2009年9月25日

2009年上半期を振り返って


 ちょうど上半期が終わる時期で総括をしたくもあり、このブログでコメントの要請もされたので、僕の道塾に対する考えをこのタイミングで残しておこうと思って書いてみた。塾生、スタッフ、そしてそれ以外でも道塾に関心のある人は目を通してもらえたら嬉しい。

 まだ道塾は発展途上。でも、だからこそ、これからも更なるスピードでもって駆け抜けるよ。

1,ネット空間の言説
2,ある元道塾生の書き込み
3,いくつかの争点
4,道塾のスタンス
5,これからの道塾と、僕の想い


【過去の関連エントリー】
希望なき国に生まれて(1)
希望なき国に生まれて(2)
挑戦状を叩きつける
龍と春樹と司馬遼太郎
道塾、創業3年目

5,これからの道塾と、僕の想い


 話をはじめに戻すが、ウェブ空間の言説はあまりにネガティブな方向に偏りすぎていると思う。それだけでなく、リアル空間においても、若者はあまりにも夢や希望を語りにくい場所にいると思う。そんな場所にい続けたら身も心も硬く凍り付いてしまう。いつしか斜に構えることしかできなくなり、若い頃にはあれだけ嫌いだった「大人」の一員になっていく。

 この国は、一人ひとりの希望を失わせる力に満ちあふれすぎている。それは誰が望んだわけでもないが、僕らが生み出した「システム」によって作られたものだ。たとえば政治、たとえば教育、たとえば学校、たとえば2ちゃんねる。

 だから、僕は日本のすべての若者が道塾で学べるようにしたいと思っている。ポジティブなメッセージを発し、夢を叶えるための具体的な方法論を伝える大学生と人生のどこかで出会うことは、冷え切った体に太陽を浴びるような暖かさでもって生きるエネルギーを得られるはずだ。それは、潜在的には無数の若者が必要としている出会いだと思う。

 道塾は、単純に偏差値を伸ばすだけの受験塾ではない。偏差値というのは「偏り」があるから生まれるもので、極論すれば、ある特定の層だけを狙った受験塾は偏りを拡大再生産しているとさえ言える。すべての若者が道塾で学んでもなお意味があることを僕は目指したい。

 僕が道塾で実現したいのは、未来を切り拓こうとする熱を一人ひとりの胸に抱かせることだ。そのための武器として勉強法があり、その副産物として成績の上昇や受験結果の合格が生まれる。成績を伸ばすこと、良い大学に受かることは、あくまで過程であり、人生のゴールではない。

 とはいえ、どんなに理想を語っても、受験塾として合格結果という数字がついてこなければ意味がない。でも、これまで僕は道塾のやり方で十分に結果が出ることを証明してきたし、これからもしていくだろう。

 そのひとつの証として、僕らは2012年に塾生1万人を目指すと宣言している。どんなに理想を語っても、それが現実を動かさなければ意味がないからだ。道塾を立ち上げて2年半になるが、ビジネスというツールは、理想を現実に変える上で、この時代においてもっともインパクトのある手法のひとつだと僕は確信している。

 「1万人」という数字ばかり語っていると、質ではなく量ばかりを問題にしているように見えるかもしれない。「ああ、馬場もビジネスライクな考えをするようになったか」、と。でも、1万人という数字は、多くの塾生が満足し、道塾に入って良かったと思ってくれない限りあり得ない。だから僕は道塾を量的に広げてもいくけれど、それは質的に高めることが前提にある。

 塾生が1万人になれば、加速度的に道塾は広がっていくだろう。教えるスタッフ、学ぶ塾生、その一人ひとりが未来を切り拓こうという意志を持ち、ポジティブなエネルギーに満ちあふれれば、ウェブ空間も、現実世界も、今より少しずつ良くなっていくに違いない。

 僕はたった一人で「早稲田への道」をはじめた。それは一定の意味があったけれども、この世界の「システム」を変えることはできなかった。でも今は、僕が一人では達成できなかったことを、道塾の仲間たちと共に実現しようとしている。

 人は夢物語だと笑うかもしれない。勝手に笑ってくれて構わない。いつだって「不可能だ」と言われてきたけれど、僕は一つずつ乗り越えてここまでやってきた。不可能だと思っているから不可能なだけで、僕の目にはそれが実現する姿が見える。

 理想論はもうあまり語りたくない。それは、これまで十分すぎるくらい語ってきたからだ。あとは結果で示そうと思う。それこそが、若い一人ひとりの胸に希望の火を灯し、リアルに世界を変えていくからだ。散々これまでも語ってきたが、これが僕なりの「システム」への対抗の仕方だ。

 罵倒している暇があれば、自分の頭を使い、手を動かし、足を使って歩き、少しでも世の中を変えていきたい。愚痴を言っている時間があれば、誰を憎むのでもなく、恨むのでもなく、「システム」と対峙してこの世界をより良くしていきたい。それこそが、食うに困らなくなった僕らの使命だと思うから。

 仲間がいることに感謝しよう。誠実に批判してくれる人がいることに感謝しよう。そのひとつひとつを糧にして、僕は未来を切り拓いていく。そして、この国に希望の火が灯されたね、と言わせてみせる。


【2009年上半期を振り返って】

1,ネット空間の言説
2,ある元道塾生の書き込み
3,いくつかの争点
4,道塾のスタンス
5,これからの道塾と、僕の想い


【過去の関連エントリー】
希望なき国に生まれて(1)
希望なき国に生まれて(2)
挑戦状を叩きつける
龍と春樹と司馬遼太郎
道塾、創業3年目

4,道塾のスタンス


 最近気になるのはメディアを通じて蒔かれたイメージと、道塾の実像との間に、すこしズレがあるなということ。だから本来は生まれるはずのない非難が生まれたり、あらぬ期待をさせて失望させてしまったりしているのかもしれない。これはメディアに映る僕らが気をつけなければならないことであり、これからはより正確な道塾像を伝えていく努力をしようと思う。

 先にも書いた通り、道塾は「魔法の勉強法」を教える場所ではない。自分で未来を切り拓こうという意志を持った人間を、できる限りの方法で後押しをする場所だ。たまに保護者が子どもを無理に入塾させようとするのを断ることがあるが、これは道塾を誤ったイメージで捉えている最たる例だ。

 僕の知る限り、世の中のどこにも「魔法の勉強法」は存在しないし、同じように「完璧な勉強法」も存在しない。だから道塾で伝えているのは地味な勉強法であり、僕らが最善と考える提案に過ぎない。

 でも、本気で人生を切り拓こうとしている塾生は、道塾のスタッフとの話し合いを活かし、日々の勉強法・生活スタイルを徹底して改善してくる。だから伸びる。そうした受験生を、道塾では力を尽くして応援し続けたいと思っている。

 最近はだいぶ変わってきたが、道塾は元々僕のような落ちこぼれを中心に支えたいという想いではじまったこともあり、偏差値50を超えるような塾生は少数派だった。でも、そうした子であっても、本人の意志次第でトップレベルの受験生と戦えるまでに成長することを道塾は証明してきた。元々ある程度の努力をしてきた子であれば、さらに可能性は広がるだろう。

 「気づいていなかった自分の可能性」を最大限に引き出し、できるだけ高みへと連れて行くこと。高みへ連れて行くというのは単純に高偏差値の大学に入るためだけの指導をするのではなく、己の弱さに打ち克ち、日々努力をすることで自分を高めていく手助けをするということ。

 それが道塾で僕がやりたいことだし、事実行われていることだと思う。道塾の魔法に頼れば変わるんじゃないか、というのは現実とは違う。入塾時の塾長メッセージで「道塾を上手に利用してほしい」と伝えているのは、道塾に「依存」するのではなく、「自立」するために有効に活用してほしいという想いを込めてのことだ。


5,これからの道塾と、僕の想い

3,いくつかの争点


 次に、先のスレッドで指摘されていることについて触れようと思う。気をつけてほしいのは、このスレッドは既に「早稲田への道」というタイトルは適切ではなくて、「道塾」そのものについて語られている場所だということ。

 僕は道塾を立ち上げてからは、宣伝目的で2ちゃんねるへ書き込みをしたことはない。また、書き込まないようにともスタッフに伝えている。それは、ある意味で道塾の故郷でもある場所に土足で踏み込むようなことはしたくないからだ。

 その上で、いくつかの争点について。

 ひとつめは、道塾の教務統括である大賀への指摘について。この件については、来月の頭に道塾ウェブサイトにおいて正式にリリースを発表しようと思う。それで全て片付くだろうから、その時まで待っていてほしい。

 ふたつめは、月謝や金回りのことについて。僕も予備校の授業をはじめて受けた時、授業代を計算していたものだ。1コマ1000円くらいで、この授業に100人いるから、予備校はこの90分で10万を稼ぐわけか・・・、それに季節講習はもっと高いなぁ・・・、なんて。

 でも、そうした大雑把な計算は様々なコストを含めていないわけで、あまり意味がない。清涼飲料水は容器を含めても原価15円もしないし、そもそもミネラルウォーターの原価なんてゼロだが、それで文句を言う人はいない。

 価格は、それに見合った満足をしてもらえているかで決まるものだ。もし道塾の価格がそれに比べて不当に高いのであれば、格安の競合が現れて道塾は人が集まらなくなって潰れるだろう。僕は長期的に道塾が日本に根付くことを目指しているから、決してそんなことはしない。

 より良い未来のために、15000円という月謝を超える価値を生み出すこと。道塾をより良くすることで、その価値をできるだけ大きくすること。そして、そうして頂いた15000円の積み重ねを元に、道塾をより一層発展させていくこと。それが塾長であり経営者である僕の使命だ。

 みっつめは、道塾での勉強効率について。僕は数百人の受験生と話してきたが、ほとんどの受験生は圧倒的に効率が悪かった。こうしたら良くなるのになぁ、と思うことばかりだった。道塾をどう低く見積もっても、勉強法が分からない子が、大学受験をくぐり抜けてきたスタッフに勉強法の相談をしてマイナスになるはずがない。

 もちろん、偏差値70を超えるような最難関大志望の子は既に十分に高い効率で勉強している。でも、今は大学生であるが過去には同じような状況にいた道塾スタッフに、「1,2年前の受験時代の自分が、今の自分と毎週30分話せていたらどうだろう?」と聞けば、誰もが「それはありがたいですね」と言う。どんなレベルであれ勉強に悩むことはあるし、それを信頼できる経験者に定期的に相談できることは大きな意味がある。

 ただし、効率を語る際にこれだけは注意してほしいのは、道塾は魔法のような即効性を持っているわけではないということ。道塾のウェブサイトにもそう書いたことはないし、「早稲田への道」や『受験はゲーム』でも繰り返し書いたはずだ。

 「当たり前の勉強法」を学び、自分の勉強スタイルを日々改善していく。その上で自分のするべきことを徹底して行えれば、成績は必然的に上昇する。たとえば、毎日1%の改善を続ければ、1年後には37倍になるのだ。それは魔法でも何でもなく、地道な努力の積み重ねだ。道塾はその手伝いをするに過ぎない。

 成績に伸び悩む受験生は、「当たり前の勉強法」を「継続して行う」ことができていない。3000時間やればどこでも受かると書いている人がいるが、それだけの時間を主体的に勉強できる人は少ないのだ。そんなことを平気で言えるのは、それだけの努力をしても落ちる人間がいる受験の厳しさを知らないに過ぎない。

 誰もがそれだけ勉強できるのなら、大学受験の難易度はもっと上がるだろう。でも、多くの受験生はそれだけの勉強を続けることができない。だから、道塾は効率を上げもするけれど、勉強時間を増やすためにモチベーションを高める役割も果たしている。そうしたトータルでの塾生のサポートを僕は道塾でやっているつもりだ。


4,道塾のスタンス

2,ある元塾生の書き込み



283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/20(日) 01:52:28 ID:RJ5E17X90
最後に、
自力で勉強法を確立し、実行し、信じられない速度で成績をあげ合格し
塾まで立ち上げるのは並の人間にできることではない。
早稲田に受かった事も、道塾を作った事もとてもすばらしい事だと思うし、尊敬もしている
だがそれだけで満足しているようにしか思えてならない。
さんざん偉そうな事を言ってしまって申し訳ないがこれが本音だ
俺のような塾生を増やさないようにしてくれる事を切に願う。

 先日の道塾スタッフ会議の中で、指導スタッフの一人が2ちゃんねるの書き込みについて触れ、「この書き込みは読んでおくべきだ」という発言をした。言われて2ちゃんねるの道塾について語られたスレッドを覗いてみた。ほとんどがごく少数の固定メンバーによる根拠のない恣意的な中傷だった。だが、その中でスタッフが指摘した部分は現実の元塾生の言葉だろうと僕は思った。

 端的に言って、これは明らかな指導スタッフ側の過ちであり、僕らが最もしてはならないことだ。僕は書き手の元塾生に対して非常に申し訳ないという気持ちを抱いた。道塾に希望を持ち、しかし裏切られたという想いは一生消えないだろう。確証はないが、おそらく彼は僕と一度話したことがあり、その悩みを打ち明けてくれもした塾生だと思う。

 僕がいちばん残念に思うのは、指導スタッフが参考書のタイトルを間違ったといったような「ミス」ではない。もちろんそれは反省し、徹底して改善すべきだけれど、どんなに気をつけても「ミス」は生まれてしまう。でも、そうした「ミス」を謝らず、自分を守るためにとぼけるようなことは許されない。それは受験生への誠実さを最も欠いた行為だからだ。

 「俺のような塾生を増やさないようにしてくれる事を切に願う」という叫びを生まざるを得ない状況に追いやった責任は、すべて僕にある。それは一人の若者が抱きかけた希望の芽を摘み取ったのと等しく、反省してもしきれるものではない。

 ただ、当たり前のことだけれど、僕は未熟な人間であり、道塾もまた発展途上の塾だ。350人を超える塾生がいる中で、今後も似たようなことが絶対に起こらないなんて事は言えない。

 でも、だからこそ、その中でできる限りのことをやっていく。一人でも多くの塾生に「道塾に入ってよかった」と言ってもらえるよう、最大限の努力をしていく。それだけは彼に誓うことができる。

 幸いにも道塾には「この書き込みは読んでおくべきだ」と言う勇気のあるスタッフがいた。指導スタッフとしての意識が甘くなっているかもしれないという危機感のもと、それを改善するためにネットで叫ばれた塾生の声に耳を傾けるべきだという発言だった。

 道塾で指導するスタッフは、全員が彼のように塾生に心から寄り添おうとする心を持ち続けてほしいと僕は願っている。スタッフ一人ひとりが少しずつその想いを強めていけば、道塾全体が成長し、今より遙かに理想の状態へ近づくことができるから。

 日々の慌ただしい指導の中で、時には脇に追いやってしまうこともあるかもしれない。でも、僕らは彼らの人生を背負っているのだ。指導する塾生に対して、世界中の誰よりも寄り添っているという自負を持てる指導をし続けたいと思う。

 それができれば、すべての受験が終わった後に、きっと「あなたに学べて良かった」と言ってもらえると思う。僕の経験上だけれど、その言葉より嬉しいことは人生においてそう多くはない。

 多くの人間の未来を背負うというのは、想像以上のプレッシャーを感じるものだ。でも、それが大きければ大きいほど、それを乗り越えた時の喜びも大きい。そのために、今日も指導を精一杯やっていきたいし、すべてのスタッフがそれをできるように僕は力を尽くす。

PS.もしあの書き込みをした元塾生が読んでいるのなら、個人的にでも返事をくれると嬉しい。もし道塾で学び直そうと思うのなら今からでも指導をやり直す。きっと意味はあると思う。もしそれが不要なのであれば、自分のやり方で合格できることを陰ながら祈っている。


3,いくつかの争点

1,ネット空間の言説


 ネット空間はバランスを取るシーソーのような性質を持っている。たとえば、道塾が過度にメディアで紹介されれば、その反動としてそれを打ち消そうとする力が作用する。

 だが昨今ブログ界で話題になっていたように、「日本のwebは『残念』」な状況にあると思う。特に「2ちゃんねる」は極めてネガティブな発言ばかりが蔓延する悲しい方向に走っている。ネット空間のシーソーの支点が、マイナスを増幅させる方向にズレてしまっているのだ。

 そのような状況において、道塾が「2ちゃんねる発」というのを一つの宣伝材料にしている以上、いつかその反動が来るだろうとは思っていた。そして、その性質上、おそろしく感情的な非難になるだろうとも。今もいくらかの非難が起こっているけれど、それはこれからやってくる大きな嵐の前触れにすぎないと僕は思っている。

 だから、その前に僕の考えを伝えておきたい。この時期の受験生にとって大切なのは2ちゃんねるなんて見ないことだが、道塾にいる以上、つい見てしまうという人もいるだろう。説明責任を果たすという意味でも、すこし長くなるが僕の考えをここで示しておこう。

 まず、これまで繰り返し書いてきた通り、僕はネガティブな言説をせざるをえない人々を非難するつもりは一切ない。彼らはそうせざるをえない状況に追い込まれたのであり、その原因は彼ら自身にあるというよりも、この世界の負の側面を背負わされたに過ぎないと思うからだ。

 そもそも僕が「早稲田への道」を建てた理由のひとつは、そのおかげで自分が歩むべき道を見つけることのできたネットという空間に、自分なりに貢献したいと思ったからだ。ネガティブな面ばかりが強調されていたネット空間において、実は人生を切り拓くためのチャンスはあるということを伝えたかった。

 結論から言えば、それは局所的には成功したと思う。だからこそ「早稲田への道」があれだけ読まれ、多くの受験生が感謝してくれもした。マイナスに振れていたシーソーの支点は、ある一瞬、ほんのわずかだがプラスの方向に動いた。だが、広大なネットという空間からすれば、それは無にも等しい動きだった。

 たまに「2ちゃんねる」を見たり、「早稲田への道」を覗いたりすると、言いようのない無念さを心の隅で感じる。愛していた故郷が、しばらくぶりに戻ると荒れ果てた地になっていたような感覚。そのせいか、僕は自分の原点とさえ言える「2ちゃんねる」に目を背けたくなる意識があった。無根拠の、感情的な負の言葉で埋め尽くされているからだ。

 でも、そんな中にも僕らが真摯に受け止めるべき意見は常に存在する。だから、僕ら道塾スタッフはそうした批判を見つめる強さ、耳を傾ける誠実さを持たなければならない。


2,ある元塾生の書き込み
2009年9月1日

ハンデをアドバンテージに


 楽しいことは1日中やり続けることができると思っていた。だから休むこと自体が罪悪なように感じていた。そんな状況が1年以上続いていたように思う。

 だが、最近はどれだけ楽しいことでも24時間365日やってれば飽きるよな、という当たり前の結論に達した。勉強と同じだ。それ以来、休息も良い仕事をする上で欠かせないものだと思えるようになった。

 という背景もあって、久しぶりに仕事を2日間お休み(+土日を利用)して3泊4日の沖縄・宮古島へ旅行に行ってきた。深い青空の下には、コバルトブルーの海。珊瑚でできた島のビーチに潜れば、真っ白な海底に水族館みたいな光景が広がっていた。




 とは言え。

 旅先でも道塾との関わりが絶たれるわけではない。宮古島は道塾スタッフである砂川の出身地。僕の旅行と砂川の帰省の時期が重なったこともあり、砂川が講演会を企画して手配してくれた。

 その企画に市役所・宮古毎日新聞・宮古新報・教職員・PTAの方々など、様々な方が積極的に協力して下さり、5名~10名くらいかなと見積もっていた企画は、最終的に70名くらいの島民の方に参加していただいた。



 講演会のテーマは「離島のハンデをいかに克服するか」。砂川と二人で互いの来歴を交互に語り、都市部と離島の教育格差とその解決方法を語った後、質疑応答を行うという流れで話を進めた。

 一般的に地域間での学力差を生むと考えられているものに、①設備、②情報、③人々の意識がある。だが、道塾をやっている中で気づくのは、①「設備」はほとんど関係なく、②「情報」も今や地域差は埋められる時代になっているということ。

 やたら豪華な設備の予備校・塾を好む保護者がいたり、むやみに高価な電子辞書を買う受験生は少なくないが、そのほとんどは自己満足に過ぎない。情報にしてもインターネットさえあれば東京にいるのとさして変わらない。

 差をつけるのは「ハンデがある」という意識と「だから無理なんだ」と結論づけるネガティブ思考。だから、と僕は講演会で語った。③「人々の意識」が変化すれば状況を一変させることができる、と。

 ハンデがあることはアドバンテージになり得る。そして、そう思い切ることさえできれば、力が湧いてくる。

 たとえば発展途上国のリーダーたち。昔の日本もそうだったろうが「遅れている」という危機意識こそが、先を行く国々に追いつこうとするエネルギーになっているはずだ。世界陸上に出ていた選手達にせよ、彼ら全員が幼少から十分な設備・情報に恵まれていたわけではないだろう。

 教育という側面から見れば、「ハンデがある」という認識を「乗り越えられるもの」へと変えることができれば、ハンデがない都市圏に住む人々よりも、教師は志を持って指導することができるし、子どももハングリーになれるはずだ。

 そうした点において、砂川はハンデがある環境を経て受験を乗り越えた者として、そして現在は指導側に回っている者として、素晴らしいロールモデルに成り得ている。だからこそ、下のような記事も生まれたのだと思う。

「やる気は意識次第」/後輩に熱いメッセージ 砂川博範さん(早大2年):宮古毎日新聞

 故郷へ錦を飾ると同時に、その姿を見た若者たちが夢を抱く。数年後、彼ら自身がモデルとなって次の世代の若者の新たな希望となる。そんな循環を、道塾を通じて数多く生みだしていきたい。

love is all.

 PS.来週からしばらく京都に滞在します。

 リンク:進む砂時計(砂川blog)
2009年8月18日

道坊主

 3月上旬、「3ヶ月後の目標」という記事を書いて、僕はその時こう宣言した。

 その目標達成の誓いと共に、僕らが賭けたのは各々の「髪」。すなわち、3ヶ月後に達成できなかった場合は、髪を剃り、いわゆる「五厘刈り(0.5mm)」の坊主にする。

 僕が掲げた目標は、塾生300人、スタッフ18人(と、あとプライベートなものふたつ)。

 塾生が約20人だった頃、何の目途も立っていない中で掲げた目標。大方の予想通り間に合わなかったので、すこし遅れたけれど坊主にしてきた。300人の他にも、このところ幾つかの物事が遅れている反省も込めて。



いってきます。ぴーす。


真ん中を剃って。。。


一気に坊主に。。。


おお。

中学1年の頃、イタズラが見つかって強制的に刈られて以来の坊主に。

そしてさらに。。。


お絵かきして


バリカン再登場


お?


おお?


おおお?






そしてこれが完成形。



 部分五厘の「道坊主」。よく頭を触られたり、電車の中では横目で後頭部を覗かれたりしてます。

 とはいえ、「メディアに出る時に困るから…!」と言って止めていたPR隊長の俊が諦めて「天才っ!参りました」というメールをくれたのをはじめ、意外と受け入れてもらえたようなので一安心。

 6月末に18人という目標を掲げていたスタッフは、8月半ばも過ぎた現在、優に30人を超えた。坊主にして気合いを入れ直して、道塾はまた新たな変化の時期に入っていく。

 9月10月とスタッフはさらに増え、様々な仕組みも整い、そして新たな試みにも手をつける。その結果として道塾は面白くなり、より充実した場所になっていくと思う。

 このところ僕がブログでの鳴りを潜めているのは、そういう面での忙しさもありながら、同時に自分が新たなステージに入りつつあるからだと思う。この胸に渦巻く想いがどのような形で表出するのか、それを楽しみにしながら日々を送っている。


 PS.カットはいつもお世話になってる22号館横の早稲田断髪サロンJUNES

 PS2.すっかり言い忘れてたけど、遅まきながら目標にしていた塾生300人は超えた。道塾を信じて人生を賭けてくれた彼らの期待に応えられるよう、合格へと導く僕らの使命を全うしたい。
2009年7月31日

なぜ、山に登るのか?

 前回触れた新しい道塾のコンテンツ(メールマガジン)『受験の道草』、なかなか好評のようで、登録者も急速に増え、感想もいくつか届いてる。このブログへのコメントを含め、その多くに返信できないのが申し訳ないなと思いつつ、嬉しく読ませてもらってます。ありがとう。

 今日の『道草』は、75年の時を経てエベレスト山頂付近で遺体が発見された登山家ジョージ・マロリーの話。「なぜ、エベレストを目指すのか」という質問への彼の答えは「Because it is there.(そこに山があるから)」。

 『道草』は受験生向けのコンテンツなので、そこでは山に登り切るまでの話しかしなかったけれど、個人的にはその先がある。

 だいぶ昔に読んだのでうろ覚えだが、漫画『バガボンド』で武蔵が高くそびえ立つ岩山を登っていくシーンがある。下から見上げる頂は遙か雲の上。垂直に切り立った岩肌を武蔵は一掴みずつ登っていき、ついには雲を超えて頂上へたどり着く。そこで目に入る光景は、より高い山々の連なり。そして武蔵は笑う……。

 天下無双と思うのも束の間、自分はまだまだちっぽけな存在だと武蔵が気づくのを比喩的に表現した場面。第一志望に受かった受験生もまた同じような思いをするだろう。僕もまた自分の小ささを思い知る日々だ。

 でも、それはそういうものなのだと思う。

 僕らはまだ見ぬ山頂へ向かって、永久に登り続ける生き物なのだ。山頂だと思った場所にたどり着いた途端に、すぐ次の山頂が見えてくる。そうした生において大切なのは、山頂にたどりつくことよりもむしろ、登ることそれ自体に喜びを感じること。

 ただ。

 誰にだってある初めて出会う「山」をどう登るのかは、その後の人生をいくらか決定づけると思う。僕にとって初めての山は、少なからぬ受験生と同じく確かに受験だったけれど、実はその前に小さな山に登っていた。

 それが以下の話。『受験はゲーム』から削った部分で、ちょうど8年前の今頃、僕がはじめて登った小さな山について。

**********
 とにかく何か熱いことをやりたい。できることなら世界一や日本一になるようなことをやってみたい。そうやって自分を変えなければ未来は真っ暗だ。
 そんなことばかり考えていたが、単なる引きこもりの少年がいきなり世界一になれることなんてあるわけもなかった。
 だから、とりあえず日本一になろうと思った。それなりに大変で、かといって不可能なことではない日本一・・・・・・。そうして考えた末に、ひとつのアイデアが出てきた。

 そうだ、富士山に登ろう。

 いま考えれば笑ってしまうくらい安易な発想だけれど、でも、当時の僕にとっては結構な挑戦だった。山になど登ったこともなかったし、そもそも街から出ることもほとんどなかった。実際、家族も引きこもりがいきなり富士山に登れるわけがないと言っていた。
 でも、僕にはひとつの考えがあった。
 自分自身が日本一にはなれなくても、日本一の場所に登ったという記憶は一生残るだろう。18歳になる前の夏に、そういう記念を一つくらい残しておくことは何かに繋がるはずだ。

 そう思って、僕は近所に住むよく同じネットゲームをしていた友人を誘って富士山に登ることを決めた。
 ネットで調べると夕方から登りはじめて、山小屋で仮眠してから頂上を目指し、ご来光(山頂での日の出)を見てから下山するといいと書いてあった。

 僕らはネットで調べた日の翌日、さっそく電車で富士山へと登った。5合目までバスで行き、そこから登山客の少ない登山ルートを選んで、二人で黙々と歩きはじめた。
 男二人で特に喋ることもなかったから、僕らは歌をうたった。当時流行っていたポップソングだったが、満点の星空の下で、日本一の山を登りながら全力で歌をうたうことに、久しぶりの喜びを感じていた。

 途中の山小屋での仮眠から起きると、もう午前2時を回っていた。標高も高いので、冬の寒さ並みに冷え込んでくる。
 そんな中でも若さゆえの体力もあったのだと思う。まったく疲れを感じることなく、一気に頂上まで登りつめた。そして明け方のご来光を待った。

 地平線がうっすらと明るみ、眼下の景色が見えはじめる。黄金色に輝く太陽の上辺が見えると、待っていた人たちから拍手が上がった。僕も自然と同じように拍手をしていた。
 拍手をしたのなんて久しぶりだった。

 いま振り返れば、あの拍手はご来光の素晴らしさを讃えるのだけではなしに、ここまで登ってきたこと自分へのねぎらいと、これから先に待ちうける自分の未来への応援とをしていたのかもしれないと思う。

 単なる思いつきで登った富士山だったが、家族に「よく登れたね」と言われたことをはじめ、自分でもよく登れたなという思いと、意外とやればできるものだという実感を得ていた。
 それが、次の一歩を踏み出させる原動力となった。

**********

 誰もがいきなりエベレストを目指せるわけじゃない。まだ「大きな山」に登る自信がないのなら、「小さな山」から登ればいい。少しずつ、登れる山の高さは高くなっていくから。


 追伸:おかげさまで『受験はゲーム』は多くの人に読んでもらってる。ネット書店では大方売り切れ。こちらも多くの感想をもらってます(返せなくてごめんよ)。最後までしっかり読んでくれたこと、感謝してます。

 追伸2(受験生へ):読み終えた受験生と話していて思うのは、僕の本を読んで終わりにしている人の多いこと。読んで満足して終わりにするのは、勉強して復習しないのと同じ(この一文を本の中に入れなかったことを悔やんでる)。内容は基本的な勉強法に過ぎないけれど、これを全て自分の中に取り込めれば、後は自分なりに試行錯誤しながらやるだけだと思うよ。時々は見直して、夏を乗り切ってくれ。
2009年7月16日

すっかり言い忘れてたけど、

 道塾PRチームが案を出してくれて、新たに『受験の道草』と題した道塾のメールマガジンを作った。毎週1通、僕と教務統括のシオンから受験生へメッセージを送るという内容。

 これまで塾報内で塾生に限定していたのだけれど、出版を機により広くの人に伝えようという意図。道塾を立ち上げて「早稲田への道」に書き込みを辞めると宣言して以来、塾生以外に何かを伝える機会が激減していたので、個人的には嬉しい変化。

 基本的には受験生向けなのだけれど、それ以外でも興味があるという人がいればどうぞ。先週号のサンプルを以下に書いておきます。

-- Stay hungry. Stay foolish. --

もう7年も前になるが、受験時代によく聞いていた曲がふたつあった。そのうちのひとつはBUMP OF CHICKENの「グングニル」という曲で、後にワンピースの主題歌となったから知っている人も多いだろう。

----------
そいつは酷い どこまでも胡散臭くて 安っぽい宝の地図
でも人によっちゃ それ自体が宝物
「こいつは 凄い財宝の在り処なんだ」
信じきった彼もとうとう その真偽を確かめる旅に出るとする
----------

先週も触れたが、たいていの大人は「夢」を批判するものだ。それは彼ら自身が多くの夢を諦め、折り合いをつけて生きてきたからだ。

----------
誰もが口々に彼を罵った
「デタラメの地図に眼が眩んでる」って
----------

大人がそう思う気持ちは分からないわけじゃない。俺もまだ25だけれど、昔に比べれば物事を現実的に考えるようになった。それは、生きる中でたくさんの「夢が叶わなかった瞬間」に立ち会ってきたからだ。

たとえば、プロ野球選手を目指していた少年の大半は、高3の夏、自分が甲子園にも行けない現実を知る。9回裏に祈るような目でバッターボックスを見つめ、しかし夢破れていく若者たち。そこで彼らの青春はひとつ終わる。俺は夏になってNHKで甲子園の中継を見るたび、いつも泣きそうになる。

夢物語をまっすぐに応援できなくなるのは、そうした経験を重ねることによって、深く傷つかないための「大人の知恵」を身につけるからだと思う。

でもね。

まだ若い君が現実という壁に押しつぶされてはいけない。すべての夢が叶うわけではないけれど、夢を信じて走り続けている間だけが青春なのだから。

それに、受験はスポーツとは違う。甲子園の予選がそろそろ各地で始まるが、その中から頂点に立つのは4000を超える出場高校の中でわずか1校。

だが受験は、たとえば早稲田であれば合計で1万人以上が合格する。倍率だって10倍程度だ。1/4000の甲子園と比べれば、受験で第一志望に受かるのはずっと「現実に近い夢」のはずだ。

Q.10 志望校に受かる自信があるか

1.自信がない 23%
2.あまり自信がない 19%
3.どちらとも言えない 26%
4.自信がある 26%
5.かなり自信がある 7%
(塾生アンケートより)

「自信がある」と答えたのはわずかに1/3。「1.自信がない~3.どちらとも言えない」で2/3もいた。もし君が後者に含まれるのなら「グングニル」の最後の一節を送ろう。

----------
たやすく 自分自身を値踏みしやがって
世界の神ですら 君を笑おうとも 俺は決して笑わない
----------

夢は、常に失敗した時の不安と隣り合わせに存在する。だからこそ、それを乗り越えられる強さを持とう。強さが持てないのなら、今は強がりでもいい。強がるために、毎日必死で頑張れよ。それをやる前から「自信がない」なんて言ってたら、この先ずっと、何も出来ないままだぜ。

歯を食いしばって強がっている間、辛くて泣くことや、不安で眠れなくなることもあるだろう。でも、俺はそれを笑わないよ。そういう経験をしたヤツだけが、胸に抱く夢を「現実」にできるのだから。

 ちなみに「もう1曲はなんですか?」という質問をもらったけれど、それはまだ秘密です。8月の「道草」で触れるつもりなので、お楽しみに。

 さて、担当者から↓みたいな怖いメールが来たので、今から今週号を書きます。。。
馬場せんせい
お疲れ様です!嶋津です。
先程伝え忘れましたが、道草の原稿、今日中が最終締め切りです。
わたし寝ないで待ってます。
どうぞよろしくお願い致します。
嶋津藍美

登録はこちら→ 道塾メールマガジン「受験の道草」
2009年7月15日

発売2日前


 『エチカの鏡』で放送された際、ゲストの茂木健一郎氏がタレントに「俺が教えるよ」とコメントしていたのを見て、新著の推薦をお願いすることを思いついた。調べてみると早稲田で講義していることが分かり、すぐ話しに行った。

 そしていただいたのが以下の言葉。
独学は、一つの叡智である。
アインシュタイン、ファーブル、福澤諭吉。
独学者たちが歴史を切り開いてきた。
ひきこもりから立ち直って
早稲田大学に合格した著者の方法論は、
孤独のうちに学ぶ者たちにとって福音となるだろう。

 お願いした段階ではゲラ原稿だったため、今日が早稲田での最終講義とのことだったので、出来上がった本を手に、授業後の教室で記念撮影(教室には見知った顔もちらほら。もぐりの学生もいる人気講義とのこと)。

 梅田望夫氏との共著『フューチャリスト宣言』で若者を応援しようとする姿勢は知っていたが、実際にここまで積極的で、そして過分な言葉をいただけるとは思っていなかった。僕としては「推薦」という事実だけでも十分ありがたかったのに、茂木氏ご本人から推薦の言葉を書くと申し出ていただいたのには驚いた。

 茂木氏だけでなく、多くの人がこの本の制作には関わっているし、応援してくれている。そうしたエールを受けながら、それを無駄にしないためにも、この本を広く世に伝えたいと思う。

 ちなみに、公式な発売日は7月17日なのだけれど、書店に配本されるのは夕方頃。そのため都会の大型店を除き、棚に並ぶのは翌18日か、休み明けの21日に辺りになる見込み。

 無駄足を運ばないためにも「すぐに買いたい」と思っている受験生は、発売日にアマゾンで購入するのがいいと思う。ただしアマゾンでの発売日は1日遅れる(18日になる)ので、その点だけ気をつけて。

 新著の公式サイトもできたので、よかったら覗いてみてほしい。出版記念に作った「対談」コンテンツはめちゃくちゃ面白くて、原稿を見るだけで笑ってしまうくらい。出版当日から随時公開していく予定なので、新著とあわせてお楽しみに。

 『受験はゲーム 「道塾式」劇的合格法』オフィシャルサイト


 追記:本日、読売テレビ(関西圏)内のニュース番組で、道塾が取り上げられました。 →こちら

 追記2:現在、アクセス過多で断続的にサーバーダウンしています。ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。
2009年7月1日

受験の未来

 原稿の校了も終え、あとは印刷を待つのみ。とてもいい感じの装丁も出来上がり、本屋に並ぶのが楽しみだ。

 文章をキリッとさせるため、書いた文章の2/3くらいにまで削られた。以下は本文から削除した部分。書籍の詳細は近いうちに公開するので、それまでもうしばしお待ちを。

------------------
 実際、最近はゲームで学ぶソフトも多く出回っている。
 現在の大学受験に限れば、本物のゲームで勉強をするのは効率の点から言ってオススメできるものは少ない。ただ、それでも机に向かうことが嫌いな人にとっては役に立つこともあるだろう。
 たとえば、漢検のような単純なものに関しては、ただ机に向かうよりも、ゲーム感覚でやっていた方が圧倒的に伸びる。
 最終的には、こうした単純なものに限らず、大学受験をはじめとするあらゆる試験勉強は、すべてゲームで代用できるようになる時代がやってくるだろう。今はまだそのための十分なソフトが作られていないに過ぎない。
 これはそう遠くない未来に起こることだ。ただ残念ながらあと10年くらいはそういう時代にならない。だから、今この本を読んでいる君たちは机に向かわなくてはならない。
------------------

 きっと、この本は少なからぬ人の人生を変えることになるのだろう、今、この瞬間に人生を変えたいと思っている人に、ひとりでも多く届くことを願うばかり。
2009年6月17日

断るということ

 そろそろブログ更新を再開しようかな、と。

**********

 2週間での集中的な執筆を終え、正式に僕の本が出版されることが決まった。7月17日、今日からちょうど1ヶ月後。勉強法がメインの話だが、一般の人が読んでも面白いものだと思う。方向性としては「早稲田への道・完全版」といったところ。

 受験生にとってはこの本を読むだけでも十分に役立つと思う。と同時に、事業的に言えば道塾の広報という役割も兼ねている。かなり話題になり、その分だけ入塾者数も増えるだろうから、今はそれに滞りなく対応するための準備をしているところ。

 それに向けての大きな変化としては、早稲田生以外からもスタッフが加入しはじめたこと。今のところ東大生しかいないけれど(ウェブページは近日中に更新)、今後は東京近郊の主要な大学からスタッフが加入してくると思う。

 今までは人数が少なかったので、直接の知り合いで「こいつは!」と思った人間だけを誘うだけでやってこれた。ただ、これからは人数が増えてくることもあって、やる気のある学生を募集したり、人づてに紹介してもらったりと、より多くの大学生の中から選ばなければならない。

 その時に、せっかくスタッフをやりたいと名乗り出てくれても、残念ながら断らなければならないことが出てくる。もし断らなければ一生の付き合いになるかもしれない。その人にとって大学生活の非常に大きな場となることは間違いない。でも、断ればそれはすべてなくなってしまう。

 それが、自分の判断ひとつで変わってくる。

 これまで僕は「来るもの拒まず、去る者追わず」的な人づきあいしかしてこなかった。大学のサークルやイベントをやっていて、こちらから参加を断るということは、特別な事情がない限りはありえなかった。

 でも、事業としてやる以上、スタッフとして十分な力量があり、かつ道塾のカラーに合う人しか採用できない。何かしら光るものを持っていて、塾生が「この人にならついていける」と心から信じられるような人間じゃないといけない。だから、どうしても断る率が高くなる。

 今も、自ら積極的に応募してきてくれた学生であっても、その半分以上は断ってる。実際、東大や早稲田といった大学に限っても、全大学生から数えればスタッフとして採用できる学生は1割にも満たない。

 実際にスタッフ候補と会うと皆やる気があり、人間としてはいいヤツばかりだ。だからこそ微妙なラインにいる子が多く悩まされるが、最終的に、不安の種が残る人はすべて断ることにした。

 これまでずっと「走り続けるよ」と言い続けてきた。実際、いつ止むとも知れぬレースにおいて、毎日がラストスパートのような日々を送ってきたつもりだった。でも、それはあくまで「ゴールに向けて塾生を励ます」という中での辛さだったのだなと最近は感じてる。

 塾生をゴールへ導く大変さと、人との縁を断つ辛さというのはまったく別物で、断りの電話に伸ばす手がとてつもなく重く感じる。それが何度かあって、久しぶりに歩みを止めたくなった。

 とはいえ。

 実際に足を止めてる暇はないので、今日も変わらず走り続けるだけ。というわけで、次の山場は7月17日。今年新しく出る学参本ではおそらくダントツでNo.1になるだろう。お楽しみに。
2009年5月22日

よくある質問と、その返答

Q1.勉強法を教えてください。
Q2.今からでも受かりますか?
Q3.やる気・目的がないんですが…。
Q4.人生をリセットできますか?

 テレビ放映後、多数の問い合わせをいただいた。道塾への問い合わせには特に支障なく答えられたのだけれど、僕への直接の問い合わせには僕一人しか答えられないため、多くの人には返事が遅くなってしまい失礼しました。

 ブログ上での質問には基本的に答えないことにしているのだけれど、今回の質問は主に上記の4パターンに分けられたので、まとめて返答、という形で以下に書くことにする。直接問い合わせをしていないが気になっていた、という人も多いと思うので。

 道塾への問い合わせはともかく、僕個人への問い合わせがこれだけあるのには驚いた。年齢層も小学生から50歳を超える人までバラバラで、日本中で、これほど多くの人が勉強について悩んでいるのだなと実感させられたのがテレビ放映後の感想。

 塾生や知り合いから聞いた話によると、放映された内容をホームルームで紹介する高校があったらしい。直接聞いただけで2件あるので、実際には結構な数になるのかもしれない。僕のようなアンチテーゼを唱える人間が学校体制内で紹介されるのはちょっと意外だった。

 ちなみに、こともあろうにそのうちのひとつは僕が一年で中退した母校(中高一貫校)の高3のクラスで、「立派なOB」と紹介していたと聞いた。その学年の学年主任は僕が在籍時(中1)の頃の担任らしくて、なんだか不思議な感じがする。あの頃は「バカ」とばかり言われてた気がするんだけどな・・・。笑



Q1.勉強法を教えてください。(藤さん他)
A1.必要な「勉強法」は一人ひとり変わってくる。たとえば、偏差値30の人と、あと1点で早稲田に受かる人とでは、勉強法は違う。だから、まずゴールを定め、その後に自分の立ち位置を分析して、そしてゴールと自分との間のギャップを埋めるにはどうすればいいかを考え、最適な処置を取るということが必要。この時、キーとなるのはインターネットの使い方。

 ただ、こうした一連の作業には、大量の情報を調べて整理することが欠かせない。そして、そのためには高い情報収集能力と豊富な時間が必要になる。けれども、現実にはそれは難しい。なぜなら、そう簡単に情報収集能力は上がらないし、ましてや受験生は受験までの限られた時間の中では勉強法などより勉強そのものに時間を費やす必要があるから。

 だから、受験生が勉強法を学ぼうとする場合、一般的には書店で売っている勉強法の本から学ぶことになる。実際、僕もそれをやったし、役に立つことも少なくなかった。ただ、これらの本を1,2冊だけ読み、それをそのまま自分に当てはめようとしても、実際はそう簡単に上手くいかない。理由は、一人ひとりの状況の違いによって、どのような勉強法が必要かが変わるから。

 こうした受験生に対して、できる限りのサポートをしたい、と思ってはじめたのが道塾の指導スタイル。毎週30分勉強法を教える、というのは試行錯誤の結果にできた指導法なんだ。だから、自分ひとりへのベストな勉強法を教えてほしい、ということであれば、道塾で学んでくれ、という結論になる。

 もしベストを求めないから一般的な勉強法を学びたい、ということであれば僕の書いた「早稲田への道」を参考にしてほしい。ここには細かな話は載せていないぶん、本当に受験の肝となる部分だけを載せているから、これを読むだけでもすぐに役立つことは多いはず。また、いま君が高校生なら「高校生新聞」が学校の教室や図書室にあるだろうから、そちらでの僕の連載もあわせて読むことも勧めたい。短い文だけれど、内容をぎゅっとつめているので。

 それと、今年の夏には僕の勉強法の本が出る。この本は細かな勉強法というよりも、受験勉強の概念を変えること、誰が読んでも役に立つこと、そして受験勉強全般の手引きになることを目的としている。そのため、必然的に基礎的な内容の本になるけれど、勉強そのものと同じく、勉強法も基礎がもっとも大切。偏差値が常時70を超えるような人でない限りかなり役に立つと思うので、興味があればこちらも手にとってほしい。なお、発売時期は7月下旬を予定してます。


Q2.今からでも受かりますか?(一ノ瀬さん他)
A2.これは「早稲田への道」で何度も聞かれてきた質問なので、そちらを参考にしてくれ。

といいたいのだけれど、念のため答えよう。

 今からでも受かるかどうかは、当然、志望校と、自分の置かれた状況によって異なる。ただ、僕と同じ私立文系(早稲田など)志望で、1日8時間を平均で確保できるのであれば、勝負できるところまでは確実にたどりつける。学校に行っている場合でも、授業を有効活用したり、不要な授業を切ることによって、1日8時間は一般的に確保できるはず(できない場合、道塾スタッフになった真野のように高校を中退するという選択肢も残されている。※勧めないけれども)。

 そういう意味では、時間的な面からだけ言えば夏までは誰にでも可能性は残されている、と僕は思ってる。ただ、最後に受かるかどうかは本人次第。何事にも「絶対大丈夫」なんてことはない。A判定を取っていても当日の調子が悪くて落ちることはザラだし、僕のようにE判定ばかりでも最後の追い込みで受かることはある。

 いずれにしても「受かりますか?」なんて野暮な質問をする暇に、受かるためのアクションを起こすヤツが先をいくのは間違いない。受かる可能性があると信じなければ、アクションを起こせないからね。

 それが分かったら、もうくよくよ悩んでないで、具体的なアクションを起こそう。可能性に賭けて、全力で突っ走ろう。そのための方法は「早稲田への道」に書いてあるはず。


Q3.やる気・目的がないんですが…。(トラさん、TTさん他)
A3.やる気は自然と起きるものじゃないし、目的はそう簡単に見つかるものじゃない。答えを求めて、すぐ見つからないからって、安易に諦めないようにしよう。少なくとも、僕は「これだ」という自分の生きる道が見つかるまでに、探しはじめてから5年以上かかった。でも、5年で見つかるのだって早い方だと思う。それまでの間は、苦しいけれど、自分の生きるべき道を探すのに必死になるべき時期なのだと思う。

 ひとつアドバイスをするとすれば、いきなり「これだ」という完璧な答えを見つけようとしないこと。完璧主義者ほど、つい「これだ」というものに巡り合うまで探し続けてしまうけれど、それは探せば見つかるというような類のものじゃない。ふっと舞い降りてくるものなんだ。

 たとえば、多くの人がゴールと設定して必死になっている大学受験だって、志望校に合格するということが「これだ」という最終的な答えにはなることは決してない。なぜなら、大学というのは、あくまで人生の通過点に過ぎないのだから。

 とはいえ、人生はどんなことだって通過点の連続。どこにゴールがあるかなんて、誰にも分からない。だから、一瞬一瞬、小さな自分なりのゴールを設定して、そこに向かって努力してみることが大切。そこで小さなゴールへ向けて努力することの面白さを感じることができれば、次からはまた別のゴールに向けて努力することができるよ。

 結論から言えば、そのプロセスを楽しむことにこそ、人生の充実感があると思う。だから、困難な道を歩むことこそ楽しいと僕は思ってるんだ。

 今、君の人生の先で待ち受けている大学受験で上手くいけば、色々なチャンスを手にすることができる。だから、とりあえずは大学受験を、それもできるだけ高い地点を今時点でのゴールと設定してみる。それは決して悪くない方法だと思う。

 もし、それでもなかなかやる気が起きないのであれば、とにかく具体的に動いてみること。頭の中で「やる気が出ないなー」なんて唸っていても、「やる気」というものがポロッと出てくることは決してない。

 やる気というのは、何かとぶつかって、その瞬間の摩擦熱から生まれてくるもの。だから、やる気を出したければ、とにかく具体的にアクションしてみること。インターネットで検索するもよし、本を読んでみるもよし、映画を観るのもよし、あるいは街や大学へ出かけたり、両親や仲間と相談してみたり、ね。普段あまりしないこと、がキーになることも多い。

 頭の中からやる気が出てくるほど、君の頭は燃えていないだろう? なら、熱をどこかに求めにいこう。

 これに関しては、ひとつ前の記事の最後に載せた、スティーブ・ジョブズの動画も参考にしてみるといいと思う。彼のスピーチはトップエリートの大学卒業生向けだけど、誰の心にも届くメッセージがあると思う。


Q4.人生をリセットできますか?(ZEROさん他)
A4.できます。

 大切なのは、1、本気でリセットしようと思うかどうか。 2、そのための方法を見つけられるかどうか(見つけられればやる気が出る)。 3、実行できるかどうか。これだけ。そして、リセットボタンはすぐそこにある。あとは君が手を伸ばすか、伸ばさないか。

 これまで人生が楽しくなかったと総括する人は、自分の人生を不遇だったと感じると思う。不条理だと思うこともあるだろう。僕もそうだった。ただ、その経験は、その状況から抜け出ることができれば、かけがえのない自分の財産となる。

 何の苦しみもなく生きてくると、苦しみそのものに共感することが難しい。でも、つらい経験をしてきた君だからこそ、できることがあるはず。君がやれれば、そのあとに続ける奴らもいるよ。だから、勇気を持って、一歩踏みだして、頑張ってほしいと思う。

 今の状況から抜け出ることができるかどうかは、ほんの僅かな差なんだ。どうせ無理だ、って冷笑するか、わずかな光を頼りに走りはじめてみるか。どちらを選びたいかは、君に残された「生命力」次第だと思う。まだ僅かでも残っているのであれば、それが尽きないうちにスタートしよう。

 迷う必要はない。スタートしなければ、いつまで経ってもゴールにはたどりつけないのだから。
2009年5月17日

HP更新と、テレビ修正点のお知らせ

21:30
下の記事の後、お知らせです。テレビ放映の後アクセスが集中し、現在、道塾のウェブサイトにつながりにくくなっています。恐れ入りますが、後ほどまたお越しください。

22:00
道塾のウェブサイトが落ちっぱなしなので仮サーバーを立てました。 こちら → 本サーバー復旧しました。




 ホームページをリニューアルしました。以下、新しい塾長挨拶…の前に、テレビの修正点をひとつ。大学4年生ではなく、正しくは7年生です。なぜこういうネタになりそうなことを意図的に間違えるんだろうか……笑

----------------------------

 塾長挨拶

 塾長の挨拶というのは、通常、美辞麗句を並べればいいのかもしれない。でも僕はそうしたことに意味があるとは思わない。だから今こうして道塾を続けている僕の想いを語ってみたい。そのために、すこし長くなるけれど、僕の高校時代から振り返ることにする。


 高校へ行くのをやめた

 9年前、僕は通っていた高校を辞めた。地元の公立校に通ってはいたが、そこで強いられる勉強に耐えることができなかった。
 入学早々、学校の勉強から逃げるようにインターネットに向かうようになった。特に熱中したのはネットゲームだった。昼夜逆転の生活が続き、まったく勉強しないまま定期テストでは0点ばかり取っていた。
 2年目になると学校の勉強はさらに厳しくなり、唯一楽しみにしていた修学旅行にあわせて膨大な量の宿題が出るまでになった。その時、僕の中で何かが切れたのだと思う。修学旅行から帰ってくると、僕は高校へ行くのをやめた。
 いま振り返ると、未来への希望のないまま強制的にやらされていた「勉強」は、僕にとって何の意味もない苦役であり、拷問にも等しいものだった。


 受験というゲームへ

 僕が受験をしようと思ったのはそれから1年後。高校時代の友人が受験を終えようとしている中、僕は一人で受験勉強をはじめた。高校中退という落ちこぼれの状況から、どうにか人生を切り拓こうと探してたどりついた道だった。
 だが、まったく勉強をしないまま高校を中退していた僕は、周りの受験生と比べると、実力も受験知識も圧倒的に不足していた。いざ勉強しようと思っても、何をすればいいのか分からず途方に暮れる日が続いた。
 半分は勉強の逃げ場として、もう半分は救いを求めて、向かった先がインターネットだった。ネットに手慣れていた僕は、ゲームの攻略法を探すように受験の攻略法を探しはじめた。勉強はほとんどしなかったが、時間をかけて集めた情報を整理し、もっとも効率よく勉強するための方法を築いた。


 やればできる、やれなければ未来はない

 その時点で残されていた時間は約6ヶ月。夏も終わりに近かった。志望校は、当時もっとも興味のあった政治の世界に近く、偏差値表で一番上に載っていた早稲田大学政治経済学部。目標へは果てしない距離があったけれど、明確なゴールがあり、そこへ向かうための道も見えていた。あとはやるだけだった。
 「やればできる、やれなければ未来はない」と自分に言い聞かせてはじめた受験勉強は、実際にやればやるほど伸びていった。正しい勉強法をすると、今まで感じたことのない速さで実力がついていくのが分かった。生まれてはじめて、自分が急激に伸びていると実感することができた。
 そうなると、机に向かうのが楽しくなった。学ぶことは「勉めて強いる」と書く「勉強」から、「自ら楽しく学習する」という「楽習」へと変わっていった。そうして僕は、目指すゴールへ向けて自分の道をひたすらに歩いた。
 3月の合格発表の日、僕は第一志望に合格したという報せを聞いた。1年前には僕以外の誰も想像していなかった。結果的、いちばん後ろからスタートした僕は、わずか6ヶ月の期間で数多くの受験生を抜かし、先頭でゴールを切ったのだった。


 人生を切り拓くチャンスを

 ただ、受験を終えて周りを見渡すと、僕のような受験勉強をしている人はほとんど見当たらなかった。志望校への最短ルートを見つけ出し、その道を確実に歩ききった人は意外なくらい少なかった。ましてや落ちこぼれであったり、わけあって勉強を1からはじめたりした人は、皆なすすべもなく受験で失敗していた。
 概してアンフェアなことの多いこの社会においても、本来、受験という制度は点数だけで結果が決まるフェアな勝負だと思う。だが、実際は受験の勝ち方を知っているか否かで大きな差が出る。そしてごく一部の人を除いて、その勝ち方を知っている人はいなかった。
 大学に入ってから「早稲田への道」を書いた理由は、僕のような落ちこぼれであっても、やる気があれば人生を切り拓けるチャンスがあることを伝えたかったからだった。


 絶望への悪循環の構造

 「早稲田への道」をはじめてから6年が経つ。その間に感じたのは、昔の僕のように拷問のような受験勉強に苦しんでいる若者は相変わらず多くなっているということ。そして、その根底には今の教育の仕組みに欠陥が存在しているということだ。
 現在、教育にかかる費用は異常に高く、生まれた場所で受けられる教育の質も大きく変わってくる。そうした差を埋めるためには、拷問のような受験勉強を若者に課さざるをえない。そんな中で苦しみながら勉強し続けても、志望校には到底届かず、敗北感を持って大学に進む人があまりに多い。大学に進学しても、その間の無味乾燥な受験勉強に何の意味があったのだろうと虚しく振り返ることになる。
 そうした受験教育を非難する人は多いが、その構造が変わることはない。だから結局は希望が失われていく。それは悪循環だ。僕はこの国の教育の現状は異常であり、危機だと思う。人生に絶望することを教えているようにしか思えない。本来の学びとはまったく違うものになっている。


 道塾のモデル

 それを少しでも変えることになればいい。そう思って僕は2年前に道塾を立ち上げた。やる気があればどんな状況からでも人生を切り拓ける道があることを示せば、この構造に切り込めると思った。学びは、本来の希望に満ちたものにできると僕は信じた。
 道塾を立ち上げるにあたってモデルとしたのは幕末の私塾だった。当時の私塾で学んだ若者の多くは勤勉だったが、今と違ってとても充実していたと思う。彼らは自分の人生を切り拓くため、そして世の中をよくするため、必死に学んだ。そうやって10代の頃に激しく学んだ若者の中から、高杉晋作や坂本竜馬、福沢諭吉といった激動の時代を切り拓き、現在の日本の礎を築いた人が生まれた。今と昔とでは状況は違うけれど、僕は、道塾においてそのような若者を世に送り出したいと思った。
 それから2年が経ち、今がある。道塾はまだまだ小さい塾だけれど、受験というものを通してこの国に希望の灯を燈したいという想いは変わらない。そして、わずかずつでも、その証となる若者が育っているのを感じる。


 希望がなければ生きていけない

 道塾は、偏差値を上げることには圧倒的な自信がある。ただ、それは受験塾として当たり前のことだ。
 僕が言いたいのは、単に偏差値を伸ばすだけの教育には、もはや意味がないということ。そんな勉強は苦しいだけだし、教育とは呼べない。ひたすらに勉強を続け、偏差値がいくら伸びても、手に入るのは世間体と、見栄と、せいぜい金だけで、それで幸せが手に入るわけでは決してない。その証拠は毎日のように新聞やテレビで流れているはずだ。
 幸せというのは、一人一人が自分の生きるべき道を見つけた時に感じられるものだと思う。だから百人いれば百通りの幸せがある。ただ、そのためは希望が必要だ。希望がないという状態は、生きるべき道がないということだからだ。
 僕は若者が希望を持ち、そのために必死になり、充実した生を送るための手助けができればいいと思う。それに共感してくれる若者が、道塾で学んでくれるといいと思う。


 一歩を踏み出す勇気を

 僕は今、実現できるかどうか分からない未来のことを語った。小さい頃から今この瞬間まで、ずっとそうやって生きてきた。実現できないことも多かったけれど、ひとつ、ふたつと夢が形になり、なんとかここまで歩むことができた。
 でも、僕のように夢や希望を語っても「お前にはできない」と言われる若者があまりにも多いように感じる。先生からも、親からも、若者は否定され続けている。ただでさえ希望の少ないこの国において、未来ある若者の芽までがそうして潰されてしまったら、この国の将来には何も残されていないと思う。だから、僕はそれを守りたい。育てたい。
 僕は生まれてきてよかったと思っている。たぶん一生そう言い続けるだろう。でも、僕のように言える人がこの国にどれだけいるだろうか? 僕らが住む日本という国は、物質的には豊かな国だ。そして、豊かな国に生きることが幸せであると示せないのであれば、世界の人々が豊かになろうとする意味はどこにあるのだろう?
 日本は多くの悪循環のために疲弊しているけれど、この国に生きる人は世界の範たる力を秘めていると思う。一人ひとりが未来を信じて一歩を踏み出せば、日本は変わるし、そうすることで世界をよりよくすることもできるはずだ。そして、それは豊かな国に生きる人の使命であると僕は思う。


 未来を切り拓く「希望の灯」を

 僕は、受験という小さな枠組みで戦っているに過ぎないけれど、日本を、そして世界を、変える覚悟でこの塾をやっている。この塾から、幕末の私塾のように、それぞれのフィールドで日本を、そして世界を変える覚悟で生きる人が育てばいいと思っている。
 こういう言葉を鼻で笑う人がいるのは知ってる。悲しいことに、現状では冷笑する人の方が多いかもしれない。でも、この塾が間違っていなかったと証明してみせる。ここで学んだ塾生たちは、やがて未来の日本を、そして世界を担っていくと僕は信じているから。
 先に上げた幕末を生きた三人の師である吉田松陰、佐久間象山、緒方洪庵といった人々は20代で私塾を開いた。学んでいた者の多くは10代の若者だった。はじめは見向きもされなかった彼らの挑戦は、やがて危機に陥る日本を動かす力となった。
 挑戦することで、未来は切り拓ける。それを僕は身を持って示し続けるし、そうやって若者に希望の灯を伝えていきたいと思っている。だから、こうした想いに共感してくれる人にこそ学んでほしい。

 最後に。

 これを読んで道塾で学ぼうとする人もいるだろう。でも、それよりも多くの学ばない人、事情があって学べない人がいると思う。それは仕方のないことだ。でも、このことだけは忘れないでほしい。

 大丈夫。希望はあるし、歩くための道もある。未来を信じて、一歩を踏み出そう。

 ふと迷ったら、この言葉と、このスピーチを。


「道」

この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けば分かるさ

 (哲学者・清沢哲夫『無常断章』より、アントニオ猪木の語り)


Stay hungry. Stay foolish.
2009年5月4日

「代償行為」をせざるをえない人へ

 溜まってた800ほどのRSSを消化中に突然これを書きたいと思ったので、たまには衝動的に。

会社を創業してからの日常は、ぜんぜん意識していなかったけれどじつは勝負・勝負の連続で、ブラックジャックのテーブルの上のチップとは比較にならぬ金額が、自分の判断の一つ一つによって、ちょっとしたことの成功と失敗の違いによって、出て行ったり入ってきたりするものなのだということが、ブラックジャックをやり始めてまもなく、鮮やかに身体でわかってしまったからである。

 それ以来、ラスベガスやタホに行っても、ブラックジャックのテーブルに坐ることはなくなった。

「ものぐさ」さんの『人は結局自分の人生を生きなければならない。あくまで生きるというのは自分自身の主観的な行為である。』という文章の言葉を借りれば、12年前に会社を始めたときに、僕は本当に「自分の人生を生き」はじめ、その代償行為を必要としなくなったのだろう。



 これを読んで、18歳になった直後、生まれてはじめてのカジノへ行く前、徹底的にブラックジャックを研究したのを思い出した。(受験を含めた)他のゲームやギャンブルと同様、やる前から「やれば必ず勝てる」という理論をひっさげて、僕は18歳からギャンブルができ、かつ南半球最大のカジノのあるメルボルンへ向かったのだった。

 ブラックジャックに限らず、23歳の頃に自分が生きる場所を見つけるまで僕は「代償行為」を続けてきた。

 代償行為の典型は、あらゆるゲームであり、ギャンブルだ。これらが多くの男にとってなくてはならない理由は、つまるところ彼らが自分の人生を賭けるに値するものを見つけていないということに尽きる。

 僕は、ゲーム機の前に座るたびに、ゲーセンの台に座るたびに、ネットゲーム用のパソコンに座るたびに、パチンコ屋に行くたびに、競馬場に行くたびに、カジノに行くたびに、そして麻雀台に向かうたびに、「自分の人生を賭ける場所はここじゃない」と思ってきた。

 23歳の時、MEGA PEACEというささやかなイベントを立ち上げてから、僕の人生は動きはじめた。このイベントを終えた直後に立ち上げたのが、このブログでもある。それ以来僕は、原則として自分に代償行為を禁じて生きてきた。そのことに対する不満は全くない。むしろ、梅田望夫が語るのと同じように僕は、自然と代償行為を求めなくなっていた。

 そういう僕から、代償行為をせざるをえない人へ、伝えたいことはふたつ。

 一つ目は、代償行為をやるのであれば、中途半端ではなく全力でやれということ。僕は前述した代償行為のすべてを「やり続ければ世界一も狙える」というレベルで研究し、没頭した。ただ、そこへの道を歩みきった場所から見える光景を想像できるようになった時点で、僕はその光景を見たくないと感じて歩みを止めた。

 そうして様々な「代償行為」をはじめたり辞めたりして、なんとか自分の生きる道を見つけるまで、僕は23年かかった。それでも、これはかなり早い方で、相当な幸運だと思う。その上で言うけれど、これが二つ目の伝えたいことで、どんな代償行為であれ、そこで感じる「虚しさ」はムダではないということ。

 ゲームセンターでの興奮が醒め、身体が冷えてくる頃になるといつも僕は「俺の人生は虚しい」と感じてきた。だが、その虚しさを振り払おうとするように没頭し、ゲームで言えば誰よりも強くなろうと、ギャンブルで言えば必ず勝って帰ろうと、研究や訓練に没頭したことが、今の僕の技術的なベースになっている。そして、没頭すればするほど強くなる虚無感が、僕が自分の生きるべき場所を求めるエネルギーになってきた。

 自分が「真に充実できている」と言えるほどのことはそう簡単に見つかるもんじゃない。それまでの間、男はずっと「代償行為」に手を染めなくてはならないのだと思う。でも、だからこそ伝えたいのは、その代償行為に必死になるのは決して無駄ではないということ。技術や哲学を学ぶのと同時に、そうせざるをえないことに憂鬱や不条理さや怒りを感じる、それ自体に意味があるということ。

 それらはすべて「生きるべき場所」にたどりついた時のエネルギーになる。すくなくとも、僕はそうだ。そして、僕が教えている子たちの中で、もっとも芽があるなと思うのはそういうヤツだ。

 中途半端に楽しそうな日々を過ごしているヤツらよりもずっと、「代償行為」をせざるをえない日々の中で苦悩している彼らにこそ、僕は希望の光があると思う。彼らが本当に「生きるべき場所」にたどりつけるようになった時、彼らが世界を少しずつ変えていくだろう。


 幸運にもすこし早く代償行為をしなくてすむようになった僕は、世界の片隅で、そうした場所にたどりつくためのささやかな道しるべを建てていこうと思う。

テレビに出ます。

◆エチカの鏡 ココロにキクTV(フジテレビ系列)
5月17日(日) 21:00 ~ 21:54(予定)
※放送日は延期する可能性あり

 道塾がテレビで放映されるのは、朝の「スッキリ!」に毎日新聞の記事が取り上げられて以来、2回目。今回は20分くらいの枠なので見応えもあると思う。「早稲田への道」がメイントピックだが、詳細は番組を観てのお楽しみで。

 受験生をはじめ、このブログを読んでくれてる人なら観て損のない内容です。よかったら、ご覧下さい。


 5厘刈り回避の第一弾。さて、準備するぞー。
2009年5月1日

道塾100人

 今期(3期目)の塾生数が100名を超えた。都道府県別に見ると、北は北海道から南は沖縄まで、過半数を超える24都道府県から入塾してきている。

 1期・2期をあわせると約200名の塾生が学んだことにもなり、今回の100名を超えるというのは感慨深い。年ペースで言えば毎年3倍ほど、去年から比べると5倍を超えるペースで伸びている。ただ、本来は3月末に塾生200名を達成したかったので、その目標からすると完全な未達成。

 次の目標は6月末。

 ここで300人を達成しなかった場合、何度も言っているが僕は必ず5厘刈りの坊主にするので(最近パンチパーマという説もあるが)、気合を入れてPRをやっていくつもり。現在、そのための特別プロジェクトチームの体制を整えているところ(ゆえに各方面に多大な遅れが……)。

 入塾のきっかけを聞くと「新聞を読んで(およびその派生)」という声が相変わらず多いが、「知人に紹介されて」「兄弟の勧めを受けて」という塾生もちらほら見かける。「友人の日記(blogやmixi)を読んで」というのもあって、ウェブ時代の口コミの広がり方を感じる。そのあたりは道塾の強みでもあるので、積極的に活かしていきたい。

 このところ新規スタッフの正式加入が続いていて、待機中のスタッフも10名ほど。その一人一人に個性があり、ストーリーがあるのが道塾の特徴のひとつだと思っている。

 明日は土曜日なので道塾はお休みで、代わりにあるのがスタッフパーティー。前期の打ち上げを除くと、会社化してからは初めての集まり。まだじっくりとは話せていないスタッフもいるので、個人的にとても楽しみ。

 会場は、まだ書いていなかったけれど、先週からできた新しい部屋。これまでの事務所の向かいの部屋だが、日あたりが良く、窓を開けるととても気持ちがいいのが特徴。


 スタッフの大半が学生のためか、GWも特別な用事がない限り皆出社して働きまくっている。むしろ学校の授業がない分、いつもより働いているんじゃないかという……。ほんとにおつかれさま。

 ただ、働くだけじゃ能がない。がっつり働いた後はがっつり遊ぶのが道塾スタイル。明日はがっつり飲み、食べ、語りましょう!


 ※道塾が人数を増やしていく理由については、3月2日のエントリー「【ブログリリース】 道塾、会社化前夜。 」を参照。
2009年4月28日

早稲田の学生へ マザーハウス代表講演@8号館

 昨日のエントリーで触れた「マザーハウス」代表の山口絵理子氏が、タイミングよく早稲田で講演をするようなので、お知らせ(普段はこういう宣伝はしないのだけれど)。

 ホンモノの起業家がどういう風に突き抜けているのか、肌で感じるいい機会だと思うので、興味のある人は早めに申し込むのを勧めます。先着30名とのこと。

 大学の「起業家」を養成しようとする姿勢には疑問もあるが、こういう取り組みは歓迎したい。

 参考
 (早稲田)ベンチャー起業家養成基礎講座2009
 起業家育成の可能性と社会的な取り組みの必要性 - Clear Consideration(大学職員の教育分析)


 以下、早稲田ネットポータルより。


【公開講義のご案内】マザーハウス 代表取締役 山口絵理子氏 ご講演

マザーハウスは、バングラデシュの麻の一種「ジュート」を活用したバッ
グや小物を中心に、ブランドの企画・デザインから製造、販売を手掛ける
急成長中のベンチャー企業です。代表取締役の山口絵理子氏をお招き
して、設立経緯や起業時の苦労話などをお話頂きます。

起業やベンチャー企業などにご興味のある方々は、奮ってお申込み下さい。

講座名称:「ベンチャー起業家養成基礎講座」
講義日時:2009年5月13日(水)18:15~19:45
場  所:8号館B107教室
講  師:(株)マザーハウス 代表取締役社長 山口絵理子氏

★参加要領
対象:学部学生・大学院学生・教職員
定員:30名(先着順)
申込期間:4/28(火)~5/13(水)

申込方法:所属学部・研究科等、学籍番号、氏名を記入の上
ベンチャー起業家養成基礎講座事務局(インキュベーション推進室内)の
アドレスまでEメールを送信して下さい。



マザーハウス ウェブサイト
2009年4月27日

希望なき国に生まれて(2) ~拝啓 若者へ~

 「希望」は現代日本のメイントピックで、最近も池田信夫blog「希望を捨てる勇気」や、Zopeジャンキー日記「希望を捨てたら、もっと不幸になる」なんかで、ちょっとした盛り上がりを見せている。よく扱われるものだが、その論調は少しずつ変わってきている。

 この現状に対して、僕は論理的ではないので、ごく私的な意志表明をここに記そうと思う。これは、『希望なき国に生まれて(1)』の続き。



拝啓 若者へ

 僕が通っていた私立中学を逃げるように辞めたのは12年前。高校を辞めて「退屈だ」と言っていたのは8年前。小説家という夢を諦めて自暴自棄になっていたのは、2年前だ。わずか2年で、僕は何もないクソ学生から、新聞に出たり、テレビに取り上げられたりするようにもなった。

 でも、12年前から、メディアに出るようになった今も、変わらないことがある。僕は、誰になんと言われようとも、一瞬一瞬を、自分の信念に従って、全力で生きてきた。誰に非難されようとも、褒められようとも、それに振り回されないように生きてきた。

 中学に受かった時、中学を辞めた時、高校に受かった時、高校を辞めた時、大学に受かった時、辞めると宣言した時、留年が決まった時、小説家を目指していた時、諦めた時、道塾を立ち上げた時、新聞に載った時、テレビに映った時、、、。そのたびに周りの見る目は変わった。特に「大人」の目は驚くくらいコロコロと変わった。

 でも。

 そういうことは些細なことなんだ。大学に受かったとか、辞めたとか、あるいは2chで叩かれるとか、メディアで騒がれるとか、要するに周りの目を気にすることなんて、そんなことは本質的にはどうでもいいんだ。

 大切なのは、自分の信念に従って、全力で生きていくこと。

 今だって僕は「大人」から見れば「大学7年なんてひどい落ちこぼれで、ろくすっぽ勉強もせずに、吹けば飛ぶようなベンチャーを遊びでやってる学生」としか思われない。そして、それはある種の人々からすれば正しい意見なのだろう。でも、そんな「大人の目」なんて、僕にとってはどうでもいいことだ。

 もし君が戸惑いを覚えるのなら、ひとつ聞こう。君たちを取り囲む「大人」が語ることは、ほんとうに君が心の底からなりたいような「大人」の言葉か? 他に、もっとなりたいと憧れる「大人」はいないのか?

 人の生き方に文句を言う「大人」は、いつ、どの国でだって存在する。でも、そんな言葉に惑わされないこと。濁り切った他人の目なんて、ほんとうはどうでもいいことなんだ。偏差値なんて、学歴なんて、その最たるもので、決して本質的なものではない。

 もし君が10代なのに、そんな「大人」みたいな濁った眼になりかけているのなら、取り返しのきくうちに目をすすごう。そうすれば、まったく違った景色が見えてくるはずだ。見えなかった光が、目に飛び込んで来るはずだ。

 受験屋の僕にとって、教え子をいい大学に受からせることは、たしかに大切だ。でも、それ以上に大切なことがあることを忘れたことはない。

 僕は腐りきった超エリートをいくらでも知っているし、逆に、素晴らしい中卒の職人も知ってる。当たり前のことなのに、だが、だからこそ皆わすれてしまっている。だからあらためて言おう。

 人がそれぞれに求めるべき幸せに、共通のものさしは存在しないんだ。

 人が狂う原因の多くは、周りの目に左右されすぎることにある。自分以外が作った軸に、身を委ねてしまうことにある。そんなことに惑わされちゃいけない。大切なのは、いま、この瞬間を全力で生きること。自分の意志で、自分の向かうべき方向へ生きようとすること。大人の言うことを鵜呑みにしないこと。疑問を持ち、自分の頭で考えること。

 そのための一歩を踏み出すことは、いつだって、誰だってできる。15で死んだような目をしてしまっているヤツもいるが、80でも青年の目の輝きをしている人もいる。自分が踏み出そうと思えば、いつだって踏み出せるし、全力で生きていくことができるんだ。そして、そこにこそ、生きることの充実、喜びが生まれるのだと思う。

 いまこの国に足りないのは、生きることの充実、喜びを、身をもって示せる人間だ。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、そのすべてを引き受けて、全力で生きようとすることの素晴らしさを、若い奴に伝えられる奴がいないことだ。

 「今の政治家の生き方を真似ろ、今の政治家のように生きればいいんだと、なぜぼくらに向かって大きな声で言えないんですか?」
(『希望の国のエクソダス』 p310)

 14歳の彼らに政治家が答えられないなら、僕が答えよう。

 生き方に「答え」なんて存在しない。それは、自分で見つけるべきもなんだ。一瞬一瞬、傷つきながらも全力で、倒れたら這ってでも前に進んで、そしてはじめて手に入れられるのが、自分の生き方なんだ。

 「生き方」を求める過程で、安易に人に頼っちゃいけない。人が教えられることには限界があるのを知ろう。突き詰めればこの世に「教育」なんて存在しない。結局のところ、僕らは傷つきながら自分で学んでいくしかないんだ。

 でも、目の前にあまりに希望がなくて真っ暗闇で、どこにも進めないように感じるのなら、僕を見てくれ。僕を真似てくれ。

 学校を辞めろとか、大学を留年しろとか、そんなことを言ってるんじゃない。僕はどうしようもないクソ学生に過ぎないけれど、自分の信念に従って全力で生きていることは、生まれてから死ぬまで変わらないだろう。これまでも、その軌跡をウェブに書き続けてきたし、これからも書き続けていくだろう。その姿は、ごくささやかであれ、ひとつの光になるはずだ。

 そして。

 目には見えないけれど、この国にはそうしたささやかな燈が、たくさん灯ってることも覚えておいてほしい。僕の周りにだけで、数十の灯火がある。それらが寄り集まり、ひとつの太陽のように世を照らすようになった時、希望へと続く「道」が生まれ、たくさんの若者が全力で駆け抜けるイメージが、僕の目の前にあるよ。

 大丈夫、未来は暗くない。

 希望のない国のように見えるけれど、僕はそうは思わないし、ましてや逃げるようなことはしない。愛するこの場で、愛する人々と、僕はやっていく。どこかに逃げるのではなく、この場で戦うこと。「希望の国の創世記」を、一筆一筆、愛でるように書き続けること。そうして、僕はこの国にホンモノの「希望」を創りだしていく。

 かっこいいことを言っていても、もちろん、僕にだって挫けそうになる時はある。でも、僕はそのたびに心を暖めてくれる先人たちの言葉で、なんとか生き延びてきた。そのひとつは、僕が昔住んでいた家の便所にあった。その壁には色褪せた色紙がかけられていて、そこには祖父が僕にくれた言葉が書いてあった。

たったひとりしかない自分を、
たった一度しかない一生を、
ほんとうに生かさなかったら、
人間、生まれてきたかいがないじゃないか
山本有三『路傍の石』

 生きる意味なんて、究極的には存在しない。でも、生きることを喜び、楽しむことはできる。せっかく生まれてきたのだから、「生まれてきたかい」のある人生にしよう。そのために必要なのは、自ら一歩を踏み出し、行動を起こし続けること。すなわち、全力で生きることだけだ。

 幼いころから僕は、あまりにも古くさいこの言葉を、だが無意識のうちに反芻してきたのだと思う。

 25年間生きてきて、確かなことなんて未だ少ないが、これだけは間違いなく言える。幸福は、自分で掴もうとしなければ掴めない。いいかい。自分の幸せを手放さないこと。人の価値に自分の人生を狂わされないこと。自分の人生の舵は、自分で握っていくこと。それだけは忘れないで生きよう。そうすれば、自ずと道は拓けるから。


 一昨日、ある友人がくれた言葉を、君にも伝えよう。

 「未来は、僕らの手の中に。」

 希望を手の中にぎゅっと握り締めて、今日も新たな一歩を踏み出していこう。





 最後に。

 最近出会った、もうひとつの「希望」を紹介しておきたい。彼は落ちこぼれの不良時代から一念発起し、米国留学を経てエリート商社に入るも、その道を蹴って自らの信念に従って全力で生きている、24歳の若者だ。ここにもまた、「希望の国の創世記」が綴られている。

 ソーシャルビジネス ベンチャー日誌

 彼が人生を賭けた「マザーハウス」という会社自体は、代表が「情熱大陸」に出たり、本を出版したりしているから知っている人もいるかもしれない。彼はそこで中核的な人材として事業を担っている。

 彼はまだソーシャルベンチャーに参画した一人の若者に過ぎないが、おそらく、そう遠くない未来に彼自身が表舞台で輝く日がやってくるだろう(彼には20代がまだ6年も残されてる!)。

 こうした希望の光が少しずつ寄り集まることで、世の中が照らされ、後に続ける道が生まれ、僕らの住む世界は変わっていくのだろう。こうした出会いがあるから、希望を捨てずに歩んできてよかったと心から思える。彼も書いてくれたけれど、僕も本当に今年一番と思えるくらい美味いビールを飲めた。



 ひとり、またひとりと仲間は集まっていく。「大人」たちが何を言おうとも、僕らがいる限り、希望の燈が消えることはない。そう語っても信じないのが「大人」だが、すべてを黙らせるために、僕らは結果を追い求め、それを彼らに叩きつけていくよ。
2009年4月16日

連載スタート@高校生新聞

 ブログに書くつもりでうっかりしていたけれど、4月10日から「高校生新聞」という媒体に月1の連載を持つことになった。700字程度の短いコーナーだが、僕なりの言葉で全国の高校生へメッセージを伝えている。コーナー名はブレストの結果、ジョンのアイデアで「勉強の3分レシピ」とした。

 この記事で僕は生まれてはじめて原稿料をもらうことになった。一時は小説家を目指していた僕にとって「原稿料」というのは魅力的な言葉だ。たいした金額ではないものの、自分の文章に対価を払ってくれる人が(間接的にであれ)世の中にいるという事実は単純に嬉しい。

 おそらくほとんどの高校生にとって、よくある勉強法のコーナーに過ぎないだろう。でも日本のどこかで偶然この記事を読んだ若者の心に、ささやかでも希望の灯を燈せたらいいなと思う。限られたスペースにおいて、表に打ち出している勉強法の裏に、そうした心を震わせる言葉を一語でも多く忍ばせていきたい。

 「高校生新聞」は全国4000校の高校と学習塾に向けて、約30万部が発行されているとのこと。図書室や進路指導室にはわりと置いてあるようなので、機会があれば探してみて下さい。
2009年4月13日

忘れられているもの、思い返すもの ~社会的雪かきの中で~

 たぶん、早稲田生の99%は忘れていると思う。そして、日本人の8割は知らないと思う。悲しいことに、世界中の過半数の人はそう考える機会すらないと思う。

 僕らは自由だということ。

 僕らは明日にだって今いる場所から離れることができる。大学を辞めて世界へ飛び出すことができる。会社を辞めて自給自足の暮らしをすることができる。そうして意識的に価値観を180°変えることもできる。

 「なんて突拍子のないことを」って思うかもしれない。

 でも、そうすることで失うものは何なのだろう? 僕らの命はそう遠くないうちに尽きる。そうした前提に立てば、やれないことは何ひとつない。もし条件をつけるとすれば、人を悲しませたり傷つけたりしない限りにおいて、ということだけだ。

 僕はいつもそうした生き方に想い焦がれてきた。でも、今の僕には目の前にやるべきことがある。だから、やるべきことを果たしたと思えるその時まで、淡々と日々のことをやり続けるだろう。

 ただ、それは僕にとって、ある種の雪かきみたいなものだ。そう、名付けるとすれば「社会的雪かき」。

 いま進めている物語のあらすじは読めてきた。きっとそれはそれで楽しい。でもいつだって未来に生きてきた僕にとって、あらすじの読める未来の物語は、もはや過去にも等しい。だから時々思い返すのだ。

 僕らは自由だということを。
2009年4月12日

新居




 平山ビルから引っ越すと宣言して一カ月。いくつかの理由から延び延びになっていたのだけれど、今日ようやく新居に入居した。「これで最後のシェアハウス」と切ない感じを演出しておいて書くのが憚られるのだが、新居はまたもシェアハウス。しかも、あの、高田荘。

 知らない人のために書いておくと、高田荘というのは早稲田のちょっとした名物で、三角形・三階建ての一戸建てに3人で住むという、かれこれ6年間続いているシェアハウス。

 様々な面白いヤツがここに住んできたが、最初からずっと住み続けてきた僕の大学時代いちばんの仲間、庄司がタイミングよく転勤することになり(明日から長崎!)、僕がその後に第7期の住人として入居することになった。

 平山ビルから高田荘への移籍。別に前の所属場所と喧嘩したわけではなく(笑)、新しい刺激を求めて移り住んだという感じ。道塾事務所は変わらず平山ビルのすぐ近くなので、今後も顔を出すつもり。

 高田荘の初日は世一の作ってくれた夕飯で久しぶりの手料理を食べた。今後は世一の幼馴染であり、ダンサー&保育士の卵である新田くんと住むことになる。この家には独特の人の流れがあるので、どんな新しい出会いが生まれるのか、今からわくわくしている。


世一と新田くん@高田荘2階
2009年4月10日

最近変わりつつあること


 森巣博の「越境者的ニッポン」を実に面白く読んだ。一昔前だったら手にすら取らなかったであろうこの本。理由はいくつかあるのだけれど、そのひとつは1月に行った瀬川さんと脇くんとの鼎談がある。

 海外で長く働いた経験のある瀬川さんが、「僕は、日本という枠は、村や町や県と同じように飛び越えてしまうんだよね。世界というならまだ分かるんだけど」と言っていた。続けて「なぜ君はそんなに日本を大切に思うんだろう?」と問われた僕は、実に素朴な答えしか返すことができなかった。

 以来けっこうな衝撃を受けて、「日本を変えなきゃ」と息巻いていた僕は何故そう考えるようになったのかを問いはじめた。長らく政治学科、それに早大政友会という政治サークルにまで在籍して、それなりには考えてきたつもりだった。だが『越境者的ニッポン』を読んで気がついたのは、そもそもその思考を形成するための材料が実に限られていたのだなということ。

 『越境者的ニッポン』は、日本という国がいかにおかしな国であるかということを、権力構造、特にジャーナリズム批判を通じて、これでもかと語り続ける。彼の主張だけがすべてではないと思うものの、なるほどそうだよなぁと思わされることも多い。この出会いをきっかけに、すこし思考の幅が広がるといい。世界の捉え方が変わるといい。

 最近は、少しずつ海の向こうへと目が向きつつある。10代の頃は「憧れ」の対象に過ぎなかったものにリアルな問題意識を感じるようになってきた。僕が実際に海外で何かをするのは当分先だろうが、でも、いつか何かを起こせそうでわくわくする。

 とはいえ。

 未来のために大切なのは、今この一瞬。まずは僕のできるこの国で、やるべきことをやっていくよ。


 PS. ほんと遅れていて関係者には申し訳ないのだけれど、今月中には「鼎談」を上げられそうです。
2009年4月9日

新加入


 写真の男は新しいホスト……ではなく、道塾7人目の侍となる新スタッフ、シオン。ちょっとした偶然と縁によって4月から道塾のフルタイムスタッフとして参加することになった。

 基本形が完成された文系に比べると、どうしても理系対応(特に難関理系)が遅れがちの道塾だったが、シオンの加入によって理系の対応力が急激に上がりつつある。今後、理系メインのスタッフが増えることでより一層の強化が見込めるだろう。

 シオンの他にも既に何人かスタッフ候補が入ってきている。今までは主に属人的なスキルによって成り立ってきた道塾も、共有できる方法論に落とし込むことで、徐々に基本的な能力があれば指導力を身につけられる体制が整ってきた。

 指導にあたるスタッフが増えることで、年齢も、バックグラウンドも、キャラクター的にも、多様になっていく。指導される側にとっても、する側にとっても、魅力的な場になっていくだろう。

 6月に塾生300人、スタッフ18人に届いていないと僕は五厘刈りにしなければならない(って言うことで、なんとか逃れようと気合いを入れてます)。指導力の強化にも力を入れつつ、一気にスピードを上げていくよ。


 アメブロならぬ「ダメブロ」で受験生に人気のシオンblog
 「ダメ男の鏡」
2009年4月6日

桜満開

早稲田、昼の神田川と、

皇居のお堀、夜の千鳥ヶ淵。

 千鳥ヶ淵の警備員が、赤いライトの点いた警備服を気ながら、「桜を照らすライトが光っているので、私もいつもより光っています」なんてジョークを拡声器を使って途切れることなく言って、ほろ酔い加減の見物客を笑わせていた。

 どんな仕事であれ、その道を徹すれば人に感動を与えられると思うと同時に、人を和ませるジョークも素敵だな、と思った。これまで見たきた警備員の中でも、圧倒的にレベルが高かった。今後、彼以上の警備員と出会えるのかな。

 道塾のウェブサイトは堅いし写真が怖いとよく言われるので、そろそろすこし笑いをとれるように崩していくつもり。もちろん、大学受験塾としての技術は日本一を自負できるよう追求し続けながら。そういうバランス感を大切にしたい。

 桜の咲く頃には道塾も落ち着くかと思いきや、5月そして7月とビックイベントが続きそうなので、僕らは変らず走り続ける。うねりを起こしていけそうな予感に胸が躍る。季節と共に、道塾はますます熱く激しくなっていくよ。お楽しみに。


 来年の桜の頃には、より多くの仲間、受験生、そして合格者たちの笑顔がありますように……!
2009年4月4日

子どもが生まれました


 という連絡をこの1ヶ月で二人からもらった。一人は中学からの馴染みで、僕が躊躇なく親友と呼べる数少ないヤツ。もう一人は大学時代にいちばんお世話になった政友会の先輩。ずっと気になっていたので、無事生まれたと聞いてほっとした。

 一方は大学院を卒業したてで入社4日目、もう一方は激務のテレビ局という大変な仕事環境だが、それでも間違いなく二人とも最高の父親になるだろう。娘さんということもあって、彼らが溺愛するのが目に浮かぶようだ。

 政友会の先輩は、「子どもは凄いぞ」と酔いながらも電話ごしに感動が伝わってくるほど語り続けていた。彼の興奮は一人の男が「父親」になったことの大きさを物語っていた。

 話しているうちに、道塾に入塾してくる子たちもこうした親の想いの元に生まれ育ったのだなと、自分たちのしていることの重さにあらためて気がついた。親は僕らに子どもの人生をいくらかでも「託す」気持ちでいるのだろう。それに応えなきゃならないと思う。

 子どもが生まれて親になるということについて、僕は本を読んだり人から聞いたりしての想像しかできない。ただ、どうやら人生観を根底から変えられるような出来事らしいということは分かってきた。

 昔は「俺が子どもなんだから持てるわけがない」とか「せいぜい30を過ぎてから」と思っていたのだが、不思議なもので、彼らの喜びが伝わってきたせいか、僕の中にも最近はその「変化」を楽しみたいという気持ちが芽生えているのを感じる。



 とはいえ、今すぐほしいとか、そういうわけではない。タイトルはちょっと驚かせようと思ってつけてみた。ま、3日遅れのエイプリルフールということで。
2009年4月2日

ネトゲ廃人(1)

 僕が人生でもっとも熱中したゲームは「Ultima Online」というネットゲームだった。MMORPG(Massively Multiplayer Online RPG)の元祖と呼ばれるこのゲームを高校入試の帰り道に買い、合格報告も耳に入らないほど没頭していった。「入学前にやるように」と高校から出された課題にも手をつけないまま、ただひたすらパソコンに向かっていた。

 後悔はまったくないが、高校を辞めた原因の何割かはこのゲームだと今でも思う。そうして社会的には落ちこぼれる一方で、僕はゲームの中で相当な力をつけた。数十人の仲間を率い、ゲーム内での1対1の戦いなら負けることがなかった。数千人いるサーバ内の一位決定戦で優勝したこともあった。

 最近あったいくつかの出来事から、こうした過去のゲーム周りの話をすることが多くなった。そのせいで、今日は久しぶりにこんな話をblogに書いている。

 僕が16,7の頃は、ネットゲームをする高校生自体が非常に少なかった。今ほどパソコンやウェブ環境が整っていなかったからだ。今じゃ「ネトゲ廃人」みたいな言葉まであり、こうした「落ちこぼれ方」はよくあるケースになったような感さえある。だが、そうした彼らに届く言葉を、いま誰が発することができるのだろう?

 僕がネットゲームにのめりこんでいった理由は、いま整理するとふたつ考えられる。ひとつは現実世界では感じられなかった自由さ。もうひとつは、無数の他者とのコミュニケーションの可能性だ。ネットゲームの世界には、田舎の中学や高校の生活では味わえない、素晴らしい世界があるように思えた。

 過去の僕と同じような境遇にいる若い子たちは、僕が彼らと同い年だった頃よりも、ずっと増えているように思える。おそらく学校は僕が通っていた頃よりも息苦しくなり、反対にウェブでのコミュニケーションの可能性はより広まったからだ。つまらない日常に飽きてウェブの世界に没入するのは、僕には「正常」なことにすら思える。

 だが、ネットゲームという世界から醒めて外に目を向けた時、その「正常」さは現実という壁にぶつかり、脆くも崩れてしまいかねない。過去のゲーム歴を語りはじめた時、あの時あの壁を運良く通り抜けられた僕は、同じ壁の前で呆然としている彼らに言葉を届けるべきだと思うようになった。

 (2)へ続く。
2009年4月1日

人生最後の1日

 10代と20代で大きく変わったことのひとつは死生観。

 10代の僕にとって、死ぬ瞬間にいかに満足した人生を送ったと思えるかが何より大切なことだった。だが20代になってからは、最後の1日に満足して死ぬのではなく、今この一瞬一瞬に満足できるかの方がずっとリアルな問題になった。

 生まれてからずっと幸せで最後の1日だけ不幸せなのと、生まれてからずっと不幸せで最後の1日だけ幸せなのと、どちらがいいのだろう? という問いの末に、僕は最後の1日は不幸でもいいや、と感じるようになったのだ。

 だが、おそらく、今述べたことはどちらも現実には起こりえない。幸せと不幸せは繰り返しやってくるからだ。ある時それに気がついて、「満足した一生だった」と言える人であっても、不幸せよりも幸せの方が3%くらい多いだけなのだ、と思うようになった。

 その3%を大きくするためには、幸せも、不幸せも等しく引き受けなければならない。どちらか一方だけを選り好みすることはできないのだから。そうして、幸せ100・不幸せ97の道ではなく、幸せ1億・不幸せ9700万の道を歩みはじめた。

 それ以来、僕はあらゆることを引き受けられるようになった。たとえ人生最後の1日が絶望のただ中で終わるとしても、それは単純に「運」の問題に過ぎない。いつ人生が終わるかなんて、誰にも解りはしないのだ。

 だから、日々を燃やし尽くせるように、全力をかけて生きていく。


 #エイプリルフールのネタが思いつかなかったので、ちょっとマジメに。
2009年3月31日

道塾、創業3年目

 2年前の今日、道塾のホームページを公開して入塾を受け付けた。最初は1月で5人くらい申し込みがあればいいなと思っていたのが、あっという間に10人くらいが申し込んでくれた。あの時の驚きは忘れられない。

 2年目の受験が終わって代が変わり、今日から3年目。シェアハウスの隅で、わずか一人ではじめたこの塾も、今やスタッフ7名を数え、素晴らしき仲間たちと共にまた新たな一歩を踏み出そうとしている。

 受験生が皆抜けたにも関わらず、この1ヶ月で多くの入塾があり、既に2年目の塾生の最大数を超えた。人数は爆発的に増えているが、その分だけ心強い仲間が増え、一人一人のやる気も能力も上がっているので、質は下がるどころかより一層高くなるだろう。

 道塾に2年間在籍して早稲田に合格したある塾生のアンケートには、「2年目はあらゆる面が改善されパワーアップされていてよかった」と書いてあった。来年もまたそう言われるために、日々スピードを上げ続けていくよ。



 開塾当時は手作りのダサくて胡散臭いホームページで、今じゃ「よくあんなホームページで入塾してきたヤツがいるよな」なんて笑い話になるけれど、その分、一行一行には想いを込めて文章を書いていた。

 その、最初の文章がこれ。


◆道塾 開塾にあたって(2007.03)

「早稲田への道」を建ててから3年半。
その間、4回の受験があったが、
多くの読者を得て、
想像をはるかに超える反響と、結果を残せた。

ここまでたどり着けたのは
毎年3月頃にたくさん届く
早稲田への合格報告の書き込みや
メールのおかげだと思う。

早稲田に落ちてしまっても、
おかげで~大学に受かりました、とか
一年間がんばれたのは「早稲田への道」のおかげです、
なんて言ってくれるやつもいて、
誰もが志望校に受かるわけではない受験において、
こうした言葉は俺にとって何よりの救いになった。

時には批判もあった。
されるべき点は甘んじて受けるし
そうじゃないと思う部分にはそう言ってきた。
受験技術には自信があっても、
俺の対応の仕方は、正直言って反省だらけだ。
でも、それを含めても、やってきてよかったと今は思う。


ただ、自分自身がそう納得できたのは、実は最近のこと。

スレを建ててから最初の3年間は、
早稲田への道をやっていることを、周りには言わなかった。
そもそも2chでスレを持っているなんて
かっこいいことじゃないというのは、誰にだってわかること。

でも、いろんな想いや理由があって、
例えば、あまり機会は多くないけれど、
飲みながら受験時代を振り返って語る場面や
あるいは友達の兄弟から相談を受けるといった場面で
早稲田への道について公言することを厭わなくなった。

そうしていくうち、大学の内外で、
早稲田への道を見てました、
あのスレと出会えたおかげで今があります、
なんて言ってくれる奴に出会うようになった。
長い付き合いの後輩の中にもいて、
お前が? みたいなことも少なからずあった。

俺がuであり、その俺と出会えたことを
涙ながらに喜んでくれる人がいた。
その驚きと喜びとの入り混じった表情が、
スレを続けてくることができて
本当によかったなと、深く感じさせてくれた。


スレを建ててから、
「道は自分でしか歩けない、
俺やこのスレッドをはじめ、
あらゆる情報は自分の道標になるに過ぎない、
必要なのは逃げ出そうとする己に克つ力だ」
という意味のことをずっと言い続けてきた。

今でもこの考え方に変わりはない。
ただ、4回の受験を見てきて痛切に感じたことがある。
それは、己に克つ、と口でいうのは容易いけれども
自分ひとりで己に克つのはとても難しい、ということ。

矛盾しているようだけれど、
己に克てるのも、他人の助けがあってこそなんだな、
ということを俺は痛感したんだ。


道標としての俺の方法論は、
数ある受験技術の中でもかなりベストに近いものだ、
と今は自信を持って言える。

大学受験をゼロから始めるようなレベルから
一年足らずで早稲田に受かるなんて
ふつうに考えてみれば信じられないことだけれど、
「早稲田への道」では十分にあり得ることになっている。

効果や結果についてはログを何度も読み返し、
すこしでも実践すればすぐに納得できると思う。
だから、ここで多くを語ることはしない。

俺が言いたいのは
自分ひとりで歩いて行く上での「気持ち」の問題だ。

道をひとりで歩ききれるかどうか。
それが自分の意志の問題だと言えばそれまでだ。

だが、生まれてはじめての
見たこともないくらい高い、受験という壁。
それを目の前にして
ひるむことなく超えられる奴は、
4年のあいだ、ひとりも見なかった。


俺自身、受験期を振り返ってみれば
強がってはいても不安があったのを思い出す。

自分の志が高かったから
努力によって合格できたんだ、
と豪語することはできる。

でも、志を高く保てたのも、
実力を着実につけていけたのも、
幸運が積み重なったからこそだったんだな
と、あるときに気がついた。

家族は当然のように俺を支えてくれたし、
義理もないのに応援してくれた人もいた。
ともすれば一人で悩みがちな俺に
中学時代からの友人は声をかけてくれたし、
初恋が受験へのモチベーションにもなった。
本番に強いという性格もあって、
第一志望では120%の実力を出しきれた。

でも中には、
家族には見捨てられかけていて、
友達も一人もおらず、
恋愛なんてとんでもない、
本番は緊張して実力の半分も出せない、
なんていう奴もいるんだということを、
メールで対応していくうち、驚きと共に知った。

もちろんこんなひどい例は少数だけれど、
多かれ少なかれ世の中は不条理で、
その時々で何が起こるかは分からないし、
自分ひとりで解決できないことも多い。

そうした思いが強くなっていた4年目は、
妹の受験とちょうど重なったこともあって
電話やメールでの相談を今まで以上に受けつけた。
その過程で、受験技術をどれだけ活かせるかは
気持ちの問題がとても大きいということを感じた。


気持ちというのは
それ単体で独立しているわけではなくて、
志の強さだったり、
成績の伸びだったり、
周囲との関係だったり、
勉強の進み具合だったり、
たくさんのことが互いに関係し合っている。

たとえば、つらいと思っていても、
実力がついているのを実感できたり、
成績が上がったのが具体的に分かったりすると、
苦もなく勉強し続けられるようにもなるものだ。

受験技術を活かすも殺すも、
結局はいかに気持ちを維持できるか、
ずっと上向きのままでいられるか、
それによって決まる。

逆のことも言えて、
気持ちを上向きで維持できるか否かは、
受験技術を活かし続けて、
壁にぶち当たって悩んだり
間違った方法によって遠回りをしたりすることを
いかに避けられるかが、とても大きく影響してくる。

つまり受験は質+量+心(志)のような
それぞれが独立している足し算ではなく、
質x量x心(志)=結果という掛け算であり、
互いに関係し合っているということ。

そして、それぞれが高くなればなるほど、
その結果としての伸びも飛躍的に高まる。

それらをトータルで支えることができれば、
早稲田への道はぐっと歩きやすくなるし、近づく。
そして4年の結果として、今の俺にはそれができる。
そう考えて、俺は塾を立ち上げることを決めた。


「塾」なんていう古めかしい言葉を使うのには理由がある。

明治維新前夜の日本には
江戸時代から続く習慣として、
才能ある学者による私塾がたくさんあった。
その中のひとつに「適塾」という塾がある。

日本史選択なら知っているだろうが、
この塾唯一の師である緒方洪庵は
当時最新の学問とされていた蘭学、
とりわけ医学に長けていた人で、
人のために一生を捧げた教育者。
そして、俺の理想の教育者でもある。

適塾からは一万円札の福沢諭吉をはじめ、
後の日本を担うことになる多くの人間が
直接、間接に輩出された。
適塾そのものも、後の阪大医学部の原型となる。

俺は緒方洪庵のように立派な人間ではないけれど、
気持ちだけは緒方洪庵にも負けないくらい、本気のつもりだ。


この塾をはじめるいま、俺には夢がある。
日本の教育、そして社会を、少しでも変えるという夢だ。

俺は、わりといい私立中学を辞めた。
その数年後には、わりといい公立高校も辞めた。
その結果、高校中退のフリーターとなった。
残されたのは、若さという希望だけだった。

俺が中学や高校を辞めた理由は、
一言でいえば、つまらなかったから。
幸いにも友達には困ることがなかったけれど、
学校の方針に馴染めなければ、そこにいてもつまらない。

勉強して成績がよければいい
という考え方に俺は従うことができなかった。
俺には、もっとやりたいことがあったんだ。

修学旅行に合わせて宿題が山ほど出された。
旅行先にまで宿題があるなんて、俺には信じられなかった。
でも、周りみんなは文句を言いつつも、持ってきていた。

これが高2年の冬。17歳だった。
俺は勉強より、もっと楽しいことがしたい。
そんな反抗心があって、高校には行かなくなった。
そうすると、もはや社会の落ちこぼれ。
日本社会では、最底辺に分類されてしまう。

でも、そこから俺は這い上がり、舞台に立てた。
幸福な偶然が重なった結果、
いま俺はとても充実した日々を送っている。


好きなことをやっていると、
社会から取り除かれてしまい、
ふつうは二度と立ち上がれない。
志を持っても、情熱に火がついても、
現実という壁にぶち当たり、
あっけなく押しつぶされてしまう。

やりたいことをやった分だけ、
大変な道を歩まなければいけないのは仕方ない。
それは自分の責任なのだから当然のことだ。
でもだからって、そこで道を閉ざされてしまうのは
あまりにも悲しいことだと俺は思う。

だから、そこに、道を作りたい。
志ある奴が、再び舞台に上がれる道を。

どんなどん底にいたって、
本気で歩めば拓ける未来があることを伝えたい。


これがこの塾を立ち上げる、俺の想い。


そして、できることならその結果として、
さまざまな幸せのカタチが認められる世の中にしたい。

俺が大学を志した理由は、
ひとつには人との出会いがあるけれど、
もうひとつには、やはり学歴だ。
なんと言おうと、それが今の日本の基準だから。

でも、そのころから俺は
学歴なんて大事じゃないと胸の内で思っていた。
金や地位や名誉があっても、
幸せにはなれないということを感じていたから。

学歴や肩書きが不要だとは言わない。
でも、それは目的ではなく、
ゴールへの、
無数にあるうちのひとつの手段に過ぎない。
ゴールと方法とを取り違えると、
気づいた時には後悔だけが残る。
そんなの、俺は嫌だ。

ゴールってなんだ?
どこにあるんだ?

それには俺はこう答えたい。

「幸せ」だよ、と。
そして、そのカタチは人それぞれだ、と付け加える。

好きなこと、幸せ、それを追い求められればいい。
誰も彼もが、幸せを肩書きや数字に置き換える必要はない。
そう言うために、俺には学歴が必要だった。

志さえあれば誰でも大学に入れるのであれば、
偏差値や学歴という尺度は相対化されるはずだ。

数字や肩書きではなく、
ひとりひとりの生き方
それぞれの「幸せ」のカタチが
もっと尊重される世にしたい。
偏差値や学歴だけがモノサシの目盛り
という価値観を変えたい。

幸せのカタチが見つかっている奴は、
そのカタチを信じて生きていけばいい。
でも、まだそれがぼんやりとしている奴にとって、
大学というフィールドは、
幸せのカタチを探したり、
創ったりするのにもってこいの場所だ。

幸せのカタチの多様性、
その大切さを伝えながら、
それぞれの幸せのカタチを追い求める手助けをしたい。
そんな夢物語を、俺は自分の胸に抱いている。


受験生にとっては、
遥かなる早稲田への道。
俺にとっても、理想、夢への道。

そこから塾の名前は、
夢への道をあゆむ塾、
道塾(どうじゅく)、とすることにきめた。

道という言葉は、
人生であったり、
老子の道(ドウ)という言葉であったり、
なにかと俺の好きな言葉でもある。
名に恥じぬ塾にしたいし、塾生になってほしい。


俺は塾生全員を
緒方洪庵に負けないくらいの気概で、
早稲田ないし志望校に受からせるつもりでやる。

塾に入るやつも、
福沢諭吉に負けないくらい強く熱い気持ちと
高く真っ直ぐな志と、
強い意志とをもった奴にこそ、入ってほしい。

一人じゃ勉強できないけれど
塾へ入れば成績が上がるだろう、
なんて志の低い奴には入ってほしくないし、
そういう心構えでは、受験は乗り切れない。
俺の塾を利用しても、無駄なだけだと思う。

根本にあるのは、
自分ひとりで、遙かなる道を切り拓いていく覚悟。

だが、そういう奴でも挫けそうになる時がある。

そんな時に、
単なる道標を超えて、
ひとりの人間として、
俺が役に立てればいいと思う。


適塾から輩出された多くの人材は、
激動の明治維新に影響を与えたというだけに留まらず、
20世紀の日本の礎を築いたといえるほどの功績を残した。

今と昔では、塾という言葉の意味が違う。
今は受験テクニックを教える場所が塾といわれる。

でも、
昔の塾は、もっと素敵な場所で、
人生を切り拓き、世をよくするために、
命がけで学ぶ場所だった。

閉塞感が漂い、もはや落ちるだけに思える日本でも、
21世紀の世界を担う人間の1人として俺は役立ちたい。
そして、そんな想いと志とをもった塾生が、巣立ってほしいと願う。

俺は全力を尽くす。
夢は叶えるためにあるんだ。

俺の志を理解して、
心に響くものがあれば、
ぜひこの塾で学んでほしい。

2007.03.31 written by u



想いは今も変わらず。
2009.3.31 written by u こと 馬場祐平
2009年3月29日

出会いと別れと結婚と

ここ3日間のフォトアルバム


政友会追いコン




メガピ卒業音楽会








庄司送別会







WIF卒業パーティー






鈴木モトヨシさん結婚式二次会








その後@わっしょい


それぞれ、また新たなステージへ。
愛する(尊敬する)彼らと時を重ねられた僕は幸せ者です。
これからも変わらず互いの土俵で勝負し続けていきましょう。