2008年9月30日

強くなければ、優しくなれない。


 一昨日付のエントリーで「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」というレイモンド・チャンドラーの言葉をひいた。僕はこの言葉は昔から好きなのだが、思い返すと原作を読んだこともなければ、読もうと思ったことすらない。だから、この言葉は僕が勝手に解釈しているだけだ。その上で。

 このセリフは主人公が作中のヒロインに、「あなたの様に強い(hard)人が、どうしてそんなに優しく(gentle)なれるの?」と問われて返した答えらしい。

 そんなこと、聞くのが間違ってる。僕はその答えをチャンドラーに言われるまでもなく知ってる。強いからこそ、優しくできるのだ。それが世に知られていないのは、優しいふりをした弱い奴は限りなくいるけれど、本当に強くて優しい人は、その姿を稀にしか見せないからだ。

 僕は人に優しくなりたかった。でも優しくなれなかった。それは僕が弱かったからだ。表面的に優しさを装うことはたやすい。でも、うわべの表情を剥ぎ取ってみれば、僕らは自分の持てる強さの中でしか、人に優しくすることはできない。それはカネでもモノでもなく、生身の自分自身だ。だから、強くなろうと思った。

 強くなるためには、中途半端な勝負じゃダメだ。そう信じて、自分をギリギリまで追い込むというやり方にこだわってきた。それを現すものとして、よく使っていた例え話がある。

 ご飯をよそる「お椀」のようなものを想像してみてほしい。それが自分という「器」だ。そして、その器に入るものが自分が、抱えられるものだ。この容量を大きくしていくのに、一番いいのはどういう方法だろう? 少しずつ時間をかけて、器の材料を継ぎだしていくか? それとも、いっそのことゼロから作り直すか?

 僕は、ごくシンプルに言えば、そこに入りきらないものを突っ込むという方法を選んだ。突っ込んで、ヒビ割らせ、急いで補修しては、また入りきらないものを突っ込む…。その繰り返しの中で、僕は自分の器を少しずつ大きくしてきた。少なくとも、そのつもりだった。

 ギリギリまで追い込んでヒビを直し続ける過程で、その綻びから何かがこぼれ出てしまうことがあった。それは自分が失いたくないものだったり、大切な人だったりした。時にはそれが誰かを傷つけることもあった。

 それは僕自身のエゴの結果だ。けれど、真実に目を背けなければエゴしか持ち得ない僕らにとって、仕方のないことなのだと言い聞かせてきた。強くなれば、そういうことは起こらなくなると信じてきた。

 そういう繰り返しを経て五年以上が経った。そろそろヒビ割れることも減ってきたように感じていた。久しぶりに、自分の器を超えたものを突っ込んでみる。すると、やはり五年前と変わらず、僕の器にはヒビが入った。そして、いつかと同じように、また何かがこぼれ出ていった。

*********

 小飼弾というブロガーが最近出した「弾言」という本の中で、「人間は、他人を喜ばせて初めて満足できる生き物」と語っていた。僕は21歳の頃にそのことをはっきりと理解した。その瞬間から、本だけを相手に過ごしていた自分と訣別し、リアルな他者へと向かって一歩を踏み出し始めた。僕にとっては、その歩みの到達点がMEGA PEACEであることは、過去に何度も書いてきた。

 僕が知る中でもっとも強い人の一人、そして僕を家の外へと駆り立てた当人であるスピノザは、こう言い残して生涯を閉じた。「すべて高貴なものは、稀であると共に困難である」(「エチカ」)。ある一時期から、僕にとって強くなることは高貴に生きることと同義になった。それはスピノザの言う通り、稀であり、困難な道のりの果てではあるのだろうが、たどり着ける場所だと信じたい。

 「人間が軽薄である限り、何をしても、何を書いても、どんなに立派に見える仕事を完成しても、どんなに立派に見える人間になっても、それは虚偽にすぎないのだ。略。自分の中の軽薄さを殺しつくすこと、そんなことができるものかどうか知らない。その反証ばかりを僕は毎日見ているのだから。それでも進んでゆかなければならない」(森有三、梅田望夫「私塾のすすめ」より孫引き)

 「完璧な優しさ」を持ちうるような強さがほしい。でも、その道のりは、果てしない。日々の僕がすることは「完璧な優しさ」とはまるっきり正反対のことばかりだ。そんな優しさが存在するのかすら、今の僕には分からなくなっている。少なくとも、エゴの結果として誰かを傷つけることを「仕方のない結果なのだ」と言っている限り、僕は本質的に変わることができないんじゃないかと最近は思う。

 僕はただ歌を歌い、ビールを飲み、時々こんなしょーもないエントリーを書く。そして翌朝目を覚ますことができたら、再び走りはじめる。ゴールは見えなくとも、信じて進んでいく以外に道はない。だから、一歩ずつ前へ進め。そう言い聞かせて、今日も眠りにつく。


 こんな話をするのは今日で最後にしよう。10月に入ったら、僕はまたひとつギアを上げる。


【フォト】 去年のMEGA PEACE vol.1の画像。なくしたと思ってたのだけれど、草苅君が再び焼いて渡してくれたのが出てきた。感謝。/vol.2まで残り3ヶ月を切った。みんな、頑張って。
2008年9月29日

政友会、第49代の幹事長


 僕の大学生活前半期において文字通り「すべて」だったサークル、早大政友会の幹事交代式が行われた。式には参加できなかったが、その後の1次会にだけ顔を出させてもらった。もう引退して丸3年が経つが、僕は年甲斐もなく参加させてもらった。

 引退した第48代政友会幹事長(庄司が45代だから時が経つのは早い…)の関口草とは、結局あまり深い付き合いをできなかった。ただ最後にスティーブ・ジョブズの話をしたらしい。聞けなかったのが残念だ。まぁ僕がファンだった鎌ちゃんを持って行くくらいだから、きっといい幹事長だったのだと結論づけた。笑 引退した彼らが、どういう一歩を踏み出すかが楽しみだ。

 僕が2年前に書いた、 「先輩後輩がなくなる日」というエントリーがある。もしこれを政友会の1,2年生が読んでいるのならば、こういうこと言ってたおっさんがいたぜ、って仲間達に伝えてもらえれば何より。そして、同じことを3,4年生にも伝えたい。政友会は、伝統的に先輩と後輩のつながりを活かしきれてない気がするから(みんな遠慮し過ぎなんだよ)。

 政友会の新しい幹事長は小林豊明という2年生だった。僕が彼の幹事長としての考えを知ったのは、ほんの数日前。新しい幹事長が決まり、それと同時に届いた一通の会内メーリングリストにおいてだった。

 「こんにちは。この度、政友会の第49代幹事長を務めさせて頂くことになりました文化構想学部2年の小林豊明と申します。今回私が幹事長として目指すのは「みんなが笑って過ごせるサークル」です。みんなが笑って過ごせるサークル、やりたいことをなんでもできるサークル、誇りを持てるサークルを実現できるよう骨身を惜しみません。後輩、同輩には度々迷惑をかけ、諸先輩方にはまだまだ及びませんが、会員の皆様が政友会員でよかったと思えるよう、誠心誠意頑張りますので、どうかよろしくお願い致します!!」

 正直に言えば、僕は「みんなが笑って過ごせるサークル」に魅力を感じない。何か違うんじゃないかな思い、と僕は就任早々の幹事長に下手するとケチをつけかねないなと思いながら参加していた。場も落ち着いたところで、何人かの一年生を交えて話しはじめた。

 政治サークルというと雄弁会が思い浮かべられる。僕がいた頃には、保守としての雄弁会に対する、革新としての政友会という趣が(すくなくとも僕の中には)あった。今や政友会は日本一の政治サークルと言えるだろう。定性的なものは測りにくいが、サークル員の数という定量的な部分においては間違いない。

 だからこそ、僕はそこに甘んじてほしくなかった。それは常々思ってきたことだった。政友会は僕の二代上、三代上の人が中興の祖として引っ張り、僕の上の代から急速に勢いを増したサークルだった。そこには確かに、主流ではないことによる息づかいがあった。その熱を忘れて欲しくないというのが、僕の本音なのかもしれない。

 それを直球でぶつけた。「みんなが笑って過ごせるサークル」と言った新しい幹事長に、それは甘いんじゃないかってことを伝えてみた。彼は一歩もひるむことなく、僕に真っ向から意見を返してきた。僕が語ると、彼は自分の価値観を語っていた。そして後輩の一年生に向けて、僕に真っ向から意見を言うくらいになってほしい、と言っていた。その上で「みんなが笑って過ごせ」、その結果として「誇りを持てるサークル」になってほしいと。

 100人規模の大所帯ともなると、利益でつながれているわけではないサークルという集団は、まとめるのが大変だ。ましてや政友会は多くの他サークルのように明確なゴールがあるわけでもない。「政治サークル」という曖昧な概念と、「人の魅力」といったこれまた分かりにくい価値とで、仲間をつなぎ止めるしかない。

 でも、彼のような幹事長ならば、同期や後輩がついてくるだろうなと思った。本気でコミュニケーションを求めている人に、人はついてくるものだ。僕も、僕より一回り若いはずの彼と話していて、学ぶところがたくさんあった。これは、ものすごく嬉しい誤算だった。次に政友会に行くのが楽しみになった。

 政友会は、日本一の政治サークルだ。そして、それは日本のトップエリートということになる。その言葉に負けぬよう、日本を率いていける集団となる覚悟で、本気で突っ走ってほしいと思う。引退した前幹事長、関口草が最後に後輩へ向けて語っていた。「可能性は無限にある」。本当にその通りだ。その言葉の意味に、過去を振り返る前に気づいてほしいと思い、僕はこんな文章を書いている。

 100人のトップエリートが本気になれば、日本をリアルに少しは動かしていける。それだけの力を担っていることを忘れずに、学生という枠に甘んじずに、頑張ってほしいと思う。昨夜は、それにちょっと期待できた、とても楽しい夜だった。こんな年寄りを苦い顔をせずに迎えてくれた素敵な後輩達に、感謝。


 【フォト】 第48代幹事長、関口草と。1年間、本当におつかれさま…!
2008年9月28日

「あたし彼女」

アタシ

トモの彼女

だからさ

ねぇ

キスしてよ

 という五行から始まる「あたし彼女」。生まれてはじめてケータイ小説なるものを読んだ。率直に言って、僕はすごく面白い小説だと思った。数十年後には消えてなくなるジャンルなのかもしれないが、この文体からしか生まれない味わいがある。すくなくとも、頭のいい人が脳みそを捻くり回して書いた小説よりも、ずっとストレートに心に刺さった。

 ケータイ小説ってのは巷で色々言われてるみたいだ。「恋空」も読まずじまいの僕はそれを語る資格もないのだろうが、よく耳にする「浅い」とか「深い」とか、作者はそんなことを考えずに書いたのだと思う。この文体が生まれた理由を分析することもできるし、不条理の哲学を含んだ小説だということもできるのだろうが、あまり興味がわかない。

 僕には、ただ単純に面白かった。共感するところもあったし、ふーんって思うところもあった。けれど、いわゆるそこらの「ブンガク」を読むよりは、ずっと意味のある時間だった。僕の心を揺らしてくれた。それで揺れ動く心なんて単純だねと言われれば、その通りだと答えるしかない。それが僕の感じ方なのだ。

 この小説を読んで僕が思い出したのは、レイモンド・チャンドラーの「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」という言葉(『プレイバック』(Wikiより引用))。これはすごく僕の好きな言葉で、書きたいことは山ほどあるのだけれど、それについてはまた後日書こう。

 「あたし彼女」(kiki著)を大絶賛するつもりもないけれど、もし時間が許すのなら一読してみるのも悪くないよ、と言っておきたい(受験生はダメだよ)。新しい文章の世界に踏み入れた感じが、僕をちょっと幸せな気分に浸らせている。 ※追記:この小説をパソコンから読む時は「FireFox」ってブラウザに「AutoPagerize」っていうアドオンを入れるとマウスホイールを高速で回しっ放しで読めます。


 【フォト】 濃いめの味わいあるビールが美味しい季節になってきた…!
2008年9月27日

歩きながら歌い、走りながら踊る


 僕は歌を歌うのが好きだ。最近はあまり行かないけどカラオケも好きだし、家でも歌う。でもなんといっても、外で歌うのが好きだ。それはよく「奇行」のように思わるけれど、それを貫いているのは僕なりの理由がある。

 歌いはじめたのは小学校の高学年の頃。はじめて買ってもらったウォークマン(AIWA製で2000円くらいの)に、スピッツとミスチルとマイラバの曲を入れてエンドレスで聞きながら、通っていた塾の通学途中に毎日聞いていた。曲目は、チェリーと、シーソーゲームと、Hello Again(この辺りの歌詞の意味を、最近ようやく分かるようになった)。

 歌う習慣は高校になっても続いていた。それが思わぬ事故を起こした。自転車に乗って、音量MAXで聞き&歌いながらゲームセンターに向かう途中、横からきた車にはね飛ばされて空中で2回転。見ていた人が救急車を呼ぼうとしたくらいの吹っ飛び方だった。幸いにもうまい具合に受け身を取れてかすり傷で済んだものの、自転車に乗っている時の音量は下げるようにした。

 大学に入って東京に出てきてからは、さすがに歌いながら歩くことは減った。僕も人並みに羞恥心はある。でも、岡本太郎の「危険だと思う方を選べ」という言葉を聞いてから、「人前で歌える男になろう」と思って、意識的に(かなり頑張って)歩きながら歌うようにした。はじめは恥ずかしくて、人が来ると小声になったりしていたのだけれど、いつの間にかそれが自然になった。大学4年の頃だ。

 今では何の気なしに歌ってる。仲のいい人と歩いていると無自覚に口ずさんでしまうことすらある。ふと気がつくと手持ちぶさたな感じにさせてしまってたりして、申し訳なく思ったりする。せっかく二人の時間なのに、それを無視しているような気がして。でもそれは僕が安心して一緒にいる証拠なので、許してもらえたらなと思ってる。

 人前で歌える男になろうと思いはじめた頃は、男祭りに出ようかな、なんてことも実は本気で考えていた(庄司もやっていたから)。それは実行されることはなかった。でもそれはいつしか「パフォーマーになろう」という意思へと変わり、清野やてっちゃんとのパフォーマンスや、WIFへの参加という形で実現し、そしてその経験がMEGA PEACEをやりたいという原動力になった。

 いま僕の周りにいる人の多くは、僕が自然と口ずさんでいる姿しか知らないと思う。でも、それは僕の葛藤の末に生まれたものなのだ。そして、あなたと出会った原点なのかもしれないと思う。

 今夜は昨日にもまして寒くなった。こう寒いと、心も体も冷え切ってくるように思えて、それを振り切ろうと僕はまた歩きながら歌う。

 それは僕の理想とする姿でもある。歩きながら歌えたらいい。走りながら踊れたらいい。立ち止まりたくなった時は、自らの歌声で自分を励ましていく。そうやって、なんとか日々を乗り切っていく。


 【フォト】 昨夜の話に出てきたメンツたち。みんな、季節の変わり目には、風邪だけは引かぬよう気をつけて。
2008年9月26日

銀杏…

 大隈講堂の横を歩いていたら、銀杏の匂いがした。これを感じると、秋だな、って思う。滅多に大学に行かない僕は、その分だけキャンパスの季節の移り変わりの印象は強い。

 もう夜になるとちょっと寒いですね。高田馬場のオフィスからの返り道、馬場歩きをするのにもパーカーがほしい季節になった。






**********
少しずつ街の 風も冷たくなってきたから
風邪をひきやすい あなたの事が気になります

ゆず 「いつか」
**********

 初恋の子がゆずのファンで、それを知ってから必死で憶えたのを思い出す。寒くなってくると、どうにもウイスキーがほしくなる。たぶん心と体を暖めたくなるんだろうなぁ。でも、僕は5年前とは違うから、酒に溺れるようなことはしない。

 この曲を歌いながら帰ってきて、いま事務所到着。みっちゃんの誕生日には間に合わなかったけど、かるぴー、はっちゅりん、よかちゃん、しょーちゃん、そしてみっちゃん。。。一人になりたくない感じの夜は、かるぴーのブラックな話を聞くのも楽しい。笑

 パーカーといえば、そろそろ僕の愛用のショッキングピンクのパーカーもぼろぼろになってきました(元々ぼろぼろだったけど)。マフラーとあわせて、よいものがあれば教えてください。買いに行きます(安いの限定)。それとも、そろそろファッションも変えた方がいいかな?

【フォト】 キャンパスの銀杏。すこし色づいてきたかな。
2008年9月25日

地球感謝祭(感想編)

~メガピのみんなへ~

 普通に考えて、これだけの人が参加するなんて、ありえないよな、と思う。だって、すこし前まで5人とか10人とかで練習してたよね。当日はあわせると 50人くらいいたのかな。ピロシは昼前から泣いてるしね。でも、人の見えないところでどれだけ耐えて頑張ってきたかが、あの一瞬で伝わってきたよ。遅刻しての参加だったけれど(ごめん)、本気で頑張ってる姿垣間見れたおかげで、僕も全力になって楽しめた。

 感想編と書いたけれど、気持ちは前に書いたMEGA PEACE1.5と近いから、あらためて書かないことにする。前日のエントリーで「こういう風にゆっくりしてないせいかな。最近の僕はすこし戦闘的になっている気がする・・・」なんて書いたばかりだったのに、そのすべてが吹き飛んだよ。翌日は二日酔いで絶好調とはいかなかったけど、今日はものすごく快調に一日を過ごせた。本当にありがとう。

 そうそう。顔ぶれがごっそり変わっていたのに驚いた。知ってる人が少なくて、ちょっと戸惑うくらい。でもそれはMEGA PEACEという枠組みがうまく機能している証拠かなと思う。人に頼るのではなくて、まず仕組みがある程度できていないと、組織の継続的な発展はない。その上で、人がその仕組みをどれだけ有効活用できるかで、組織の広がり方が変わってくる。僕がやった時は仕組みも何もなかった。中心にいた人たちの馬力だけでやってたからね。

 理念を共有して、すこしずつ仕組みを作っていったのかな。代表の戸塚ちゃんをはじめ、みっちゃん、かいほうくん、まぁもちろんジョンに、それに今回の中心となったたっきー、ピロシ、ほんでぃー、そういう人たちの努力の結晶なんだなぁと思う。もちろんその他の人たちも。今やってる彼らなら、12月はもっとうまくやっていけると思った。1.5に続いて2回やって、やり方は共有できただろうし、後はゴールのイメージを作って、それに向けて逆算で行動していけばいい。

 これから回を重ねるにつれて、MEGA PEACEを知る人、参加する人がどんどん増えていくんだろうな。メガピの未来を想像すると楽しみになる。21世紀の紅白は、お茶の間で見るものじゃなくて、参加するものになってたりしてね。こないだ酔っ払って南門前で夜中にジョンと話してて、ちょうど1年くらい前の頃を思い出したけど、いや、夢物語って、いつか実現するんだよ。あの時はまさか1年後にまた地球感謝祭に出るなんて思いもしなかった。

 これからたくさん壁にはぶつかると思う。衝突もすると思う。でも僕に言わせれば、もっと衝突していい気がするよ。MEGA PEACEは行儀がよすぎる。僕が行儀よかったからかな。なんて言うと罵声が飛んできそうだけれど笑、でももっと本気で互いにぶつかるといいんだと思う。なんだかんだで、僕もよく人とぶつかってる。ジョンとは今も時々言い合いになるし、庄司なんて大学1年の頃は同じサークルでいちばん嫌いな奴だった。

 でもそういうのを口に出していくことから、気持ちは近づいていく気がする。

**********
P258 「大学からの親友に言われて、心に残っている言葉。 「世界を変えたいとか言う前に、僕は自分の身の周りのヒトを幸せにすることに励むよ。だから天下国家を論ずる前に、俺は奥さんを大事にしたいな。」
(「ハーバードMBA留学記」 岩瀬大輔
**********

 いいこと言うんだこの人。天下国家を論ずる前に、世界平和を論ずる前に、まず横にいる人とガチで向き合ってみることから始まるんだよね。僕はMEGA PEACEをやってよかったと思うことはたくさんあるけれど、今日の話に出てきた奴で言えば庄司やジョン、名前出したらキリないからここまでにしておくけど、彼らと今の関係になっていることがいちばんの宝物だと思ってる。それがなければ、どんなことをやっても意味がないよ。極端な話、恋愛と喧嘩をしないなら、学生なんてやってる意味がないよ。早く卒業して社会人になったらいい。それはMEGA PEACEを立ち上げた頃からの変わらぬ僕の思いだ。

 みんな3ヶ月後の姿が想像できるかな。僕にはできない。ただ、イメージを持つことは大切だと思う。こいつと仲良くなりたいな、とか。僕はそれだけは持ってた。立ち上げた仲間たちと、本気でやっていこうと。こいつらと泣き笑えるような関係に最後にはなっていようと、それだけは決めていた。そして、それは 100%かどうかは分からないけれど、僕なりに達成できたと思ってる。

 今日の文はまともに文章になってるかな。今日は何も考えずにただタイピングしたので、ここまで20分でかけた。はやっ。思ったことを「徒然なるままに」書いてみるという実験だったので、激しく読みにくかったと思うけれど、ご勘弁を。このまま公開するのはちょっと怖いけど、まぁ見返さないままいきます。何かあれば直接言ってください。

 ただひとつだけ、最後に。

 僕はMEGA PEACEに関わるみんなが少しでも、まだ見ぬ世界へ一歩踏み出しながら、人への想いを馳せながら、生きていくことができれば、素敵なのかなと思ってる。そのために僕に何かできることあれば、声かけてください。僕も僕で精一杯なので、どれだけできるかわからないけれど、なるべく応えたいと思ってます。

 それじゃ、今日も一日おつかれさまでした。明日は花の金曜日。なのに朝から庄司と勉強会です。でも、社会人になってもこういうことができる俺らって、幸せだよなぁと思う。幸せ万歳。

 リンク:MEGA PEACE vol.2 www.megapi.net/
2008年9月24日

地球感謝祭(写真編)

地球感謝祭、前夜。1年前を思い出しながら、庄司と飲んだ帰り道に。


MEGA PEACE、1回目のステージ後で。


そしてTHE MEN、男祭りメインステージ本番前。


続THE MEN、男祭り。フィナーレ前のパフォーマンス。


さとちき(里地帰)ライブ。僕の周りには彼のファンや友人が多い。


彼は去年のMEGA PEACEを見に来てくれていて、今年はできれば参加したいとのこと。素敵だね!


おなじみ下駄っぷ。踊ってない大貫ちゃんが一番はしゃいでた。笑


下駄っぷ&MEGA PEACE。


そしてフィナーレ。


不完全燃焼のパレード後に。


みんな、


いい笑顔。


そして打ち上げ。シュールすぎるけど…


楽しかったです。


1日を終えて、


戸塚代表より挨拶。


1日おつかれさまでした!スタッフのみんな、ありがとう!



【おまけ】翌日に教育実習を終えた塩原先生。おつかれさま!
2008年9月23日

すべてを失って

 現在AM6:22。

 地球感謝祭の打ち上げの後、blogも更新できないまま眠りに落ちたみたいだ。財布も、手帳(の中に文庫本や名刺が入ってる)も、ケータイも、すべてを失って僕は、身ひとつでマクドナルドで目を覚ました。店のクーラーが寒くて起きたのが30分くらい前。なぜここにいるのか分からない。こんなことは何年ぶりだろう。とりあえず事務所に戻るとジョンがいて、僕の荷物はここにあった。

 持つべきは友。

 僕が持てるのは、僕の身体ひとつだけ。軽くなった身で、再び走りだす。


 【フォト】 地球感謝祭。たくさん撮ったから、今晩にでも写真をアップしよう。
2008年9月22日

欲望は知識だ(3)

 テレビや雑誌やウェブは僕らの心の乾きを癒しはしない。そこで生み出される欲求の多くは、刹那的で、代替可能なものだ。うまく距離を保たないとメディアが作り出す欲求のシステムに囲い込まれ、従属させられ、消費へと駆り立てられ、しかしいつまでも満たされることはない。

 僕は快楽を悪いというつもりはない。ただ、あれが欲しい、これが欲しい、こうしたい、ああしたい、そうしたことの大半は、3日もすれば忘れるものだ。そればかり求め続けた先で振り返った時、「あれ、オレ、何してたんだろう」と言いたくはない。だからこそ僕は、未知の世界の果てまで、知るためだけに走り続けていくのだろう。

 一連のエントリーの最初の言葉をもう一度引いてみる。

 「求めよ、されば与えられん」

      『聖書』マタイ伝7章7節

 何を? 聖書の通りに答えるなら、神を、だ。求めれば、神さえも与えられる。僕らはそういう世界に生きている。ある瞬間に求めたものが、その通りに手に入るわけじゃない。でも、求め続ければ、必ず求めているものが与えられる。今までそんな話を馬鹿にしていたけれど、最近の僕は確信に近い思いを抱くようになっている。

 「そんなにうまくいかないよ」という人は、本気で求めていないだけだ。あるいは、本気で求められないのかもしれない。いずれにせよ僕は、本気で求めている人を直感的に嗅ぎ分けられるようになった。あぁ、こいつ本気だなって。もちろんそれは必ずしもいわゆる「成功」につながるわけじゃない。本気で求めて与えられることと、社会的成功とは別の話だ。

 ただし、今の僕はいわゆるビジネスの世界に身を投じているわけで、まずはその事業を証明して見せないとこのエントリーにも説得力がない。僕がリアルタイムに証明し続けていけば、「早稲田への道」がそうだったように、僕より若い人たちが未来に希望を抱くきっかけを作り出せると思う。そのために、僕は身をもって証明し続けていくだろう。

 過去も現在も未来も、知識を求め、欲望に忠実に、貪欲に生き続ける。そうした僕という存在を知ることが、まだ見ぬ彼らの欲望の源泉となることを願って。


 【フォト】 ちょっと前に、レインボーブリッジにて。こういう風にゆっくりしてないせいかな。最近の僕はすこし戦闘的になっている気がする・・・(それで迷惑蒙った人いたらごめんなさい)。
2008年9月21日

欲望は知識だ(2)

 近代化批判でよく出てくるエピソードがある。未開の地の人たちは今までの生活で満足していたのに、西洋の文化が入ってきたことで、コーラを飲み、スナックを食べ、精神的・肉体的にぶくぶくと太り、しまいには酒や麻薬に手をつけるようになった・・・。これは欲望が知識であることの悪い例として、とても分かりやすいものだ。

 知らなければ、欲することはない。欲しなければ、エネルギーは生まれない。「知る」ことは素晴らしいエネルギーを与えてくれる。ただ、そのエネルギーの使い道を知らなければ、誤った道へ進んでしまう・・・。知識の方向性を見定め、欲望を手なずけ、エネルギーを集中させることではじめて、自分が進みたい道、満足できる道に進むことができる。

 戦後の日本の輝かしい時代は、多かれ少なかれ、進むべき方向が明確だったのだと思う。アメリカを知り、欲望が生まれ、それを手に入れるために、僕らの親以上の世代は走り続けた。それは幸福な時代だったに違いない。

 今、僕らは多くを知りすぎてしまったのかもしれない。大抵のものには欲望をかきたてられない。進むべき道が見えてこない。だから目の前の刹那的な欲求に目を向ける。大きな刺激の代償として、一瞬で燃え尽きる欲求は明日もまた同じことを探させる。それは、未開の人が麻薬に手を染めるのとさして変わりはない。

 欲望と言うにはあまりに貧弱な、単純な快楽。尽きることのないテレビや雑誌を眺めていると、そうしたものしか僕らの周りにはないようにすら思えてくる・・・。


【フォト】 しばらく前の「GB's Cafe」(ロックカフェだった「JERRY JEFF」が潰れてできた店)。明け方の店長と岡本薫。
2008年9月20日

欲望は知識だ(1)

求めよ、されば与えられん

 『聖書』マタイ伝7章7節


 僕は一般的に言われているキリスト教的な神を信じているわけではないが、ヒルティに言わせれば、西洋の人々でも「神」を心から信じている人は少ないらしい。そんな人たちへ向けれれたこの言葉。最近これが意味することの重みを実感している。神を求める情熱のことを思うとき、何かを本気で求めている人がどれだけ少ないかに気づかされる。

 高校時代の僕は、「退屈だ、何か面白いことはないか」というのが口癖だった。ゲームセンターに行っても、家でネットをやっていても、自分の飢えを乾かすことはできなかった。でも、僕は「面白い」と心底思えることを見つけることはできなかった。興味がないと力を発揮できない僕は、当然勉強することもなく、高校を辞めてぶらぶらしていた。

 そんな状態から大学に行こうと切り替わった理由のひとつは、そこにいけば未来が切り拓けると直感したからだ。それは端的に言って「世界を知る」ということだった。世界を知れば、面白いことが見つかるはず。当時はうまく言葉にできなかったけれど、そう考えていたのは間違いない。

 そして今、それは二つの意味で間違いじゃなかったと思う。ひとつは、僕自身が大学に来て世界を知ることができたということ。もうひとつは、世界を知ってはじめて面白いと思えるものに出会えるという事実。何かを知ることで欲しいものが生まれ、それを追い求める過程に面白さや生きがいが生まれる。それは言い換えれば、欲望は知識だということだ。


【フォト】 竜二&よかちゃん@平山ビル4階
2008年9月19日

過去をひもとけば・・・

 すこし前に、メールボックスに届いた一通のメッセージ。それには企画書が添付されていて、開けてみるとこんな文章があった・・・。

**********
 私は受験生時代に、馬場様が書き込みをしていた2chの「早稲田への道」スレッドを拝見しておりました。馬場様が書くメッセージ性の高い文章に励まされ「絶対に早稲田へ合格してやる!」と思い、一生懸命勉強をしました。その時、たとえ会ったことが無くても、誰かが発する言葉によって良い影響を与えられることがあり、またインターネット上にもこんなにも温かい場所が存在するのだと感じました。
**********

 こんな企画書を送ってきてくれたら、二つ返事でOK!と言う以外にないよ。ということで、今日は道塾事務所にて早稲田リンクスの取材を受けた。

 企画者、石井彩(3年)。インタビュアー、砂川博範(1年)。対談相手、ジャイアンこと佐藤寛晃(4年)。カメラマンはお馴染みの草刈健(4年)。現場には他にも3年(デザイナー)と2年(副編集長)の女の子と、そして取材対象の僕(6年)。こんな大勢で取材されるのは初めてだったのだけれど、楽しく話させてもらった。

 過去のメールボックスを検索してみたら、遡ること2年半、確かに石井ちゃんのメールが2通残っていた。当時の彼女は僕とこうして会うとは思っていなかっただろうけれど、まさか僕自身も2chを基点としてビジネスへと踏み出していくなんて、「道」を書きはじめた頃は考えてもみなかった。それが、いま周りにいる人たちを思い返すと「道」がなければ今の関係にはなっていなかった人たちばかりだ。

 「まさかこいつと、こんな関係になるなんて!」 その驚きは生きてく中での主要な喜びの一つだと思う。もちろんその分だけ生まれる悲しみもあるけれど、それは仕方のないことだ。だからこそ僕は、たとえ大袈裟だと思われたとしても、ある人と人との間に生まれた素敵な結びつきを祝福したいと思ってる。

**********
過去をひもとけば いろんな事柄が
あなたの前にもあったでしょう
だけどもこの先は素晴らしい日々だけ残っているような
そんな気がして
(サンボマスター 「美しき人間の日々」 You Tube
**********

 そう、いろんな事柄があったよね。僕にもあったし、これを読んでるあなたにもあったでしょう。そうしたなんだかんだの末に、政友会での同期の二人が、来年の11月1日に結婚することを決めたらしい。1年の夏合宿の頃から、色々なことがあっただろうけど、よくぞここまでたどり着いた! 健ちゃん&清水さん、正直、あの頃はこうなるなんて想像できませんでした。笑

 二人の結婚式を想像しているうちに、僕のこの先の人生でも、どんな「素晴らしい日々」が待ってるのかということに思いが及ぶ。悲しいこともあるだろうけど、その分だけ素敵なことがある。これからひもといていく未来のすべてに僕は今、とんでもなくわくわくしている。


 【フォト】 対談相手を探す途中、「ジャイアンより絶対見映えいいよ?」と言って誘ったら「リンクス的に駄目です」とにべもなく断られた企画者の石井ちゃんが、取材後に言ってくれて嬉しかった一言。「企画を思いついた時点で馬場さんをイメージしてました」。/写真は取材後、norari:kurariでの撮影にて。記事の詳細は次号早稲田リンクスVol.18で(10月下旬配布予定とのこと)。わざわざ時間とって協力してくれたジャイアンをはじめ、草苅くん、そしてリンクスのみんな、ありがとう・・・!
2008年9月18日

自由と健康と幸福と・・・

 4月1日から2月末までの中間地点ということで、9月半ばに道塾のスタッフ全員で受験後半戦へ向けた決起飲み会を開いた。場所は早稲田近辺のとある有名な焼き鳥屋。実は4人でしっかり飲むのは初めてだったので、前から行きたかった店を予約して、僕の大好きな白レバ刺をメインに、新鮮で高品質な「はず」の鶏肉をバクバク食べた。

 この記念すべき会の二日後、ジョンとみっちゃんが腹痛を訴える。翌日になるとみっちゃんは39度の熱。そしてジョンは入院・・・!塾生との電話相談を初めて全面延期するという緊急事態に。mixiでは意識不明だとか死んだとかいう情報が流れ、庄司が心配して電話をかけてきたりもした。

 診断結果は「食中毒」。カンピロバクター症という、衛生管理の行き届いていない生肉に付着する菌が原因の病気とのこと。連日の無理がたたって体調を崩していたジョンとみっちゃんがやられ、見るからに体調万全っぽい僕と小竹は無傷という結果に。

 受験生に「とにかく体調だけは万全にしろよ」と口酸っぱく言っている僕らがこれでは示しがつかないが、これからはそのことをより心をこめて語ることができるようにはなった。なにはともあれ、みっちゃんはほぼ(?)復活、ジョンも予定通りにいけば明日退院とのこと。もうしばらく療養が必要だろうけれど、とりあえず一安心だ。

**********

 こうした非日常を経験することによって、僕らは「あたりまえ」の大切さを忘れていたことに気づく。

 「全般的に見て、われわれの幸福の九割までもはもっぱら健康に基づいている。」「これに反して健康に恵まれなければ、たといどんな外部的財宝でも、これを享楽することができない。」「だから何よりもまず互いに健康状態を尋ねあい、互いに無事を祈りあうのは、理由のないことではない。事実、無事息災ということが人間の幸福の断然主要な用件だからである。」 (ショーペンハウエル「幸福論」 p29-30)

 サイドバーの「午後2時のビールについて」の中で、「病気でない人が「健康だなぁ」なんて言わないように」と書いた。いつだって、「あたりまえ」のことがもたらしてくれている恩恵は、それが失われてはじめて気がつく。ベッドに座るジョンや、病院の中で出会う人々を見てようやく、自分が健康であることのありがたみをかすかに感じることができる。

 健康を感じれるか。恵まれた環境に気がつけるか。目の前の幸福が見えるか、否か。そうしたことへの感性ひとつで、僕らの目に映る世界はだいぶ違ってくる。これも「あたりまえ」のことだけど、しんどい時期にはなかなか気がつけない・・・。人間ってつくづく不自由な生き物だ。

 ところで。

 世界でいちばん孤独になったとしても、自由を噛み締めていると知れば、寂しくなんてないというのは本当だろうか? ショーペンハウエル先生は「その通り」と言いそうな気配をぷんぷん漂わせている。だとすると、僕はまだまだ自由を知らないということになる。でも・・・。それじゃいつまで経っても僕は自由になれそうもないよ・・・!


 【フォト】 カンピロバクター症のジョン君。病室の引き出しの中から出てきた色々なブツ見て、お見舞いの品も色々あるもんだなぁ・・・と知る。たしかに、何も食べれない男に花や食べ物を持ってっても仕方ないもんね。草苅くんの思いやりに拍手・・・!
2008年9月17日

夢潰えても

 東京家学のオフィスの下にある、とあるカフェレストランの話。

 30半ばくらいの元気な女店長が切り盛りしている店内は、ギリシャ風に白と青で統一されていた。自由に使えるiMacが店のアクセントになっていて、外国人や女の子に人気だった。僕もランチや打ち合わせで時々使っていた。ビールとコーヒーの値段があまり変わらないので、よくビールを飲んだ。

 店の名前は「ヒーロスヒーロー」。ケバブや魚やアボガドをピタパンに包んで食べる、「ヒーロス」というギリシャのファーストフードが店のメイン料理だった。

 そのお店が、今月の上旬に閉店した。

 この近辺のカフェレストランとしてはいい値段をしていたが、それなりに繁盛してもいた。それでも店を閉めざるをえないということは、おそらくは賃料が原因なのだろう。通りから一本入ったところとはいえ、駅から徒歩0分の好立地。この場所でカフェをこじんまりと続けるのはかなり厳しいということだ。

 使っていた店がなくなるというのは寂しいものだ。実際に店が閉まると、大切な何かが欠けているようにさえ感じられる。毎日のように店の前を通っていたから、てきぱき働く店員さんの姿が見えないと「あれ、今日は休日だっけな?」と思ってしまう。

 閉店。それは開店した時に抱いた夢を諦めるということだ。でも、ひとつがうまくいかなくなったら、さっさと切り上げて次に行くのが、人生をうまくやりぬくコツだと僕は思えるようになった。何もかもはうまくいかない。だから、何もかもが決定的にダメになる前に、悔し涙を拭いながら撤退を選べることは、力であり、勇気であり、知恵であると思う。

 進むか、退くか。それは生きてる中で限りなく遭遇する悩みだ。悩みは尽きることがないから、尽くすことのできる人事に僕は集中する。尽くして尽くして尽くして尽くして・・・、それでもダメなら諦めることができる。あの時違った道を選んでいたら・・・、という無意味な後悔を断ち切ることができる。

 8月の半ば頃に閉店するという話を聞いてから、女店長とすれ違うたびに悲しい気持ちになった。彼女がこの先どう生きるのか、僕には知る由もない。いつも忙しそうな彼女と立ち入った話をすることはなかった。けれど、「とりあえず実家に戻るつもりよ」という顔には閉店間際でも振り絞れる笑みがあった。

 彼女は決して心まで屈することはないだろう。精一杯やりきった店を閉め、それからまた新たな道を歩みはじめるだろう。そう思ってから、ヒーロスヒーローの跡に新しくできる店が待ち遠しくなった。

 ただ。

 僕らが始めた事業は、撤退なんて考えたこともないくらい、まだまだ始まったばかりだ。サービスも100%の理想までには果てしない道のりがある。ひとつひとつ小さな成功を積み重ね、ひとつひとつの小さな失敗をできるだけ早く改善して、、、その繰り返しの果てに、「おかげで人生が変わりました」と言ってもらえるようなサービスへと成長させたい。

 あわよくば、僕らの想いが社会に広く受け入れられますように。そう祈りながら、僕は僕なりの全力を尽くす。


【フォト】 ヒーロスヒーローの女店長さんからいただいたコーヒーメーカーとロッカー。
2008年9月16日

オリンピックと敬老の日

 敬老の日、久しぶりに群馬県に住む祖父に会いにいった。

 今年で85歳になる祖父は、ここしばらく体調を崩していて、家と病院の往復が続いていると聞いていた。葬式の段取りまですべて自分で整え、死ぬ準備万端といった感じで、あとは死ぬだけだとよく口にしていたが、いざ体調を崩すと弱気になっているらしかった。すこしでも元気付けられればいいなと思って病室のドアを開けた。

 *****

 僕は祖父と住んでいた時期がある。高校に入ってから辞めてしばらく経つまでの2年半くらいと、受験勉強に本格的に打ち込むようになってからの半年間くらいの2回、計3年ほど。父親との記憶が少ない僕にとって、祖父との生活は「男」という存在を身近で感じたはじめての経験だった。

 ちょうど8年前の今頃も祖父の家にいた。僕は学校にも行かず、家でネットをするか、ゲームセンターに行くかという生活をしていた。テレビではシドニーオリンピックが行われていて、高橋尚子や井上康生を中心に、たいそうな盛り上がりだった。祖父と共に画面に映る輝かしい人々を見ながら、なぜだか苛立っていた僕は、「こんなやつら大したことない。才能があれば、あとは体動かすだけなんて誰でもできる」というようなことを口にした。

 僕の祖父は努力の人だ。中学から大学まで学びながら柔道を続けた。戦争では仲間の多くを失うという経験もしている。その後は日本の成長に合わせるように、ひたすらに学び、働いて生きた。だから僕の言葉が許せなかったのだろう。「お前は何もしてないくせに、彼らを批判する権利なんてない」と本気で怒鳴られた。

 祖父のその言葉は、論理的には間違いないような気もしたが、しかし僕の中ではわだかまりが消えなかった。でも当時はその理由が分からず、僕は口をつぐむしかなかった。

 今ならわだかまりが生じた理由も言葉にできる。パソコンとゲーセンの往復とはいえ、僕は僕なりに精いっぱい生きていたのだ。周りからはまったく評価されなかったけれど、自分なりの限界で生きてはいた。自分が社会的にダメなのも分かってはいたが、それを認めるのは人生における敗北のような気がした。だから、金メダルを胸にぶら下げた人々を批判することで、なんとか自分のプライドを保とうとしていたのだと思う。それは、けっこう苦しい戦いだった。

 今ならこう言うことができる。努力できることは素晴らしい。その一方で、努力したくてもできないことや、自分なりに努力しても人に認められないこともある。だから、努力できない人や、努力していないように見える人がいても、そのこと自体を批判すべきではない。

 努力できることは才能であり、才能が備わっているというのは、幸運と出会えたということなのだ。幸運に出会った者はそのことに感謝するべきであって、幸運に出会っていない者を非難する権利はない。これは今の僕の信念でもある。

 僕は、すばらしく幸運な道を歩んでこれたと思う。もう少し踏み外していたら、わだかまりを言葉にすることもできないまま、群馬の片隅で世を恨みながらひっそりと一生を終えていただろう。似たような境遇を経た人が事件を起こし、ニュースで報道されるたびに、自分がそうなった可能性はゼロじゃないと思う。

 だから、自分の幸運を活かしたいと思ってる。大げさかもしれないけど、そうした使命感が僕を突き動かしている。道塾や東京家学も、それなしにはやってこれなかった。努力すれば未来が開けるということを、僕は伝えたい。大変なこともたくさんあるけれど、夢や目標を追い続けるという生き方は、一度しかない人生においては悪い選択じゃないぜ、と言い続けるために、僕は走り続ける。

 そんな正論を斜に構えて眺める人がいるのも知ってる。努力をすることがすべて報われるわけではないし、そうじゃない幸せのカタチもあるだろう。ただ、努力することを知らないまま、世の中を否定したまま生きるのはあまりにもつらく、悲しい。そこから抜け出す道筋をすこしでも照らせればいいなと思って、僕は語り続ける。

 *****

 病室で、すこし弱々しく見えた祖父と話しながら、自分の過去と今とを思い比べていた。

 一緒に住んでいた頃は反抗ばかりしていて、お世辞にもいい関係とは言えなかった。口論の末に(柔道の)小内刈りをかけられたこともある。昨日、「行くよ」と言った電話では相変わらず「来なくていい」なんて言っていた。そんな祖父が、実際に病室まで会いに行くと嬉しそうにビールを何杯も注いでくれた。そのたびにちいさく乾杯をした。最近の僕の話をして、祖父の繰り返される昔話を聞いた。そのうちラバウル小唄まで歌いだすくらいに盛り上がり、互いにだいぶ酔いもまわったところで、あまり遅くならないうちにと病室を後にした。

 付き添いの人が、祐平さんが来たからあんなに喜んでいたのよ、と言ってくれた。今度は敬老の日じゃない日も敬老しに来ようと思ったけれど、祖父との間でこんなことを思うなんて、と今この一行を書きながらちょっと感慨深く感じてる。昔の僕と祖父みたいな関係にある人に、この文章が届くといいな。


 【フォト】 メガピの地球感謝祭へ向けた練習風景。9月23日の本番へ向けて、人がどんどん集まっている。いつも通りギリギリまで募集してるので、参加しようと思った人は僕なりジョンなり戸塚ちゃんなりに連絡ください。一緒に歌いましょう!
2008年9月13日

速報 新聞掲載


東京新聞の本日付(9月13日)の夕刊、
社会面に東京家学が掲載されます。
ウェブ記事はこちら。

出かける直前なので、取り急ぎ。

半年かけて、準備は整った。
いよいよエンジン始動です。
こっから一気にスピード上げてくよ…!
2008年9月12日

100冊、10000人


 大学に入ってから3年目が終わるまで、ひたすら本を読んでいた。特に夏場は暑いので、引きこもって朝から晩まで読んでいることも多かった。僕は気に入った著者の著作は片っ端から読む癖がある。そんな時期は自分の文体にまで影響が出て、僕が書く文章のスタイルはコロコロ変わっていた(いちばんひどい時は完全に村上春樹調だった)。

 そうした日々を経て、大学3年を終える頃には自分なりの「思考の核」ができた。それからは「読書よりも行動」と決めて、「思考の核」を実践によって磨き続けてきた。その結果たどりついたMEGA PEACEという舞台の後、今年からビジネスという新しいステージに入り、それまでとは違う読書を必要とする時期になった。

 ビジネスの世界に足を踏み入れてから、以前にもまして「役に立つか、立たないか」という視点で読むようになった。「趣味の読書」から「学ぶための読書」へと変わった結果、読書スピードがぐっと上がり、吸収率も増した。その中核にあったのは、「午前8時の積ん読」という読書メモを記録していくblog。

 5月16日から1日1冊、余裕をもって年間300冊を目標に読み続けてきて、約4ヶ月、120日で100冊を読み終えた。同時に、訪問者数も10000を超えた(滅多に更新しないブログによくこれだけ人が来るなと思う。ありがとうございます)。しばらく専門書が増えそうなのでペースは落ちる(出費は増える…)だろうけれど、読書スピードを上げることで年間300冊ペースは維持していきたい。

 小さなことをひとつひとつを積み重ねて、ふと振り返ってみると、意外なほど大きく積み上がっていた。読んできた100冊の一覧を眺めていて嬉しくなった。進みたい方向へ、少しずつだが進めている実感がある。次の100冊を読み終わる頃には、どんな自分になっているか、楽しみだ。


 【フォト】 最近、固有の素敵なストーリーと志とを持つ人に会う機会が多い。写真は早稲田リンクス元代表の友廣くんが主催したSocial Designer's Communityの第一回集まり@Cafe MOEU。この日の参加者は起業家、MBA学生、NGO代表等々…。汗をかいて社会を変えている人たちと話すのは楽しい。
2008年9月8日

志を握り続けて

 清野という学部の友人がいる。ちょっと変わった奴で、奇行を書き出すとキリがないが、「早稲田踊り」を作って広めたり、ケニアに半年くらい植林しに行ったりしてた。彼とは真夜中に裸足で一風堂を食べに行ったり、六本木のクラブでパフォーマンスをしたり、大隈講堂でフォークダンスを踊ったりした。

 その彼が学部を卒業して就職したのは「日本熊森協会」という団体。会員数2万人、日本 3位の環境保護団体というと聞こえはいいが、2人の専従スタッフ(彼はそのうちの1人)とわずかのアルバイトを除けば、会長をはじめとするほぼ全ての人のボランティアで成り立っている団体だ。京都の院へ進むと思っていた彼が、そこに就職すると決めた時、「おいおい、大丈夫かよ」と僕を含めて誰もが心配したと思う。

 でも、昨日会った彼は、自分の道を快走しているように見えた。都内の大学で開かれたシンポジウムで、500人くらいの聴衆を前に語り(僕は間に合わず聞けなかったが)、十数人の森のプロ達に質問されても堂々と受け答えしていた(質問した人の一人は納得して、金を払って入会していた)。会場を忙しく走り回る姿は、いかに彼がこの団体の中で必要とされ、活躍しているのかを雄弁に物語っていた。ちょっと聞いた話だと、最近どこかから推薦をもらって、タイへ1ヶ月研修に行くことが決まったらしい。

 清野が話した最後に、会場で一緒になった友人(てっちゃん)が手を挙げて聞いていた。「若者が、戦争のこととか、環境のこととか、自分以外のことに関心を持たなくなっている。そのことについてどう思いますか?」 頷きながら聞いていた清野は、「熊森の会員で若い人は1%くらい。増やさなきゃならないと思う。僕は、その若者を増やす役目を果たしたい」というようなことを答えていた。具体的にも各大学を回ったりすることを考えているらしい。。。

----------

 自分のことをやるのに精一杯で、寄り添える他者の数には限界がある。最近それをつくづく感じる。家族とか、大切な人や、心から泣き笑いできる仲間、それで手一杯だ。下手すりゃそれすらも満足にできていなくて、他者や世界のことなんて考えるのはおこがましいのかもしれないとも思う。

 でも、だからこそ。

 だからこそ、自分の生き方の軸を、他者や世界という自分以外の方向に向けることを忘れないでいたいのだ。清野が熊や森といった自然と、そこに生きる人々を守ろうとするように、僕も、胸の奥にある志を、しっかり握って離さずに、生きていきたいのだ。決して楽ではないけれど、タフネスさえあれば生き延びていける道だと思う。その道の先でしか見えない景色を見るために、僕は僕なりに進んでいく。そういう生き方も素敵だなと感じてもらえるよう、行動と結果でもって証明し続けていく。

 【フォト】 会場の武蔵大学と、清野&母。/熊森協会の無料会員は、ウェブからメール一本でなれます。その受付は、だいたい清野がしているみたい。メールを送ると、彼がまたひとつエネルギーをもらって、タフになれると思う。よかったら応援してあげてください。/江古田には初めていったのだけれど、素敵な、西武線のお手本みたいな街だった。そういうところをぷらぷら歩いて、適当な店に入って、適当なビールを飲んで帰る。最高だ。でも、そんな生活はしばらく送れそうにないなぁ…。苦笑

 【最近見つけたちょっといいもの】 北京を駆け抜けたアスリート達
2008年9月1日

表情の豊かさ


 先日、早稲田大学の専属カメラマンとなりつつある草苅くんに協力してもらって、「道塾」のスタッフ紹介ページに掲載する写真を撮影した。撮影会は「東京家学」のウェブサイト用に続いて二回目。

 東京家学では「親しみやすさ」や「誠実さ」がコンセプトだったのに対して、道塾では「本気さ」や「真剣さ」を打ち出すことが目的。本気の写真といったら「NUMBERの表紙だろ」(スポーツ雑誌のね)ということになって、「NUMBERっぽい?」という基準によって選ばれたのがこの4枚

 ププッ、っと吹きだしてるそこの君!俺らだって恥ずかしいんだよ!と声を大にして言いたいけれど、正直言って現場のノリで盛り上がりすぎたとすこし反省してます。さすがにNUMBERはきつかったかな…、と。笑 特に撮影のディレクターであるジョンがエロい感じになってるのがね…!

 まぁでも、現在のサイトに合う合わないはともかく、みんなの表情自体はいいなと思ってる。今年度中に道塾のウェブサイトを東京家学並に全面リニューアルするので、それまではこれで行きます。もうちょい緩い感じのカラー集合写真を近々撮影&アップして、とりあえずの更新作業は終わり。こちらは晴れてる日に大隈講堂前で撮るつもり。

 それにしても。

 今回は一人につき数十枚ずつ、前回の東京家学の時は数百枚くらいずつ撮ったのだけれど、その一枚一枚の表情の違うこと。ある一瞬を切り抜いた写真を、時間軸に沿って無数に並べてみると、ひとりの人間の持つ顔の多様性に気がつける。「そんな顔するんだ!」という驚きがある。

 現実には、僕らは目の前にいる人の表情すらも自分のイメージで勝手にねじ曲げてしまう。より簡単に、分かりやすく、単純化させてしまう。そうすることで判断する数を減らし、効率的に生きられるという動物的進化の結果なのだろう。でも、それは精神的な怠惰なんじゃないだろうかと僕は思う。

 人間が本性上備えている「色眼鏡」をはずすことができれば、世界の表情はそれまでと違う豊かさを示す。稀なことではあるけれど、それは生きていて数少ない心ふるえる瞬間だ。芸術は、それを求め続ける過程で生まれるものだと僕は思う。その感覚を忘れないために、どんな荒波の中でも自分の感性を磨き続け、世界の発するひとつひとつのシグナルをしっかりと受け取め続けていきたい。

 このblogの写真は EXILIMケータイでさくっと撮影してる。腕次第でこれほど素敵な表情を撮れのるかと思うと、すこし勉強しようかなという気になる。そんな素晴らしい写真の魅力を僕に教えてくれる草苅くんのblog、「東京、ジャマイカ、パイナップル(略して東京パイン)」もぜひどうぞ。


 【フォト】 撮影中の1コマ。いろんな機材搬入して、こんな本格的な撮影ははじめて・・・。草苅くんの機材が日に日にパワーアップして、もはや後戻りできないエリアに踏み込んでいるような気がした。もちろん僕は、そういう踏み込み方を応援したいのだけれども。