tag:blogger.com,1999:blog-64084961184456262382024-03-14T15:56:17.760+09:00午後2時のビール by BABAHope is a good thing, maybe the best of things, and no good thing ever dies.Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.comBlogger307125tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-74403946331499317152014-04-01T00:00:00.001+09:002014-09-13T08:46:12.009+09:00ただいま、そしてCrazy Learnersをはじめますこのブログを書き始めた時にこう書いた。
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<blockquote class="tr_bq">
2008年1月9日をもって、人生の第一幕を終えたかなという気持ちでいます。つまり2008年1月10日である今日が、第二幕の幕開けということ。 <a href="http://blog.babayuhei.jp/2008/01/blog-post_9558.html">「2008年を迎えて」</a></blockquote>
以前の塾を畳んで「社会的引きこもり」をしている間に三十歳になりました。いろんなことがあったな。とにかく、幸か不幸か、「死にごもり」することなくこうやって戻ってくることができました。前の塾をはじめてから、今日でちょうど七年。畳んでからは、ちょうど一年。さて、今日から、僕の人生の第三幕をスタートさせようと思います。その舞台となるのは、<a href="http://www.crazylearners.net/">Crazy Learners</a>。<br />
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詳しいことは読んでもらえれば、だいたい分かってもらえると思う。でも、いつも通り長いので、要するに、とまとめると、Crazy Learnersという運動?集団?を主宰して、いろいろやっていくつもりなんだけど、はじめは俺が教えるオンラインの大学受験塾「CLゼミ」からスタートするよ、という感じです。<br />
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俺が直接受験生に教えて全部タダで、変な金も取りません。さて、それでお前は長期的にどうやって食っていくんだ?ってことが三十歳にもなると一番の問題なわけだけど、それを知りたい人は、まぁゆっくりどこかで語り合いましょう。とりあえずは、嘉納治五郎の精神に心打たれて、それを真似して船を漕ぎだした、とだけ言っておきます。<br />
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「教えるということについては、道は金と交換にこれを授くべきものではなく、志あるものにのみこれを教授するのであるという、講道館の精神に基づいて、授業料を取らない」。こういうところから一人ではじめて、オリンピック競技にもなった「JUDO」を自分で立ち上げたんだよね。すごいよ、嘉納治五郎。<br />
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僕もそれを見習って、僭越ながら、自分なりの流派を興してみた次第です。それが<a href="http://www.crazylearners.net/">Crazy Learners</a>。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-2117534370042192362013-04-06T22:32:00.000+09:002014-03-21T15:43:15.883+09:00閉塾にあたって<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmEd_djh-Z3fkDROK5FZIdqU5UTJ97wY1iVWIdnX0r6fxltvZLjDc6mTV8ecmeLKR14PUBUem0KEBJEJYvsJ8Etma4kMA_QL34olHIp2BTplxZ6-LroF0J1k8SIIX69Wmiq1m-0KbaQqCf/s1600/IMG_3691.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmEd_djh-Z3fkDROK5FZIdqU5UTJ97wY1iVWIdnX0r6fxltvZLjDc6mTV8ecmeLKR14PUBUem0KEBJEJYvsJ8Etma4kMA_QL34olHIp2BTplxZ6-LroF0J1k8SIIX69Wmiq1m-0KbaQqCf/s320/IMG_3691.jpg" height="320" width="240" /></a></div>
閉塾から約一週間が過ぎ、残っていた仕事もほぼ片付けた。僕がいま語りたいことは、三作目となる<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B00C9SEJ1M" target="_blank">『独学宣言 〜もう学校はいらない〜』</a>(<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B00C9SEJ1M" target="_blank">Amazon</a>/<a href="http://babayuhei.sakura.ne.jp/dohansha/dokugakusengen_tate.pdf" target="_blank">印刷用(縦書PDF)</a>/<a href="http://babayuhei.sakura.ne.jp/dohansha/dokugakusengen_yoko.pdf" target="_blank">スマホ用(横書PDF)</a>)のあとがきに込めたので、興味のある人はそちらを読まれてください。これで最後の大仕事も終わり、肩の荷が下りた。さて。<br />
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この写真はオフィスを閉める時に撮った一枚。こんな小さなオフィスでも、最初に借りた時はそれなりに誇らしかった。仲間が増えて、それにあわせてオフィスを拡げた時期もあったが、結局、一度も移転することもなく、最後は始まりのこの部屋で終わった。<br />
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今思えば、僕は若かった。あまりに若かった。あの時に、あの決断を、こうしていたら……。そうした考えは、やろうと思えばキリなく思い浮かべられる。でも、そんなことに意味はない。六年間、その時々で最善を尽くしてきたのだ。その証はこのブログに残っている。<br />
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<a href="http://blog.babayuhei.jp/2008/01/blog-post_9558.html">このブログを書きはじめた頃</a>から、当然だが、このような結末を迎える可能性があることは想定していた。でも、どのような結末になるにせよ、命に火を灯すように生きる日々を書き残しておこうと決めていた。あまりブログを書けない時期は、その分だけ書籍に込めてある。丁寧に探してもらえれば、受験をはじめる前の18歳の頃から11年間後の今に至るまで、ウェブで僕の軌跡を辿ることができる。<br />
<br />
若くないとできないことがある。若い時に、これ以上ないほど若いことができてよかった、と思う。もはや<a href="http://blog.babayuhei.jp/2009/03/blog-post_31.html">維新の志士気取りだった</a>からね。しかも、結構、本気だった。自分たちがやらなければ、誰がやるんだ。そうした熱狂から醒めてみればバカらしくも感じられるが、でも、どんな無様な姿であれ必死で生きられてよかったと思う。<br />
<br />
馬鹿の一つ覚えみたいに言ってるが、本当に、十代の頃からは決して想像することのできない日々だった。そうした生き方が可能なのだということを、今はまだ暗がりの中で、未来に希望を抱けずに生きている後の世代の人に伝えたいと思った。理由は単純で、僕が昔そうだった頃に、僕に力を与えてくれた人がいたから。<br />
<br />
中でもとりわけ大きな力をくれた二人は、既にこの世から去ってしまった。二人とも戦争の経験者で、戦後の日本の復興を担った医師と教師だった。有名な人ではない。どこの街にでもいる老医師と老教師だ。でも、名もない人の人知れぬ努力によって、世の中はかろうじて成立していることを僕は彼らから学んだ。僕は、彼らにしてもらったことを、ただ真似たに過ぎない。<br />
<br />
どんな無様な一生であれ、たいした功も成さず名も遂げなかった人生であっても、希望を抱いて必死で生きることには意味がある。宇宙の果てしない大きさにと比べれば、たとえばアメリカ合衆国の大統領ですらたいした意味はない。でも、誰に知られることもない一生であっても、精一杯生きた人生に比類なき意味を見出すことはできる。<br />
<br />
言葉では伝えられないものがある。でも、生き様から、何かを感じ取ってもらえるとすれば、それなりに生きた意味を見いだせるのかもしれない。そのようにして書いてきた文章から、何かを感じ取ってもらえるならば、それだけで僕は十分に生きた甲斐があると思える。それが僕にできることであり、僕なりの人生の意味の見つけ方だったのだろうと今は思う。<br />
<br />
閉塾の理由について触れておくと、僕が畳みたいと思った、ということ以上に語ることはない。最低限、塾生にはそれなりの説明をしたが、語り、書くことが僕の仕事だったのだから、言葉で理解してもらうことは難しいことではない。でも、言葉にできるものは、詰まるところ言葉にできるものでしかない。<br />
<br />
先日、実家に帰った時にNHKで『余命1ヶ月の花嫁』という映画をやっていて、テレビで映画を見るのなんていつぶりだろうと思いながら何気なく見ていた。亡くなる直前のヒロインが遺したビデオレターを、葬式の後で受け取った彼氏が見るというシーンがあって、そこでテレビに映ったヒロインが「感謝しかない。いや、感謝という言葉だけじゃ表せない・・・」とすこし迷ってから「この気持ちを伝える言葉が、日本語にはありません」と言っていた。このシーンは泣けたね。泣けたけど、僕も似たような気持ちです。感謝という言葉では表せない。<br />
<br />
だから、僕は残りの人生で、この想いを証明していこうと思います。言いたいことは、以上。みんな、これまでどうもありがとう。それではいつか、また会う日まで。<br />
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馬場祐平<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-30694404474469953672012-12-12T03:26:00.001+09:002012-12-12T03:35:28.137+09:00すべては「人」でつながっているドイツのライプチヒに「アウアーバッハスケラー」という古めかしい居酒屋がある。文豪ゲーテが通いつめ、『ファウスト』にも登場することで有名な、由緒正しきレストランだ。ここで、僕は日本人二人目のノーベル文学賞受賞者、かの大江健三郎に出会ったのだった。まだ僕が大学四年生で、小説家を目指していた頃のことだ。<br />
<br />
彼はトーマス・マンの出版社の社長と二人でディナーをしていた。僕はその二年くらい前に、西日本を「青春18切符」で旅しながら『ファウスト』を読んでいた。ファウストの内容はよく分からなかったけれど、読み終えた達成感だけはあった。その舞台でノーベル文学賞受賞者に会うのも何かの縁だろうと考えて、緊張しながら、小説家を目指していますという旨を告げて、その時に着ていたジャージへのサインを頼んだ。<br />
<br />
異国の地で若者に声をかけられて嬉しかったのか、それとも元々の性格なのかは分からないが、彼は気前よく僕の服にサインをしてくれた。押入れに封印してしまったので、細かな文言は今はわからないけれど、英語で「老いた小説家、未来の小説家に出会う」といったものだったと思う。インクが滲みにくい生地だったため、数分かけて、律儀に重ね書きしてくれたのをよく覚えている。<br />
<br />
その後、家の近くの古本屋で、大江健三郎の全集のような原本集数十冊をを二万円くらいで手に入れた。あれは、半分過ぎくらいまで読んだところで、放置されたままだな。だって、文章が硬かったんだよ。いま読んだら楽しめるだろうなとも思うのだけれど、僕はその半年くらい後に小説家になるという夢を一旦封印して、それと共に、そのジャージも壁から取り外されてしまわれたのだった。でも、おかげで道塾を立ち上げられたんだけどね。<br />
<br />
なんでこんな話をしているのかというと、僕の知人(というには僕の親父くらいの年齢の方なのだけれど)が、<a href="http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20121211/p1">あるノーベル文学賞候補にもなった著者の作品の翻訳に携わり</a>、その『ドナウ』という本を書店で見つけて感激した旨を写真と共にメールで送ったら、買いあぐねた原本(四千円くらい)を送ってくださるということから、いろんなことを感慨深く思い出したからだ。<br />
<br />
ちなみに本書の翻訳者は、ドイツ文学の『ファウスト』やカフカの小説の翻訳で有名な池内紀。その翻訳に携わることになった<a href="http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20061109/p1">彼が、以前に村上春樹と大江健三郎について書いたエントリー</a>を読み返して、久しぶりに文学的なことを書きたい気分になったのもあるかもしれない。<br />
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最近は学生時代ぶりに、文学、特に海外の現代文学を読むようになった。起業してからの五年くらいは、意識的に文学や哲学を遠ざけていた。それでも、ビジネスへの解毒剤を求めるように触れてはいたけれど、今のように、純粋に楽しむということはできなかった気がする。最近は、そういうことを抜きに、心から文学や哲学を味わえていると思う。僕にとっては、ほんとうに喜ばしいことだ。<br />
<br />
だって、文学も、哲学も、経営学も、人が主題であることに変わりはない。それはすべて、どこかでつながっている。大江健三郎も、スピノザも、ドラッカーも、僕の中ではすべてひとつながりの世界として通じ合っているのだ。同じように、たとえば社会学のウェーバーと、心理学のフロムと、経済学のマルクスは、僕にはほとんど同じことを言っているように思える。まぁ、それは当たり前のことかもしれないけれど、でも、そうやって、僕の世界は「人」を軸にして広がってきた。<br />
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彼が送ってくれると言った「ドナウ」を熊谷の書店で見つけて、パラパラとめくって感じたのは、とんでもなく難しい書物だということ。エッセイ風に書かれてはいるが、西欧の文化に通じていないと、現代の『ファウスト』のように読むことが億劫に感じられる気がした(実際、青春18切符の鈍行旅行でなければ、当時の僕にはファウストは読みきれなかったと思う)。<br />
<br />
でも、こうしてその出版に携わった人からのメッセージをもらえることで、その「遠さ」は随分と軽減された気がする。それに、10年くらい前と比べれば、僕も僕なりにいろんなことを知った。たとえば僕にとって、ドナウはオーストリア、ハンガリー、チョコの三カ国へ訪れた、学生時代最もと言っていいほど思い出深い国々を貫く流れだ。<br />
<br />
振り返ると、僕には素晴らしい思い出ばかりある気がする。いや、当時は、一緒に行った人と喧嘩ばかりしたりもしていたけれどね。でも、今ではそれもいい思い出です。そうしたことは、分かりやすい海外への旅路ではなく、29年間の日々の積み重ねとして、ひとつひとつ忘れることのできない記憶だ。そのような、言葉では伝え難い思い出が、僕の胸の中にだけは生き続けている。<br />
<br />
そんな日々を送らせてくれているのは、おそらく、他でもない、これを読んでくれているあなたです。そうした一人一人との付き合いの中で、僕は、今これを書いている僕自身を立ち上げてきたんだと確信しています。いろんなことが起こるけれど(それは10代の頃に想像していたのよりはるかに濃密だけれど)、でも、それを味わいながら生きていきたいなと思う。<br />
<br />
いつだって、僕の人生の真ん中には「人」という大河が流れている。それを追ってさえいれば、どんな荒野にたどりついたって、きっと、迷うことはないのだと思う。だから、僕は僕なりに、その流れを追って行きたい。やがて、その流れが母なる海へと還流するその日まで。<br />
<br />
「パンタ・レイ」というのは、古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスの言葉だ。意味は「同じ川の流れは二度と来ない」みたいなものだったか。この日本的な言い回しを、僕はずっと好んできた。実際、僕らの人生はそのようなものだと思いませんか。だからこそ、その一瞬一瞬の流れの奇跡を、味わい尽くしていきたい。<br />
<br />
さて、これからの僕の人生には、どんなことが起こるのやら、ね。<br />
<br />
そして、あなたの人生にも。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-46634000568898968392012-12-06T22:27:00.002+09:002012-12-30T16:06:24.936+09:00「学欲」若者よ、野性を取り戻せ。<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj63dd6FW0jo_hNiBnwuG-rGBgtai8vE6PW8nU5f52FrObFbQG5q7hqGzCpTsx-YXnOcrl6Ae6WjoJYgM2Es98UlKydC4VTFQ04V1DykdH8KGYNN4AKlY6lkPml33Ogduj08l-JdNsP6WN5/s1600/soutei.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj63dd6FW0jo_hNiBnwuG-rGBgtai8vE6PW8nU5f52FrObFbQG5q7hqGzCpTsx-YXnOcrl6Ae6WjoJYgM2Es98UlKydC4VTFQ04V1DykdH8KGYNN4AKlY6lkPml33Ogduj08l-JdNsP6WN5/s320/soutei.jpg" width="216" /></a></div>
このブログは誕生日の報告用みたいに放置されているけれど、僕にとっては、とても大切な場所であることに変わりはない。本当は12月2日に書きたかったのだけれど、その日は我が家でパーティーをやっていて余裕がなく。その後も所用で実家に帰ったり、予定していた社員合宿があったりして、ドタバタしたまま今日に至ってしまった。<br />
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ということで、事後報告になってしまうけれど、ここでお知らせします。2012年12月2日、僕の29回目の誕生日に、人生で二冊目となる書籍を出版しました。ただし、今回は紙メディアではなく電子書籍として。<br />
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この書籍の出版までは、ほんとーーーーーーーーーに、いろんな紆余曲折があった。それについてはここでは書かないし、本書の中でも書いていない。知っている人は知っている通り。それを詳らかにできるのはだいぶ先になると思う。でも、とりあえず、これが、そういう紆余曲折を経た29歳の僕の到達点。それを、こうして公開することができて、本当にほっとしている。<br />
<br />
うわっつらのハウツーを書くつもりはさらさらなかった。この本に書いたことは、僕の生きてきた重みをすべて乗せたつもり。「頭で読む本」ではなく「心で読む本」として。それで軽いとすれば、あるいは、弱いとすれば、僕の生きてきた日々はそれまでだということ。でも、まぁ、それならそれで諦めもつく。そう思って、全力で書いてみました。<br />
<br />
ちなみに、著者はアマゾンでの販売部数を追えるのだけれど、初日はわずか4部だった。前の本は1万部だったんだけれどね。4部って、もはや冗談みたいな数字じゃないですか。でも、たった4部でも、前に出した本に負けないくらい嬉しい。なにより、気持ちいい。前の本は、半分はハウツー本だと割りきって書いた部分も多かったけれど、今回は、僕が本当に書きたかったことを、好きなように書けた。その結果として、大手の出版社から紙メディアで出す話はお流れになってしまったけれど、でも、それはそれでいい。<br />
<br />
本当に届くべき人に、一人でも多く届いてほしい。ただそれだけを願ってます。強がりじゃなく、今はそう言える。あとは、会社が潰れずに回っていきさえすれば、なにひとつ問題はない。でも、それも、会社自体がだいぶ小さくなったし、どんなことが起ころうとも、たいした問題はないでしょう。これだけ小さければ、どうにでもなる。だからこそ、僕はこれからも信じたことを、ただひたすらに追い続けていく。これまでもそうやってきた通り、これからもそうやっていきたい。<br />
<br />
いやー、そのせいで、しんどいことや泣きたいことはたくさん起こるだろうし、事実起こってきたけれど、それもひっくるめて、人生楽しいし、これからも楽しみだと心から思います。そういう29度目の誕生日を祝ってくれた人たち、そういう29年間を送らせてくれた出会ったすべての人たちに、感謝。<br />
<br />
書きたいことは、ほとんど本書の中に詰め込んだ。だから、ここでは詳しくは語らない。ぜひとも、読んでください。僕は頭を下げての頼み事をしないつもりで生きているのだだけれど、今日だけはします。ぜひとも、この本を読んでください。いいなと思ってもらえて、読ませたい人が思いついたなら、勧めてあげてください。どうか、よろしくお願いしますm(_ _)mペコリ<br />
<br />
Amazon Kindleのほか、iPad、iPhone、Android端末等でも読めます(要Kindleアプリ)。100円なので、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B00AGYNQHE">アマゾンで購入して読んで</a>もらえると嬉しい。買えない人は、<a href="http://gakuyoku.dohansha.com/">ウェブでフリーで公開していて、印刷もできる</a>のでそちらでどうぞ。ある塾生は「正月のお賽銭みたいなものですね」と言って、スカイプの向こう側のiPhoneで買ってくれた。泣けるぜ。ちなみに、現在、アマゾンKindleの「教育・学参・受験」や「教育学」コーナーでそれぞれ3位につけてますが、1日5部くらいでこの順位なので、10部くらい売れたら1位になるかもしれません。笑 というわけで、どうぞよろしく。<br />
<br />
最後に。<br />
<br />
申し訳ないのだけれど、本書は誤植がたくさんあります。Kindleで出版すると決めてから、初稿からの推敲期間が10日しかなかったので、最後の詰めが甘くなってしまいました。それは今月中にすべて修正するので、その点だけ、目をつむってもらえるとありがたいです。スピード重視で、こういう風に動けるのも、電子メディアならでは。そういう方が僕らしいかなと思って、今年は機動力重視でガンガン攻めるつもりです。<br />
<br />
振り返れば、この1年間は、これから5年10年と攻め続けるための準備期間でした。僕にとっても、僕ら道伴舎全体にとっても。でも、おかげでもう準備体操はばっちりで、体もだいぶあったまってきて、やや物足りないくらいなので、そろそろギアを入れ替えていきます。トップスピードで全力疾走するのも、そう遠くなさそうだ。そういうことは、20代前半によく言ってた気がするけれど、30歳も目前のこの歳になって、そんなことまだ言ってるなんて、さすがに当時の僕も想像できなかったよ。<br />
<br />
でも、そんな人生も、悪くはない。<br />
<br />
というわけで、29歳の僕とも、よろしくお願いします。今年も、たくさん旨い酒を飲みましょう!<br />
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2012年12月30日 追記<br />
誤植を修正し、完成版をアップロードしました。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-9417470026239035112012-09-02T17:43:00.000+09:002012-09-02T17:52:41.900+09:00裸になりたい。10年前を振り返れば、自分の弱さを乗り越えるために鎧を身にまとおうとしていた。それは不安に苛まれる青年に共通する行動なのだと思う。世界のことをもっとよく知り、知的にも心的にも武装し、自分の弱さを克服しようとする。そのような欲求を抱く青年は、僕は好もしいと思う。<br />
<br />
でも、その頃から10年くらいの月日が経って思うのは、そのようにして鎧を身にまとった人たちは、ずいぶんと動きが鈍くなったなということ。それは自分を見ても、同じように歳を取った人々を見ても思う。心が震えることもなくなり、自分が一度築いた視点から離れることができない。そんな戦士に、鎧の上に張り付いた過去の勲章を剥がす勇気は、もはやない。彼にできるのは過去の反芻だけであり、それは老人と呼ぶべきだろう。<br />
<br />
そのような戦士は、おそらく青年の頃よりも弱くなってしまっている。本当の強者は、裸で立っているのだ。素っ裸で、自分の二本の足で、その足裏で大地を踏みしめていられる者こそが、真に生きていると言えるのだ。青年として生きはじめてから10年経った僕は、ずいぶんと弱くなってしまったな、と思う。<br />
<br />
無防備だった青年時代の僕は、ひょっとすると何かの一撃で死んでしまっていたかもしれない。いまの僕は、ちょっとやそっとのことでは逃げ出さない。斬りつけられたり傷めつけられたりしても、悲鳴をあげることはないだろう。それはある意味では強くなったのかもしれないが、生身の僕の体は、きっと鎧を幾重にもまとったことによって弱くなってしまった。<br />
<br />
真に裸になって生きている人には、相手がぼろの布切れのままで生きているのか、鎧をまとって生きているのか、それとも鎧をはがしながらいきているのかは、一瞥しただけで分かるのだろう。そして、僕はまだ鎧をはがしはじめてさえいない。<br />
<br />
これから僕がしていきたいことは、鎧を一枚ずつ剥がしていくこと。そして、裸になっていくことだ。それが僕が僕として真に生きるということなのだ。<br />
<br />
僕らが生きている上では、とりわけ若い頃は、積み上げて生きざるをえない。若さゆえに、そしてサバイバルするためにも、それは現実的に避けて通ることはできない。でも、ふっと10代の頃のように生きるとは何かと真剣に考えた時に、20代の節目においていつも、「つみへらす」という、最初に知った時にはよく理解できなかった岡本太郎の言葉を思い出していた。<br />
<br />
つみへらすとは、裸になるということなのだ。年齢などという常識にあえて縛られてみるとすれば、30歳からの10年という大切な時間を「つみへらす」ことに自覚的に生きる。そのようにして、僕は30代という時期に踏み出していくことになるだろう。<br />
<br />
20代の終わりというのはもうすこし大人なのかなと思っていたけれど、最近思うのは、まだ小学校を卒業するくらいなんだなぁということ。世界は未だに知らないことだらけだし、僕は10代の青年時代よりもまして未熟になった。でも、そのような気持ちで中学校に踏み入るのは、なかなか悪くない。<br />
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鎧を剥がし終わり、最後の兜を取った後に見える自分の表情がどんなものなのか。それを楽しみに、また新たなステージに入ることにしよう。<br />
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(ま、とはいえ、僕はまだしばらく28歳なんですけどね・・・!)Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-27437303765098882112011-12-03T16:00:00.000+09:002011-12-03T16:18:44.798+09:0018歳からの10年間を振り返れば<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: right; margin-left: 1em; text-align: right;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgPwuwgYC1MH8QhqedJ8Hg3PPj135zlXkLt4TvJZjxf0Fjmw7eXZ49BVk2JiMuWc0doxqc2u5-XJgXo2gr21p0iPjbmdn280B-6AV8_Ryx3dS0w1w00H0nYhhCeztRrYQ62kc5JkvkzvVv6/s1600/20111203.JPG" imageanchor="1" style="display: inline !important; margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgPwuwgYC1MH8QhqedJ8Hg3PPj135zlXkLt4TvJZjxf0Fjmw7eXZ49BVk2JiMuWc0doxqc2u5-XJgXo2gr21p0iPjbmdn280B-6AV8_Ryx3dS0w1w00H0nYhhCeztRrYQ62kc5JkvkzvVv6/s200/20111203.JPG" width="148" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">今日もらったもの</td></tr>
</tbody></table>
生まれて28年たった昨日、少なからぬ人からお祝いの言葉をもらいました。そのひとつひとつには返信していないので、たいへん失礼ながら、ここでまとめてお礼を言わせてもらいます。ほんとうに、どうもありがとう。<br />
<br />
ここ1年ほどブログを書いていなかったにもかかわらず「1年間、毎日見てましたよ」という起業初年度の教え子からの電話を受けたこともあって、久しぶりにブログに向かっています。そいつに限らず、教え子からは過去から今に至るまで、常々たくさんのことを教えてもらってきました。そう、お前と、お前と、お前のことです。どうもありがとう。<br />
<br />
振り返れば10年前の僕は、18歳という記念すべき誕生日を孤独のうちに迎えていました。友達らしい友達もおらず、高校も中退して、この先どう生きればいいのかさっぱり分からなかった。ゲームセンターとインターネット以外の場所を知らなかった。誕生日なんて、小説や映画の中で見る青春とくらべて、あまりにもみじめな自分を直視しなければならない苦しいだけの一日だった。<br />
<br />
それは大学に入っても変わらなかった。20歳になった日の夜のことはよく覚えているけれど、大学に入ったはいいものの、深い付き合いの友人はおらず、一緒に過ごしてくれる女の子がいるわけもなく、東京の六畳一間足らずの古いマンションでひとりウイスキーを飲んでいた。「きっとこの日のことは忘れないだろう」と思った通り、あの日の寂しさは焼きついています。それからもけっこう長いあいだ、誕生日を祝う意味は理解できなかった。<br />
<br />
それでも、いま振り返れば僕は決して孤独ではなかった。あまり覚えていないけれど、18歳の時は母と妹と祖父の三人が祝ってくれた。20歳の日だって、ウイスキーを飲む前にはサークルの先輩や友人が祝いの言葉をくれた気がする。そう言ってくれる人がいるだけで、その日をやり過ごすには十分だった。<br />
<br />
こうしたことを振り返ると、僕はほんとうに恵まれた環境にいたのだなと感じます。だからこそ今の僕がある。そのことには、感謝してもしきれない。<br />
<br />
「Happy Birthday」と言われてどう答えればいいのかよく分からなかったし、いまも言葉につまるけれど、これだけは何のためらいもなく言えるようになりました。ふだんの僕は人に迷惑をかけるばかりで感謝を忘れる人間なので、一年に一度、この日くらいはそのことを思い出してもいいと思うので、あえて言い切ります。<br />
<br />
この年まで無事に生きてこられた自分の運命と、それを可能にさせてくれたすべての人に、感謝したい。そして、来年も、再来年も、その先もずっと命の続く限り、そう言い続けられるように生きていきたい。<br />
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家族。中学・高校で出会った何人かの友達。受験生活を支えてくれた友人。大学のサークルでの先輩方・同期・後輩。大学で唯一まともに受けた授業(もぐりだったけど)を通じて知り合った人々。あるいは学生時代に僕が参加したイベントや、立ち上げた企画を通じて出会った人たち。起業してからは、一緒にやってきた仲間、指導スタッフと塾生と、その保護者の方々。それだけでなく陰に陽に応援してくれた、すべての人。このブログに関して言えば、とりわけネットを通じて出会った方々から多くの励ましをもらいました。自分の日記すらも一月も続いたことのない僕が、ここまでブログを書き続けられたのも、そうした人との出会いがあってこそ。<br />
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すこし思い返すだけでも色々あり過ぎて書けないし書かないけれど、たくさんの人の顔が思い浮かびます。それだけのものがいまの僕を成り立たせてくれているのだなと感じます。ありすぎる顔の誰にお礼を言えばいいのか分からないような気持ちです。<br />
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こうして僕というひとつの物語を振り返るだけでも、ほんの10年で、人間というのは出会いや学びによってこうも変わるのだなと驚かされます。錯覚であれ妄想であれ、世界でいちばん孤独だと感じていた人間が、世界でいちばん幸福かもしれないと思えるようになるのだと思うと、不思議なものです。でも、どんな人間にも、そうした可能性は開かれているのだと思う。そのことを信じ続けられれば、誰だってそれを手にすることができるのだと思う。それが教育というフィールドで起業してから5年ほどたった僕の確信です。<br />
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ここしばらくブログも書いていないし、ご無沙汰の人も多いので、こうした僕の近況報告と今後について、すこし書いてみたいと思います。<br />
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読んで分かる通り、相変わらず元気にやっています。そしてこれまでと同じように、僕は教育というフィールドに自分を賭けて生きていきたいと思います。<br />
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最近痛感するのは、僕が生きている場所、時間のありがたさです。人類の歴史が創造した、この奇跡のような場所や時間の脆さや儚さを噛み締めて生きていきたい。危ういバランスで成り立っている「いま」の幸福さを、日常に埋没して忘れかねない浅はかな自分に、ほっぺたをつねるように思い出させたい。こうして長々と書いているのも、思えば、勝手ながらそのことを確認し、自分に刻みつけておくためなのかもしれません。<br />
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さて、今年も受験のシーズンがやってきます。受験なんて、実のところ生き死ににかかわらないことであり、人生の本質とは縁遠いものです。しかし一方で、誰もが痛感しているように、受験はおそろしいほどに人生を左右することがあります。その理由は学歴云々という直接的な受験結果よりもむしろ、そうした「学歴云々」という価値観に侵されるのを拒むことが、親も子どもも教師も難しいという側面によってだと、僕は思います。<br />
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受験は、おそらく現代の若者にとって最も大きな壁です。それは単純に「高いハードル」といった意味だけでなく、社会の歪みや矛盾の象徴としての壁です。それは教育システムであると同時に、僕ら一人ひとりの心の中にあるものです。だからこそそれは見えにくいし、無視することも乗り越えることも困難で、多くの若者がその壁の手前で苦しんだり、どこかおかしくなっていくのだと思います。しかもこの壁は一世紀以上にわたって高く強固に築かれてきた壁であり、どんな権力者であれ、それを破壊するのは容易なことではありません。<br />
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それでも僕は、若者が自分の手でその壁を乗り越え、できることならぶち壊せるような社会や時代を創造するために全力を尽くしていきたいと思います。なぜなら僕は既定のレールを踏み外したことで、その壁を横から眺めて「おかしいな」と気づいた上で、偶然にもそれをうまく突破してここまで生きてこられたと感じるからです。同時に、これほどまでに進歩した時代・社会において、そこに生まれた人が自分の可能性を信じて生きることができないのなら、この先どんな時代・社会を目指せばいいのか、すくなくとも僕には想像がつかないからです。<br />
<br />
よく日本の将来を憂いている人がいるし、僕にもその気持ちは理解できます。しかし一方で、食うにも困らず、金やモノばかりを追い求めるような精神に侵されることなく育った現代の若者ほど、真に自分自身の生を全うする可能性に満ちた人々は、人類の全歴史を振り返っても少ないのではないかと思います。そもそも国なんていう制度だって社会の発展過程の一機構に過ぎないわけです。この国の21世紀を生きる人々は、過去を見つめながらも過去に縛られることなく、それを超える新たな「理想」や「物語」を創造できる時代に生きているという意味で、この上ない可能性に恵まれていると僕が思うのは、言い過ぎでしょうか。<br />
<br />
僕は、言い過ぎではないと思っています。道伴舎の現役学生であるスタッフを見ていても、あるいは塾生を見ていても、その多くがあと一歩踏み出しさえすれば、その可能性を最大限、発揮できるだけの力を秘めていると思う。その一方で、若者がそのように生きることができなければ、歴史上の多くの文明がそうだったように、活力を失い、錆びついていくのかもしれません。<br />
<br />
世界中でこれまで信じられてきた主義主張(ism)が行き詰まり硬直化している今の段階では、この国がどちらに転ぶのかはまったく分かりません。新たな物語を創造できるのか、それとも理想を見失って没落していくのか、どちらも可能性としてはありえるでしょう。でも、それがわからない紙一重のところだからこそ、僕のような社会の片隅のちっぽけな存在にもやるべきことがあるのだと信じることができます。<br />
<br />
僕は僕に限らずすべての若者の、一人ひとりの心の中に、これからの時代の可能性が詰まっていると思っています。特に「負」を背負っている若者であればあるほど、僕は、それを乗り越えた時に得る力も多くなるはずだと、自分の経験から信じています。そのような若者の可能性をどれだけ「先に生きている人」がひらくことができるのかで、僕らの未来は全て決まっていくのだと思います。<br />
<br />
こんな長くて個人的なブログは、道伴舎(旧道塾)が拡大してからは、業務的にやや差し障りがあるかなと思ってなるべく控えるようにしてました。まぁ、でも、そんな風に遠慮していても創造的になれるはずもない。昔みたいに良いことも悪いことも、自分なりにオープンに書いていくのがスタイルだったなと思い返して、書いています。<br />
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さて、いろいろ脱線しましたが、話のはじまりは僕の誕生日でした。<br />
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早いもので起業してからもうすぐ丸5年。6年目となる28歳は、どうやら僕の<a href="http://blog.babayuhei.jp/2010/01/blog-post.html">人生の第三幕</a>に突入しそうです。人生には、いろんなことがあります。泣きたいほど謝りたいこともあれば、打ち震えるほどワクワクすることもあります。この物語は、この先もどんなことが起こるのかは分かりません。でも、それでこそ物語の面白さは増すのだと、僕は信じたい。<br />
<br />
物語といえば、今はやはり(ちょっと遅きに失した感はあるけれど)スティーブ・ジョブズでしょう。あれほどドラマチックで、どんなことが起こるか分からない人生は多くはないと思います。そのドラマの主人公らしく(まだ伝記は読んでいないけれど)スティーブ・ジョブズは間違いなく「問題を抱えたひどいヤツ」でした。そして人は、多かれ少なかれ、自分が思っているよりも「問題を抱えたひどいヤツ」であるものです。それでも僕はジョブズが好きだし、人が好きです。<br />
<br />
だからこそ僕は「問題を抱えたひどいヤツ」に過ぎない自分の可能性を信じて、その生き様で人に何かを伝えられればと思って、これからもやっていきたいと思います。性懲りもなく、恥ずかしげもなく、その過程を、このブログで伝えていければいいなと思っています。失敗も、成功も、すべては"<span class="Apple-style-span" style="background-color: white; font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', メイリオ, Mayryo, 'MS Pゴシック', 'MS PGothic', sans-serif;">connecting the dots"。</span><br />
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その意味で、あらゆる出来事は、次に起こる出来事の「前フリ」です。<span class="Apple-style-span" style="background-color: white; font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', メイリオ, Mayryo, 'MS Pゴシック', 'MS PGothic', sans-serif;">大切なのは、次に起こる出来事の可能性を信じて一歩踏み出し続けること。</span>いつだって「世界を変えられると本気で信じた」ジョブズが、その生き様で僕を魅了し、前に進む勇気を与えてくれたように。気宇壮大な物語を信じた若者が生まれた数だけ、次なる時代の生はより高くなっていくのだと僕は信じています。<br />
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あらためて18歳からの10年間を振り返れば、よくぞここまで歩いてこられたな、と感慨深いものがあります。たくさんの人のおかげで、28歳まで一歩ずつ何とかやってくることができました。それはこのブログも同じです。あらゆる文章がそうであるように、このブログを読んでくれる人がいなければ成り立ちません。いつも貴重な時間を割いて読みにきてくれて、どうもありがとう。相変わらずの未熟者だけれど、だからこそ、前に進み続け、すこしでも面白い物語を描こうと思います。これからも、よろしくお願いします。<br />
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<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<iframe allowfullscreen='allowfullscreen' webkitallowfullscreen='webkitallowfullscreen' mozallowfullscreen='mozallowfullscreen' width='320' height='266' src='https://www.youtube.com/embed/OaMT8fZpEXA?feature=player_embedded' frameborder='0'></iframe></div>
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<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<iframe allowfullscreen='allowfullscreen' webkitallowfullscreen='webkitallowfullscreen' mozallowfullscreen='mozallowfullscreen' width='320' height='266' src='https://www.youtube.com/embed/nytz2zfJL3I?feature=player_embedded' frameborder='0'></iframe></div>
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(この話と関連する(いま思いついた)過去のエントリー)<br />
・<a href="http://blog.babayuhei.jp/2010/09/blog-post.html">『ウェブで学ぶ』から学んだ「無限の可能性」</a><br />
・<a href="http://blog.babayuhei.jp/2010/02/be-hope-make-hopes.html">最終回 Be hope, make hopes.</a><br />
・<a href="http://blog.babayuhei.jp/2009/03/blog-post_03.html">希望なき国に生まれて(1)</a> / <a href="http://blog.babayuhei.jp/2009/04/blog-post_27.html">(2)</a><br />
・<a href="http://blog.babayuhei.jp/2008/03/blog-post_07.html">まだ見ぬ早大生へ</a><br />
・<a href="http://blog.babayuhei.jp/2009/04/blog-post.html">人生最後の1日</a><br />
<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-7450441410431082432010-12-11T07:24:00.004+09:002010-12-11T07:35:55.883+09:00本日、朝日新聞に道塾が登場<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiLkTrBbMaWjpgl8RNmEzFBkx_s8gilCqhmCtBHxoJwbD8HuS3jKNJxNJxOshYNC6_lp_rnySWaVy1frv8LlwGnksYC049QziABd_QeoPEDcD7xLnB1pkcCbILnIut37BHWEK_pcZo-PCeE/s1600/chugaku.JPG" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="239" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiLkTrBbMaWjpgl8RNmEzFBkx_s8gilCqhmCtBHxoJwbD8HuS3jKNJxNJxOshYNC6_lp_rnySWaVy1frv8LlwGnksYC049QziABd_QeoPEDcD7xLnB1pkcCbILnIut37BHWEK_pcZo-PCeE/s320/chugaku.JPG" width="320" /></a></div>道塾に関する記事が本日の朝日新聞朝刊社会面(38)に掲載されています。<br />
<br />
今回の内容は中学部に関して。主役は道塾中学部の指導スタッフ甲斐大輔と、甲斐が指導する塾生「ユウタ」。<br />
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「エチカの鏡」をきっかけに中学部がスタートしてから1年半。中学部統括の熊谷を中心に、中学部スタッフ全員で地道にやってきたことがこうして日の目を見ることになり感無量だ。道塾の指導のねらいと、そこに込める想いとをストレートに伝えてくれる記事だと感じた。<br />
<br />
記事にもあるように道塾は塾生にとって「秘密」の存在になりやすく、意外と広まりにくいという面がある。これをきっかけに道塾が新たな人たちに知られ、一人でも多くの人に僕らの想いと指導が届くといいなと思う。その積み重ねがいつか日本の教育の在り方を変えると信じて、これまでと変わらず地道な指導を続けていきたい。<br />
<br />
今回の掲載に間に合うようにとウェブサイトの<a href="http://www.dojuku.com/company/">会社案内ページ</a>をリニューアルした。両方あわせて、ぜひご覧ください。<br />
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(写真は左が甲斐、右が中学部統括の熊谷)Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-87616697058482812842010-10-22T00:30:00.001+09:002010-10-22T00:30:01.378+09:00「世界」を変える教育<div class="separator" style="clear: both; text-align: right;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4569774784/" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://www.php.co.jp/shinkan/ISBN978-4-569-77478-7.gif" /></a></div>先週、「忙しくて勉強する機会もないでしょう」というご好意である知人に声をかけていただき、大隈講堂で行われた寺島実郎氏の<a href="http://www.terashima-bunko.jp/">「リレー塾」</a>の第1回を聴講した。大隈講堂に東大教授の藤原帰一氏と元国連事務次長の明石康氏を迎えてのパネルディスカッションと、それに続く寺島氏のショート講演。<br />
<br />
「世界は複雑化しているにもかかわらず、メディアで語られる多くは単純化された『二項対立』ばかりで、その背景にある文脈を読み取る力が失われている」。「『近隣諸国に舐められたくない』という甘いレベルのナショナリズムに振り回されるのは日本にとっても世界にとってもマイナスであり、今は国民の『成熟度』が激しく問われている」といった話は刺激的だった。<br />
<br />
とりわけ最後の「成熟度」についての話は、僕がその末端を穢す「教育」の意味を新たな視点で捉えるきっかけを与えてくれた。それは国民一人ひとりが「世界を知る」ことを通じて成熟しなければ21世紀に日本という国が国際社会に貢献することは難しい、というよりもむしろ、下手をすれば国として立ち行かなくなる可能性すらあるということ。<br />
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まっとうに「世界を知る」ためには、あらゆる意味において学び続けなければならない。新聞やテレビから流れる情報を自分なりに濾過するフィルターを持ち、複雑化した世界を自分の言葉で語れるようになること。そうして獲得した言葉を元によって他者や世界とコミュニケーションを繰り返すこと以外に「世界を知る」道はないのだろう。<br />
<blockquote>「世界を知る」とは、断片的だった知識が、さまざまな相関を見出すことによってスパークして結びつき、全体的な知性へと変化していく過程を指すのではないか。<br />
<div style="text-align: right;">寺島実郎『世界を知る力』P176</div></blockquote>多かれ少なかれ、若者にはこうした「世界を知る」ことへの欲求があるのだと思う。振り返れば受験期の僕を突き動かしたのも「この広い世の中の在り方を知りたい、激動の真っ只中で生きたい」という想いだった。そのルーツは「竜馬がゆく」のような手近なものたちだったが、あの情熱は遥か彼方の世界を視界に捉えていた。<br />
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<div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">恐ろしいことに「情熱」は扱い方によっては一瞬で失われてしまう。あれだけ遠くを見つめていた目が曇り、濁り、虚ろになってしまうのを見ることほど悲しいことはない。単純化された情報に満ち溢れている世界においては、少し放っておけば思考はすぐ安易な言説に侵されてしまう。でも、それによって問題を解決できるほど世界は単純ではない。<br />
<br />
だから大切なのは一人ひとりの「世界を知りたい」という欲求を失わせず、育み続けること。そのために世界の複雑さに目を見開かせ、それと向きあう力を育てること。そうした後押しをすることによって、偶然には生まれることのなかった世界との「出会い」を、必然のものとして創造すること。<br />
<br />
最近は、それが幸いにも何とかここまで生き延びることのできた僕の、教育における使命なのではないかと思うようになった。</div></div><div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"><blockquote>わたしたちは、「世界を知る」という言葉を耳にすると、とかく「教養を高めて世界を見渡す」といった理解に走りがちである。しかし、そのような態度で身につけた教養など何も役に立ちはしない。世界を知れば知るほど、世界が不条理に満ちていることが見えてくるはずだ。その不条理に対する怒り、問題意識が、戦慄するがごとく胸に込み上げてくるようでなければ、人間としての知とは呼べない。単なる知識はコンピュータにでも詰め込んでおけばいい。</blockquote><blockquote>世界の不条理に目を向け、それを解説するのではなく、行動することで問題の解決にいたろうとする。そういう情念をもって世界に向き合うのでなければ、世界を知っても何の意味もないのである。<br />
<div style="text-align: right;">同書 P197</div></blockquote></div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">世界を知り、不条理に立ち向かおうとする若者の目を曇らせないこと。そのために僕は人間の本質的な可能性を見つめながら、同時にコンテンポラリーな問題も見据えて「世界を知る」ために学び、行動し続けなければならない。それは即ち、これだけ世界が狭くなった現代において教育もドメスティックではいられない時代になったということなのだろう。<br />
<br />
僕は完璧にドメスティックな人間だが、幸いにもウェブと教育は最高に相性のいい組み合わせだ。きっと、何かしらやれることはあるだろう。そうした可能性に目を凝らし、僕のできることを追求し続けたい。そんなことを思わせてくれた夜だった。</div></div>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-63750576939712424022010-09-22T00:40:00.007+09:002010-09-23T11:06:25.425+09:00『ウェブで学ぶ』から学んだ「無限の可能性」<div style="text-align: right;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480065679" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://ec2.images-amazon.com/images/I/41NJTTrylfL._SL500_AA300_.jpg" width="200" /></a></div>この本は、残念ながら日本の教育界には大きなインパクトを及ぼさないだろう。理由はシンプルで、著者二人の「見晴らし」が、日本で教育に携わるほとんどの人と次元が違いすぎるからだ。どれほど噛み砕いて語っても伝わらないほどに。<br />
<div><br />
</div><div>でも、だからこそ敢えてこのブログに書きたい。僕ほどこの本を必要としていた人間は少ないだろうし、僕や道塾に関わったり、その活動に興味を持つ人であれば本書の価値を理解できると思うからだ。</div><div><br />
</div><div>この本は「オープンエデュケーション」という概念を中心に、インターネットとIT技術を通じた「千年に一度」の世界的な教育革命について語られている。(梅田氏の)結論は、日本人にとってのオープンエデュケーションは「日本から世界に出ていくために活用できるとてつもなく素晴らしい道具だ、ピリオド」であり、だから優秀な日本の若者は、(留学して)「英語で学ぶ」ために、(日本では)この道具を使って「英語を学べ」ということになる。</div><div><br />
</div><div>現在の僕の仕事は「日本の教育システムの中で受験を目指す人」に対して、ネットを使って「勉強法とモチベーション」の両面から支援する私塾の経営だ。その立場にいながら大きな声で言うのは憚られるが、この結論は、その機会と能力と意欲があるのなら、ほぼ「100%正しい」と思う。</div><div><br />
</div><div>9年前。僕はおそらく、日本ではじめて海外留学のためにウェブを有効活用することができた世代だった。当時としては最も良質だった「北米留学上級技術マニュアル」というウェブサイトを中心に、集められるすべての留学に関する情報を集めた。その上で「僕がアメリカの一流校に入るのは無理そうだ」と判断した。</div><div><br />
</div><div>今は異なる道もあるのかもしれないが、最悪の成績で高校を中退した17歳の若者は、必死に英語を勉強しながら、少なくとも2年か3年、地道で単調で下らない「全科目でAという成績を取るゲーム」に命を削る覚悟で参加しないと、アメリカの一流校には入れない(編入できない)らしいというのが情報を集めた結論だった。</div><div><br />
</div><div>当時は高校を中退して「人から遅れている」という意識もあって生き急いでいた。そんな僕に「少なくとも2,3年」というのは長過ぎる時間だった。そもそも、僕はそんなに長く一つのことを継続して努力できる人間でもなかった。だから一年以内で次のステップへ進める日本の大学を選択した(この「少なくとも2,3年」の道を選んで生き残った猛者が<a href="http://blog.livedoor.jp/shun964/">僕の友人に一人いる</a>が本当にタフだと思う)。</div><div><br />
</div><div>大学に入ってからも「留学」は時々考えたが、様々な事情が重なりあってその機会に巡り合うことはなかった。そうやって今に至るわけだが、振り返れば悪くない、おそらくは最良の結果につながる選択をしたと思う。今こうしている以上の人生が僕にあり得たとは想像しがたい。<br />
<br />
それでも、それは選ぶべき道を「類稀なる幸運」によって選ぶことができたからに過ぎない。大学4年の末まで小説家を目指すという無謀な道を歩んでいた僕が、こうして飯を食べ、ブログを書けていることは僥倖以外の何者でもない。<br />
<br />
それに僕は未だ「何とか生き延びている」だけで、一寸先は闇という状態だ。だから留学という選択肢が十分に残っているのなら「迷うことなく留学する、というのを最優先事項に置く(p239)」ことへ強く賛同する。「様々な事情が重なりあった」とはいえ、「英語」と「留学費用」という条件をクリアしていれば、おそらくその事情を乗り越えてでも僕は海を渡ったと思うから。<br />
<br />
だが、いくら梅田氏が「留学すべきだ」と言っても、結果としては僕と同じように何らかの理由によって日本の大学を受験することになる若者の方が圧倒的に多いだろう。<br />
<br />
彼ら彼女らに伝えたいのは、留学を目指すのなら、大学に入ったらすぐにあらゆる手段を使って実現するために行動すること。入学した途端、目の眩むような楽しい雰囲気に心を奪われて学びへの意欲を失う大学生が多いが、何も考えてないと(普通は)すぐ3年の夏になって就職活動の波に飲まれること、そして本気で留学しようと思えば手段はいくらでもあることを忘れてはいけない。そのような形で「英語で学ぶ」ことを志すとき、この本は勇気をくれるだろう。<br />
<br />
だが、それでも。<br />
<br />
最終的にはやはり僕のように日本に残り続ける若者の方がずっと大いに違いない。そういう結論に達した人に僕が勧めたいのは、①「学び続けながら『チャレンジ』する」という生き方だ。②「潰れない大組織を選んで逃げきる」という方法もあるけれど、そもそも日本という船自体が沈みかねない状況でその選択はあまりにリスキーだ(リスクということに関していえば、どちらの選択もリスクではあるが、リスクを負わないのが一番リスクだ。どちらも選ばないのは最悪だ)。<br />
<br />
「見晴らしのいい場所」や「新しい職業」を探し求め、世の中の多くの人がまだ気づいていない知識や経験を学ぶ。その経験を元に「自分がやらない限り世に起こらないことをやる」ために一歩踏み出して「チャレンジ」する。そして「チャレンジ」した「けもの道」で、成功を目指して学び続けながら頑張る。その結果が成功であれ失敗であれ、そこでの成果を元に次の「見晴らしの良い場所」や「新しい職業」を探し求め……<br />
<br />
「正しい時に正しい場所にいる」ために、こうした「学びとチャレンジのサイクル」を繰り返すことがこの国で何事かを成し遂げる秘訣だと思う。その際に重要なのは、ただチャレンジするためにチャレンジする無謀さではなく、「学ぶためにチャレンジする」という姿勢だ。それは即ち「学びのための環境」としての「場の選択」が非常に重要であることを意味する。<br />
<br />
日本というローカルな世界に生きるということは、それだけでグローバルな世界で生きる人間に遅れをとっていることだ。危機感を抱き、執拗なまでに「場の選択」にこだわり、そして一度選んだら学ぶために全力を尽くさなければ、一瞬で世界中に散らばっている「先を行く人々」に突き放されてしまう。<br />
<br />
</div><div>だからこそ、もし日本で生きていくことを決めたのなら、激しく「チャレンジ」する道が最もリスクが少ないと思う。ぬるま湯のような組織に浸かっていたら、(それが大学であれ、会社であれ、それ以外の組織であれ)5年もすれば社会における価値は極端に下がってしまうだろう。30にもなって取り立ててスキルも経験もないような人間を、世界の誰が欲しがるのだろう?<br />
<br />
以上の僕の考えをまとめると、21世紀の「知識資本主義社会」で日本人が生き残るためには「英語で学ぶ」ために早期の留学をすることが間違いなく良いと思う。だが、理由はどうあれ、そうでない道を歩むのであれば、「英語で学ぶ」人に負けない「学びのための環境」を選びぬき、そこに全てを賭けて勝負すべきだということだ。<br />
<br />
そして、その勝負に勝つことができさえすれば、「ローカルな世界」における「学び」をテコに、さらなる「学び」を求めてより大きな「チャレンジ」をすることができる。そうした道には「先進国でありながらローカル」だからこそのチャンスが存在するように僕は思う。<br />
<br />
たとえば、一人の若者が梅田氏の言う「グローバルウェブ」を志向する際にも、覚悟と努力と戦略性があれば、日本という「ローカルウェブ」の中でできる限りのことをやり、そこで徹底的に学んだ上で「グローバルウェブ」を目指す「別ルート」が存在する。<br />
<br />
日本人が一般に「オープンエデュケーション」の恩恵に預かるのは、たとえあってもしばらく先の話だ。そして、その波が来るまでのんびり待っている余裕もない。であるならば、日本という「ローカルウェブ」を通じて教育に携わる僕のような者の道は一つ。<br />
<br />
目下の問題と格闘しながらも、自分がより良い学びをできる環境を追求すると同時に、日本という国の強みを活かして、この国を「オープンエデュケーション」を創造する側に回らせることだ。<br />
<br />
「21世紀に学びを解き放ち、誰もが道を切り拓ける時代を創造する」という僕らの理念を達成するために、これ以上の道が他に考えられるだろうか?<br />
<br />
まさに理念そのもののフロンティアが存在し、そこに分け入ることが不可能ではない場所にいるという意味で、17歳の頃にアメリカに飛べずに、のたうち回りながら日本で23歳の時に教育ベンチャーを立ち上げることになったのは、それがたとえ遠回りであっても僕にとっては最良の道だったのではないかと、それが本書を読んで思ったことだった。<br />
<br />
同時に、ここから(「次の10年」や「その次の10年」の長期的スパンの話で)どう切り拓いていけばいいのかのヒントも学ばせてもらった。「ウェブ進化論」からはじまった梅田氏との(一方的な)対話がここまで達した奇跡と、そのきっかけを作ってくれた飯吉氏に深く感謝したい。</div><div><br />
読み終えて印象的だったのは梅田氏の立ち位置の変化だった。「日本語が亡びるとき」という本が流行る前後からそうだったが、今回は決定的だった。非常に用心深く語ってはいるけれど、以前は日本をより良くできることに期待を抱いていた氏が「日本で学べることは少なく、未来はかなり苦しいよ」というメッセージを積極的に発しているように感じられた。<br />
<br />
</div><div>それはそれで「10代20代の若者へ向けた真摯なメッセージ」だと思う。でも、僕は違った角度からメッセージを送りたかった。なぜなら、僕がそうだったように、すべての若者が今すぐ留学できるわけではないから。その道を歩んでいる者として、これまでも僕なりの考えを示してきたし、これからも記し続けていきたい。<br />
<br />
どうすれば日本が「オープンエデュケーション」を主導するような側に回ることができるのか。あるいは、先進国において「オープンエデュケーション」の効果を高めるために何が必要なのか。そういった国に移行することが、果たして今の教育界において本当に可能なのか。<br />
<br />
これは日本の教育問題の根本とも通じるものだと思うが、一言でまとめれば、アメリカの『フロンティア精神』と対置されるべき「日本人の根底にあるメンタリティーの復興」に答えがあると思っている。それができれば、まだまだチャンスはある。こうした「ローカルな可能性」を支えるモチベーションについては、そう遠くないうちにまとめて世に問いたいと考えているので、お楽しみに。<br />
<br />
<div><div>最後に。<br />
<br />
本書で飯吉氏が繰り返されている通り「教育とは無限の可能性を信じること」に間違いない。これを絶対に忘れてはいけない。この言葉を、信念と共に語れる人間を、この国に一人ずつ増やしてみせる。<br />
<br />
<div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">「「未来は予測不可能」という前提に立って、一人ひとりが、少しでも可能性があると思える方に向かって行動し、試行錯誤を繰り返していくしかないのだと思います。そしてそのプロセスにおいていちばん大切なことが、「学ぶ」ことでしょう。ある時点でもう「学ぶ」ことはおしまいと考えてしまうと、自らの可能性空間をぐっと狭めてしまうことになります。」(P261)</div></div><div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"><br />
</div></div><div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">本当にその通りだ。だから僕らは学び続け、「少しでも可能性があると思える方に向かって行動」し、一歩ずつ進んでゆこう。</div></div><br />
<br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">※いきなり本書を読むのは敷居が高いと感じる人は、そこまでのガイドブックとして<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480063870">『ウェブ時代をゆく』</a>と<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480064257">『私塾のすすめ』</a>の2冊を読むことをすすめたい。Amazonに注文しても明日まで待てない、という人はウェブブック<a href="http://www.mochioumeda.com/musings/">『生きるための水が湧くような思考』</a>を。</div><div></div><br />
</div></div></div>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-79530038939835328602010-08-13T02:47:00.002+09:002010-08-13T02:55:44.516+09:00学べ、学べ、ひたすら学べ。ブログを書いていないのは怠慢のせいだ。<br />
<br />
が、この数カ月はそれだけじゃなく、目の前により優先すべきことがあったのも事実だ。文章を書く作業は結構な時間と意識のリソースを消費するから、それなりの目的がないと続けるのは難しい。道塾の「塾報」で週1回、数百字の文章を書いているのを除けば、今年はほとんど文章らしい文章を書いていない。ひたすら文章を書いていた去年とは雲泥の差だ。<br />
<br />
振り返るとこの数カ月はインプットの時期だったのだと思う。数カ月前の自分の文章を読むだけでも過去の自分の浅はかさに愕然とする。道塾の塾生は素晴らしいスピードで成長していると思うけれど、正直言って僕もそれに負けないスピードで成長していると感じる。あと数カ月すれば27歳になる男がそこまで言える環境に身を置けている幸福に感謝せずにはいられない。<br />
<br />
つい数時間前、昨年の明治大学の学園祭実行委員長だったTから久しぶりに電話があった。携帯に「大阪浪人生」と表示され、あいつとは道塾を立ち上げる前からの付き合いだったのを思い出した。皆が羨む大手を二社蹴って、道塾より少し大きいくらいのベンチャーに行くという。既に内定先でバイトをはじめていて「僕は会社の営業記録を破ってみせますよ」と語っていた。<br />
<br />
素晴らしく成長したTに言うことはほとんどなかったけれど、ひとつだけ。本を読むことだけは忘れるなよ。社会に出れば、人から学ぶか、本から学ぶか。基本的にはこの二つしかない。どんな会社であれ、営業記録を破るなら毎日15時間くらい働くことになるだろう。そうなると付き合う人は限られてくるから、必然的に隙間時間に学べる読書が基本になる。<br />
<br />
こんなことは人に言われなくてもやるべきだ。少なくとも本気でこの世界で何事かを成し遂げようと願うのであれば、それくらいのことは当たり前に身に付けていなければ道は切り拓かれない。たとえばウチの教務統括は、そんなことを一言も言わずに、そんなそぶりも見せずに、ひたすら学び続けている。<br />
<br />
だが僕は一応「塾長」だし、性格的に説教を垂れても許されると思ってあえて言おう。学生という時間が残されているのなら最低でも毎日一冊の本を読むこと。そうやって学べ。学べ。ひたすら学べ。<br />
<br />
大切なのは自分の価値観を築きあげること。小手先の技術や仕事術なんかは、社会に出ればいくらでも身に付けられる。でも自分がどう生きたいのかという問いを、時間を気にせずに考えられるのは学生の時だけだ。そうやって学んだことこそが生きるための、あるいは生涯かけて学び続けるための、最も根源的なエネルギーになる。<br />
<br />
それだけの知性と自由と時間を与えられているのにもかかわらず、それをしないで生きるのは、誤解を恐れずに言えば犯罪的だとさえ僕は思う。「どんな本を読めばいいのですか」とよく聞かれるのだけれど、それは愚問だ。自分が読みたい本を読めばいい。自分の心の声をよく聞いて、ひたすら読み続けていけば読むべき本とは必ず出会える。人の価値観や評価に騙されないこと。僕も学生時代はそうやって遠回りをした(それもいい経験だったが)。<br />
<br />
「21世紀に学びを解き放ち、誰もが道を切り拓ける時代を創造する」<br />
<br />
今は道塾はお盆休みだけれど、このビジョンを実現する楽しみと比べたら休暇というのは退屈で仕方ない。今年受験の塾生はまさに今、山場を迎えているだろう。もし君が塾生ならば、この一瞬に頑張れるかどうかに君の未来がかかっていることをいつも思い起こそう。いつだって、人生はこの一瞬しかない。そこに全力を込めよう。振り返って後で後悔しないように生きよう。僕も事あるごとに自分に言い聞かせている。<br />
<br />
さて、道塾のお盆休みもあと数日。2010年度の後半戦に向けて今しばらく準備してくるよ。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com6tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-25748731758021279972010-06-20T15:44:00.002+09:002010-06-20T15:56:13.007+09:00DO IT! DO IT! GO AHEAD! 〜世界を変える男たち〜道塾スタッフの朴の紹介で、久しぶりにスピード全開で走っている青年に会った。税所篤快(さいしょあつよし)という早稲田大学を2年近く休学している彼は、若干21歳ながらバングラデシュの教育を本気で変えようとしている。<br />
<br />
ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス率いるグラミン銀行。その中で彼はドラゴン桜ならぬ「グラミン桜 E-Education」プロジェクトを立ち上げ、貧しさゆえに高い教育を受けられない農村部の若者に、インターネットを利用してトップレベルの教育を授けている。<br />
<br />
「マザーハウス」を通じてバングラデシュのことを聞きかじってはいたが、彼の話によって別の角度から実態を知ることができた。曰く、アジア最貧国であるバングラデシュは日本を超えるほどの学歴社会であり、にもかかわらず教育格差は日本以上に激しいということ。<br />
<br />
中学、高校の成績が一生ついてまわる。大学を受験できるかどうかすらその成績によって決まる。だがトップ校であるダッカ大学に入る若者のほぼ全員、一般の市民では到底払えない学費の必要な予備校に通うか、専属の家庭教師をつけて学ぶかしている。<br />
<br />
農村部の貧しい家庭に生まれた瞬間に高等教育への道は絶たれ、それは即ち人生でたどり着ける限界があることを意味する。そうした高い壁を、インターネットというテコを使ってぶち破ろうとしている彼のスピード感に、久しぶりに刺激を受けた。<br />
<br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">税所くんのブログ<a href="http://astu0301.blog13.fc2.com/">「Breaking the Wall」</a>の中で、ムハマド・ユヌスに「DO IT! DO IT! GO AHEAD!」と言われるくだりには、本気で世界を変えてきた男と出逢い、彼自身もまたその一人になっていく瞬間が立ち現れている。走り続ける彼の視界には、目の前のバングラデシュの教育という枠組みを超えて、その国全体や世界までが入っていることだろう。</div><br />
今を駆け抜けている若者は全身で充溢巻を表現している。僕もまだ26歳ではあるが、でも、もう26歳。あと数年で30代になり、おっさんの仲間入りだ。やばいやばい、負けていられないなと気合が入った。<br />
<br />
今週末の6月26日は道塾の新たな旅立ちの日になる予定。率直に言って、道塾にはまだまだ使われていない力があり、それを活かせば全然違うスピード感になると思っている。そして、この半年間でそれができるだけの力も蓄えてきた。<br />
<br />
ということで、そろそろギアを二段くらい上げる時期かなと考えています。<br />
<br />
世界を変えるために、<br />
<br />
ガンガンいこうぜ。<br />
<br />
*************<br />
<br />
全然違う話になるけれど、今日発売の<a href="http://wedge.ismedia.jp/category/wedge">『WEDGE』</a>に掲載されました。新幹線「のぞみ」のグリーン車にタダで置いてある雑誌とのこと。夜行バス常連の道塾にとっては残念ながら縁遠い雑誌だけれど、「にっぽんの100人の青年」というコーナーで、作家の林えり子さんが書いてくれています。素晴らしい記事にしていただいたので、興味のある方は駅売店のキオスクや書店で手にとってみてください。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-25418909756169344222010-04-14T23:43:00.000+09:002010-04-14T23:43:51.780+09:00青年よ、悩みを抱け。<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4003225465" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEizUf8LIHqCYb-6PcGqRBq7UbPH_i3UeqWMKaK-fTn2zNR9wrwx6EuOP7gpAA-UeAi1hvBcxOXRSlClOkU6L23_lDx7pAyuRlIZIqIsv1J6h80bv0ebiw6abOv3NtmNi-G81S-GMAiwTshn/s200/41AA707AW1L._SS500_.jpg" width="200" /></a></div>昨夜遅く、とあるスタッフと話していた。端的に言えば、彼は悩んでいた。人生で初めてぶつかる問題を前に、過去を振り返って自分の内を探しても答えは出てこない。それをよくある青春の悩みと一笑に付すこともできるけれど、一度きりの人生においては誰にとってもかけがえのない経験だ。<br />
<br />
僕にも悩んだ時期はあった。人にほとんど相談しなかったのは無駄なプライドが邪魔したせいだろう。その代わり読書を通じて乗り越えようと一人でもがいていた。そうして一時期のめり込んだのがビルドゥングス・ロマン(教養小説)だった。教養や教育と訳されるドイツ語のbildungだが、この場合は「自己形成」という方がしっくりくる。<br />
<br />
他者に誇示するための衒学的な「教養」ではなく、自分が生きるための血肉となる教養。そうした意味で「教養小説」と呼ばれる一群の物語を、ある時期の僕は強く求めた。その過程で出会ったのがサマセット・モーム<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4003225465/">『人間の絆』</a>であり、ロマン・ロラン<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4003255518/">『ジャン・クリストフ』</a>であり、あるいは五木寛之<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4061845950">『青春の門』</a>であった。自分の成長を彼らに仮託して貪り読んだ。<br />
<br />
本気で悩めることは幸福だ。日々の仕事をやっていくの中で、あの頃のように自分のことで思い悩むことは少なくなった。いつの頃からか、悩みを自分固有のものとして引き受けつつも、それを客観的に眺めて解決するスキルを身につけた。それは物事を手早く処理するために必要な能力だった。ただ、それが良いことなのかは未だ分からない。<br />
<br />
そうした今の自分と比べると、彼が真摯に悩む姿が羨ましく思えた。青年よ、悩みを抱け。そうして抱えた苦悩のサイズだけ、君という人間の器と可能性を拡げていく。悩め。悩め。もっと悩め。悩み抜いたその末にこそ、進むべき道を発見できるから。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEijVIMD6jQkfEIBoJ8W21OUYp5EsVjzbLjkhvJuCoVhAKLie_9CLYiesm_WqAaooY4SKGSnxDmXcNEukhk8DGl4Ml_wSqG4of1bDPoT80VM1sKFvviWb9Qk36L_VYduxlAPWpxrXMOwBAT0/s1600/dhitsujigaoka_8.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="382" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEijVIMD6jQkfEIBoJ8W21OUYp5EsVjzbLjkhvJuCoVhAKLie_9CLYiesm_WqAaooY4SKGSnxDmXcNEukhk8DGl4Ml_wSqG4of1bDPoT80VM1sKFvviWb9Qk36L_VYduxlAPWpxrXMOwBAT0/s400/dhitsujigaoka_8.jpg" width="400" /></a></div><br />
<blockquote>「青年よ、悩みを抱け。それは金銭に対してではなく、自己の利益に対してでもなくまた世人が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。人間が人間として当然身につけるべきすべてのものを身につけることに対して、青年よ、悩みを抱け。」<br />
<div style="text-align: right;">クラーク先生をもじって。</div></blockquote>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com3tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-2048705440118371102010-04-13T23:52:00.001+09:002010-04-13T23:53:39.978+09:00仲間が増えていく 左手は添えるだけ。自分には「仲間」がいない。そう自覚したのはいつのことだったろう。高校生の頃に何度となく読み返したスラムダンクのせいかもしれない。あるいは「竜馬がゆく」だったか。いずれにせよ、高校を辞めた頃の僕は、「自分は間違っていない」と思いながら、同年代の友人たちに対するコンプレックスと戦っていた。<br />
<br />
大学生活では無意識のうちに「仲間」を強く求めていた。入ったサークルの先輩たちに憧れ、彼らのような関係性を築こうと努めた。それはたやすく手に入るものではなかったが、大学の5年目を終えた頃にはこれ以上の大学生活はなかっただろうと言えるくらい、素晴らしい仲間に恵まれた日々を送ることができた。<br />
<br />
そして今。「第二幕」がはじまって2年以上が経ち、僕は道塾ではたらく仲間と共に日々を過ごしている。当たり前すぎて忘れてしまうこともあるが、ふとした時に「仲間」と言える人間と共に仕事をできることの幸せに気がつく。<br />
<br />
仲間は友達と違う。本気でビジネスをやっていればぶつかることもある。不完全な人間が集う組織においては当たり前のことだ。でも目指した場所が正しいことを信じ、そのために全力を尽くす過程でぶつかることは、互いのことを知る過程に過ぎない。<br />
<br />
人は、相手を信じたい。ぶつかるのは相手を信じるに足る理由を探しているからだ。ぶつかり合いの末に相手を信じると覚悟できた時、僕らは「仲間」という領域に踏み出せるのだと思う。<br />
<br />
僕の人生のバイブル、スラムダンク。その最後の巻まで、桜木花道と流川楓は仲間ではなかった。でも、最後の最後で信じてパスをする。「左手は添えるだけ」。魂を込めたボールを、信じて相手に渡せること。そんな関係性を作っていきたい。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-46609937938522645492010-04-12T09:36:00.000+09:002010-04-12T09:36:41.734+09:00新しいシェアハウス 「まれびとハウス」<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjO69TBHg1WOhg1F7xX1yGUuEvVjF7bLz4XuTFDUaWYO5eBDSaY7_aVT5P2HsUXxUKc8zrsWp8SV4rjwvdkvvZWDiTPJJRVkfTlU6WTEKUxRfAD5Kw4GxTc6LjmrznRz1gqvRQTG4we_FOz/s1600/%E5%86%99%E7%9C%9F+(9).jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjO69TBHg1WOhg1F7xX1yGUuEvVjF7bLz4XuTFDUaWYO5eBDSaY7_aVT5P2HsUXxUKc8zrsWp8SV4rjwvdkvvZWDiTPJJRVkfTlU6WTEKUxRfAD5Kw4GxTc6LjmrznRz1gqvRQTG4we_FOz/s200/%E5%86%99%E7%9C%9F+(9).jpg" width="150" /></a></div>道塾PRスタッフの小野が新たに住み始めた<a href="http://www.mare-bito.net/blog/">まれびとハウス</a>での集い。東京の夜景が見える素晴らしく眺めの良い部屋で、昼から仕込んでいたという料理が振る舞われ、楽しい時間を過ごす。隣の部屋には別の団体がいて、真っ暗闇の中で目隠しをするワークショップのようなものをやっていた。<br />
<br />
約3年前、道塾を立ち上げるのとほぼ同時にシェアハウスを借り、仲間を募ったのを思い出す。早稲田から徒歩1分、築40年のオンボロマンションの3,4階を6人で借りきり、僕は12畳の部屋に2人で住んでいた。家賃は光熱費をあわせて2万5千円。道塾はその部屋で生まれ育った。<br />
<br />
当時、家賃を削らなければ生きていけないという金銭的な事情もあったが、「『日常レベルの誠実さ』を他者と共に暮らす中で身につける」という(いま思い返すと随分崇高な)目的もあった。それは未だ達成できていないけれど、あの家で暮らした2年間は、一人暮らしでは決して味わうことのない学びを多くできた。なにより、楽しかった。<br />
<br />
若いうちは家賃をはじめとする固定費をできるだけ減らし、その分を自分が学びたいことに費やすのがいいと思う。それは僕にとって酒であり、本であった。ボロい家に住み、時には飯も食えないような状況でも、飲み語り合う相手はいて、読むべき書はいつもあった。<br />
<br />
シェアハウスでは「学び」が自然発生的に起こる。共に住む人間との摩擦は生じるけれど、その摩擦自体を楽しめる心さえ持てば最高の環境だ。「まれびとハウス」は家も設備もリッチなので家賃が削られるわけではないが、その分だけ「学びの場」としての環境に優れている。この家が一つのモデルとなり、シェアハウスがどんどん増えれば面白い。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg6UjbN46TjW6KQaL0ashBPCw-R-NdzqeoJms-ryqQGwQetjPrIHFl3mFhCvlWun421WiJJtahH4CkZK-bXTwrtdBXcV1tNKPqpX3ZwMqoBfejSRj8kGx0l2dL9j2CTpnTsUB_3gfLRVrfE/s1600/%E5%86%99%E7%9C%9F+(10).jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg6UjbN46TjW6KQaL0ashBPCw-R-NdzqeoJms-ryqQGwQetjPrIHFl3mFhCvlWun421WiJJtahH4CkZK-bXTwrtdBXcV1tNKPqpX3ZwMqoBfejSRj8kGx0l2dL9j2CTpnTsUB_3gfLRVrfE/s320/%E5%86%99%E7%9C%9F+(10).jpg" width="320" /></a></div>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-77965830936499216392010-04-11T15:59:00.001+09:002010-04-11T15:59:46.675+09:00錐のように貫き通す「変さ」いいな、と思う人を思い浮かべる。なぜ僕がそう感じるのだろう。突き詰めていくと、その答えの一つにその人が持つ「変さ」があるように思う。世間の常識に縛られないこと。それを超えて、己の哲学を貫き通す姿。<br />
<br />
変人であること。その先で突き抜けること。若い人が僕の肩書きだけ見れば「変わった人」と思うのかもしれないが、自分はいつも「まとも」だと思ってきた。まとも過ぎる。まだまだ「変さ」が足りない。もっと変であることを突き詰めたい。<br />
<br />
たとえば、僕がよく引き合いに出す梅田望夫。原点に当たれないので不確かな記憶だが、一見まともに思えるこの人は、自分が希望して入った会社の入社式や新人研修をすべて欠席したはず。それが正しいかどうかはともかく、そうした「貫き通す姿勢」があるからこそ今の彼があるのだろう。<br />
<br />
日々は川の流れの中にいるようなものだと思う。様々なものと摩擦を起こす中で、自分の角はなくなり、すべすべした石になっていく。でも、川の流れに自覚的であることで、ある一点を尖らせることもできる。<br />
<br />
分かりやすく「変」である必要はない。でも、ある一点において自分の流儀を貫き通せる強さを持ちたい。錐のように尖り、どんな硬いものでも突き刺せる「変さ」を持つこと。それは僕にとって何なのか。まだまだ模索する日々。<br />
<br />
<br />
最近見つけた、変な人を起点にして社会運動が起こる動画。変さのフォロワーの偉大さ。<br />
<object height="385" width="640"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/qdwO1l5nKyg&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/qdwO1l5nKyg&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="640" height="385"></embed></object>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-71631278901085371562010-04-10T10:51:00.001+09:002010-04-10T10:52:16.134+09:00生き延びた奇人と出逢う<blockquote>「子どもの頃から、周囲と同じではなかった。みんなが夢中になる話題と合わせてはいたが、本当に愛するものは別のところにあった。意識の中で感じられる質感「クオリア」の問題に目覚め、取り組みはじめてからは、脳科学の通常の研究スタイルとからさえ距離を置かざるを得なかった。」<br />
<div style="text-align: right;">(茂木健一郎『文明の星時間』p237)</div></blockquote><br />
茂木健一郎というとモジャモジャ頭で「クオリア」とか「アハ体験!」と叫び、よく分からないけど頭が良いらしい「変なおっさん」というのが一般的なイメージだろう。4億円の税をうっかり申告漏れするところも「変さ」を際だたせる。<br />
<br />
<div>最近、久しぶりに彼の著書をいくつか続けて読んだ。それで感じたのは、多くの本を出しテレビにも頻繁に出演している割に、彼の真意は伝わるべき人に伝わっていないのではないかということ。「脳」に興味を持つ4,50の主婦層がコアなファンらしいが、彼女たちに占有させておくのはもったいない。</div><br />
<div>茂木健一郎は多くの人が想像するような「奇人」で正しいのだろう。だが、この国では奇人でありながら生き延びるのはかなり難しい。奇人であることに悩み続け、その葛藤を学び続けることで克服した男。僕らはそうしたロールモデルを必要しているのではないか。<br />
<br />
</div><div><blockquote>「はたして、私たち日本人の生き方は普遍性を持ちうるのか。日本の中に、価値あふれるなにかはあるのだろうか。そんなことをずっと考えながら生きてきた。本書で展開してきた議論は、日本を疑い、それでも日本人であることを離れられない私という人間の「魂の探究(ソウルサーチング)」を背景にしている。私は、なんとか日本の中に未来への希望の「種火」を見つけたいといつも思ってきたのである。」<br />
<div style="text-align: right;">(同『ひらめきの導火線』p153)</div></blockquote></div><div><br />
種火はここにある。でも、まだほとんどの人に気付かれていない。放っておけば自然と消えてしまう「種火」。僕はそれをどこから見ても一目で分かるような「燃え盛る炎」にしたい。それがあれば、そこにいる人すべてが暖かくなるような炎を起こしたい。そのために、僕らは薪をくべ続ける。</div>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-85737637827345705742010-04-09T07:10:00.004+09:002010-04-09T09:07:11.061+09:00世界を変えたい若者をまた一人見つけた<blockquote>過去に自分が歩んできた道のりの中でたまたま学ぶチャンスのなかった知識の欠如によって未来の可能性が縛られるのはたまらないと思う気持ちが強い起業家は、独学によって自ら道を切り開いていく。起業家精神と独学は不可分なものなのである。<br />
<div style="text-align: right;">梅田望夫<a href="http://www.mochioumeda.com/archive/sankei/021023.html">「起業家精神こそ経済再生の決め手」</a></div></blockquote>「世界を変えたい」と語る塾生と話をした。でも、どうやって変えればいいのか分からない。「レールを走る過程で多くの人の目が死んでいくけれども、ほんとうに自分はこのまま大学受験を目指していいのか」。<br />
<br />
問いかける彼の切実さに、どれだけの人が向き合えるだろうか。「とりあえず大学に行ってから考えよう」などという生ぬるい答えを、彼は決して許容しないだろう。<br />
<br />
僕が彼に答える資格があるかは分からない。そう思いながら僕が答えたのは「学ぶことによって「自分の世界は広がる」ということ。まだ君は風呂場の手桶のような、あるいは浴槽くらいのサイズで思考している。<br />
<br />
世界は海のように広い。解決すべき問題は山のようにあり、世界は君の意欲と知性を必要としている。まずは世界を知ること。その上で、自分がどの切り口から世界を変えられるのかを求めればいい。そのために必要なのは、学ぶこと。<br />
<br />
いろいろ問題はあるにせよ、日本の受験システムは、世界を知るための第一歩としてはかなり優れた仕組みだと僕は思う。問題なのは、ただ暗記することだけに終始して、その先の世界を指し示してくれる人がいないことだ。<br />
<br />
「世界を変えたい」と語る貴重な若者の志を、曲げず、すり減らさず、育てていくこと。いま求められているのは、そうした教育なのではないか。いたずらに大人が考える枠の中に押し込めようとするのではなく、一人ひとりが自然と持つ意欲を伸ばしていきたい。<br />
<br />
学ぶことで自らを成長させ、新たな地平を開拓していく。結果として自分だけでなく、社会や世界がよりよくなることへ貢献する。そうした「学び続ける意志」を持ち、世界を変えていくロールモデルが必要なのだと思う。目指すべき方向を場所を指さし、道を切り開く姿を見せる人がいれば彼の志は失われずに済むのだと思う。<br />
<br />
甚だ僭越なのを承知で言えば、僕はそうありたい。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-9230373980514132442010-04-08T10:10:00.000+09:002010-04-08T10:10:58.776+09:00「パソコン」の変化ここ数日、メインのパソコンがやたらとフリーズするようになってしまったのでOSから再インストールした。一昔前はアプリケーションやら各種データや設定やらのバックアップに膨大な手間をかけていたが、今回はローカルのフォルダ一つをUSBに保存しておくだけで済んだ。<div><div><br />
</div><div>まっさらなWindows7に入れ直したソフトウェアはChrome、Firefox、オフィス、ATOK、iTunes、ノートン、Evernoteの7つだけ。アドオンや設定を自分用にチューンナップする時間を含めても、すべての作業が2時間足らずで終わり快適なパソコン環境を取り戻すことができた。「クラウド化」によってデータはネット上の「あちら側」に格納され、アプリケーションは主としてローカルとの同期のために使う。僕は既にそんな環境でパソコンを使っている。</div><div><br />
</div><div>今回インストールし直したのは7つだったが、やがてこれが5つになり、3つになり、そして1つになる時がいずれやってくるのだろう。端末は複雑さを減らし、シンプルになることで多くの人がストレスなく使えるようになっていく。これは素晴らしいことだ。</div><div><br />
</div><div>先日iPadの実物を見る機会があったが、その見やすさ、持ちやすさ、軽快さを感じ、これでようやく僕の母や祖父といった「マウス+キーボード」に不慣れな人でもウェブにアクセスできる時代がやってきたと確信した。iPadに関しては色々と言われているが、いずれにせよ今月末の発売が待ち遠しい。</div><div><br />
</div><div>僕がはじめてパソコンに触れた中学生の頃、この四角い箱はもっと大きく、それでいて複雑怪奇なものだった。その仕組みを理解し、紐解いていくこと自体が楽しみだった。もはやその時代は終わりつつあるのだろう。</div><div><br />
</div><div>最近は「パソコン」という言葉すら古くさく感じる。コンピューターは繋がり合い、共有され、Personalなものとは言い難くなった。それは旧時代の感覚を残す僕にとって少し切ないことでもあるのだけれど、この素晴らしい時代の変化を愛し、追い続けていきたいと思う。</div></div>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-71532317641518778682010-04-07T09:48:00.000+09:002010-04-07T09:48:09.103+09:00ブリンカーを外す<div>小学校5年生くらいの頃、とある競走馬育成のゲームに熱中していた。そのゲーム内には「ブリンカー」という馬の視野を狭めて前だけを見えるようにするアイテムがあった。気性の荒い馬をレースに集中させるための人工的な矯正器具だった。</div><div><br />
</div><div>ゴールを目指し、速く走る。そうした日常生活の中で、ふとスピードを緩めて落ち着いてみると、気付かぬうちに「ブリンカー」に覆われている自分がいることに気がつく。視野を狭めることで目指すべきゴールに近づこうとしているが、自分が見るべき景色、拾うべき大切なものを取りこぼしているような哀しさを感じる。</div><div><br />
</div><div>大学時代は酒を飲むことに明け暮れていたが、そうした日々の中でも本を読み、人と語ることによって自分の世界を広げ、感性を磨くことだけは大切に守ってきたのだと思う。若すぎるゆえの誤解だとしても、人類や宇宙のレベルで思考すると同時に、目の前のささやかなものを大切にしようという意志があった。</div><div><br />
</div><div>日常から離れた場所に身を置いてみると「ブリンカー」をつけて走っている自分の異様さに気がつかされる。たしかに黒いマスクを頭からすっぽりと被って、勝つことだけを目的化した馬を見ていて格好いいと思ったことはなかった。競走馬は、確かに勝つために存在する。でも、その世界観を押し広げて行くと、一位になれない馬はすべて屠殺場行きになる。</div><div><br />
</div><div>草を食み、野山を駆ける中で自分らしい生き方を見つける。それぞれの道で自由に個性を発揮し、違ったペースで走る。そうした生き方を忘れずにいたい。大学受験においても、社会人になってからも、確かにレースは存在する。でも僕らはレースで勝つためだけに存在するわけではない。<br />
<br />
古い友人と電話で話す中で、ブリンカーの中から見ていた世界がひどく醜いものに思えてきた穏やかな春の夜の話。</div>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-34953300145603362362010-04-06T09:40:00.004+09:002010-04-06T12:30:42.657+09:00超・日本的経営組織というのは見た目よりよほど複雑なもので、道塾くらいの小さな集団であっても一人のスーパースターによっては成り立たない。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツがどんな天才だと言われようと、日々の事業運営においては複数の人が協力して物事を進めているのだと僕は思っている。<br />
<br />
彼の国においてはスーパーマン的な一人の天才が好まれる(らしい)のに対して、僕らが子どもの頃から好んで見てきたのは5人組の戦隊モノであり、やがてはスラムダンクやワン・ピースのように一人ひとりの個性を最大化させて戦う物語だった。<br />
<br />
そこでは設定上の主人公はいるにせよ、一人の突出した才能ではなく個性の絡み合いによって話が進む。中学・高校と部活にも属さず「組織」というものが大嫌いだと公言していた僕は、一方で「仲間」という人間関係への憧れを心の内に秘めていた。<br />
<br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">翻って、今。外から見ると道塾は僕が引っ張っているように見えるかもしれない。でも、内側で働いている人は知っての通り、この組織の経営は絶妙なバランスの上に成り立っている。それは僕やジョン、みっちゃんに加えて、今年の1月にメンバー入りした庄司によって基本的な形が整ったと思う。</div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"><br />
</div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"></div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">ベンチャーは概して天才的創業者のような人間が持て囃される。だが、まだ未経験で未成熟な僕にそんな力はない。けれども、この4人を一人のスーパースターとして捉えれば「天才的経営者」と呼んでもいいのかもしれない。少なくとも、いつかその日はやってくるだろうと僕は信じている。</div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"><br />
</div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">もちろんその4人だけで成り立つはずもなく、詩音、シオメ、大谷さんの3人をはじめ、道塾ではたらくスタッフは、旅立っていった卒業者たちも含めて、誰一人として欠けていたら今のようになってはいない。その上で、皆が「4人からなるスーパースター」を信じて物語を進めていければ、きっと新しい経営の在り方が生まれるのではないかと思う。</div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"><br />
</div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">そうした意味で僕がモデルとしているのはH2Oと呼ばれたスターバックスの経営陣。ハワード・シュルツ、ハワード・ビーハー、オーリン・スミスの3人(頭文字を取ってH2O=コーヒーに欠かせない「水」)が協力し、全従業員を大切にしながら、彼らの信頼を受けて事業を展開する在り方に心惹かれる。いわゆる「日本的経営」とも「アメリカ型経営」とも違った<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4822241130">新しい組織成長の物語</a>。</div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;"><br />
</div><div style="margin-bottom: 0px; margin-left: 0px; margin-right: 0px; margin-top: 0px;">経営の在り方なんて、そんな簡単に答えは出ない。でも道塾が一人ひとりの個性を最大限発揮し、スターバックスのような素晴らしい組織に成長していけるよう、僕は僕なりに全力を尽くしていきたい。</div>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-87125195703386855922010-04-05T09:56:00.001+09:002010-04-06T10:19:59.073+09:00奇跡的な出逢い<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh0ZS5PpF2UOI0108LeXzd8-KPU3Ug12nCSrT0CCOh0h_o1RDH25-GNI5payy_CCENaM5MR1oUiSa_HYD7AEHuKHOAVp8qX8vmvIsyRFOolqzL-0lsDEYhKc9O0ByK5AO2CfUvyX1I37ckW/s1600/%E5%86%99%E7%9C%9F+(8).jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh0ZS5PpF2UOI0108LeXzd8-KPU3Ug12nCSrT0CCOh0h_o1RDH25-GNI5payy_CCENaM5MR1oUiSa_HYD7AEHuKHOAVp8qX8vmvIsyRFOolqzL-0lsDEYhKc9O0ByK5AO2CfUvyX1I37ckW/s200/%E5%86%99%E7%9C%9F+(8).jpg" width="150" /></a></div>道塾で使う教材を調べるため池袋のジュンク堂書店へ向かう。「どうやったら最短で合格できるか」を考えるのは精巧なパズルを解くようなものだ。そんなパズルを解いていると気付かぬ間に熱中し、あっという間に日が暮れた。<br />
<br />
昼過ぎ頃から受験生と思しき人が増えてくる。手にとっては、棚に返す。それを繰り返す若者たち。その眼差しは真剣だ。彼らの視界の内には僕の本もある。そんな時、一人ひとりに声をかけてあげたいと思う。「その本を手に取って読んでみるといいよ!」。<br />
<br />
大切なのは、出逢うべきものに出逢えるかどうか。振り返れば僕にとっても決定的な出逢いが幾つも積み重なり、今ここにいる。「それ」との出会いがなければ、今の自分はなかった。なぜ僕が「それ」をたぐり寄せられたのか。誰もができているわけではないだろう。自分の奇跡に感謝する他ない。<br />
<br />
ネットが広がり個人の可能性は大きくなったかのように見える。だが、数万冊はあるであろうジュンク堂の参考書コーナーの中で感じたのは、自分の可能性をたぐり寄せることの難しさ。でも、希望がないわけじゃない。<br />
<br />
ジュンク堂の参考書コーナーという世界に限れば、僕は彼らよりも多くを知っている。その場所から見ると、彼らの生きる視界の中には必ず「それ」がある。「それ」は彼らが手を伸ばすのを待っているかのように見える。大切なのは、無数にある候補の中から「それ」と出逢うことができるかどうか。<br />
<br />
「それ」は押しつけられてもいけない。でも、偶然に任せているだけでは十分でない。その微妙なバランスを探りながら、彼らが出逢うべき何かに出逢える社会を作っていくこと。受験参考書だけではない。それはジュンク堂の参考書コーナーで解くよりも格段に複雑なパズルだが、それになら人生を賭けられるかもしれないと思った。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-6599690784509316832010-04-04T08:09:00.000+09:002010-04-04T08:09:33.709+09:00もののあはれ<div class="mobile-photo"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgZl23MXuloQA5DMOuHz-g8jvpNkj3WogOrnw5ph1YHR5mqsf0r5mc1TLK9AozXfki1A7gr9CCMyVXxcYRuxinbeEqY3CUyJ0BABSUGFWUiDRYToO16MDQryu-D0w-4cBrkJ_huEwJIbOEp/s1600/%E5%86%99%E7%9C%9F+(6).jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgZl23MXuloQA5DMOuHz-g8jvpNkj3WogOrnw5ph1YHR5mqsf0r5mc1TLK9AozXfki1A7gr9CCMyVXxcYRuxinbeEqY3CUyJ0BABSUGFWUiDRYToO16MDQryu-D0w-4cBrkJ_huEwJIbOEp/s200/%E5%86%99%E7%9C%9F+(6).jpg" width="150" /></a></div>千鳥ヶ淵には大学に入学してから毎年のように行っている。平日に行くことが多かったが、今年は母の誕生日にあわせて土曜に行ったため、天気の良さとも相まって経験したことのない人出。ほんとうに日本人は桜を好きなんだなぁと実感する。</div><br />
毎年この時期に誕生日を迎える母曰く「すぐ散るから日本人は桜を好きなのよ」。本居宣長が明らかにした「もののあはれ」の精神がそこには脈打っているのだろう。長い冬を経てた春の素晴らしさを感じようと皆が押しかける。そこにもまた「もののあはれ」を感じる。<br />
<br />
なんて書いているうちに「もののあはれ」を追求したくなってグーグルで検索すると色々なことが分かる。たとえば「春はただ花のひとへにさくばかり物のあはれは秋ぞまされる」(拾遺集)。なるほど、そういう捉え方もあるのか。<br />
<br />
最近よく花について書いている。はじめは「可能態」としての受験生を表現するために使っていたが、次第に人生そのものを肯定する概念として僕の中に根を下ろしつつある。そんなことを思いながら桜の下で出会った一節。<br />
<br />
「一般に、生物界におけるシグナルの強度は、そこに濃縮されたエネルギーに比例する。花は、植物が次世代を残すために全勢力を結集して咲かせるものである。そこには、生けるものの精励があり、もう戻ることのできない時間の流れがある。」(茂木健一郎「文明の星時間」p102)<br />
<br />
目に見えるものはほんのわずかで、だからこそ儚く、尊い。日々の仕事は地味だからこそこの言葉に胸を打たれる。冬の時代を経て、やがて春が来る。どんな花が咲くかはその間にどれだけ「全勢力を結集」したかにかかっている。その日のために、今日も生きよう。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-48099094906615662572010-04-03T10:45:00.003+09:002010-04-03T10:47:28.367+09:00冬の時代を経て<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgNjOJwBk61xQK1tVCNGjgISPA53s_KgIUqOCgVQk2bdX5Wof3xnV0DfJ-IBKqPz7eIJ9FAILmL8ZAYH-sxjjvQxjBOVt7BfXFouGxP69kDcaaUUbxzhdeQ6H1GXPSmJg0ak59ZlGXxMUmu/s1600/%E5%86%99%E7%9C%9F+(3).jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="150" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgNjOJwBk61xQK1tVCNGjgISPA53s_KgIUqOCgVQk2bdX5Wof3xnV0DfJ-IBKqPz7eIJ9FAILmL8ZAYH-sxjjvQxjBOVt7BfXFouGxP69kDcaaUUbxzhdeQ6H1GXPSmJg0ak59ZlGXxMUmu/s200/%E5%86%99%E7%9C%9F+(3).jpg" width="200" /></a></div>約1ヶ月前の「ゆうどきネットワーク」放映の慰労会。いちばん右が元塾生の金安。道塾を立ち上げる前に一度会っていたから、もうかれこれ3年以上経つ。一人でやっていた頃は今と比べればシステムや指導法はひどいものだったけれど、その分だけ塾生一人ひとりと時間を取って関われていた。だから、当時の塾生のことはよく覚えている。金安はほんとうに変化し、成長した。人がこれほど変われるんだなということを目の当たりにする。<br />
<br />
「金安はほんとうに変わったよなぁ。自分ではどう思う?」<br />
「変わったと思います。かなり」<br />
「当時の写真は危険すぎて放送で使えなかったもんなぁ。それと比べたら今は・・・」<br />
「楽しいですね。あの頃には戻りたくない」<br />
<br />
過去を茶化して話せるほどに成長した。その後、真ん中の③さんが言う。<br />
<br />
「でも、この先はもっと辛いことがたくさんあるよ」<br />
<br />
たぶんそうなのだろう。でも、この先どれだけ辛いことがあっても、笑い飛ばして歩いてほしい。金安は既にその第一歩を踏み出していると思う。「あの頃には戻りたくない」とまで言える成長の軌跡を思い描いて、この先どうやって道を切り拓いていくかを考えればいい。その時に、道塾で学んだことは必ず力になるはずだ。<br />
<br />
<blockquote><b>「すべての学びは必ず役に立つ。学んでいることに意味がないように思えても、それは必ずどこかで繋がるんだ。学ぶことで世界を知り、それによって自分にふさわしい生き方を見つけることができる。あまりに複雑になったこの世界において、必死に学ぶことなく自分が真にやりたいと思えることを見つけることなんてできるわけがない。<br />
<br />
(中略)<br />
<br />
学ぶことで、どんな場所にいても人生を切り拓くことができる。そして君たちが学ばない限りこの国はどんどん暗くなる。逆に君たち一人ひとりが学ぶことで、この国は次第に明るくなっていく。一度きりしかない人生が、暗いよりは明るい方が楽しいと思う。道塾で学んだ塾生が学び続ける意志を持ち、日本に希望の火が灯されてほしいと思う。一人ひとりが世界を明るくすることに貢献するようになれば、世界はもっと面白くなっていくと思う。」<br />
</b><br />
<div style="text-align: right;"><b>2009年度最後の「塾報」より</b></div></blockquote><br />
変化には必ず痛みが伴う。春を迎えるためには木枯らしが必要なように。だからこそ変化をも楽しめる心を持っていたい。冬の時代を経験した人間だからこそ、季節の移り変わりを愛でる強さを持てるはず。<br />
<br />
金安にも、スタッフにも、そして今の塾生にも、皆にそうであってほしい。ちなみに金安の指導を最後に担当していたのは僕ではなく小竹。(ジョンと三井を除くと)いちばん最初の指導スタッフである小竹はこの4月で指導をはじめてから3年目を迎えた。スタッフもまた、塾生の成長に歩みを合わせるかのようだ。振り返れば1年前、2年前の自分がこうなっていると誰が想像できただろう。<br />
<br />
それは何より僕自身に言える。学び、変化し続けていくこと。それによって自分の可能性を花開かせること。それを身をもって示していきたい。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjwZGV1YcxmOxmXXySnFZoad0xVo6_vu_DEme8CGZGDUKB_K5XwLfN21MBfsF-cAFsmb8JE_yfL1lKKlayg12Ii3f5cINbrXZ8hp-NhOHnNv-hcH6cA-lSblQRaiRud_W3eSDLoGW3nduRJ/s1600/%E5%86%99%E7%9C%9F+(4).jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjwZGV1YcxmOxmXXySnFZoad0xVo6_vu_DEme8CGZGDUKB_K5XwLfN21MBfsF-cAFsmb8JE_yfL1lKKlayg12Ii3f5cINbrXZ8hp-NhOHnNv-hcH6cA-lSblQRaiRud_W3eSDLoGW3nduRJ/s320/%E5%86%99%E7%9C%9F+(4).jpg" width="320" /></a></div>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-54434508893853052452010-04-02T09:59:00.002+09:002010-04-02T14:38:13.089+09:00花は咲き続ける<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiJNSEK5qUJfrgDACx08q3OnAb-muoaW84iPVEIt7XKZVqCYRZg7sdw8w1on4TPzagFbDpsREKt9aL2b55UQ-cdWGEZf_VvHaB148Oa8f6AhJ3heKNOZv0C2NXHHfweD6Ukbd9CcJklfUwB/s1600/%E5%86%99%E7%9C%9F.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiJNSEK5qUJfrgDACx08q3OnAb-muoaW84iPVEIt7XKZVqCYRZg7sdw8w1on4TPzagFbDpsREKt9aL2b55UQ-cdWGEZf_VvHaB148Oa8f6AhJ3heKNOZv0C2NXHHfweD6Ukbd9CcJklfUwB/s200/%E5%86%99%E7%9C%9F.jpg" width="150" /></a></div>3月31日。3年前の道塾が立ち上がった日、偶然にもちょうど当時の僕と同じ歳にして京都へ挑戦しに行ったシオメこと熊谷一誠。元々フルタイムで働いてはいたけれど、この日をもって道塾初の新卒採用の「入社式」が行われ、7人目の社員が生まれた。彼の「挑戦する意志」と「誠実な精神」こそが「ミスター道塾」であり、彼ならば切り拓いてくれると僕は信じている。<br />
<br />
<blockquote><b>1年間道塾をやってきて、思うことがあります。それは「自分の可能性を守れる人間こそが、他人の可能性を守れる」ということです。(中略)。だから僕は、中学と、京都と、道塾の新たな可能性を追求することで、自分の可能性、道塾の可能性を守ります。道塾の全スタッフに、その先に在る全ての塾生に、可能性を追求することがどういうことなのか、僕は身をもって示したいと思っています。だからこそ僕は、京都へ行くのです。</b><br />
<a href="http://d.hatena.ne.jp/issey-kumagai/">さようなら、東京!(道塾・中学部統括 熊谷一誠のブログ)</a></blockquote><br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhxtdNceRidqbj3u7iQBBI4dRDzFXTFFZHeghD6DgEcvp0iu0wM3yzUpztbvOcmQlxPYI65_6fJ7Z9RoXP_bVQ9HPSTHowcjwr4GRd5bSzp5Jumd1qiMa4Oeb484Qhn6iZkiWSzxqpOWX8d/s1600/%E5%86%99%E7%9C%9F+(1).jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="150" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhxtdNceRidqbj3u7iQBBI4dRDzFXTFFZHeghD6DgEcvp0iu0wM3yzUpztbvOcmQlxPYI65_6fJ7Z9RoXP_bVQ9HPSTHowcjwr4GRd5bSzp5Jumd1qiMa4Oeb484Qhn6iZkiWSzxqpOWX8d/s200/%E5%86%99%E7%9C%9F+(1).jpg" width="200" /></a></div>そして4月1日で入社丸1年を迎えた教務統括のシオン。もうこの人については言うことはないでしょう。試行錯誤の一年を経て、次の1年で共に突っ走れることが楽しみでならない。<br />
<br />
<blockquote><b>別に世界を変えようとかそういう大それたことは僕は全く考えていない。</b><br />
<b>そもそも興味がまるでない。</b><br />
<b>そして、世界を変えるのは僕でなくたっていい。</b><br />
<b>その世界を変える人間を育てるのが、僕なんだ。</b><br />
<a href="http://ameblo.jp/shion-ohga">ダメ男のエッセンス</a></blockquote><br />
<a href="http://blog.livedoor.jp/shojiyuichi/archives/1126986.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter">庄司も書いていた</a>けれど、あらためて道塾が奇跡の上に成り立っていることに感謝せざるを得ない。同時に、道塾から旅だった「有志」たちの活躍を願う。新天地に旅立ったヤツもいれば、日本の将来を左右する場へ赴いたヤツもいる。その一人ひとりがどんな花を咲かせるのか、今からわくわくする。<br />
<br />
<blockquote><b>道塾の裏を流れる神田川の桜は五分咲きくらいで、じき満開になる。</b><br />
<b>その花が一晩のうちに散るように、大学合格という喜びもまた一瞬で消える。</b><br />
<b>でも、花が咲くという事実を知っていれば、それは新しい一年の始まりだと分かる。</b><br />
<b>それどころか、夏も、秋も、木枯らし吹き荒れる冬も、季節の移り変わりを楽しめるようになる。</b><br />
<br />
<b>祝賀会へ来た一人ひとりに伝えたかったこと。</b><br />
<b>花は咲く。</b><br />
<b>そう信じ続ける力を身につけること。</b><br />
<b>大学受験は、そのための修行期間に過ぎない。</b><br />
<br />
<b>花が咲けば、実がつき、やがて種がこぼれ落ちる。</b><br />
<b>季節は巡り、その種が後にまた新たな花を咲かせることになる。</b><br />
<b>その時にこそ、自分自身がどんな可能性を秘めていたかに気がつくことができる。</b><br />
<a href="http://blog.dojuku.com/archives/554">「花は咲く」 祝賀会を終えて(道塾スタッフブログ</a>)</blockquote><br />
道塾は、この奇跡のメンツなら楽勝だと、旅だった「有志」も含めて一人ひとりが信じられてる。そのこと自体がいちばんの奇跡なのだと思う。今年も気持ちのよい春がやってきて、新しい1年がはじまる。さぁ、どんどん咲かせていこう。<br />
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<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhkVBlMNFE2V_yET1ioHW1ndR2zRyMEyxyq85n8lkdY4X3NgAiH8oAmj2a_rO8XkTXz-OWaqTjzNBhzM9QZ75Mq4_ZYSZgUU27ZylIi4HDJl2KUTpGGPbGhRPx6Rbm2DmYWiht1ONuutU_S/s1600/%E5%86%99%E7%9C%9F+(2).jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhkVBlMNFE2V_yET1ioHW1ndR2zRyMEyxyq85n8lkdY4X3NgAiH8oAmj2a_rO8XkTXz-OWaqTjzNBhzM9QZ75Mq4_ZYSZgUU27ZylIi4HDJl2KUTpGGPbGhRPx6Rbm2DmYWiht1ONuutU_S/s400/%E5%86%99%E7%9C%9F+(2).jpg" width="300" /></a></div>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6408496118445626238.post-38387464367305785082010-03-25T23:03:00.001+09:002010-03-25T23:04:13.161+09:00大学卒業<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjTuANyVeVSXr33q9TNoaOpZKUBa5d6Jon83IzR9IKRWVNh3I6QvUAZi4OzMXMI-BUwtrVixmxYJ5IhF6k57aKW-B6ssIn9BZv3xPs1ZItSioRz_Q0O0WJBYQA__lyrSBjpZdc9PRY4ZThP/s1600/IMG_2518%5B1%5D.JPG" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjTuANyVeVSXr33q9TNoaOpZKUBa5d6Jon83IzR9IKRWVNh3I6QvUAZi4OzMXMI-BUwtrVixmxYJ5IhF6k57aKW-B6ssIn9BZv3xPs1ZItSioRz_Q0O0WJBYQA__lyrSBjpZdc9PRY4ZThP/s320/IMG_2518%5B1%5D.JPG" width="240" /></a><span class="Apple-style-span" style="font-family: Verdana; font-size: 13px;"></span><br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;">僕は大学に合格した7年前から「いつか中退しよう」と思っていた。「中学中退、高校中退、大学中退」。こんな響きはなかなか世にないし、「中退一流、留年二流、卒業三流」と呼ばれる早稲田ではいっそう魅力的に思えた。道塾が軌道に乗りはじめた大学6年末には「もういいだろう」と思って中退届けをもらいに行った。</div><br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;">ハンコも押して「さぁ、これから中退届けを出しに行こう」という時に、既に有名企業で働いていて、大学時代にいちばん深い付き合いだった男が僕に言った。「お前が大学を中退するなら、俺はもう二度とお前と一緒に何かをすることはないと思う。残念だけれど、大切な人の気持ちさえ想像できない人間を俺は信じることはできない」。</div><br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;">「中学中退、高校中退、大学中退」という肩書きは捨てがたかった。でも、それ以上に僕には魅力的な生き方を思い描いていた。それはこれまでに出逢い、これから出逢うであろう仲間たちと、どんな映画より面白い人生を生きること。僕の中退を6年にわたって諫め続けたその男は、僕が人生ではじめて出逢った心からの「仲間」と呼べるヤツだった。</div><br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;">仕方ない。</div><br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;">諦めて僕は単位を取りに行き、1年かけて今日、卒業してきた。</div><br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;">卒業してしまった僕は「中退一流」に数え入れられないのはもちろんのこと、もうスティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、マイケル・デルといった「生きる伝説」を自分に重ねて考えることはできなくなった。彼らは大学中退者だった。経営の神様と呼ばれる松下幸之助に至っては小学校中退のまま自分の道を切り拓いた。僕は彼らの生き方に憧れていた。</div><br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;">「大学卒業」という肩書きに意味がないように、「大学中退」という肩書きにも意味はない。それは分かっていたけれど、なかなか断ち切れぬ思いだった。だが14年にわたって僕の卒業を願い続けた母親にもらったばかりの卒業証書を「息子さんの卒業祝い」としてプレゼントした後、オフィスへの帰り道に感じたのは意外にも「清々しさ」だった。</div><br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;">卒業とか、中退とか、そうした(あまりに贅沢な)悩みから僕は自由になった。無意味なこだわりを捨てたことで、シンプルに未来のことだけを思い描けるようになった。同時に、それよりもっと大きなものを僕は手に入れた。そのひとつは、先に出てきた男、庄司裕一。僕と話を交わした頃には「組む」と言っても早くて十年後くらいだろうと互いに思っていた。だが時代の巡り合わせか、その時からわずか10ヶ月足らずで道塾にやってきた。</div><br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;">第一希望のリクルートに入社し、誰よりも会社を愛していた庄司。道塾に転職する際もほとんどの同僚に止められたと聞く。でも自分の人生と、道塾の未来と、なにより日本の将来のために敢えて危険な道を庄司は選んだ。何かを得るためには何かを失わなければならないとはよく言ったものだが、充実した職場と輝く未来を捨てた庄司は、道塾という危険な道に踏み入ったことで新たな何かを手にしているのだと僕は信じている。</div><br />
庄司の選択が正しいものと言えるようになれば、日本の社会ももう少し明るくなるように思う。今年大学に入学した子たちが就職する頃にはそれを証明していたい。そのために大学中退という肩書きを失った僕は、庄司と、そしてその後に得た「仲間」たちと共に、この道塾に文字通り「すべて」を賭けていくよ。<br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiYhgWdaiOJwKMiq97xVWoR9pA2Qtof1NkJ8cEORZACxEc-iv1BWDvnme9r7y9b50AQZ9ebPwS63twtlFRySxxeVBqrGZv0RhUZ_o1FAZrwGTOEKR3xbj1CBwpz2wBBDN5AJ9ayuqYYZZ06/s1600/IMG_2515%5B1%5D.JPG" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiYhgWdaiOJwKMiq97xVWoR9pA2Qtof1NkJ8cEORZACxEc-iv1BWDvnme9r7y9b50AQZ9ebPwS63twtlFRySxxeVBqrGZv0RhUZ_o1FAZrwGTOEKR3xbj1CBwpz2wBBDN5AJ9ayuqYYZZ06/s320/IMG_2515%5B1%5D.JPG" width="240" /></a></div><br />
<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;"><br />
ということで、中退はなくなりました。期待してた皆さん、ごめんなさい。笑 これからは学生ではなく、道塾の経営者ならびに塾長としてやっていくことになります。あらためて、よろしくお願いします。</div><br />
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<div style="margin-bottom: 0px; margin-top: 0px;">最後に、お礼を。僕に「卒業しろ」と言い続けた母、祖父、庄司、それから僕の単位取得のために協力してくれた無数のひとたち。この卒業は、すべてあなたたちのおかげです。大学には7年間も通ったけれど、出席日数は普通の1年分にも満たないはず。でも、普通の人が10年通っても得られないものを、僕は大学で得ることができたと思います。ここで得たことを、最大限誰かに返せるように僕は生きていきたいと思います。どうもありがとう!</div>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/09039195623493303480noreply@blogger.com5