2008年2月26日

創業一年目を振り返って

 3日前の文学部の試験をもって、本年度の塾の仕事が一区切りついた。後は結果を祈るばかりだ。

 ビジネスの言葉で言えば、本年度は創業一年目にあたる。試験というものは結果でしか判断されない勝負だが、とにかく、最後まで無事に続けることができてよかった。二年目に向けて動き出している今、この仕事は世の中に必要とされている、続けていく価値がある、続けていきたい、素直にそう思えたことが今年一年間のいちばんの収穫だと思う。自分がまっとうな「ビジネス」をできるなんて思ってもいなかったから。

 この一年間、様々な人に助けられてここまでこれた。

 まず平山ビル住人の協力がなければ不可能だった。メガピの仲間たちも僕の仕事にあわせて会議等をスケジューリングしてくれた。それから母が起業を認めてくれなければ大変だったろうし(認めてもらわずともやるけれど、それは面倒なことが多い)、自分の受験は一度失敗したにも関わらず応援してくれた妹にも助けられた。そして塾生たち。彼らの頑張っている姿が、元来怠け癖のある僕の背中をまっすぐに伸ばしてくれていたと思う。支えてくれたみんなに感謝したい。

 塾生たちが受験中ということもあって、これまで塾の経過について書くことはしてこなかった。今日は終えた直後の感想を交えながら、今年度をざっと振り返ってみたい。

 塾の内容についてはホームページを参考にしてもらうとして、ここに書いていないことは、まずこの塾は僕が「個人事業主」となり正式な「事業」として経営しているという点。去年の3月の話だ。まぁハンコをいくつかもらうだけなのではあるけれど、僕がふつうの就職をせず事業家として一歩を踏み出したという点で、僕の人生における決定的な出来事だった。

 一年間の総塾生数は28名。上は25歳までいるが、うち2名が16歳だから受験生は26名だった。この中で受験レベルまでたどり着けたのは半数程度。現実的には厳しい数字だ。

 僕の塾にはエリートはほとんどいない。エリートは僕の塾にいかずとも、授業や地元の予備校で十分だからだ。だから必然的にいわゆる「落ちこぼれ」的な塾生が大半を占めることになる。

 一口に落ちこぼれといっても様々だ。高校を中退していたり(中学にも通ってないことすらある)、あるいは行っていても勉強を一切しないような高校だったり(そしてさらにその中でもケツの方だったりするんだこれが・・・)。

 そんな彼らが目安となる「毎日8時間」の勉強を維持するのは簡単ではない。だから、どうしても続けられないことがある。精神的にナイーブになっている塾生の中には受験を諦めてしまう者もいた。それが受験レベルまでたどりつけなかった半数だ。

 僕の力が及ばずに、辛い、残念な結果となった受験生がいた。だがその一方で、残りの半数においてはよかった点もあった。

 ひとつは、塾生の多くが驚異的な速さで伸びていったこと。

 机に向かうことすらできなかった塾生たちが、教えていくうちにぐんぐん伸びて、他の受験生をあっと言う間に抜き去っていくのを感じられるのは、とても楽しかった。

 継続すること。目指した目標を、最後まで諦めないこと。そうした「克己心」を持っている塾生は確実に伸びていった。まだ結果は出ていないが、数名は当初の予定通り偏差値30台から半年足らずで合格点を取れるレベルにまで至った。それこそ非進学校ですら「ケツ」だった彼らが、自ら不思議がるほど伸びたという実績は、これから塾をやっていく上でのベースになるだろう。

 もうひとつは、毎週の電話相談を年間通して一度も欠かさなかったこと。

 彼らの人生のいくらかを僕は背負ってる。だから塾を開くにあたり、今年一年は一日たりとも休むまい、と誓いを立てた。その結果、お盆も、旅行中も、クリスマスも、正月も、必ず対応した。メガピ中は疲れて電話どころじゃない日もあったが、それでも何とかやった。夢に向かってひた走る彼らと語り合うことが、僕の中に充実感のようなものを生みだしたのだと思う。「途中で投げ出さないか」といういちばん恐れていたことを乗り越えたことは自信になった。

 そして、なにより、たくさんの感謝の言葉をもらえたことだ。

 メールや電話で言ってくれた奴もいるし、それを言うためにわざわざ会いに来てくれた奴もたくさんいた。まだ結果が出てもいないのに、とかえって僕が不安になるくらい。もはや毎年恒例という感じではあるが、ありがたいことだ。この単純な喜びが、来年も頑張ろう、というエネルギーへと変わる。

 願わくば彼らの夢が叶ってほしいが、受験というシビアな競争はその全てを満たしてくれるわけではない。それでも、僕が彼らにとって何らかの力となったと感じてもらえるなら、それが唯一の救いだと思う。僕にとっても、彼らにとっても。

 一年間の反省点は、当初やりたいと思っていたことすべてができなかった、という点。

 去年は平山ビル、道塾、WIF、Unchuという六本木でのクラブイベント出演、そしてMEGA PEACEとフルスピードで走り続けてきた。ただ正直ずっとキャパ超えをしていたために、道塾や「早稲田への道」では電話相談以外で練っていたアイデアが実行できなかった。時間があればもっとサポートすることができた、と悔やまれる部分もある。

 反省点を踏まえて、創業二年目へ突入することになる。

 今年も早稲田で色々とやるだろうが、生活の軸は塾にしていくつもりだ。今年度は塾に充てられる時間がかなり限られていた。来年度は週に最低5日はフルタイムで関われる体制を敷いた。塾のシステムを一気に整備できるだろう。一年間に積んだ経験で道塾をより拡充させつつ、誰もが読める「早稲田への道」も新たに書きたいと思っている。

 まぁでも、先のことは追々書くことにして。とにかく、今年一年間を無事に終えられてよかった。

 受験生はお疲れさま。

 そしてあらためて、塾を応援してくれていたみんな、ありがとう。


 最後に報告。すこし触れてきたけれど、2月1日に事務所を構えました。場所は都電の早稲田駅から30秒くらい(平山ビルのすぐ近く)。ワインを溜め込んであるので、よかったら遊びにきてください。


 【フォト】 我が家の裏手、目白台の森のいちばん下、新江戸川公園にて。胸突坂なんて名がつくほどの傾斜をもつこの辺りの森は、夏目漱石の『それから』にも出てきてた。身近なところに、いい場所がたくさんある。最近よくここで滝の音を聞きながらビールを飲みます。そういえば春一番が吹いたみたいで。昨日は新歓期みたいな空で心が弾んだ。春は、いい。暖かくなって、幸せだなぁ。。。
2008年2月20日

酒へ込める想い

 ふと思いついたので、ひどく酔いながら僕の酒へ込める想いを書いてみたい。酔いながら書いたblogといえば梅田望夫のすこし前のエントリーを思い出す。普段は冷静に情熱を吐き出す人が、こうやって素で語る場面ほど熱いことってない。こんな風に書ければいいのだけれど、僕は元から冷静じゃないからそれは難しいかもしれないな。

 はじめて美味い酒と出会ったのはOutsider7.7というバーだった。馬場の駅から3分くらいで、HUBの裏手にある。いま振り返ってみれば学生向けにそこそこの酒を安く出すバーだと言えるけれど、当時はバーという雰囲気が好きで週に7日くらい通ったものだった。そして、ここで酒の味を覚えた。5時に入店して閉店までいることもザラだった。8時頃に店を出てやすべえで大盛りを食べて即吐いてそのまま店に戻ったり。。。小村さん元気ですか。その頃はここの第二テーブルで告白するのが僕の常だった。いい時代だった。もうなんだか懐かしいな。

 さて、僕が好きな酒について語ろう。

 ビール。これは言うまでもないけれど、僕はビールが好きだ。いつから好きになったか。たぶん大学1年の後半に前述したバーに通いだしてしばらく経ってからだ。それまでは好きじゃなかった。

 ビールが嫌いな後輩たちに伝えたい。ビールは苦いんだ。僕はよくカンパリの苦さを恋の苦さと言うけれど(死んだほうがいい)、ビールの苦さはもう少し緩い。たぶんマラソンをしている時の辛さに近いと思う(同居人の聖二は東京マラソンを5時間弱で完走した)。完走した後の清々しさ。それに近いものがビールには込められている。

 いいかな。ビールが美味い時はいつだってその前に「何か」が起こってる。あんな苦い飲み物、少なくとものみはじめのうちは美味く感じるわけはない。でも、そこに「何か」が起こったから、美味く感じるんだ。それは大学の合格かもしれないし、はじめての彼女かもしれないし、あるいは単位が取れたことかもしれないし、イベントの成功かもしれない。

 でもとにかく、ビールの苦さには常にその前の「何か」がつまってる。人とのドラマ=ストーリーがそこにはある。ストーリーを重ねれば重ねるほど、ビールは美味くなっていく。

 僕は夏には沖縄のOrionかフィリピンのサンミゲールかオランダのHainekenを好んで飲む。冬になるとチェコのピルスナー・ウルケルやプレミアムモルツを好んで飲むようになる。バドワイザーは発泡酒みたいで好きじゃない。ここには、やはり僕なりの思い出がつまってるんだと感じる。来年は韓国のノイ・ベルトを追加した方がいいかもしれない。それが平山ビルのメインビールだ。

 でもビールより好きな酒が実はある。ワインだ。750mlをあけるのが億劫だから最近は控えているけれど(今は飲んでる)、本来的には美味い赤ワインより好きな酒はない。フランスの特級なら何だっていい。白ワインならドイツの甘いのが最高だ。どちらにするか迷ったら安くて美味いイタリア産のを選ぶことになる。もちろんチリのだってオーストラリアのだってカリフォルニアのだってスペインのだって長野産だって、どれも美味い。あぁブルーチーズに蜂蜜をかけて食べたくなってきた。これは安くて手軽で美味い。濃い赤にも、甘い白にも、そしてスパークリングにもあう最高のつまみだ。

 ワインとビール以外によく飲んだものといえばシングル・モルトがある。ウイスキーはバーボンよりスコッチの方が好きなんだ。ハーパー・ダブル・ロックみたいな頼み方はかっこいいけれど、酔いやすい僕はそんな頼み方はできない。ラフロイグ、ボウモア、カリア、ラガヴーリン・・・。村上春樹の「もし僕らの言葉がウイスキーだったなら」に魅せられてアイラ島のをよく飲んだものだ。それから売り上げトップのフィディックも忘れられない。もちろんシングルじゃなくたっていい。安くて美味いカティー・サークなんて家に置いとくのには最高だ。

 後はカクテル。とにかくマティーニだ。特にドライ・マティーニ。石原慎太郎がある小説で書いていた「マティーニは男の酒だ。たとえ1杯で酔う男がいて、3杯で酔わぬ女がいたとしても(言葉はちょっと曖昧だ)」という名言から、ジンとオリーブが元々好きだったのもあって、いつしか僕の定番になった。もちろんジンはタンカレーがいい。前述したOutsider7.7のマスターにはよく「ばばちゃんほどマティーニが似合わないのもいないよね」と言われながら飲み続けたのを思い出す。

 そのマスターとも5年近い付き合いになる。最近行くと閉店の時間を過ぎても相手をしてくれて、ふだんは僕が飲まないようなちょっと高い酒を飲ませてくれたりする。バランタインのシリーズを同時にすべて飲ませてくれたこと、そこから僕の第二のウイスキー人生がはじまったと思う。振り返るとこんな生活を送るなんて、大学受験をした頃にはとうてい考えられなかったな。今日はうちの政経学部の受験日だ。ここのところ塾生たちと毎日会っている。彼らの頑張りを見ると、僕も心が引き締まる。。。

 でも酒の話を続けよう。もう僕が語るべきことも残り少なくなってきたことだし。

 その後に続くものにはあまりこだわりはない。あえて言えば日本酒、ブランデー、ラム、焼酎あたりになるのかな。日本酒の味比べはできない。せいぜい甘い辛いが分かるくらいだ。ブランデーは親戚がもらうお歳暮なんかをもらって来て飲むうちに(誰も飲まない)、次第に好きになった。たしかに食後に落ち着いて飲むブランデーは最高だ。

 ラムはフィリピンで買ってきたのが思い出深い。80度の750mlくらいのが、現地では100円くらいでたくさん買えた。そしてこれがとんでもなく美味かった。旧Bar馬場ではよく飲まれていた酒のひとつだと思う。たぶんこの頃に国沢に沖縄のグラスをもらったんだなぁ。そのグラスでよく飲んだのを覚えている。これ、平山で失われたと思っていたら4階の奥から出てきた。ほんとによかった。

 そして焼酎。

 僕の親父が日本の焼酎4大名産地の壱岐という島で生まれたということもあり、決して嫌いじゃない。あまり知られていないが壱岐は麦焼酎湯発祥の地だ。亡き父の影響でか僕の母は毎日のようにキッチンでタバコを吸いながら麦焼酎のお湯割りを飲んでいる(親譲りだ)。

 なにか書き忘れた酒がある気がするけれど、まぁいいことにしよう。書いている間に、結局ワインをさらに一本あけてしまった。至福。もうビールか何かを飲んで寝ることにしよう。最後まで読んでくれてありがとう。次にあなたと飲める日に、乾杯。


 【フォト】RIEDELのワイングラス。僕がいちばんお世話になった先輩の結婚式でもらったカタログ式の引き出物で注文したものだ。つい先日届いた。塾を拡大させていって、いつかテレビ局で活躍している先輩を招けるくらいの場所にしたい。このグラスで乾杯するのが、僕がいま抱いている夢のひとつだ。
2008年2月19日

ささいな、しかし誠実な行動 - 「信頼の連鎖」(2)

「信頼の連鎖」構造 序章

 上のエントリーで「信頼の連鎖」構造はあらゆる人間関係に応用が効くと書いた。「人のつながり」によって成り立ったメガピを何とか無事に終えることができたのも、この信頼の連鎖が起こっていたからだと思う。

 この構造が生まれるまでには3つのステップがある。それは順に、1個人的な信頼を積み重ねる、2信頼を周囲と結びつけながら構造化させる、3構造化された信頼をより広い他者へと伝えていく、という流れだ。

 今日は1の「個人的な信頼を積み重ねる」という場面だけを書いてみる。

 「信頼の連鎖」はごく何でもない個人レベルの信頼から起こる。そして個人レベルの信頼は、日々のささいな行動の積み重ねの結果、生まれるものだ。だから信頼を生むためにはできるだけ他者に誠実である方がいい。

 たとえば遅刻を繰り返したり、メールや電話をなかなか返さなかったり、人の名前を忘れたり、そうした事柄はそのまま信頼を減らすことへつながる(ぜんぶ僕のことだ)。小さなことに思えるけれど、大きな誠実さは、常にささいな行動から生まれてくる。

 日常的に誠実でない人が「やる時はやる」という考えを持っていることがある。僕が昔そうだった。やる時はやるんだから小さなことで文句言うな、と。でもこれは信頼という点で「やる時もやる」人に決して及ばない。そして組織や集団において大きな「やる時」が訪れるのは信頼を積み上げた人だ。

 僕は他者の「肩書き」を大切にする。誰かを紹介する時は意図的に口にするようにもしている。それは偉そうに感じる肩書きそれ自体に価値をおいているのではなくて(大学生活での肩書きなんてたいした価値はない)、その肩書きに多くの人の信頼が込められていると思っているからだ。

 肩書きを持つ人がまぶしく見えるのは、そこに象徴された信頼がその人を輝かせるのだと思う。それはその人のささいな、しかし誠実な行動の積み重ねの結果生まれた信頼だ。そこには小さな、でもたくさんの素敵な物語がひそんでいる。だから、尊いんだ。

 ささいな、しかし誠実な行動。それが一度失われるとなかなか取り戻せない「信頼」を積み重ねるための地道な道のりだ。とはいえ人間の時間と精神力には限りがあって「誠実」という道を完璧に歩むことは難しい。しかしだからこそ、できるだけ誠実であろうとする姿が信頼の源泉となるのだと思う。

 それが「個人的な信頼を積み重ねる」ことの根本であり、そうして信頼を蓄積してはじめて2の「信頼を周囲と結びつけながら構造化させる」ことができると思う。(つづく)

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 知っている人は気がついたと思うけれど、この「個人レベルでの信頼の形成」は原さんに教わったことがベースにある。原さんの用語で言えば「特定個人固有信用=Idiosyncrasy Credit」とか「信頼残高=Emotional Bank Account(Covey『7つの習慣』にも載ってる)」といったものだ。

 気がつかなかった人へ。今年61歳になる原さんとは早稲田祭2005において「早稲田で一番面白い授業」に選ばれた「自己表現論」で出会い、そこからの縁でメガピの立ち上げから当日に至るまで力を貸していただいた。「誠実」を語るのはたやすいが、実行するのは難しい。原さんには(僕のように)言葉じゃなくて、行動で示すことの重みを学ばせてもらってる。

 僕は今年も授業にもぐるので(水3、7-205)よかったら受けましょう。授業の後は午後3時のビールが待ってるよ。


【フォト】 昨夜の平山ビル。珍しく住人6人が全員集合。昨日は13時からQUNEでハイネケンを飲み、18時から事務所で杏露酒を飲み、21時からうるとらで生ビールを飲み、23時から平山でプレミアムを飲み(大志&コテツ祝勝会)、そして26時から事務所でワインを飲む。ジョンに言われるまでもなく、酒びたりの1日だった。。。
2008年2月18日

「信頼の連鎖」構造 序章

ようやく「考え」はじめた。

 2007年は「考えるよりまず行動しよう」という覚悟で走り続けた。それには考えてばかりで行動が伴わず、「地に足がついていない」と言われ続けた過去がベースになっているのだと思う。僕は地に足をつけるための行動を「ふたつのP」、すなわち「Player」と「Performer」になることとして定義することからはじめた。

 最後まで走り抜けた結果、僕は後者のP=Performerには向いていないということが明らかになるのだけれど(てっちゃんをはじめ、僕より得意なやつがたくさんいる)、前者のP、Playerとして物事に主体的に関わっていく楽しさを感じることができた。

 翻って2008年。今年はそうしたPにこだわるよりもむしろ、自分の思考を重ねていきたいと思っている。本来的な性質ではない「P」を、楽しくはあったがやり過ぎて疲れてしまったからだ。日記的なblogと訣別して、なんだか重苦しいこのblogを書き連ねているのもそのためだ。ちなみに最近の僕は毎日ひきこもって本を読み、文を書き、そして酒を飲んでいる(こう書くと今までと大して変わらないが・・・・・・)。

 多くはまだ言葉にできていない僕の思考において、既に明らかになっている今年の主題がふたつある。ひとつは「幸福は自由意志から生まれ、不幸は決定論(自由意志の否定)によってて避けられる」というもので、もうひとつは「信頼の連鎖」構造と呼んでいるものだ。

 前者は久しぶりに哲学書を紐解いて西田幾多郎と格闘しはじめることで端緒を切った。現代思想から遡ってスピノザにたどり着き、そこから逆噴射して現代思想へと戻りつつある僕の世界観は、日本の哲学者たちと、2年前にかじったドゥルーズと、今年はじめて出会うベルクソンとによって深まっていくだろう。

 ただこれを書くにはまだ時間がかかりそうだから、しばらくは考えがまとまりつつある「信頼の連鎖」構造について語ってみたい。取り立てて目新しい概念ではないかもしれないが、僕の経験から自然と発せられた大切にしたい言葉だ。

 何でもいいから卒論を書けといわれたら、僕はたぶんこれについて書くだろう。この考え方はメガピの最中に育まれたもので、あらゆる人間関係、サークルの運営はもちろん、ビジネスや就職活動といったものにまで応用が効くと思っている。

 こういうことを考え続け、書き続け、そしてしばらく後にまたどこかの舞台で活かせたらいいなと思う日々です。(続く)


 フォト:買い物に行く途中、神田川沿いの桜の芽が出てました(拡大するとすこし見える)。まだ二月半ばを過ぎたばかりだというのに、昼間はずいぶん暖かい。この後、たらこスパゲッティと肉野菜炒めを食べながらコテツ君とプレミアムモルツで乾杯して昼寝。至福。
2008年2月12日

利害関係のない人間関係

 というタイトルの文章が、2年前、大学のサークル(政友会)の卒業文集に載った。書いたのは僕がもっとも世話になった先輩の一人だった。読みながらそれまでのことを思い出して胸が熱くなり、涙があふれてきたのを覚えている。それ以来、僕はその文章を何十回となく読み返しながら「利害関係のない人間関係」を大切にしようと思ってきた。

 しかし自分で事業を起こして金を稼ぐ段になると、それだけを言ってもいられない。利益を出さなきゃならないし、人を雇ったら給料を払わなきゃならない。そうして生まれる人とのつながりって「利害関係のある人間関係」以外の何物でもない。周りの人をビジネスに巻き込もうとしている今、築いてきた「利害関係のない人間関係」が崩れそうに思えた。

 でも、いや違う、と僕は考え直した。

 そんなことはない。働きながら輝いている奴はいる。もっと充実感をもって働けるはず。

 6年前の今頃、大学進学を考えはじめた。その理由は「おもしろい人間に出会いたい」ということだった。以前にも書いた「自分創り」をしていくために、リアルな人間から学びたいという思いが強かった。頭の良さはともかく、おもしろい人間の数と多様さにおいて、早稲田はどこにも引けをとるまいという思いを当時から持っていた。

 社会に出てからと違い、大学時代の人間関係で金銭が動くことは少ない。だから人と深く付きあおうとすることはイコール「利害関係のない人間関係」につながると思ってきた。でも振り返ってみると、僕は自分の「利害」をベースに他者と付き合ってきたと思う。それを意識したにせよ、しなかったにせよ。

 「尊敬する先輩」というのも「学びたい」という中に利害があった。「愛する後輩」というのも「可愛い奴といると楽しい」という中に利害があった。こうした判断のベースにあるのは「人間の価値」と言えると思う。もちろん人間は売り物ではないから価値は常に変わるし、見る人によっても評価は違う。でも各自の「価値」と評価の「基準」は間違いなく存在する。

 ただ、価値や利害というとマイナスイメージが先行するけれど、それ自体は決して悪いことではないと思う。人間関係は「いいな」と思える価値を見出してはじめて築かれる。だから逆に、自分にどんな「価値」が備わっていて、他者に提供できるのかを意識して生きることが、他者と付き合う上で大切なんじゃないだろうか。それは他者を尊重するということでもあるはずだ。

 僕らの周りには寂しさを紛らわすだけの人間関係が多すぎる。自分の価値を意識していないから、他者の価値も考えられない。部活もせずにぶらぶらしていた僕の中高時代は、単に「いるだけ」の人間関係の中で多くの時間を過ごしてきた。それは「利害関係のない人間関係」では断じてなかったし、「利害関係のある人間関係」だとしても虚しいものだった。価値を意識していない人間関係からは何も生まれなかった。

 自分の価値は何か。横にいるあいつに何をしてやれるのか。今の自分が求める価値を意識し、そのためにどんな行動が必要なのかを考え、結論が出たら実行していく。こうした行動を、大学での5年間は自由にさせてくれた。金銭の授受がないから、恐れることなくトライ・アンド・エラーを繰り返すことができた。その結果、大学では「利害関係のない人間関係」を少しずつ開拓していくことができた。

 大切なのは、価値を互いに認め合い、生かし合うことだと思う。そのために、価値の方向性が同じ人々を見つけ、そうした人々と共に過ごすことを目標にすればいい。

 横に誰かがいて、それを分かち合えるという関係は生きている中でかけがえのないものだ。それは「こいつと飲んでいると楽しい」くらいのささいな感情かもしれないし、涙を流せるような大きなイベントの成功かもしれない。ただとにかく、その喜びや悲しみを分かち合うことで二人の間に絆が生まれる。

 そこではじめて本当に「利害関係のない人間関係」の感動を味わうことができる。こいつといると最高だ、って何の留保なしに言える喜びを感じられる。

 はじめから利害関係なしに人とつきあうなんて、できっこない。もしあり得たとしても、それはポリシーもプライドもない根無し草同士の慰め合いに過ぎない。でも、僕らは利害関係からはじまり、利害関係のないところまでたどり着くことはできる。

 自分の価値を意識して生きること。そうすると自分がどうなりたいかが見えてくるし、何をすればいいのかも分かってくる。その価値を高めていけば、それを「いいな」と思ってくれる人々は自然と集まってきてくれる。

 メガピは組織として「人とつながる」ことを価値にしていたから、それに共感してくれた人がたくさん集まってきてくれた。リアルな人間関係が分断されがちなこの時代において、いくつかの越えるべき壁はあったにせよ、「人とつながる」ことを掲げて人が集まったのは必然であったとも思う。なにより理念云々ではなく、そこにいた人たちが素敵だった=価値があったのだけれどね(それについては後日書こう)。

 まぁでもとにかく、そうした活動の結果、利害関係のない人間関係も生まれたと僕は信じている。

 社会に出たらそうはいかないと言われる。金や自分のポジションを気にしなくちゃならない。失敗したら経歴に後々まで残る傷がつく。「価値」の基準が大学時代と大きく変わってしまい、損得を意識せずに人と付うことはできなくなる。だから「利害関係のない人間関係」という響きに輝きがあるのだ、と。

 でも僕はそうは思わない。社会に出たら責任が増すぶんトライ・アンド・エラーはやりにくくなるだろう、でも、その制約の中でも利害関係のない人間関係を作ることはできるはずだ。そしてそれこそが、ビジネスをしていく醍醐味なのではないだろうか。

 僕の塾にしてもそうだ。今やりがいを持っている。それだけの価値があると信じている。そのことに共感してくれる人たちと一緒に働き、そうしてあるゴールに達した時には、仲間として涙することだってできるだろう。留保なく、ここで働けて、お前と一緒にやれて最高だ、って思える瞬間もあるだろう。

 「利害関係のある人間関係」から「利害関係のない人間関係」へ。

 そう考えると、大学もビジネスもそう変わらないように思う。ビジネスでは大学よりハードルは高くなるのかもしれない。だとしても「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいい」ことを信じて、また新しいチャレンジをしていけばいいだけだ。

 まさか僕がビジネスをするとは思ってなかったけれど、ものすごく楽しみでわくわくしている毎日です。人生、何が起こるかは分からないものだね。
2008年2月9日

平山ビルを知る人必読!

 いま仲間6人で住んでいる平山ビル3&4階。隣のそば屋とのいざこざをはじめ(北緯38度線みたいな有刺鉄線を7段も張られた・・・)、数多く問題のあった我が家も今年は実に静か(次怒られたら1週間以内に出て行かなくてはならない・・・)。

 でも実は過去にやった多くの宴会で、そば屋以上に被害を受けていた奴がいる。それはふすまを隔てただけの隣人、お笑い芸人・新井聖二。

 メガピ中は特に迷惑かけっぱなしだった。なのに、ほとんど文句を言わずにいてくれた。地球感謝祭での歌メガ練習にも実は来てたり、12月の本番でも「その日は仕事が入りそうだから参加できない」と言いながらも、本番はちゃっかり観に来てくれた。

 その聖二が人生初のピンライブをします。それも1時間半。

 顔は知ってる人が多いと思う。ただ仏頂面してることが多くて謎めいた存在になっている気がするから、あらためて紹介をしたい。

 聖二とは高校で同じクラスとなって知り合った。成績は万年ビリだった僕に対し、常にトップを争っている奴だった。たいして勉強している風でもないのに数学のテストはいつも満点だった。田舎の公立男子校の帰宅部組だった僕の周りにしては珍しく、行き帰りの電車で一緒だった子に声をかけて彼女を作った羨ましい奴だった。


 成績も性格も対照的だった僕らは、「あべっち」という接着剤みたいな奴を間にして、いつしか3人で学食を食べる仲になった。 僕が高校を辞めてからは疎遠になっていたのだけれど、ひとつ遅れて入った早稲田で再会することになる。

 大学では「寄席演芸研究会(ヨセケン)」で副幹事長を務め、早稲田で行われた第1回学生M-1では優勝したりと、華々しい活躍をしていた。その後、プロダクションから声がかかり、お笑いの道に入って自主退学。今は浅井企画という芸能プロダクションで活動している。リンク先の「お知らせ」にもちゃんと出てる、れっきとしたプロ芸人。

 実は、ルームシェアを企画した時はじめに声をかけたのは聖二だったんだ。夜の12時頃に飲みはじめてルームシェアのことを切り出してすぐ、「いいね」の一言で決まった。あとはルームシェアとは何の関係もない「死」について夜通し語り続け、翌朝11時には今の平山ビルの1階にある不動産屋に行った。内見して即決。1年足らずの間に数百人が訪れることになる「平山ビル」はこうして産声をあげた。

 僕は平山に住みはじめて本当によかったと思ってる。それも僕の無茶な提案に二つ返事で乗ってくれた聖二がいたからこそ。その後の安定もそうで、聖二が家賃の取立人だからみんなちゃんと納めてる。そういうわけで、我が家の住人は仕事のあるイノを除く全員で行きます。既に巣立った住人、ヤスとキムも一緒に。

 考え抜かれた「笑い」は間違いなく面白いです。僕はコンビのを4回だけ見たことがあるけれど、聖二の性格を考えるとピンの方があっているのかもしれないなと思う。いまそれを想像しただけで笑ってしまって、22号館で向かいに座ってる人に変な目で見られた。それくらい面白い。

 よかったら、一緒に行きましょう。連絡ください。2月14日16時~、西武新宿駅の道路挟んだ向かい(歌舞伎町側)にある「Fu-」という小劇場です。お笑い好きな友達がいたらぜひ誘ってほしい。未来のスターを早めに見とくチャンス。

 気分次第だけど、終わったらたぶん飲みいくよ!あけといてね!
2008年2月6日

MEGA PEACEって何だったんだろう

 MEGA PEACEの総括レポート第1稿、A4で13枚。これを5枚に短縮させる作業を今やってます。こういうオフィシャルな文章を書くのは、ほんと苦手。だから話したいことを思いつくままに、今ここに書きたいと思う。来期へ向けてやる気のある三井くんや戸塚ちゃんと話しながら、昔考えていたことを思い出した。

 去年の6月末にMEGA PEACEを立ち上げて以来、それって何?と問われ続けた。僕はそのたびに頭を抱えた。僕がやろうとしていることがどういうものなのか、自分でもうまく言語化できなかったから。

 終わってみれば「あれだよね」と非言語においては共有できる。でも相変わらず人に伝えるにはたくさんの言葉を連ねなければならない自分がいる。まだうまく語れない。だから語りたくない。そういう気持ちが今もある。
 
 「誰もが参加できる音楽祭」というのが、僕なりの答えだ。その目指すところは「ありとあらゆる壁をぶち壊せ」ということだと思ってきた。でも続けて「その壁の向こうに何を見たいの?」と聞かれるといつも答えに窮した。

 アイデアなら幾らでも出せる。世代間交流。国際交流。地域貢献。大学の内外の垣根をなくす等々。。。実際、そのどれも当てはまってると思う。でも、どれかひとつに焦点を当てた瞬間にどこかが取りこぼされてしまう。だから「所属を超える」という曖昧な表現にこだわってきた。

 あらゆる人が所属を超えてフラットな地平に立ち続けることなんてできっこない。でも、だからこそ1年に1度くらいはそう感じられる瞬間があってもいいと思うんだ。フラットなのっていいね、ひとつ世界の上に僕らは生きてるんだね、って確認しあえるだけでも素晴らしいと思う。そう、あの歌みたいに「信じたい心が戻ってくる」場所であったらいい。

 携帯やネットといった非対面でのコミュニケーション全盛の今だからこそ、リアルに感情を伝えあう場が大切だと思う。物事が細分化していく時代だからこそ、幅広く横につながっていく機会があるべきだと思う。mixiのマイミクが、携帯のメモリーが、みんな集まって一同に会したら何が生まれるかな。僕に明確な答えはない。でもきっと楽しいよ!

 「何のためにやるのか」をどこまでも追及していっても完璧な正解たる答えは出ない。「何のために生きるのか」という問いに人それぞれで答えを創りあげていくしかないように。僕らは訳もわからず放り込まれた人生でなんとか意味を見つけだす。MEGA PEACEは、一人ひとりが意味を見つけられる場になればいいと思う。それが、僕なりの「何のためにやるのか」ということへの回答だ。

 僕は6,7歳の頃から激しく、とても激しく「死」に怯えながら生きてきた。人生に意味はないんだと思ってきた。それを乗り越える手がかりを、あるとき「他者と織りなすストーリー」の中に発見した。それ以来、他者と濃密な時間を過ごし、心のふるえる物語を紡ぐことを生きがいとするようになった。

 このブログ最初の記事で書いた「僕の人生の第一幕」は死を乗り越えるための準備期間だったように思う。理論的にも、感覚的にも、まだ乗り越えきったとは思わないが、自分なりに進むべき道は見えてきた。

 意味は他者との間で織りなされるストーリーから生まれる。それが僕の考えだ。どんなストーリーかは過ぎてからでなければ分からない。MEGA PEACEという場が、たくさんのストーリーを紡ぐ「きっかけの場」であればいい。そう思う気持は、メガピをはじまる前も、終わった今も変わらない。

 MEGA PEACEをやっていて、すごく嬉しかったことがある。裏方のリーダーを務めながら「『人とのつながり』なんて人前で言いたくないし、それを前面に出してたら気持ち悪いし、とにかく遊びの雰囲気でやりましょう」といっていた大坂くんが、本番の少し前から「『つながり』、そういうのも悪くないですね」と僕に言ってくれるようになった。もちろん彼が遊び心を忘れることはなかったけれども。

 MEGA PEACEという物語はひとまず完結した。でも幸いなことに、それを引き継ごうという人たちが現れた。つながりがつながっていく。物語の続編は、新たな登場人物となる人たちが紡いでいくだろう。僕も脇役くらいで登場するつもりです。って言っちゃダメなんだった。みんなが「主役」なのがMEGA PEACE STYLE。それを忘れちゃいけないね。

 とにかく、次はどんな物語になるんだろう。それを想像するだけで、僕はわくわくして仕方がない。あれ、でもその前に。。。このタイトルの答えはどこかに書いたっけかな。そう思って読み返したけど、たぶん相変わらずうまく書けてない。ごめんね。まぁ、みんな語り続けようよ。僕も考え続けるから。

 頑張り楽しんでいきましょう、MEGA PEACE vol.2。いや、2008かな?


 PS.昨日『20世紀少年』を読み返してwoodstockの話が出てきた時に思い出した。メガピの初期に、全参加型woodstockがやれたらいいな、と思っていたことを。今年はそれくらいを目指していけたらいいね。夢は大きく、小さな一歩を踏み出そう。いえす、ラブ&ピース。

7、早大5年生による就職活動論(まとめ)

 はじめはごく個人的な理由から、考えてきたことをアウトプットしてみようと思っただけだったのが、書いていくうちにちょっとした分量になってしまった。

 こんな分量のこんなもの、もしきちんと読んでくれる人がいるのなら、人生賭けてやっている人たちに見せていいのかと書き上げた後でかなり迷った。就職活動「客観論」とでもいうべき一連のエントリーは、読み返すと就活への危機感を欠いているように感じられた。

 それが就活をリアルには感じていない僕の限界を現しているのだろう。でも、限界なりに真摯に考え、書いてきたつもりだ。文章化したものは公開していかなきゃ進歩がねぇという思いと、僕なりに自分の大切にしてきたことについても触れた自負とで、なんとか投稿ボタンを押してみようと思う。

 で、まとめてアップしたのは以下のエントリー。

 1、早大5年生による就職活動論
 2、就職活動は恋愛である
 3、自分を磨くということ
 4、伝える技術
 5、知る技術
 6、落ち続けて凹んでいる人へ
 7、早大5年生による就職活動論(まとめ)
 
 それぞれ要約すると、1は「はじめに」みたいなもの。2はこの話の基本となる考え方。3が内面に関する部分(=自己分析)で、4はそれをいかに伝えるかという方法(=コミュニケーション・面接の技術)。5は3と4を活かすために必要な相手を知る技術(=業界・企業研究)。6と7はタイトル通り。

 終わってみれば大したことは書いてないなぁと思う。けっこう頑張ってまとめたつもりなんだけれど、ずいぶん回りくどく考えただけみたいだ。けっこう堪える。でも、だからこそ最後に伝えたいことがある。

 考えるより、まず動け。

 僕が相談に乗ってきた相手は、一般的には高学歴と呼ばれる文系の学生たちだ。そのせいかの確証はないけれど、ごく一部の人を除けば、考えることが先にきて行動が遅いことが多いと感じる。僕自身もそのような面を内側に強く持ってるから分かる。考えすぎる。悩みすぎる。そして、なかなか一歩を踏み出さない。

 でも一歩を踏み出さないとリアルな感触は得られない。物事をリアルに感じないと、ハートに火がついてこない。ハートに火がつかなければ、本気でやることなんてできない。本気にならなければ、出しうる力の30%くらいしか出せないと僕は思う。

 他人と同じレールで、同じスピードで勝負していたら、自分が目指すところにはたどりつけないと思う。人より早く、多く踏み出すことで、他人とは違った景色が見られるはず。そうすれば燃えてくる。本気になる。楽しくなってくる。

 「ビールの泡理論」で3割しか分かりあえないと書いたけれど、もし本気で燃えているなら、10割伝わっているように感じることだってあると思うんだ。

 みんな心の奥では分かってるはずなんだ。分かってるなら動き出せばいい。一歩を踏み出そう。

 僕がここに書いたのは、どれも自分なりに考えて、そして行動してきたことだ。ベースはすべて恋愛にある。だから、そっくり就活に当てはまるかどうかは分からない。でも今ぼくが就活をするならこうするだろうな、という視点から書いてみた。

 もう就活ははじまっているわけで、そう悠長なことも言ってられないと思う。だから、どう動くかも僕なりに書いてきたつもりだけれど、具体的なことは間違っていないとは言い切れない。でもとにかく、動けばその分だけリアルに得ることがあることだけは確信を持っていえる。

 動いた後の失敗はつきものだ。そして凹む。落ち込む。でも反省すればいいんだ。失敗するたびにめげてちゃ何も生まれない。リアルな壁にぶち当たってはじめて、リアルに考え抜ける。あいまいな壁じゃ、思考もあいまいになる。物事がクリアじゃなければ、先が見えなくて不安になってしまう。そんな悪循環からまず抜け出そう。

 壁にぶちあたり、思考の末になんとか壁を乗り越え、また歩みだす。挑戦と失敗と反省の繰り返し。その分だけ歩き方は確実に上手くなる。それは必ず糧になる。そうしていつか自分の歩むべき道も見えてくる。

 自分で見つけた歩むべき道に踏み出した瞬間ほど、心踊るものはないと思う。そのために、大変だとは思うけれど、毎日一歩ずつ踏み出し続けること。チャレンジしていくこと。考えるより、まず一歩を踏み出そう。大切なのは、今日、今すぐはじめること。


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 もともと足らない頭な上に、ひっさしぶりに人向けの文章書いたから、ずいぶんと考えがまとまらなかった。でもなんとか書き上げれてよかった。僕が恋してきたすべての人と、「東大生による就職活動論」というだいぶ流行ったブログエントリに感謝して、ひとまず終わりにしたいと思います。

 東大生の~は読んでみて、ああそうなんだろうなぁ、と思ったのでぜひ読んでみてください。僕が就活について語ろうと思ったきっかけです。ただそれが「できる人」にしか伝わらなくて、悩み、迷っている人には届きにくいだろうなぁと思った。だから後輩に語っているつもりで、僕なりの言葉でここまで書いてみました。


 これを読んだ人に、すこしでも挑戦し続ける気概がわいたらいいなと思ってます。最後まで読んでくれて、ありがとう。