2010年9月22日

『ウェブで学ぶ』から学んだ「無限の可能性」

この本は、残念ながら日本の教育界には大きなインパクトを及ぼさないだろう。理由はシンプルで、著者二人の「見晴らし」が、日本で教育に携わるほとんどの人と次元が違いすぎるからだ。どれほど噛み砕いて語っても伝わらないほどに。

でも、だからこそ敢えてこのブログに書きたい。僕ほどこの本を必要としていた人間は少ないだろうし、僕や道塾に関わったり、その活動に興味を持つ人であれば本書の価値を理解できると思うからだ。

この本は「オープンエデュケーション」という概念を中心に、インターネットとIT技術を通じた「千年に一度」の世界的な教育革命について語られている。(梅田氏の)結論は、日本人にとってのオープンエデュケーションは「日本から世界に出ていくために活用できるとてつもなく素晴らしい道具だ、ピリオド」であり、だから優秀な日本の若者は、(留学して)「英語で学ぶ」ために、(日本では)この道具を使って「英語を学べ」ということになる。

現在の僕の仕事は「日本の教育システムの中で受験を目指す人」に対して、ネットを使って「勉強法とモチベーション」の両面から支援する私塾の経営だ。その立場にいながら大きな声で言うのは憚られるが、この結論は、その機会と能力と意欲があるのなら、ほぼ「100%正しい」と思う。

9年前。僕はおそらく、日本ではじめて海外留学のためにウェブを有効活用することができた世代だった。当時としては最も良質だった「北米留学上級技術マニュアル」というウェブサイトを中心に、集められるすべての留学に関する情報を集めた。その上で「僕がアメリカの一流校に入るのは無理そうだ」と判断した。

今は異なる道もあるのかもしれないが、最悪の成績で高校を中退した17歳の若者は、必死に英語を勉強しながら、少なくとも2年か3年、地道で単調で下らない「全科目でAという成績を取るゲーム」に命を削る覚悟で参加しないと、アメリカの一流校には入れない(編入できない)らしいというのが情報を集めた結論だった。

当時は高校を中退して「人から遅れている」という意識もあって生き急いでいた。そんな僕に「少なくとも2,3年」というのは長過ぎる時間だった。そもそも、僕はそんなに長く一つのことを継続して努力できる人間でもなかった。だから一年以内で次のステップへ進める日本の大学を選択した(この「少なくとも2,3年」の道を選んで生き残った猛者が僕の友人に一人いるが本当にタフだと思う)。

大学に入ってからも「留学」は時々考えたが、様々な事情が重なりあってその機会に巡り合うことはなかった。そうやって今に至るわけだが、振り返れば悪くない、おそらくは最良の結果につながる選択をしたと思う。今こうしている以上の人生が僕にあり得たとは想像しがたい。

それでも、それは選ぶべき道を「類稀なる幸運」によって選ぶことができたからに過ぎない。大学4年の末まで小説家を目指すという無謀な道を歩んでいた僕が、こうして飯を食べ、ブログを書けていることは僥倖以外の何者でもない。

それに僕は未だ「何とか生き延びている」だけで、一寸先は闇という状態だ。だから留学という選択肢が十分に残っているのなら「迷うことなく留学する、というのを最優先事項に置く(p239)」ことへ強く賛同する。「様々な事情が重なりあった」とはいえ、「英語」と「留学費用」という条件をクリアしていれば、おそらくその事情を乗り越えてでも僕は海を渡ったと思うから。

だが、いくら梅田氏が「留学すべきだ」と言っても、結果としては僕と同じように何らかの理由によって日本の大学を受験することになる若者の方が圧倒的に多いだろう。

彼ら彼女らに伝えたいのは、留学を目指すのなら、大学に入ったらすぐにあらゆる手段を使って実現するために行動すること。入学した途端、目の眩むような楽しい雰囲気に心を奪われて学びへの意欲を失う大学生が多いが、何も考えてないと(普通は)すぐ3年の夏になって就職活動の波に飲まれること、そして本気で留学しようと思えば手段はいくらでもあることを忘れてはいけない。そのような形で「英語で学ぶ」ことを志すとき、この本は勇気をくれるだろう。

だが、それでも。

最終的にはやはり僕のように日本に残り続ける若者の方がずっと大いに違いない。そういう結論に達した人に僕が勧めたいのは、①「学び続けながら『チャレンジ』する」という生き方だ。②「潰れない大組織を選んで逃げきる」という方法もあるけれど、そもそも日本という船自体が沈みかねない状況でその選択はあまりにリスキーだ(リスクということに関していえば、どちらの選択もリスクではあるが、リスクを負わないのが一番リスクだ。どちらも選ばないのは最悪だ)。

「見晴らしのいい場所」や「新しい職業」を探し求め、世の中の多くの人がまだ気づいていない知識や経験を学ぶ。その経験を元に「自分がやらない限り世に起こらないことをやる」ために一歩踏み出して「チャレンジ」する。そして「チャレンジ」した「けもの道」で、成功を目指して学び続けながら頑張る。その結果が成功であれ失敗であれ、そこでの成果を元に次の「見晴らしの良い場所」や「新しい職業」を探し求め……

「正しい時に正しい場所にいる」ために、こうした「学びとチャレンジのサイクル」を繰り返すことがこの国で何事かを成し遂げる秘訣だと思う。その際に重要なのは、ただチャレンジするためにチャレンジする無謀さではなく、「学ぶためにチャレンジする」という姿勢だ。それは即ち「学びのための環境」としての「場の選択」が非常に重要であることを意味する。

日本というローカルな世界に生きるということは、それだけでグローバルな世界で生きる人間に遅れをとっていることだ。危機感を抱き、執拗なまでに「場の選択」にこだわり、そして一度選んだら学ぶために全力を尽くさなければ、一瞬で世界中に散らばっている「先を行く人々」に突き放されてしまう。

だからこそ、もし日本で生きていくことを決めたのなら、激しく「チャレンジ」する道が最もリスクが少ないと思う。ぬるま湯のような組織に浸かっていたら、(それが大学であれ、会社であれ、それ以外の組織であれ)5年もすれば社会における価値は極端に下がってしまうだろう。30にもなって取り立ててスキルも経験もないような人間を、世界の誰が欲しがるのだろう?

以上の僕の考えをまとめると、21世紀の「知識資本主義社会」で日本人が生き残るためには「英語で学ぶ」ために早期の留学をすることが間違いなく良いと思う。だが、理由はどうあれ、そうでない道を歩むのであれば、「英語で学ぶ」人に負けない「学びのための環境」を選びぬき、そこに全てを賭けて勝負すべきだということだ。

そして、その勝負に勝つことができさえすれば、「ローカルな世界」における「学び」をテコに、さらなる「学び」を求めてより大きな「チャレンジ」をすることができる。そうした道には「先進国でありながらローカル」だからこそのチャンスが存在するように僕は思う。

たとえば、一人の若者が梅田氏の言う「グローバルウェブ」を志向する際にも、覚悟と努力と戦略性があれば、日本という「ローカルウェブ」の中でできる限りのことをやり、そこで徹底的に学んだ上で「グローバルウェブ」を目指す「別ルート」が存在する。

日本人が一般に「オープンエデュケーション」の恩恵に預かるのは、たとえあってもしばらく先の話だ。そして、その波が来るまでのんびり待っている余裕もない。であるならば、日本という「ローカルウェブ」を通じて教育に携わる僕のような者の道は一つ。

目下の問題と格闘しながらも、自分がより良い学びをできる環境を追求すると同時に、日本という国の強みを活かして、この国を「オープンエデュケーション」を創造する側に回らせることだ。

「21世紀に学びを解き放ち、誰もが道を切り拓ける時代を創造する」という僕らの理念を達成するために、これ以上の道が他に考えられるだろうか?

まさに理念そのもののフロンティアが存在し、そこに分け入ることが不可能ではない場所にいるという意味で、17歳の頃にアメリカに飛べずに、のたうち回りながら日本で23歳の時に教育ベンチャーを立ち上げることになったのは、それがたとえ遠回りであっても僕にとっては最良の道だったのではないかと、それが本書を読んで思ったことだった。

同時に、ここから(「次の10年」や「その次の10年」の長期的スパンの話で)どう切り拓いていけばいいのかのヒントも学ばせてもらった。「ウェブ進化論」からはじまった梅田氏との(一方的な)対話がここまで達した奇跡と、そのきっかけを作ってくれた飯吉氏に深く感謝したい。

読み終えて印象的だったのは梅田氏の立ち位置の変化だった。「日本語が亡びるとき」という本が流行る前後からそうだったが、今回は決定的だった。非常に用心深く語ってはいるけれど、以前は日本をより良くできることに期待を抱いていた氏が「日本で学べることは少なく、未来はかなり苦しいよ」というメッセージを積極的に発しているように感じられた。

それはそれで「10代20代の若者へ向けた真摯なメッセージ」だと思う。でも、僕は違った角度からメッセージを送りたかった。なぜなら、僕がそうだったように、すべての若者が今すぐ留学できるわけではないから。その道を歩んでいる者として、これまでも僕なりの考えを示してきたし、これからも記し続けていきたい。

どうすれば日本が「オープンエデュケーション」を主導するような側に回ることができるのか。あるいは、先進国において「オープンエデュケーション」の効果を高めるために何が必要なのか。そういった国に移行することが、果たして今の教育界において本当に可能なのか。

これは日本の教育問題の根本とも通じるものだと思うが、一言でまとめれば、アメリカの『フロンティア精神』と対置されるべき「日本人の根底にあるメンタリティーの復興」に答えがあると思っている。それができれば、まだまだチャンスはある。こうした「ローカルな可能性」を支えるモチベーションについては、そう遠くないうちにまとめて世に問いたいと考えているので、お楽しみに。

最後に。

本書で飯吉氏が繰り返されている通り「教育とは無限の可能性を信じること」に間違いない。これを絶対に忘れてはいけない。この言葉を、信念と共に語れる人間を、この国に一人ずつ増やしてみせる。

「「未来は予測不可能」という前提に立って、一人ひとりが、少しでも可能性があると思える方に向かって行動し、試行錯誤を繰り返していくしかないのだと思います。そしてそのプロセスにおいていちばん大切なことが、「学ぶ」ことでしょう。ある時点でもう「学ぶ」ことはおしまいと考えてしまうと、自らの可能性空間をぐっと狭めてしまうことになります。」(P261)

本当にその通りだ。だから僕らは学び続け、「少しでも可能性があると思える方に向かって行動」し、一歩ずつ進んでゆこう。


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