあわせて道塾のウェブ戦略は強化されていくのだが、素晴らしいスピードで成長する揚げ男は、先日書いた道塾スタッフ内の「3ヶ月後に達成しなかったら五厘刈り」の目標を既にクリアしてしまった(当時の目標は、モバイルサイトとPCサイトの両方を管理すること)。

 ということで、最速で3ヶ月後に皆を驚かせるつもりでいた新企画を揚げ男に任せ、間に合うかは微妙なところだが、揚げ男の新たな目標とすることにした。すなわち、5月末に新企画の暫定版を完成し、ウェブに公開できなければ揚げ男は五厘刈り。

 なんて悠長に言っているが、もう一度書くけど、僕の目標は塾生300人、スタッフ18人。できなければ五厘刈り。メディアに出る時も、おそらく半年くらいはその痕が残るだろう。それだけは絶対避けたい。そのためにも、これからの日々をよりスピードを上げて駆け抜けていくよ。
2009年3月16日

法螺吹き男

 塾生300人、1万人、100万人……。

 大法螺吹きと言われたっていい。僕はずっとそうやってここまできた。法螺を吹かなけりゃ早稲田にも受からなかったし、メガピも成り立たなかったろうし、ましてや道塾なんて立ち上がりもしなかった。いつだって、物語はどこかの法螺から生まれるんだ。

 日毎生意気になってやろう 大言壮語も吐いてやろう
 最後に見事笑ってみせよう 主役を思い知らせてやろう

 今日もまたひとつ小さくない法螺を吹いた。でも、誰も哀しませないように、吹いた法螺をホンモノにしてみせるよ。

それが僕のわずかな力 ただの強がりもウソさえも
願いを込めれば誇れるだろう 望めば勇気にもなるだろう
ここが僕のいるべき戦場 覚悟の価値を決める場所
ひとつのウソにさえすがる僕のそのウソが誓いに変わる

 男の子は、いつだって法螺を吹き続けなきゃいけないだろう。その意地だけが僕らを前に進ませるのだから。


 スラムダンクと並んで、受験期いつも聞いてた。
2009年3月15日

Q50. 道塾が目指すものはなんですか?

A50. 日本中の若者の胸に希望の灯を点すことです。大学受験という道を歩む過程で、それぞれの夢へ努力して近づくための力を、技術と気持ちの両面から伝えます。そうして大学へ進学した塾生が将来、日本や世界の人々に自分の胸の内にある希望の灯を伝えられるようになること。そうやって希望の灯を伝え続けることが道塾の使命であり、そうした若者を一人でも多く育てるために日々活動しています。夢に近づくために欠かせない受験技術は、当然、日本でベストであるよう追求し続けています。こうした道塾の夢を夢のままで終わらせず、リアルに現実を変えていけることを身をもって示すために、道塾は2012年3月において塾生1 万人を目指すと宣言しています。


 「あーあ、また大きなこと言っちゃった(そして俺らが大変なんだよ)。」

 なんていうジョンやみっちゃんの声が聞こえてきそうな文章だが(笑)。道塾のQ&Aを作ろうということになり、ジョンが下敷きを作り、僕が修正をかけ、さらにジョンの追加修正が入った後、最後に残されたQ50に対する解答を僕が書いて、ようやく公開。

 文章の中核に据えたのは、「希望の灯」というキーワード。ありきたりだけれど、この灯が胸に点されているか否かは、自ら人生を切り拓こうとする意思かあるかどうかという点で、決定的に人生を左右することだと思う。

 昨日の『20年後、この国に希望の灯は点っているのか』というエントリーのタイトルにも使ったが、そういう灯を胸の内に点した若者が、20年後には累計100万人くらい道塾から巣立っているといい。そうすれば、僕が世界の片隅で道塾という場を立ち上げたことにも、ささやかながら意味が生まれるだろうから。
2009年3月14日

20年後、この国に希望の灯は点っているのか

 iPhoneには便利なアプリケーションが数多くあるが、そのうちのひとつに無料で産経新聞が紙面そのままの形で読める、というものがある(こんな感じ)。

 画期的な試みではあるが、現実にはたいして読みやすいわけでもなく、たまに目を通しているくらいだった産経新聞iPhone版。ただ、会社化前日の3月1日に一面で組まれた「2030年」という連載は、テーマも内容も共感するところが多く、会社化当日のエントリーで内容に触れようか迷うほどだった。

 結局それは取り上げないことにして『希望なき国に生まれて』というエントリーを書き、その記事のことはすっかり頭から消えていたのだが、今日の紙面で8回にわたる連載の第一部を受けて編集長が記事を寄せているのを読んで思い出した。

 第一部の初回を読んだきりだったので、ウェブでまとめて読み直してみると、どの回も登場する人の声があまりに生々しい。データもショッキングなものが多いので、すこし長いがピックアップして転載してみようと思う。

連載は、「20年後、あなたは何をしていると思いますか」「あなたの20年後を想像してみてください」-と、さまざまな人に問いかけている。その問いかけは、私たちにも向いている。さまざまな人の悩み、逡巡(しゅんじゅん)は、私たちのものでもあった。20年前のことはいくらでも思いだせるのに、20年後のことは皆目わからない。あなたも一緒に、真剣に考えてみませんか。

  取り上げられている人のセリフ
【2030年】第1部 働く場所はありますか(1)28歳派遣「鉄道マンが夢だった」 20年後、あなたの人生は?
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090301/trd0903010802004-n1.htm
「僕、鉄道会社に入るのが夢だったんです。だから、この道を歩きながらいろいろ考えてた。最初は工場にしか続いてないと思ってたけど、まじめに働いていればいつか隣のレールに乗れるかもなんてね。でもこの道を歩くのも許されなくなってしまった」

「最近はね、鉄道会社は夢でもいいと思ってる。でも夢を完全に捨てるという選択肢は最後までとっておきたい。それって人生をあきらめちゃうってことでしょ。20年後、どこへ向かうレールに乗っているのかわからないけど、やっぱり僕だって結婚して家庭を持って子供もほしい。普通の生活でいいんです。努力してこなかったと言われれば仕方がないけど、そうなるためのチャンスがもう一度ほしい」

【2030年】第1部 働く場所はありますか(2)4カ月で変わった日本 「根を張らねば生きられない」
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090301/trd0903012212018-n1.htm
「例えば、僕の派遣先の旋盤工も慣れると面白い。最初は指をはさんでソーセージみたいに腫れ上がったけど、機械を0・1ミリ単位で動かせるようになったときとか本当に充実感がある。でも派遣だから同じ職場にずっといることはできない。レールをすぐにはずされる。それがくやしい。この国は、向上心や自分の将来像を持ってはいけない若者をどんどん生んでいるような気がします」

「400~500人来たけどほとんどがスポットの連中。みんな僕よりずっと若くてジャニーズの子たちぐらいでね。正月から軍手はめて黙々と働く彼らを見てたら、何だか無性に悲しくなってね。将来、僕のようにはなるなよと声はかけといたけどね」

【2030年】第1部 働く場所はありますか(8)会社に代わるもの 日本が背負った「宿命」
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090310/trd0903100836003-n1.htm
「私は両親に『いい大学を出て、いい会社に』と言われて早稲田を卒業しました。それでも最初の会社はつぶれるし、今の会社も働きがいは見つけられない。それは自分にやりたい仕事もスペシャリストの要素もなかったからです。だからこそ娘たちには働く楽しさを、喜びを早い時期から考えてほしいと願うんです」

 連載中に出てきたデータ
【2030年】第1部 働く場所はありますか(4)職業の“変換” 再就職3割はサービス業
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090306/trd0903060931009-n1.htm
独立行政法人労働政策研究・研修機構の全国調査によれば、終身雇用を「良い」「どちら かといえば良い」と思う人は平成13(2001)年は76%だったが、昨年は過去最高の86%。一つの会社に生涯勤めたいと考える人が増える一方で、その 実現は「希望退職」や「退職勧奨」の拡大により難しくなりつつある。

【2030年】第1部 働く場所はありますか(6)21歳の「ハローワーク」 東大生も「雇用に不安」
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090307/trd0903070801003-n1.htm
東京大学が平成18(2006)年に公表した「学生生活実態調査」。東大生に将来自分 がニートかフリーターになる可能性を聞いたところ、そう思うと答えた東大生が28%もいたのだ。さらに、そうした立場を「本人の責任」と考える学生が 46%だったのに対し、「社会の責任」と答えた学生も35%いた。

【2030年】第1部 働く場所はありますか(7)逃げる年金 若い世代だけがなぜ…
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090309/trd0903090746007-n1.htm
「欧米より平均寿命も高い日本では、20年後の年金受給開始年齢は68歳に引き上げられていてもおかしくない。現役世代が賃金カットやリストラで苦しむ中、現在の60代以上は雇用も確保されており、非常に恵まれた世代であることを自覚すべきです」

 そして、連載第一部のラストはこう締めくくられる
【2030年】第1部 働く場所はありますか(8)会社に代わるもの 日本が背負った「宿命」
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090310/trd0903100836003-n1.htm
「私たちは会社というレールを一度失ったからこそ、働くことの喜びや意義に改めて気づ くことができた。毎日家にいると社会とのつながりが切れてしまう。自分の存在自体が必要ないんじゃないかと考えてしまう。自分が社会に役立っていると思え ることこそが、働くということではないでしょうか」

日本には昔も今も「人材」という資産しかない。それは土地も資源もない国が背負った宿命でもある。働くことを「喜び」と感じられる。今、わが国が早急に取り戻さなければならないのはそうした社会ではないか。2030年はすぐにやってくる。

 二流紙のように扱われている産経新聞は、実際当たり外れも多いものの、だからこそチャレンジングな企画も多いように感じる(iPhoneでの紙面公開もそのひとつ)。今日はじまった「受刑者」という刑務所にスポットを当てた連載もまた、「2030年」とは違った角度から、社会の表舞台では語られざる、しかし語るべき物語を切り出していて読み応えがあった。

 くだらない首相叩きに紙面を費やしてないで、こういう企画に本気で取り組めばもうすこし新聞の価値も上がると思うのだけれども、そう簡単にはいかないのだろう。他力本願になっても仕方ないから、僕は僕のできることをやろうと思う。

 「2030年」という連載には、希望なき時代において必死にそれぞれの希望を見つけようとしている人たちが描かれている。タイトルである20年後に僕らがどのように暮らしているか。それはすべて、今この瞬間をどう過ごすかにかかってる。

 現状を非難するだけなら誰にでもできる。でも、それはどこにも届かない、なにも変えることのない虚ろな叫びだ。大切なのは、たとえ世界の片隅であっても、読んでくれる人へ向けて一語一語に想いをこめて語り続けること。そして、変化のために一歩ずつ地道に進むこと。

 だから僕は語り続ける。

 声なき声も、いつか届くと信じて。
2009年3月13日

馬場祐平、初NHK。

 この半年間で、道塾と東京家学とをあわせると、日経以外の主要紙すべてに取り上げてもらった。その中でも最も時間をかけて取材してくれ、大きなスペースになった朝日新聞の記事が載った日、僕はこう書いた。

次なる目標は当然そのくに●わの勤めるN●K。僕の(父方の)実家があるような離島でも、NH●なら家族で食事をしながら見られるはず。だから、そこで取材されるに値するものであり続けるためにも、日々の活動を地道に続けていこうと思う。

 で、明日、そのNHKに出ます。朝7時半~8時の枠で、番組名は『おはよう日本』。今回は道塾ではなく東京家学の活動を取り上げる形で、公共放送のニュース枠だから広告的効果は生まれないだろうが、それでも、またひとつ、小さな目標達成。

 首都圏版なので以前に書いたような離島までは届かないが、それは次の目標にしよう。そのうち「プロジェクトX」や「プロフェッショナル」で取り上げられる日が来るだろうから。

 メディアに出ることは、ゴールにたどりつくための一手段としての目標に過ぎない。だが、ひとつ、またひとつと、手段としての目標を達成することで、いつかゴールへとたどりつけるはず。そう信じて、日々の活動を変わらず地道に続けていくよ。


 ってことで、明日、平山ビルの3階奥、(新入居の)揚げ男の部屋で僕らは見ます。現代表の平栗くんはもちろん、ジョンもたぶん出ます。来たい人はどうぞ。みんなで爆笑しよう。朝7時半~8時の枠だから、それに間に合うように7時20分くらいには来てください。
2009年3月12日

出会いと別れ

 いちばん仲のよかった同期の転勤が決まり、入れ替わるように、もっとも愛した後輩の一人が東京へやってくる。春は小さな頃から出会いと別れの季節だったが、それは大人になっても変わらないらしい。

 いちばん仲のよかった同期とは今後とも毎週会っていくものだと思っていたから、九州への転勤を聞かされた時には驚いた。でも、時間的空間的に世界が狭くなった現代において、互いの住む場所が離れることが単純にマイナスだとも思わない。

 と言って新天地での活躍を祈ろうと思っていたのも束の間、転勤先のビルの別フロアには、僕らの仲間の一人が働いているとのこと。人生、どこでどう巡り会うものか分からない。きっとこれは僕らの物語の序章なのだろう。

 春という季節は僕らにさまざまな彩りを添えてくれるけれど、それを象徴するのは出会いと別れ。大きな物語を彩るには、それが劇的に現れることが欠かせないに違いない。

 僕らが綴っているのは、ささやかな、まだ誰にも聞かれることのない物語。しかしそれは、まったく別の方角を向いていた小川がやがて合流して大河に変わるように、うねりながら多くの支流を飲み込んで、壮大な物語になるのだと思う。

 小さな物語が寄り集まり、大きな物語となって、やがて多くの人の心を震わせるだろう。いや、震わせなくちゃならない。この春の出会いと別れも、その彩りのひとつに違いない。大法螺吹きに思われようとも、僕はそんな確信にも似た思いを抱いている。
2009年3月11日

勁草たるために


 この大不況で、企業では「目標達成」ができない社員が増え、会社全体の士気が落ちるという異常事態が起こっているらしい。普段は目標達成が当り前のとある企業でも、その多くが6,7割に留まっているとか。

 だが、そんな状況であっても100%を達成する社員もいる。達成すべくしてするだけの実力を持っているということが、不況によって初めて証明される。ピンチはチャンス。危機においてこそ、自分の真の実力を示すことができる。
 
疾風、勁草を知る

 強い風が吹いてこそ、弱い草がなぎ倒され、どの草が勁い(つよい=強い)かが分かる。僕が高校を辞めていた頃にお世話になった教育者の方に教えていただいた言葉だが、最近になってその意味が体で分かるようになった。

 その方は、どうしようもない落ちこぼれに過ぎなかった僕に対して、この言葉をかけてくれた。あの頃と変わらず、僕はまだ相変わらず弱い一本の草に過ぎない。昨日もブログの更新を怠り、またひとつ目標を達成しなかったし。

 でも。

 僕に対して、道塾に対して、これからますます強い風が吹くだろう。危機はいつかやってくる。その時に実力を発揮できる自分であるために、強い草であるために、地道な日々を送っていく。


 【フォト】家学と道塾のスタッフ+αで@うるとらカフェ。誰がいちばん年上に見えるかな?
2009年3月9日

2009年、早稲田志望者へ

 今日の教育学部の補欠発表をもって、道塾における早稲田の受験日程はすべて終了。

 書きたいことは色々あるが、早稲田を受験する奴に向けては既に何度も書いてきたし、今年は早稲田という枠を超えて受験生全般を相手にしているから、今回は過去のものを出すのに留めておく。

 二年前 現「早稲田への道11」へのレスNo.832~
 早稲田合格者、不合格者、早稲田を目指して浪人する奴へ向けて。
 (道塾立ち上げ直前で、おそらく2chへの最後の書き込み)
 
 一年前 『まだ見ぬ早大生へ』
 合格者へ向けて。


 それぞれの、新たな道での幸運を祈る。
2009年3月8日

3ヶ月後の目標


 道塾に関わったメンバー8人で、今期一年間の打ち上げ。最高に楽しかったのだが、それはさておき。

 ジョンの発案で、打ち上げの前にコーヒーを飲みながら3ヶ月後の目標を発表しあった。たとえばある3年生は「アルトサックスでルパン三世を吹く(未経験)」だったり、あるいは、ある1年生は「彼女を作る」だったり、、、(頑張れー笑)

 その目標達成の誓いと共に、僕らが賭けたのは各々の「髪」。すなわち、3ヶ月後に達成できなかった場合は、髪を剃り、いわゆる「五厘刈り(0.5mm)」の坊主にする。

 僕が掲げた目標は、塾生300人、スタッフ18人(と、あとプライベートなものふたつ)。

 合格者数の増加とか、職場環境の充実とか、やりたいことは数多くある。でも、今はまず道塾をより多くの人に知ってもらい、届けることを目標にしている。それが僕の役目だし、それ以外の様々な物事をより良くするためにベストな近道だと思うから。

 いちど塾生になれば、たいてい家族ぐるみでファンになってくれるのが道塾の強み。さっさと来年までに塾生1000人にして、社会に対して、数字と共に胸を張って「これだけのことをやっている」と言えるようになりたい。


 6月半ばに僕が坊主になっているか、否か。それはすべて1日1日の踏み出し方にかかってる。決して無理な目標ではない。僕の坊主を見たい人も多そうだけれど、そんないいもんじゃないと思うし、その期待は良い意味で裏切りたい。

 そのためにも、トップスピードを更新し続けながら、日々全力で駆け抜けるよ。


 ※未成年には酒を飲ませていません。念のため。
2009年3月7日

撮影





 生まれてはじめてのテレビ撮影(カメラを持ってるのはJohn。意外と似合う)。映像ってのはなにかと大変なんだな、と実感。放映されるのはもうちょい先。

 粛々とこなす日々は地味なルーチンワークと思いきや、ひとつ、またひとつと新しい経験をさせてもらってます。ありがたい。
2009年3月6日

【道塾】 結果速報

 道塾ウェブサイトより。

 道塾 2008年度 結果速報

 夢破れた奴も数多い。口が裂けても「パーフェクト」なんて言い切れる結果ではない。

 それでも。

 道塾はその成り立ち上、いわゆる「ふつうにデキる受験生」の割合は大手予備校に比べて少ない。そして入塾試験一切なしで、日本全国から無選抜で入塾してくる。そのような条件下の大学受験塾としては、そうそう負けない結果を出した自負はある。だからすべてオープンにもできる。

 大手塾・予備校の「私大クラス」みたいなところよりは確実に良いだろう。どの予備校もできるだけ数を増やす見せ方をするし、全体や各クラスの合格率が分かるような結果を出さないので一概に比べられないが、僕の実感や、予備校に通っていた子たちの話を聞いても、選抜のある「早慶クラス」あたりとも張れる(てか勝てる)結果だと思う(そして年間通しての費用は圧倒的に安い)。

 反省もある。ひとつ挙げるとすれば、伸びるヤツは伸びるけれども、道塾の独学重視というスタイル上、勉強が手につかないような塾生は伸びにくいということ。「授業」ならなんとなく受けているだけでも学べるかもしれないが、道塾のやり方だと本人にやる気がないと難しい。

 とはいえ。

 今年一年間は、僕以外の人間が道塾方式で指導したという点において初めての年だった。自信はあったものの、こうして実際に結果として誇れる数字を出せたことで、道塾のスタイルが盤石なものであり、今後スタッフの人数を増やしても大丈夫だという確信を得た。

 次の一年は、この実績を持って勝負していく年。反省点を分析して対応策を練り、来年の圧倒的な結果へと繋げていきたい。
2009年3月5日

今日の道塾事務所


最近、いつもこんな感じ。塩原曰く「タコ部屋みたいだね」と。1月末からそうだったけど、3月2日の会社化以来、ますます激しくなってきた。

1年前はこんなに広々とした、綺麗な、何もない部屋だったんだけど。。。


 3月末に目標達成できれば、4月には向かいの新目白通りに面した部屋を借りる予定。車の騒音がある代わりに、いくらか広く、日当たり抜群の一室。2部屋になればできることも広がるだろう。そのためにも、日々すべきことを粛々とこなしていく。


 PS. 会社化に際して、たくさんの人からブログやメールでお祝いの言葉をいただきました。ありがとうございました。あまりに嬉しいので返信しようかと思ったのですが、blogは「返信しない方針」を貫いてきたので、ひとまずこれをもって代えさせていただきます。このところ不義理を続けている人が多いのですが、ほんとに、お会いできる日を楽しみにしています。
2009年3月4日

熱が熱を呼ぶ

 3月2日の会社化にあたって、まず毎日新聞が夕刊で取り上げてくれた。それがそのままYahooニュースやmixiニュースで取り上げられ、翌日、さらに日テレの「スッキリ!」でその記事が紹介された。テレビに映るのはもうすこし先だと思っていたので驚いたけれど、短いコーナーだったせいか反響も予想の範囲内で収まった。

 それでも道塾のウェブサイトは会社化2日で7万PVを超え、幸先のいいスタートを切ることができた。

 どんなにいいサービスを作っても世の中に届かなければ意味がない。認知されて、より多くの人が使ってくれれば、コストダウンも図れるし、サービスも洗練される。ますます有用なサービスになる。そういう意味で、こうして報道してもらえるのはとても有り難いことだ。

 僕の属人的な能力でこなしてきたものが、会社という組織を活用することによって、汎用的な技術へと変わっていく。誰もが身につけられるスキルになることで、より多くの人に届けられるようになる。

 この一年間で、新たに5人の仲間が増えた。僕一人では決してできないことが、数多くできるようになった。これからは加速度的に増えていくだろう。ここに生まれた熱が、また新しい熱を呼び寄せ、より熱さを増していく。そんな連鎖反応が起こっているのが分かる。


 今の気分を言うなら、夜明け前。

 暗い海辺で、だが水平線の彼方は明るくなりつつある。陽が昇れば世界は瞬く間に明るくなり、辺りの景色はガラリと変わるだろう。未だ陽の光は見えないが、そんな輝ける一日がやってくる予感に、僕の胸は喜びで震える。


 3月3日には、僕の地元の県紙である「上毛新聞」に掲載された。中退した高校を貶したように書かれてしまったが(実際そう感じていたので異論はないが)、母曰く、それでもその頃お世話になった保健室の先生をはじめ、地元の人たちは皆、今回の記事掲載をとても喜んでくれたとのこと。

 どんな形であれ、過去にずいぶん迷惑をかけた人たちが喜んでくれているのなら、すこしは罪滅ぼしになっているのかなと思う。でも、まだまだ僕には滅ぼすべき罪が山のように残ってる。

 だから。

 幕が上がりきり、第二幕の本編がスタートした今、
 誰にも負けぬスピードでもって駆け抜けていくよ。


 PS.日テレの番組では、テリー伊藤がコメントしたとかしないとか。。。僕は見てないのでよく分からないのだが、けっこう多くの人が見ていたようで、「出てたろ?」って連絡をもらいました。どうもありがとう。
2009年3月3日

希望なき国に生まれて(1)

 1983年12月2日に、僕はこの国に生を受けた。それから25年と3ヶ月。その間には、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、、、たくさんのことを味わってきたが、そのすべてを糧に一歩ずつ踏み出してきた。その結果としては僕は、2009年3月2日、それまでの道のりで得てきたものを賭けて歩める新たな道に踏み出すことができた。

 合同会社道塾。

 最高の仲間と、応援してくれる人たち、そして僕らに希望を託してくれる若者と共に、これからの日々を噛みしめながら生きていこうと思う。


 去年のはじめ、人生3つめとなるこのblog「午後2時のビール」を立ち上げるにあたり、はじめてのエントリーで僕はこう書いた。
 「だからはっきりと言える。第二幕の幕開け。ここからが人生本番、勝負の時。やるしかねぇ。」
第二幕の日々を記録しておこうと思ってこのblogを書いてきた。ただ、今日を迎えてようやく分かったのは、これまでの1年間は、第二幕のプロローグに過ぎなかったということ。ようやくここから第二幕の本編がはじまるような気がしている。僕は、これからよりいっそうスピードを上げていくだろう。

 だが、その前に。

 ここに今日の想いを、そして誓いを刻んでおこうと思う。語りたいことは尽きないが、いま僕にできる限りの時間と言葉で書いてみたい。まだ小さく弱いひとりの若者に過ぎない僕の綴る物語が、いつか誰かの心を打ち震わせることを願って。

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「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」
p314
村上龍が『希望の国のエクソダス』の主人公にこのセリフを語らせてから10年。その間に「希望だけがない」というフレーズは多くの書籍やブログに引用され、21世紀の日本の幕開けを象徴する一節となった。

 好景気に沸いたのも束の間、二度と立ち直れないように感じられる恐慌へ、僕らの国はゆっくりと、だが確実に突き進んでいる。舵を取るべきリーダーの支持率は下がる一方で、かといってそれを代わりに担うべき人も見あたらない。政権交代が行われてもしばらく混乱が続くだけで、根本的に何かが変わるようには思えない。そんなこの国の未来に対し、国民の肉声であるウェブでは、絶望的な叫びばかりが聞こえてくる。

 経済的な恐慌で済むのなら、まだいい。アダム・スミスが説いたように経済はやがて回復するからだ。だが、人々の心が荒んでしまえば、取り返しがつかないことになる。

 国民の誇りが経済だったこの国にあって、それが崩壊しつつある今、僕らは拠って立つべき基盤を失ってしまった。国全体が自信喪失に陥る中で、数限りない歪みが社会の表に現れてきた。状況を打開するためには新たなモデルが提示されなければならないのに、その方向を指し示す人が見あたらない。
 「いずれこの国の教育も変わっていくのでしょうが、過渡期に生まれたぼくたちはそれを悠長に待つことができなかったというのも事実です。まあ、子どもの場合ですが、とりあえず大人のやり方を真似るっていうか、参考にしていく以外に生き方を考えることはできないわけで、要するに、誰を真似すればいいのか、みたいなことがまったくわからなくなってしまっているわけです。」
P315
社会に生じた歪みの犠牲者となって、悲嘆に暮れたまま未来への希望を、すなわち生きようとする意志を、失ってしまった若者を僕はたくさん見てきた。この国のどこかで、今日もそうした若者が生まれているのだろう。それは目には見えにくいけれど、誰かの命が失われるのと同じくらい、悲しいことだと思う。

 だが、こんな国で、こんな状況で、どうやって若者が希望を胸に抱けるだろう? なぁ、おっさん達、答えを聞かせてくれよ。今時の若いヤツはと非難をする前に、自分を省みてくれ。この時代に、「俺の生き方を真似ろ」って、曲がりなりにも息子に語れるヤツはいるのか?胸を張って、息子に希望の在処を伝えられるヤツはいるのか?
 「政治家とかどうなんでしょう。いいからおれを真似て生きればいいんだ、みたいなことを言う政治家の人っているんですかね? どうですか? みなさん?」
P315
僕はこの文章で誰かを非難したいわけじゃない。おっさん達はおっさん達なりに、精一杯やってきたんだと思う。それは分かる。でも、分かってほしいのは、若い奴らだって精一杯やっているということだ。その結果が今なんだ。大切なのは、その前提を受け入れることだと僕は思う。そうでなければ非難や争いや憎しみばかりが生まれ、決して前には進めない。

 『希望の国のエクソダス』は、そうした前提を受け入れた上で、大人に見切りをつけた子どもたちが主役のフィクションだった。
 「僕は、この国には希望だけがないと言いました。果たして希望が人間にとってどうしても必要なものかどうか、ぼくらにはまだ結論がありません。しかし、この国のシステムに従属している限り、そのことを検証することは不可能です。希望がないということだけが明確な国の内部で、希望が人間になくてはならないのは無理だとぼくらは判断しました」 
p319
そう言って彼らは日本を脱出(=エクソダス)し、自らの国を立ち上げる。この作品は「あり得ないストーリーだ」と非難されてきたが、フィクションなんだからあり得なくて当り前だ。恐ろしいのは、この作品が書かれはじめて10年が経った今、主人公が中学生だからあり得ないように思えるだけで、希望なき国に生まれた子が祖国を脱出して新しい国へ活動を求めること自体は、もはやどこにでも転がってるあたりまえの話になっているということだ。

 『希望の国のエクソダス』が書かれた当時、僕はまだ13歳だった。そして、主人公たちが通っているのとそっくりの、横浜にある私立中学に通っていた。物語に登場する駅は、僕が使っていた駅だった。彼らは14歳になる年に日本から脱出する計画の最初の一歩を踏み出すが、僕は14歳になる年に通っていた私立中学を中退し、逃げるように母の実家へと移った。

 僕がこの小説と出会ったのは、二十歳を過ぎてしばらく過ぎた頃、既に道塾を立ち上げていた時だった。はじめて読んだ時、自分の境遇とあまりに似ていることが多く、なにか運命的なものを感じずにはいられなかった。最近の僕の活動を「希望の国のエクソダスみたいだね」と言う人もいるくらいで、このエントリーを書きながら、あらためてこの小説が僕に与えた影響の大きさを感じている。

 希望なき国に生まれて25年と3ヶ月。僕はずっと憤ってきたのだと思う。この社会に、日本に、世界に、そしてそれを生み出すシステムに。14歳になる頃の僕には小説の中で描かれるような智恵も力もなかったが、数多くのフィクションの言葉に励まされながら、なんとか絶望せずにここまでたどりつくことができた(『龍と春樹と司馬遼太郎』)。その過程で僕は、小説の主人公が知らなかった「希望」の必要性と力強さを知った。

 そして今。

 道塾という素晴らしい場所で、最高の仲間と共に、微力ながら「システム」と戦うことのできる智恵と力をつけた。僕は小説の中の主人公たちのようにこの国から脱出するもりはない。僕は愛する場所で、愛する人たちと共に、愛するこの国を変えていこうと思ってる。ひ弱な僕にできることは、まだごくわずかに過ぎない。でも、世界の片隅で、僕は自分のできるところから変えていくつもりだ。

 きっと今晩も、この国のどこかでは希望や生きる意志を失う人がいるのだろう。世界は広すぎて僕の言葉なんか、どこにも届いていないように感じられる。でも、世界は回り続け、今日もまた新たな子どもが生まれてくる。誰かが動かなければ、世界は何も変わらない。「歪み」に飲み込まれる一歩手前で踏みとどまることのできた僕は、その幸運を忘れないで生きなければならないと思う。

 すべてを変えようとしなくていい。できるところからでいい。

 わずかでも、希望は今ここにある。だから、この国から脱出する話はもう要らない。これからは希望の国を創造する記録をつけていこう。そのひとつが、この blogであればいいと思う。希望がないように思えた国に、希望を創造していく軌跡を綴っていこう。そう、今書かれるべきは、「希望の国の創世記」。

 やがてその記録は、だれかの胸に希望の光を灯すだろう。だから、僕は歩き続ける。幸いにも見つけることのできた、自分の進むべき道を。

 この道がどこまで続くのかは分からない。どこまで走り続けられるのかも分からない。ただ、ひとつだけ誓っておこう。

 この道を歩けなくなるその日まで、僕は希望を胸に、全力で生き抜いていく。

 Hope is a good thing,
 maybe the best of things,
 and no good thing ever dies.


 希望なき国に生まれて(2)へ続く。
2009年3月2日

道塾、合同会社化。

 合同会社道塾。

 これでようやくスタートラインについた。受験生が大学生になるようなもので、ここからが本当の勝負。一気に加速していくよ。

 右に載せたのは今日の毎日新聞夕刊、社会面(Yahooニュース)。ずいぶんとキャッチーなコピーをつけてもらった上に、いい写真と共に、素敵な記事を載せてもらうことができた。

 ネットでの反響は毀誉褒貶いろいろあるが、2chでの経験からすればごく軽いもの。ウェブは、そこに出てくるごく僅かな悪質なものさえ耐えられれば、とても楽しい。

 今日は会社化にあたって想いを書くつもりだったのだけれど、予想以上に色々あって、まともに文章を書けそうにないので早めに寝ます。おやすみなさい。

 PS.ウェブでの反応は「6年生という自分をまず支援しろよ」というまっとうな意見が8割。ご心配いただき、ありがとうございます。笑 そのご声援に負けぬよう、しっかり頑張ります。
2009年3月1日

【ブログリリース】 道塾、会社化前夜。

「2ちゃんねる」発祥、
ケータイひとつで全国どこでも
家にいながら学べる受験塾を、
早大生が立ち上げます。

 2009年3月2日、早稲田大学生6人(現在)による、日本および世界全域を対象とした大学受験塾「道塾(どうじゅく)」が会社化します(正式名称は「合同会社 道塾」)。

 道塾は、さまざまな若者の未来への「道」となる塾でありたいという想いで、2年前の2007年3月に、現在代表である馬場祐平が個人事業として立ち上げました。対面して勉強を教えるのではなく、電話またはインターネット電話(Skype)によって「勉強の方法」を教える、まったく新しい形の塾です。毎週送られてくる塾生からの学習報告レポート(メール)を元に、原則毎週1回・30分間、勉強法・スケジュール管理・モチベーション管理といったことを指導しています。

 塾生は、勉強ではなく「勉強の方法」を学ぶことで、トップレベルの受験生が行っている効率的な勉強法を短期間のうちに身につけます。同時に、勉強プランの構築やスケジュール管理の指導を受けることで、孤独な受験生活に立ち向かう術を手に入れます。また、熱意ある現役大学生と毎週30分間の対話を重ねることにより、塾生本人の自主性が引き出され、主体的に情報を調べ、学び、自ら未来の選択・決定を行っていく意思が育ちます。

 これら道塾の指導を学校や予備校と併用する塾生もいますが、一方で、道塾での指導をベースにして、参考書主体の「独学」によって受験に臨んでいる塾生もいます。

 そもそも道塾は、ウェブ上の巨大掲示板「2ちゃんねる」で人気を催した「早稲田への道」という、代表の馬場による一連の書き込みが発端となっています。馬場は(私立)中学中退、公立高校中退の後、大検(現・高卒認定試験)を経て、独学による受験勉強で早稲田大学に合格しました。その経験をもとに、短期間で成績を伸ばす勉強法・心構えを記した「早稲田への道」は、最初の馬場による投稿から5年を経た現在も読み継がれています。現在、道塾で働くスタッフの中には「早稲田への道」を読んで大学受験を志し、早稲田大学合格と同時に指導にあたっている者もいます。

 馬場の経験を土台に、読者とのやりとりを通じて築いた方法論が「早稲田への道」であり、道塾の原点です。「早稲田への道」は、早稲田大学志望者をはじめとする私立文系型の受験生向けであり、後に立ち上げた道塾はより幅広く大学受験生全般を対象にしていますが、一貫して変わらないのは「独学を支える」というスタンスです。これはすなわち、受動的になりがちな授業よりも、自ら机に向かって自分のペースで学ぶこと=「独学」を重視するということです。

 この独学主体という学習方法を教育費の面から見ると、道塾は指導に校舎(教室)を必要とせず、指導も現役の大学生が行うため、塾生は大学受験指導の塾としては圧倒的に安い費用で学ぶことができます。入塾金が一万五千円、月謝も月一万五千円です。大手予備校に行って季節講習まで含めると年間100万円を超えることは珍しくありませんが、道塾では年間通しても10万円台で収まります(4月~翌年2月で計18万円、来年度より税込み18万9千円。独学用の参考書代は別途かかりますが、使用するのは高額な専用教材ではなく、教科書や1冊1000円程度の市販教材だけです)。

 「お金がないから進学を諦める」という声を社会の表舞台の側で聞くことは少ないですが、この国の奥深くまで真摯に耳をすませれば、それが声なき声として、しかし確かに叫ばれていることが分かります。道塾を事業化してからの約2年間、その指導形態ゆえに日本全国から若者が入塾してくる中で、地方に住む塾生や、所得の低い家庭で育った塾生が目立ちました。彼らを指導しながら、厳然たる教育格差の存在を感じてきました。未曾有の不況とされる今年はその傾向が強まり、ますます広がっていくと考えられます。

 別紙の参考資料Ⅰ、Ⅱをご覧ください。Ⅰは2008年12月に出版された『進学格差』(小林雅之、ちくま新書)からの引用、Ⅱは文部科学省による県別大学進学率(平成20年度)および内閣府による県別県民所得(平成17年度)のデータです。このわずかな資料だけですべてを論じることはできませんが、所得格差と地理的要因によって進学格差が生まれていることに一定の相関性を見出すことはできるように思います。

 5年前、代表である馬場は「自分のような落ちこぼれでも、本気になれば道は開ける」という想いで「早稲田への道」を書き続けました。しかし数多くの受験生と接するにつれて、学校や社会から落ちこぼれる若者は彼らの個人的な問題というよりも、むしろ社会の構造的な問題によって生まれていることが分かってきました。現在は、そうした構造を変えるため、より広範な人々に道塾の取り組みを届けようと活動しています。

 これまで偶然の縁でブログをはじめとするウェブメディアに取り上げていただいたことはありますが、このようにニュースリリースを発表するのは初めての試みです。今回、約2年間の個人事業を経て会社化するにあたり、願わくば、この意を汲み、道塾の活動を広く世に伝えてほしい、その一念でこのようなリリースを送らせていただきました。

 道塾は、ほんのわずかでも教育格差の歯止めとして機能し、社会の構造を変える一助となり、一人でも多くの若者が未来に夢を描いて進学できるよう努めていきます。何卒ご検討くださいますようお願いいたします。ご多忙の中、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2009年3月1日
道塾代表 馬場 祐平