2009年1月31日

メガピース vol.2 運営打ち上げ









 楽しくって、2(3?)次会ははしゃぎすぎました。目覚めてから猛反省。暖かく迎え入れてくれて、感謝。ほんとーに、お疲れさまでした。
2009年1月30日

1月30日、1周年

 今日、いつものそば屋で道塾スタッフのみっちゃんと二人で食べている時に、さりげなく彼が言った一言。「そういえば、俺たちがはじめて飲んで今日でちょうど一年なんだよね」。

 大学の正門を出て、早大通りを飯田橋方面に数百メートル。左に折れてすぐ右手の地下にある「銀ヘル」で300円のビールや焼酎を飲みつつ、村上龍の「危機感」を引き合いにだして、日本の未来を憂いたのがもう1年も前。最近メガピvol.1について語る時は「一昨年は」という前置きをつけている。あれからそんなに経ったのかと思うと時の速さに呆然とする。

 あの頃はまだメガピースを通じて知り合った気の合う友人の一人に過ぎなかった彼が、今や共に働く戦友として、そしてもはや欠かせない仲間であることが驚きだ。振り返ってみると、本当に色々なことがあった。互いに別の方面ですべきことが山のようにあって、ゆっくり話す機会は決して多くなかったが、それでも道塾で隣に座ってる彼とは今年一年で誰より長く共に時を過ごしたのかもしれない。

 そうした「仲間」と共にやっていけることが、僕が仕事をしていく上での最大の楽しみなのだとあらためて思う。今日は「宛名書き祭り」で、揚げ男と二人で話しながらひたすら宛名を書いていた。彼は「こういうの、わくわくしますね」と言いながら、目の前に積まれた山を楽しそうにさくさくと片付けていった。

 そう、僕もわくわくするよ。未来を切り拓いている実感ほど生きている手応えを感じさせてくれるものはない。この一歩が確実に地面を踏みしめていることを味わえる。そんなことは形のない夢だけを追っていた頃には決してなかった。

 もうしばらく、おそらく数年の間は、僕は形ある夢を素晴らしい仲間と共に追い続けられるだろう。それは楽しみではあるが、正直なところ、そのイメージはかなり出来上がっている。僕にとっては(たくさんの困難はあるものの)十分に乗り越えられるステージで、その後のことを考えてしまう自分を押さえつけるのに苦労する。

 だが、とりあえずは目の前のことに集中したい。特に、ここ一年。どんな夢を描いても、進んでいけるのは一歩ずつ。確実に、踏み外さないように、できる限りのスピードで走っていきたいと思う。まぁでも。そんな僕の愚痴やら夢やらに、ちゃんと付き合って聞いてくれる人がいることに、驚くと共に深く感謝をしたい。共に働く仲間がその筆頭ではあるが、まさか昨日のブログにこれだけ反応してもらえるとは思わなかったから…。笑
2009年1月29日

こんなblogを読みに来てくれて

 今日も道塾でミーティング。それが一段落した後の休憩時間に、スタッフの一人が「うちのサークル、馬場さんのブログ見てる人けっこう多いんですよね。こないだも話になって」と言い出した。

 最近は、はじめて会う人から「読んでました!」と言われる事もあるが、その場合は嬉しさよりも驚きの方が大きい。やはり嬉しいのは知り合いと直接会った時に、「読んでるよ」とか「あの記事について俺はこう思うよ」と言われた時。

 知る限りでもたくさんの人が見てくれている。毎日、スター(ビール)をつけてくれる人。時々、メールをくれる人。たまに、電話をくれる人。稀に、コメントを残してくれる人。だいたいこれが頻度の多い順で、「読んでくれているのだなぁ」と感じる人たち。

 グーグルのアクセス解析を使えば、どの国のどの都市からどれくらいの人が訪れてくれているのかは瞬時に分かる。でも残念ながらそうした「数字」は僕を燃えあがらせない。なぜなら(「南半球のこの国のこの町ってことはあいつだなぁ」みたいな場合を除いて)、そこにいる人の顔が見えないから。

 読んでくれる人が増え、知人の顔を思い浮かべられるようになってから、このブログは僕の生活の重要なパートを占めるようになった。一人ひとりに時間を取らせず近況を知ってもらい(この大切さは遠く離れた友人のブログを読むことでより強く感じるようになった)、と同時に様々な人から影響を受けることができるブログによって、僕の生き方はすこしずつ変わってきた。たとえば、
ブログ、けっこう見てます。あんまり自分をいじめないようにね(悪魔のささやき)
 なんてメールをもらったことが昨日のブログにつながった。それから、ブログに書いた記事がきっかけで電話をもらい、その後にもらったメールで心を揺さぶられたりもした。
馬場ちゃん、おはようございます。朝になってちょっと考えてみたんですけど、昨日の電話で私が言いたかったのは下のようなことだと思います。(中略)。私は馬場ちゃんのことあんまり知らないし、すごくお節介だなって思います。でも馬場ちゃん本人にぶつけてみないと納得できない自分がいて。。ごめんなさい。要は、きっと馬場ちゃんはきっといろんなこと考えて決めたんだろうな、でもその考えが見えないから知りたいなってことです笑 時間あるときにでも、また一緒に飲んでやってください(>_<)突然の電話に応じてくれてありがとうございました☆
 こんなblogを読みにきてくれて、こんな僕に感心を持ってくれて、、、まだ見ぬ人も含めて、そうした人のおかげで僕の人生は良き方向へ変わり続けていると思う。大半の人にレスポンスができてなくて申し訳ないと思いつつ、今夜は感謝の気持ちだけ伝えておきたい。2通のメールしか載せられなかったが、声をかけてくれる全ての人へ。

 ほんとうに、どうもありがとう。


 ※(中略)の部分は面白いので、また別の機会に。
2009年1月28日

ラウンジノート


 先週から道塾事務所にラウンジノートが設置された。僕はこういうのを書くのも読むのも苦手なので、発案者はいつものようにジョン(訂正:じゃない、砂川だった!)。今までなんでなかったんだろうという感じではあるものの、実際にやってみるとスタッフの手書きの言葉を読めるのは楽しい。僕が書くのはいつもこんな(↑)感じ。ま、僕をリアルで知ってる人は驚かないと思うけれども。笑

 
 嘘をつくのは苦手だから僕の文章には弱さがすぐに滲み出る。それでもblogにはマイナスの文章をできるだけ書かないようにしてきた。母には小学生の頃から「えーかっこしぃ」と言われてきたし、そういう僕のスタイルを否定するつもりもないが、ジョンに「そーいうの載っけた方がいいよー」と言われたので今日は載せてみた。


 実際のところ、1月は憂鬱な日が続いてどうしようもなかった。塾生をはじめ、出会う人に「希望」を伝えようにも自分の中のどこを探しても見あたらなくて、結構しんどい日々が続いた。からっからの雑巾を手が擦り切れるくらい力を込めて絞って、ようやく一滴のしずくが落ちるように、なんとか声に出してきたけれども。

 ま、でも、こんなことを書けるようになったのは、調子がだいぶ上向いてきた証拠。今月も残りあとわずか。塾生も受験生はあと2,3週間が勝負所。仕事は山のように溜まってるし。かきわけかきわけ、前に進んでいくよ。
2009年1月27日

「いいな」と思うこと

 ある人の言葉や生き方を「いいな」と思い、共感したり尊敬したりして、その人間に近づきたいと思うこと。それはさまざまな人と出会うことの醍醐味であり、同時に、人の成長の根本にはそのように「動機付けられること」があると思う。

 僕がここ数年読んだ本の中から言葉を選ぶなら、梅田望夫が「ロールモデル」として語り、斉藤孝が「あこがれ」と言い、宮台真二が「感染」と呼んでいるそれは、彼ら自身の動機付けられ方を言語化したものだと思っている。

 年下の世代の若者と接していると、彼らの「生命力」が低くなっているのではないかと不安になることがある。人生に対する欲望の大きさの縮小と言ってもいいが、そうした背景には「動機づけられること」が少なくなったことも一因にあるのかもしれない。そんなことを考えながら藤原和博のシンポジウムの記録を読んでいたら、パネリストの一人が面白いことを言っていて、その発言のリアルさになるほどと合点がいった。

【石坂】 今回の調査データで見ると、私がうちの子に行かせていた塾や、これも通わせていた気がするスイミング、英会話だったり、家庭教師であったり、一応お勉強の塾だったりですね、全然身についていないんですよ、習字やったけど、すごい汚い字を書いているんですね。

 なぜ塾へ行かせたか。きりがないのはわかっています。別にお金に余裕があってではない。切実に1つだけです。学校の先生以外に先生がいるというのを見せたかったんです。学校だけではない、勉強の場はいっぱいあると。先生だけではない、先生と呼べる大人はいっぱいいると、魅力的な大人がたくさんいることを、子どもが小さいうちに見せたかったんですね。

 僕も幼少から色々と習い事をしてきた(させられてきた)が、その多くは数ヶ月と持たなかった。僕が他者に興味を抱かなかったというのもあるのだろうが、しかし長い間「いいな」と思える大人に出会えなかったことも関係しているだろう。そういえば、「しょーもないな」と感じる大人にはたくさん出会ってきたが、それはやがて「しかたないな」という諦めに変わっていった。

 そんな僕も18にしてはじめて「いいな」と思える大人に出会うことができた。「本」を通じての出会いではあったが、大きな転機になった。その瞬間から進むべき道が分かり、人生のスピードは目に見えて上がっていったのだ。そう振り返ってみると、「いいな」と思える大人に若くして出会えるか否かは、その人の一生を大きく左右するのかもしれないと思う。

 そんなことを話している時にふと気がついた。道塾は高校生が「いいな」と思える大学生と出会える場なんだ、と。

 僕が高校で勉強を一切しなくなった理由は、大学に入ったその先がまったく想像できなかったからというのも大きかった。高校入学当初はなんとなく医者になるつもりでいたのだが、医学部やその先の医者としての生活を楽しく想像することができなかった。

 受験指導を通して「大学に入るのっていいな」と思わせることができれば、彼らが大学受験をする意味はぐっと大きく感じられると思う。とりわけ直接に大学生と触れる機会の少ない人、たとえば地方住まいの高校生なんかには、素晴らしい出会いになることだろう。今までは無意識のうちにやってきたが、塾生が増えるにつれてスタッフも増えて行くであろうこれからは、より戦略的にやっていきたい。

 そのためには、まずスタッフ一人ひとりが「いいな」と思われる存在でなくちゃならない。わずか30分の電話越しの話とはいえ、毎週続けていればその人間がどういう風に生きているのかはすぐに伝わるのだから。そのためにはまず僕から。塾生に「いいな」と思ってもらえる大人たちであるよう(その道は果てしなく、険しいが)一歩ずつ進んでいきたい。


 PS.ちなみにこの「いいな」というのは、僕が大学で出会い「いいな」と思った先輩が卒業文集で使っていた言葉。
2009年1月26日

道塾の1コマ

 今日はスタッフの一人、揚げ男(薮下成仁)の誕生日で、ささやかながらケーキを準備して歌って祝った。こうしたお祝いは、僕はするのもされるのも苦手で、ジョンやみっちゃんが出すアイデアに乗っかってる。男所帯だから大して盛り上がるわけもなく、5分後には皆いつも通り相談に戻っていったが、素敵な一コマだった。

 若干19歳。はじめはトーク力が心配だった揚げ男。11月にスタッフとして加入して以来、しばらくの研修を経て相談を受けるようになったが、僕らの不安をよそに、もはや道塾の技術面を支える中心の一人になった。誰より勉強家なのもあり、凄まじい成長ぶりを見せてくれる。塾生が伸びていくのを見るのも嬉しいけれど、共に働く仲間がすごい勢いで変化していくのを目の当たりにするのも仕事を続けていく上での楽しみだ。

 そんな揚げ男の道塾でのプロフィール写真はこれ。笑(当時は赤髪)

 以前は多くても1日に2~3人のシフトだったのだけれど、最近は4,5人が同時にパソコンに向かっていることも珍しくない。これからはもっと盛り上がっていく(はず)。どんな仲間と、どんな塾にしていけるのか、そしてどんな塾生が学んでくれるのか。想像するだけでテンションが上がる。
2009年1月25日

一人でいること

 毎週日曜は長文を書こうと決めて書きはじめたものの、まとまらないまま12時を回りそうなので、別の話を。

 昨日、ちょっとした用があって昔住んでいた場所(中野)に行った。大学の脇に越してから来ることはなかったから、もう4,5年ぶりになる。大学一年の頃から二年の五月頃まで過ごした場所だ。

 駅から少し歩くので大学からだと30分くらいかかるのだが、友人が泊まりにくることも多かった。こんな僻地にある四畳半の狭い部屋まで、よく遊びにきてくれたものだと思う。わずか1年足らずだったが、夢に見た大学生活の一年目を送った部屋で、思い出がたくさん刻まれている。

 思い出したのは、インフルエンザにかかって近くの内科までひとりで行ったこと。薬をもらってフウフウ言いながら寝込んだのだが、あの時ほど一人暮らしの辛さを実感したことはない。親元を離れるのは慣れているのだが、一人で暮らすのははじめてで、孤独という感覚をはじめて味わった。そういえば、生まれてはじめてタバコをくわえたのもこのマンションのベランダだった。

 あの頃と比べると、今はどこに行っても人がいる。それは孤独を紛らわせてくれる一方で、「一人でいたい時は一人でいたい」という欲求の強い僕にとっては落ち着かない原因にもなる。だから最近はどこでどうやって一人の時間を作り出すかを考えることが多い。それはとても贅沢な悩みだとは思うのだけれども…。
2009年1月24日

転機

今日は大切な三人から同じことを言われて、ちょっと転機の日かもしれない、と思う。報告すべきことがたくさんある気がするんだけど、家に着けそうにないので、外から、取り急ぎ。人生って何が起こるかわからないもんだなぁ…。
2009年1月23日

昔の自分に励まされる

 精神的にくたっとくると、知らず知らずポエマーになる自分がいる。そういうセンスはないんだけどね。で、ふたつくらい書いたのだけれど、さすがに載せるのは躊躇われるので、昨日に続けて昔の文章を引用してみる。

自分にゆとりがなくなると、
あらゆる人間関係までもが
煩わしくなったりもしてしまう。

そんなこんなの積み重ねで、
とにかくなんか、休まることがない。
そして一瞬でも気を抜いたら終わり。
 
 これを書いたのは一年半前。今振り返ってあの頃の自分を眺めると、そこそこ進んできたのかなと思う。昔はどん底から復帰するのに一ヶ月くらいかかったのが、今なら三日でできる。こうやって人は少しずつ強くなっていくのかな。

 blogを続けてきてよかったと思うことのひとつは、自分の心境のパターンが掴めるようになったということ。今はこういう状態で、こういう風にして前に進む、みたいな。舵取りの指標になってくれる。日記も同じなのかもしれないが、そうした記録を続けたことのない僕にはちょっとした収穫だった。

 ということで、もう大丈夫。後は行動していくのみ。
2009年1月22日

希望を見出してくれれば幸いだ。

 年が明けてからメンタルのアップダウンが激しかった。原因は、分かるような、分からないような・・・。珍しく他の人に相談してみたり、ちょっと頼ってみたりして、知らなかった自分の一側面に気づかされたり。いくつになっても人間ってのはこうやって変化していくのだろうなと思う。

 今から7年前の今日、僕は大学受験を決意したらしい。そのことは「2ちゃんねる」の奥深くに記録が残っている。そこにはまだ若くて、とんがってて、世の中のことを知らない自分がいる。当時書いていたものを読み返すと思わず苦笑いしてしまう。懐かしい文章をすこしだけ引用してみよう。

 何故今年大学受験しなかったかというと、実は今年は海外に行き、再来年受験するつもりだったんだ。それがちょっと色々あって、結局それは大学合格以降という事にした。決めたのは今から8日前の1月22日だ。ちなみにこれは決して外部要因によるものではなく、俺が考えた結果、こうなった。最善の選択だったと思っている。

 まぁそういう奴なんだ、俺は。そしてそんな俺が一年間でどこまで行けるかを、1に変わって示したいと思う。このスレの閉幕以降、俺と同じようにゼロから受験する者がもしいたならば、 俺という良き前例がいた事で自信を持ち、希望を見出してくれれば幸いだ。

 数日前、同室人のコテツ君がこんなことを言っていた。「俺は高校時代、着る服が一着しかなくて、かっこ悪くて、外を歩くのがイヤだったんすよ。だからすごい自信なくて」と、いつものように鏡に向かって自分の服装をチェックし終えた彼は、「でもね」と話を続けた。「あの頃の俺に言ってやりたいっすよ。お前はこんなにかっこよくなったぜ、って」。

 楽しそうに語る彼の話を聞きながら、僕もまだ何者でもなかった自分を思い出していた。とげとげしい言葉は、不安で押しつぶされそうな気持ちの裏返しだった。7年前の自分に向けて言ってやりたい。相変わらずしょっぱいところは多いけれど、それでもどうにかこうにか前に進んでるぜ。なんとかなるさ、お前もその調子で頑張れよ、って。

 昔の文章を読むと、攻撃的ではあるけれど、あぁ、今の自分の原型はもうこの頃にあったんだな、と思う。今も昔も変わらない「希望」を伝え続けられる存在でありたいという想い。そんな生き方を貫いていきたい。
 
Hope is a good thing, maybe the best of things, and no good thing ever dies.
映画『ショーシャンクの空に』より
2009年1月21日

最後の授業

 6年間で終わりとなる僕の大学生活において、折り返し地点である4年のはじめに友人(ユピテルと庄司)から勧められ、冷やかし半分、もぐりで出席したのが自己表現論という授業だった。

 それから、どうしても外せない用事があった日を除いて、ほぼ休むことなく出席を続けた。思えば、僕の大学生活の後半は、なにもかも、この授業と共にあったと言っていい。

 授業を通じて多くの人に出会った。だけでなく、この授業で学んだことがきっかけとなり、より広い世界を知ろうと行動を起こしたことで、数え切れないほどの出会いがあり、喜びがあったと思う。

 メガピースは言うまでもなく、道塾だって、ビジネスという世界でも涙を流せる人との関わりは築ける、と原さんに教えられていなければ、はじめていなかったかもしれないとさえ思う。

 大学で唯一、僕が学んだ授業だ。思い浮かぶことがありすぎて、あまり言葉が浮かばない。ただひとつ、おそらくこれを読んでくれている人の多くは、この授業がなければ出会わなかった。そうした出会いをもたらしてくれた原さんと、この授業、それから早稲田という大学に、感謝したい。


 これにて僕の大学生活の授業はすべて終わり。結果、合計86単位。出席回数は6年あわせてその倍くらい。授業には出ず、テストもやる気のない僕のために、中間の日程を教えてくれた人、期末日程を組んでくれた人、教科書やノートを貸してor手配してくれた人、代わってレポートを書いてくれた人、そもそも科目登録を全面的に引き受けてくれた人、数えればきりがないそんな人たちにもお礼を言いたい。どうもありがとう。


 【フォト】 授業後のアフターでの一コマ。大学生活については、卒業式の頃にあらためて総括するつもり。
2009年1月20日

戦略PR 「人に教えたくない塾」

 意識はしてきたが、今年の道塾は戦略PRを加速させます。これは僕の得意分野。

 戦略PRとは何か? 1月10日に出た『戦略PR』(本田哲也、アスキー新書)の帯から言葉を借りると、「消費者を『買いたい気分』にさせる『空気』。それを作り出すのが『戦略PR』」。なるほど。

 日本全国から申し込みのある道塾は、通常、入塾手続きはメールと電話だけで済ませる。ただ、ごく近場に住んでいたり、特別な要望のある場合は直に面談をすることもある。今日は一件、要望のあった高2生との面談を行った。

 面談で彼らと話し合い、今後のプランを組み立て、具体的にどうやって学習を進めていくかのポイントを話し終えた頃には、たいていの子は直感的に「これは行けそうだ」と思ってテンションが上がっている。

 そんな時にすかさず「だろ? 何回か授業(電話相談)やって良かったら、周りの友だちにも勧めてやってくれよ!」と僕が言うと、大抵返ってくるのはこういう返事。「えー。あんまり人に教えたくないなぁ…(苦笑)」。って、それじゃクチコミにならないじゃんか!

 これが最近流行の、道塾PRのジレンマ。

 『戦略PR』にクチコミは欠かせない。でも「人に教えたくない」と言われてしまう道塾は戦略PRが難しい。ということは、「人に教えたくない塾」というクチコミをしてくれる人々(インフルエンサー)を探す必要がある。

 どこかにそんな素敵な人がいないかな…、と思いながら戦略PRを考えていたら、隣で電話相談を終えたみっちゃんが「塾生の弟が入塾するってさ」と言ってきた。いいね。戦略的に空気を作るのも楽しいけれど、こうして信頼が蓄積されて伝わっていくのは何より嬉しい。
2009年1月19日

最近の道塾

 年が明けてから道塾が動き出した。わいわいしていた事務所の雰囲気も、すこしずつ「シゴト」っぽい感じになってきた。みっちゃんは「スーツで出社しようかな」なんてことを言い出す始末。

 来年度から道塾は「会社」として生まれ変わる。そのための準備をはじめてからスタッフのスピードが目に見えて変わった。と同時に、いい意味での緊張感が出てきた。

 一人ひとりが、互いに信頼し合いながら、自分のすべきことをきっちりとやり、それが相乗効果を生み、素晴らしい結果を導き出す。そうしたチームプレイの感覚の中でやっていけることを幸せに思う。

 

 一方で、センターも終わり、私大受験へ向けて追い込みの時期。道塾はそもそもの生まれから早稲田志望者が多く、2月末までは一瞬も気を抜けない。
2009年1月18日

未来を支える男たち

今後の日本を支えていく(超)優秀な院生二人と




なんて話も交えつつ、カントの三批判書を解釈しながら、コンサルの限界と日本の性風俗について、それから、そうした話を前提とした日本の再建計画を語り合う。若さゆえの無力は時として最強の武器ともなる。一見無駄に見えるこの話が、実は大きなうねりへの一歩だったりして。

この話し合いの成果は、約1年後に…!
2009年1月17日

とにかく、前に進むこと

 早稲田学生新聞会スタッフの角幡くんが刷り上がった新聞を届けてくれた。広げてみると、駅伝とラグビーの話題と共に、先日インタビューを道塾のことが、 そしてこのblogを読んでる早稲田生にはお馴染みのメガピースとワセダエンターテイメントファクトリー(WEF)が載っていた。この新聞は大学の図書館 に置いてあるとのことなので、興味のある人は試験勉強の合間に手にとってもらえたらと思う。


 メガピースの記事より
 「メガピースvol.2代表 戸塚絵梨子さんの話 皆の助けがあってできました。所属を超えて、互いに愛を向け、思いやりを向けるきっかけになれば嬉しいです。メガピースは広がってい かなければならないと思うので、早稲田だけで終わらず、ひとりでも多くの人に広がってほしいと思います」


  道塾の記事より
 「---どうして「道塾」という名前にしたのですか。
 エリートだけが行くルート(道)ではなく、『こういう道で行けば半年で早稲田に行ける!』という新しいルートを築きたい、と思っていました。スポーツと か芸術方面で頑張っていて、勉強を途中から始めた人は成績の順位が下から始まりやすいし、トップまで力を伸ばすのは大変です。また、予備校には下からトッ プの大学に受かるルートがないんです。だから、みんな知らないけど別の方法があるよという、そんな『道』を作りたかったんです。」


 ところで。

 今日はセンター試験一日目。僕が大学に入学した頃はまだ少なかったが、ここ数年の間で、センター試験の結果だけで受験できる学校が爆発的に増えた。道塾 も朝日新聞に掲載されて以来、早稲田以外を第一志望として入塾するケースが増えたのもあり、大半の塾生が試験を受けている。一日目は文系科目が多く、これまで文系科目中心でやってきた道塾にとっては勝負の日だ。

 一発勝負の試験は、当然、上手くいくこともあれば、いかないこともある。そういう時に大切なのは、とにかく前に進もうとすること。失敗したら「過去のこ とだ」と割り切って分析し、うまくいったら「この調子で、でも気を抜くことなくやっていこう」と前に進む力にする。嘆いて立ち止まったり、有頂天になって 周りが見えなくなったら、そこで進歩はなくなる。

 物事の捉え方ひとつで、その後の結果は変わってくる。僕はそう信じているし、塾生たちに言い続けている。

 よほどの楽天家でない限り、勝負の結果はたいていマイナスに感じられる。でも、それはすべて自分を「後ろ向き」にさせる感情だ。自分の未来を否定的に感 じさせるものは意識的に排そう。ちらほら上がってきた一日目の報告を聞いても悲喜交々だが、それに振り回されるのではなく、すべてを自分の未来へのエネル ギーにして、まだ目の前に続いている道を最後まで歩みきってほしいと思う。
2009年1月16日

25歳からの社会学

 僕は「文化」は王道モノが好きだ。ジブリ(それもあまり難しくないヤツ)には素直に感動できるし、J-popはミスチルをこよなく愛する。洋画なら「ショーシャンクの空に」だし、日本文学では(あまり公言しないが)村上春樹のファンだ。これら大衆的な文化に敢えて反逆しようと思ったことはあまりない。

 だからこそ、そうしたメインカルチャーに対する「サブカル」の世界は敬して遠ざけてきた。そのせいか、名前はよく目にするが自分の読書範囲からは外れているという著者が何人かいた。

 だが昨夜、知識欲の旺盛な15~6歳くらいの子に薦められる本はないかなと思い、早稲田の「あゆみブックス」で平積みされていたその本を偶然手に取ったことで、僕の読書範囲に入るはずのなかった人が突然やってきた。タイトルは『14歳からの社会学』。サブカルチャー語りのエース格、宮台真司だ。

 タイトル買いで期待はしていなかったのだが、読みはじめたら止まらなくなった。トイレに行くのも惜しいくらいで、最後の1ページまで一気に読みきってしまった。結論から言おう。こいつはヤバい。著者の言葉を使うなら「ホンモノ」だ。道塾の推薦書に決定(なんて言うと、あいつとか、あいつとか、絶対読むんだろうなぁと思いつつ・・・笑)。

 この本のテーマはありふれた社会学や哲学の入門書と大して変わらない。「社会学の最先端の知識」を「ふんだんに」盛り込んだらしいが専門外の僕には関係ない。疑問を呈したい論理、文句をつけたい文脈も数多くあった。

 読んだ人しか伝わらないのを承知で書くが、たとえば「感染(斉藤孝風に言えば「あこがれ」)」こそが「<自由>」という論理は怪しいし、「<歴史>」に棹差すという理屈も(社会学としては正しいのだろうが)僕は承認しかねる。「卓越主義的リベラリズム」を支持しておいて、「世界」にもたたずめず「社会」にも承認されなかった人々に対する「エリート」の責任には一切触れていない(そもそも「世界」にたたずむことができるのは、ごく一部の「エリート」だけだという事実を隠蔽している気さえする)。

 でも、そうした些事はひとまず措いておく。

 僕が「ホンモノ」だと思ったのは、この男が本気で「世界」そして「社会」と向き合い続けているということ。そして、それは僕が「あこがれ」てきた生き方だということ。すなわち僕は、宮台真司に「感染」した。今年最初のヒット作、そしてたぶん、今年度のNo.1(昨年度のNo.1はもちろん梅田望夫)。こういう人間が同時代に生きて、これからも発言していくのかと思うとわくわくする。

 この本をそこらの14歳が読んで分かるとは思わないが、世の中の「大人」たちが最低限このレベルから物事を語ってくれるようになることを願う。

 ・・・と言いながら自分のことを棚にあげているのは否めないので、10年ほど出遅れた感もあるが、僕も今年から「学問」をしていこうと思う。
2009年1月15日

「大人になる」とは

 唯一出席している大学の授業、自己表現論(後期は「国際協力と社会貢献」)。毎年恒例な気もするが、今年も成人式明けの授業で原さんから「大人になる」とはどういうことだろう、という問いかけがあった。

 このセリフは至る所で聞く。僕らの世代なら、スラムダンクの中で小暮くん(メガネ君)が言う「大人になれよ… 三井……!!」というセリフは誰もが思い浮かべられるだろう。そう、グレた三井寿が体育館に殴り込みにくるシーンだ。先を読み進む前に、よかったらあなたも自分なりに結論を考えてみてほしい。「大人になる」とはなにか。

 授業を受けている学生からはさまざまな意見が出た。「人を裁かないこと」「自分の行動に責任をもつこと」「他人に責任を持つこと、子どもに夢を与えられること」(byみつい)「経済的な独立」etc... いま後ろでは砂川が「自分の価値観を人に押しつけずに、相手の価値観も受け入れて行動できる人」と言い、みっちゃん(みつい)が「多様性を認めること」と言っている。

 なるほど。色々な考え方がある。原さんは頻繁に「大人になれよ」と言われてきたらしいが、僕もおそらく負けないくらい言われてきたし、これからはもっと手ひどく言われていくような気がしている。

 このblogひとつとってもそうだ。いい歳こいた大人が(信じられないが、僕ももう25歳だ!)、それも、まがりなりにも事業を経営している男が、自分の感情をウェブというオープンな場、昔ながらに言えば「公衆の面前」でさらけ出すというのは、傍から見れば決して「大人」な行為ではないだろう。

 だが、僕はこの行為を敢えて続けたいと思ってる。

 「大人になる」と聞いてすぐに思い浮かんだのは新聞を賑わす品性のないあの人の顔。あるいは、歳を取るにつれて毒にも薬にもならない言葉しか吐けなくなったあの人の顔。彼らみたいな存在が「大人」としてまかり通る社会で、若者がピーターパン症候群にかかるのも無理はないと思う。

 僕の大人の定義はこうだ。矛盾と葛藤を抱えながら、それでもなお人生を賭して自分の信念を形作り、貫こうとしている人。二十代も折り返してからようやく、自分なりに「大人になる」ということを即答できるようになった。まだまだ僕は子どもだと思うが、一歩ずつ本当にかっこいい「大人」に近づいていきたいと思う。


 今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
 自分の声を信じ歩けばいいの
 大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
 苦くて甘い今を生きている
    アンジェラ・アキ 『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』

2009年1月14日

それでも明日に胸は震える

 正月前後のドタバタを引きずったまま睡眠のリズムが崩れていた。パソコンに向かうと余計に眠れなくなるから、24時を過ぎたら何があっても電源を落とすことにしている。とはいえこのまま横になっても眠れそうにないし、かといってパソコンなしですることもなく、近くのレストランへ行って暖かい紅茶を頼み、いつものように本を読んだ。

 「閉店です」と言われるまで粘って店を出た。肌が擦り切れそうな夜明け前の風を受けつつ歩いていたら、時折降りてくるあの「感覚」に見舞われた。人気のない早稲田通りの街頭の光がやけに明るかったせいかもしれない。それはこれまでの20年近い間、時折僕を襲ってきては、僕の世界との距離感を狂わせ、見慣れた景色から色を失わせる。

 ふだん僕の感覚は現実にべったりと張り付いている。いま僕の目の前にはパソコンがあり、その下に目を落とすとキーボードを叩く手が見える。でも、それがふとした瞬間に変わる。たとえば目に映る甲に毛の生えている僕の両手が、突如として自分の体と切り離され、不気味に動く物体へと姿を変える。ほら、今まさにそれが起こった。

 しばらく前に、それは見慣れた漢字が急に読めなくなるのと同じ原理で、心理学でゲシュタルト崩壊ということを知った。理屈はどうでもいいが、僕はこの感覚に昔から怯えてきた。これを引き起こすいくつかのトリガーがあって、いちばんはじめの小学生の頃は科学誌『NEWTON』だった。僕はそうした瞬間に怯える一方、完全に拒否することもできなかった。恐ろしさゆえ距離を保ち続けたが、どこかで僕はその感覚に惹かれてきた。

 漢字や身体のレベルだけでなく、世界という抽象的なレベルでも突如として起こるその「感覚」は、一瞬ではあるが僕の意識を現実から離れた上空まで浮かび上がらせ、日々のリアルさを鳥瞰的に見せてくれる。それはゲシュタルト崩壊という言葉とは逆に、ばらばらの現実がひとつの世界に収斂していくような、言葉では言い表せない不思議な感覚だ。

 この感覚に襲われると「俺はなんでこんなことしてるんだろう?」「ってか生きてるってなんだ?」といった素朴な疑問が芽を出す。大学に入って「哲学」というものの存在を知ってから、僕はこういう疑問が生まれる瞬間を大切なものだと思うようになった。そして、自分なりに言葉にするようにもなった。

 だが、近頃それは私的な物語の一部に過ぎず、リアルな社会を生き抜くには不要な感覚なのだと痛感している。すくなくとも20代、30代のうちは封じ込めた方がいい。封じ込めて、どこか押し入れの奥にでもしまっておいて、それでも漏れてくるものだけを時々相手にすればいい。ゲシュタルト崩壊なんて甘い言葉を使ってる暇があれば、マーケティング用語のひとつでも覚えろよ。誰かがそう囁いているような気もする。

 だが、そう思えば思うほど、自分の大切な感覚が磨り減っていくような焦りを感じる。すると無限連鎖のように「俺はなんでこんなことをしてるんだ?」という問いが襲ってくる。このループを断ち切らねばならないと思う自分と、その感覚に浸らなければと思う自分がせめぎ合い、どうしようもなく苦しくなる。

 言葉にするとこんな長くなってしまうけれど、実際のところ、こんな感覚は瞬く間に過ぎ去っていく。僕はその一瞬を思い出して味わっているだけだ。こんな文章は無意味だ。自慰行為は終わりにしろ。再び、そうした囁きが聞こえてくる。

 そう、たしかに無意味だ。でも、ならばいったい何に意味があると言うのだろう?

 いやいや、、、だからそんな馬鹿なこと言ってる間に営業電話を一本かけろって。

 その両方の声が、僕の心の中で飛び交うが、それもほんの数秒だ。レストランを出てから家の扉を空ける間に、信号待ちで立ち止まったわずかな時間。信号が青になったのに気づいた僕は、無意味な問いかけをやめ、暖かい布団を目指し歩き出す。そうして僕はまた現実にべったりと張り付いた世界へと戻っていく・・・。

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 これを書いたのが1週間ほど前。昨夜、1週間前と同じ時刻に、同じ店を出て、同じ道程で家へ向かった。その「僕」という生き物は、Mr.Childrenの『くるみ』を聞きながら、「なんて素晴らしい世界に生きているんだろう」と考え、吹き付ける風の冷たさも感じないまま、内側からこみあげてくる喜びに打ち震えていた。あまりに馬鹿らしくて投稿するのをやめたこの文章を思い出し、人間って不思議な生き物だなと思いながら…。



 希望の数だけ失望は増える
 それでも明日に胸は震える
 「どんな事が起こるんだろう?」
 想像してみよう


 よっしゃ、だいぶ回復したぜ。
2009年1月13日

ひとつの決意

 あの懐かしい感覚が蘇ってきた。

 事務所から上がって夜中の2時。半分ほど読み残していたビジネス書をトイレで読み終えて、布団にもぐりこんで意識がなくなるまで読む次の本を手に取った。そうして読みはじめた久しぶりの小説は、横になった僕を一瞬で別世界に引きずり込んだ。

 それは小説と言ってもいわゆる「文学」ではなく、ビジネス書の部類に入るものだったのだが、実話として語られる主人公の生き様が強烈で、物語の世界に没入した僕から、本来は眠るべきであった時間を奪っていった。

 「没入」できる小説に巡り合うと自分の心がいかに渇いていたかが分かる。数ヶ月前に「映画を見よう」と思ったことがあったが、理由は同じで、つい忘れがちになるのだが、僕がこの世界に求めているのは心ふるえる人間ドラマであり、そこから生まれる「感動」なのだ。

 だが、日常において必要でないそうした感情はどうしても後に追いやられ、いつの間にか心の瑞々しさは失われていく。偶然、ふとしたきっかけで、そういえば、俺は感動を追い求めていたのだった、と気がつく。そして思い出す。すっかり忘れていたが、俺は感動を生み出す側の人間になろうとしていたはずだ・・・・・・。

 ふと時計に目をやると針は5時をまわっていた。太陽を拝んで後悔するのはごめんなので、さすがに続きを読むのはやめて本を閉じた。枕元の読書灯を消し、物語世界で味わった興奮が冷めない頭で、この感情を忘れまいと思いながら、僕はひとつの決意を固めていた。

 年初めに決めた今年の目標のひとつ、本を書くこと。道塾周りのことを最低一冊は書きたいと思っていたが、三冊を目指そう。そのための手を尽くす。そしてその中の一冊は物語にしよう。

 僕は数年前に書きたいと思っていたような「文学」を書くことはできないだろう。でも、僕なりに物語を生み出すことはできる。僕にしか語れない言葉で、人の心をふるわせる物語を綴る。洗練されたものにはならないだろうが、不恰好でも、読んだ人の生きていく糧になるものは書ける気がする。

 本当に、僕の言葉が本として出版されるのかは分からない。普通に考えれば、限りなく可能性は低い。でも、決意しないと物事ははじまらない。朝起きても自分の決意が揺らいでいないことを確認し、そして日が暮れた夜にあらためて自問自答し、それでもぶれない自分の決心を確認した上で、blogに書こうと決める。

 書き上げた今、投稿ボタンをクリックしようとする。けっこう勇気がいるのだけれど、覚悟を決めて、ぽちっ、と。この記事がアップされた後、いくらか早く鼓動を打つ胸を押さえながら、きっと僕は思うだろう。よし、これで後戻りできないぜ。そして、実現へ一歩近づいた、と。
2009年1月12日

大学は学歴を売る商売か?

 『進学格差』(小林雅之、ちくま新書)を読み終えてあらためて感じたこと。大学というのは、「学歴」を販売している企業体ではないか。

 つまり、大学に進学することは、少なくても約一〇〇〇万円の目に見えない費用がかかっているということだ。これを加えれば、最も安い国公立大学自宅通学女子でも一四〇〇万円以上の費用がかかるのである。
(小林雅之『進学格差』p16 ちくま新書)

 大学について論じていると、共に働くジョンがよく「大学を卒業することで与えられる『学歴』がなくなってもなお、純粋な学びの場として大学に通う奴はどれくらいいるだろう?」と問いかける。

 「最終学歴」を得るために支払う、進学塾や予備校(人によっては幼稚園や小学生から!)への授業料を考えると、親が大学というものに期待していることの大きさが想像できる。だが、その期待に大学という場所は十分に応えているのだろうか?

 僕はまともに大学教育を受けていないから論じる資格はないのかもしれない。それでもね。それでも、僕はあまりにひどいと思う。現状、学歴はその内容如何に関わらず、社会へのパスポートになっていると思う。だから誰もがそれを手に入れようと必死になる。

 でも、それ以上に「大学」という場所が与えてくれるものがなければ、本来それだけの金を払う価値はないはずなんだ。ということは、どこかに歪みが生じてる。道塾には、金がなくて予備校に通えない奴が少なからず入塾してくる。そういう教育手法と出会えていない未だ見ぬ人々の中には、そのために歪みの犠牲者になっている奴がいる。

 誰もが盲目的に学歴を手に入れようとする風潮の中、学歴を相対化しようとする動きもなく、十分な教育を受ける機会のない人間は社会の中心的なルートから淘汰されていく。僕らがすべてを解決できるわけじゃないし、まだまだ道程は長いけれども、すこしでもこれを改善できればいいなと思って、今年から道塾で新しいアクションを起こしたいと思っている。
2009年1月11日

物語の枠の大きさ


 一昨日の夜の鼎談について書きたくてうずうずしている。が、まだ録音して送ってもらった内容を聞き直せていないので、明日にでも。今日はそれにもちょっと関係する、新聞の話。

 早稲田には歴史ある新聞(月間)がふたつある。よく見かけるのは「早稲田大学新聞」で、こちらは大学当局を批判したり、政治的な発言が多かったりとで、一般の学生の感心は低い。先日、もうひとつの新聞、「早稲田学生新聞」の取材を受けた。

 総長室や図書館にも置いてあるらしいこの大学新聞は、スポーツをはじめとする話題はもちろん、先月号にはこのblogにも何度も写真を載せた早稲田イルミネーションプロジェクト(WIP)の代表である土橋ちゃんも載ってたりと、精力的な活動を行っている。去年も今年もMEGA PEACEを取材しに来てくれていたらしい。が、それにも関わらず、僕を含めてMEGA PEACEの関係者はそのこと誰も知らなかったし、WIP代表の土橋ちゃんも自分の記事を読んでないという始末。

 いったい、この新聞は誰が、いつ、どこで読んでいるのだろう? もったいないぞー>関係者。

 新聞と言えば、米国で二番目のトリビューン紙が破産したのは記憶に新しい。メディア・パブでも「新聞社の危機,6年間で総広告売上が半減へ」というタイトルで今後も広告費削減が続き、各紙が行き詰まるのは免れないだろうと報じている。

 広告費削減というのは日本にもトレンドとしてあるように感じる。朝日新聞が初の赤字転落だと言うし、毎日新聞はずいぶん前から倒産が囁かれている。が、世界一の発行部数を誇る読売新聞をはじめ、全国に張り巡らされた営業所体制はそう簡単に崩れないように思う。

 「読売新聞が実施した全国調査によれば、回答者の85%が「新聞報道を信用している」と答えている。これに比べて、米国人読者で新聞記事の内容をすべて、ないし大部分を信頼しているのは約20%にすぎない(米ジャーナリズム研究機関PEJの07年報告書による)」 ワシントン・ポスト(クーリエ・ジャポン1月号P79より、曾孫引き)

 水村美苗『日本語が滅びるとき』のネタ元のひとつであるベネディクト・アンダーソンは、「プリンタ・キャピタリズム(出版資本主義)」という用語を用いて、新聞・小説をはじめとする印刷物が運命共同体としての「国家」という物語を創り上げたと論じている。

 おそらく、多くの「日本人」はその物語から逃れることはない。日本の新聞は、これまでも、これからも、1億人を超える豊かな市場である「日本人」に読まれ続け、語り部の第一人者としての地位を保ち続けるだろう。

 ただ。

 年が明けてから国境を越えた思考をする人との出会いをいくつか経て、自分が生きてきた「物語の枠」がいかに小さいかということを考えるようになった。「枠の外のことは自分と関係ない」と思ってきたが、いかんせん、枠の外の思考をできる人たちと話していると、その話の面白さに引き込まれてしまう自分がいる。枠の中を深く知るためには、その外側に身を置いた方がよく見えるようにも感じる。

 インターネットによって、意思さえあればこの枠は簡単に超えられるようになっている。遠くない未来に、単純な好奇心から枠を飛び出す自分を想像できてしまって、楽しみになった分、ちょっと怖くなった。イメージができると、あっという間にそっちに傾いていってしまうんだよなぁ…。


 【フォト】 早稲田学生新聞界のお二方。ありがとうございました。
2009年1月10日

1周年

 一昨年の12月にMEGA PEACEを終えて、「人生の第一幕が終わった」という感覚を抱いた。ひとつの終着点にたどりついた僕は、次の目的地を探しはじめた。そうしてはじまった人生の第二幕。と同時に、その日々を残そうと思ってこのblogを立ち上げた。
 
だからはっきりと言える。第二幕の幕開け。ここからが人生本番、勝負の時。やるしかねぇ。

 この感覚は今も続いてる。だが、「人生本番、勝負の時」という覚悟で走ってきたものの、正直に言えば力不足を痛感する日々。そんな僕を見捨てずに付き合ってくれる人々がいることに感謝しながら、2年目も書いていきたいと思っている。

 このblogでは自分をできるかぎり開こうとしてきた。オープンにした分だけ傷つくのは当然だ。それでも。blogを書いていなければ出会えなかった人の顔。文章を読んだ人にかけてもらった声。そのひとつひとつを振り返れば、身体に刻まれた傷も思い出のひとつだと感じられる。これからも僕なりのスタイルで開いていきたい。

 最近、身の周りでも「blogをはじめたよ」と聞くことが増えた。同士の仲間が増えたような気がして、なんだか嬉しい。

 僕は目指している自分がいる。それは遙か彼方にあって、そこから今の自分を見るとあまりにも未熟すぎて目を覆いたくなる。この1年間は、その理想へ近づくためのインプットの、そして試行錯誤の日々だった。外からは別な風に見えるのかもしれないが、おそらく僕にとっては次の一年もあまり変わらないと思う。

 それでも、そんな僕のblogを読んでくれる人がいることを思いながら、今年も続けていきたいと思う。いつか、読むたびにわくわくするような文章が書けたらいいと願って。
2009年1月9日

盛り上がりすぎて

きょうは書けません。最高の夜でした。感謝。今日のことはまた後日アップします!

取り急ぎ、iPhoneより。
2009年1月8日

なぜ日本を愛するのか?

 返事に窮しているメールがある。

返事を読んでいて思ったのですが、馬場さんは日本が好きなのですか。海外で活躍するという選択肢もある中で、なぜ馬場さんは日本で面白いことをする選択肢を選んだのでしょうか。なぜそこまで"日本"をよくしたいと考えるのでしょうか。よかったら教えてください。

 先月の半ばにオーストラリアから届き、明確な答えが見つからないまま数週間が過ぎた。日本をよくするというのは、僕にとっては自明のことだった。「なぜ白米が好きなのですか」に対する答えと、あまり変わらないレベルで考えていた。

 白米と味噌汁で生まれ育った日本人は、どれだけ海外でパン食を続けていようとも、死ぬ前には白米と味噌汁が食べたくなるという文章を読んだ記憶がある。この話が正しいとは思わないが、DNAや「三つ子の魂百まで」のレベルで嗜好がある程度は固定されるというのは頷ける。理屈はどうあれ、僕が「日本」をよくしたいとどこかで思うのは、そうした単純素朴な実感の結果だと思えるからだ。

 なぜ僕らは自分の所属を、すなわち今いるサークルを、クラスを、大学を、部署を、会社を、世代を、国家を、世界を、そして家族をよくしたいと思うのだろう。そして、よくするとはどういうことだろう。僕にはまだ「そこに愛着があるから」という以上の答えが見えてこない。
 
 でも、たとえば、日本をよくしたいという気持ちと、世界をよくしたいという気持ちの源泉や形は、すこし異なる気がする。そこにはもうすこし分け入って考えるべきものが歩きがする。でも、まだはっきりとはしない。そうした僕の曖昧さを解消するヒントをもらえそうな場が明日あるので、それを追ってまた報告したいと思う。メールの返信はその後で。

 もしよかったら、今度あなたの考えを聞かせてください。
2009年1月7日

私的な物語が終わりを迎え、次に語るべきは・・・

 高校を中退してブラブラしてしばらく後、ふとしたことをきっかけに政治の世界を志すようになった。大学を目指したのはその第一歩のつもりだったが、入学してまもなく僕の政治への関心は上っ面に過ぎないことを思い知った。そんな大それたことを言う前に必要なのは、僕が個人としてどう生きるのかという哲学。それなくして政治という大きな枠組みを語っても言葉は虚しく響くだけだと気づいた。それ以来、僕は自分のごく個人的な物語を深めていくことに専念した。

 今でこそ活動的に思われているが、大学はじめの4年間は、身近な仲間と酒を飲み、幾つかの恋をしたのを除けば、僕はひとり部屋にこもって本を開き、時々顔をあげて考えるという静かな生活を送っていた。新聞を賑わすような世界とは縁遠い、私的な物語を追っていた。そうした日々の末に紡ぎ出したストーリーを、できるだけ大きく描いてみたのがMEGA PEACE vol.1だった。あの日、最後の曲が終わり、音が鳴り止んだときに、僕の個人的な物語は完結していたのだと思う。

 それから1年。

 ビジネスという、いわば私的な物語の対極にある世界に生きてきたが、その間、僕は相変わらず個人的なストーリーを語り続けていた。それは、この1年間の間に書いてきたblog、まさにこの記事も含めて、それらを読めばすぐに分かる。最近気がついたのは、それが届く範囲に限りがあるということ。個人的な物語をいくら僕が語ろうとも、それが響く範囲は僕の半径数メートルの域を出ない。僕が共感を生む範囲を広げるためには、すなわち僕のストーリーでより多くの人の心を震わせるには、語る内容を根本的に変えなきゃならない。

 目の前のことに追われて考えるゆとりもなかったが、もはや僕個人の小さな物語ではなく、より大きな物語を紡がなければ前に進めない段階に来ていたようだ。それは「歴史」であったり、「社会」であったり、「未来」であったりするのだろう。それはこの数年間、意識的にシャットアウトしてきた領域だ。そうした僕にとっての新しい物語を紡ぐため、今年は新たな学びの段階に入ろうと決意した。

 今までは自分の小さな物語を紡ぐための手がかりとして、隣にはいつも「他者」がいて、脇には常に「本」があった。きっと、それはこれからも変わらない。だが語るべきストーリーが変わった以上、どのような「他者」「本」から学ぶのかは再考しなければならないのだと思う。

 また、政治への道を降りてから閉ざしていた新聞、雑誌、テレビといったメディアにも触れてみたい。しばらく離れていたものに手をつける時は、とにかく馬鹿みたいに情報を浴びることからはじめるわけだが、どんなソースがあるのかも分からない中で、どれを選ぶべきか探している。英語ができれば選択の範囲は広がるのだろうが、現状、それはやむを得まい。

 何をインプットするかで、僕がアウトプットするものも変わってくる。それはそのままこの blogにも反映されるだろう。その結果、いま興味を持ってくれている人が離れていってしまうかもしれない。だが、それは次のステージへ立つために必要なステップだと信じたい。今年は僕から見える「社会の構造」を語りたいと思っている。その多くは稚拙なものにならざるを得ないだろうが、僕にしか語れないこともあるだろうし、それに誰かが興味を持ってくれることを願いたい。

 まだまだ僕はひ弱だ。なんとか声をあげ続けてはいるけれど、張り叫ぶうちにやがて喉が嗄れるかもしれない。でもいつか、僕が語るストーリーが必要だったと思える時がくる。その時に後悔しないために、とにかく今は決めたことを続けようと思う。
2009年1月6日

滑稽なルールより滑稽な自分

 メールを送るとき、相手の名前を「~~さま」と呼ぶ必要に迫られることがある。他にいいアイデアも思い浮かばないため、やむなくそう書き始めているが、いくらやってもこの呼び方には違和感を拭いきれない。「だって現実にそんなこと言わないっしょー。笑 俺なにやってんだ。あっはっは。爆」みたいな。

 文学に文学的表現があるのと同じように、ビジネスにはビジネス的文法がある。その必要性は分かる。分かるけれども、僕はどうにもその流儀に慣れることができない。逆に送られてくるメールには「俺なんかには『くん』でいいのになぁ」と思うことも多々。

 「ビジネスの流儀」はメールに限らず色々なところで出くわすが、その流儀を超えたスタイルを確立している人を見るとかっこいいなと思う。無理がなく、楽しんで他者と接しているように見える。彼らは相手に合わせるのではなく、自分流なのだ。糸井重里や茂木健一郎なんかは僕にとってその代表だが、メディアに出ている人だけでなく、身近でも自分のスタイルを築いている人に出会うことが多くなった(ネットで意欲的に自分を表現している人には特に多い)。

 とはいえ、彼らはルールを知らないわけじゃない。知った上で逸脱しているところが洒落ているのだ。彼らと僕とを比べると、僕は今いる場所のルールを弁えないまま逸脱しているように思える。自分の限界で走っていたら、ふと気がつくとルールが変わり、滑稽に踏み入れるギリギリまできていたようだ。

 3年前に「自分を開いていこう」と決めて自分の打ち出し方を変えてきたが、いつしかその方向に振れ過ぎてしまったらしい。逸脱しすぎた結果、相手とすれ違うことが増えた。それじゃ本末転倒だ。僕が大切にしたいのは、出会った相手と真っ直ぐなコミュニケーションを行うこと。無理なく、楽しんで他者と接すること。

 そのために、たとえば、今までは人に迷惑をかけない限りでオープンにすることを自分のスタイルとしてきたが、少しずつクローズに戻すのもいいかな、なんてことを考えている。20代も折り返し地点を過ぎたことだし、新たなルールの中で、今までとは違うスタイルを作り上げていきたい。これからまた試行錯誤を繰り返すことになると思うけれど、それにに関して思うことがあれば、こっそり教えてもらえると嬉しいです。
2009年1月5日

学生が社会に出ないで生きるということ

 今日、ある社会人の方と話して気づいたこと。僕のやっていることは学生の延長に過ぎない、ということ。外から見ると余計にそう見えることも分かった。学生発で事業をやっていると言えば「すごいね」という話になる。でもそれは社会の目からは「学生が楽しそうにやっているよね」という域を出ない。

 たしかに社会人と学生との隔たりは大きい。当然、仕事の能力の差もある。でも、それ以上に「社会人になる」という通過儀礼(initiation)を経ているか否かが影響しているように思う。通過儀礼を経ないで社会に踏み入れようとすると、共通言語の違いもあり、ある種の「逸脱した人(deviant)」という受け止められ方をされる。それが両者の関係を断絶しているように思える。

 個人的には、学生と社会人が断絶されているのは異常だと思う。現状、学生は「学生だから」という状況に甘えていて、社会人も「学生だから」という枠の中で考える。そこには「学生だから自由にやっていいよ」という反面、「学生だから社会人の領域に踏み込むな」という暗黙のルールが存在する。そういう関係のもとで、学生が伸びるわけがない。

 現実には、学生の環境はぬるい。「社会」の厳しさはその比じゃない。それが学生に何事も任せられないという結論に至るのは分かる。でも、あらためて言うが、この現状は異常だ。学生が甘やかされるのが許容されるのは、誰にとっても不幸だ。人生でいちばん伸びるはずの4年間を、コタツの中で過ごす寝正月にするようなもの。僕は恵まれた大学生活だったと思うが、別の見方をすれば温室だったとも言える。

 その現状は変えなきゃならない。そのために、僕が学生発という状況ながら、十分に社会に通用するものを生み出していきたい。それは直接的ではないにせよ、変化のきっかけになるはずだ。社会人を経てないのに、なかなかやるね。そういう「プラスの価値を持つ逸脱した人(positive deviant)」に僕はなりたいし、そういう人を多く生み出していくのは今の日本に必要だろう。

 よく「卒業してサラリーマンを経た方がいいよ」というアドバイスをもらう。ありがたい忠告だと思う。でも、それは僕にはありえないルートだ。僕は自分のスタイルを貫き通して、それを社会に認めさせる。そういう生き方もあるんだという新しいルートを開拓する。それこそが、他の誰でもない、僕がするべきことだと思うから。

 そのためには、「学生」という枠に片足を置きながら、もう片足で「社会」を踏みしめ、その両足で誰よりも速く走ればいい。そうして結果さえ出せば、世の中は後からついてくる。

 だから僕は社会を経ている誰よりも速く走り、結果を出さなければならない。でなければ社会は決して認めようとしないからだ。そして、それこそが「頑張ってるね」と褒められる学生と、結果を出さないと生き残れない社会人との一番の違いだ。

 己と勝負して、ひたすら加速する。そして、結果を出す。僕がすべきなのはそれだけだ。それなのに、このところ他者に頼ろうとしすぎていた。それは何よりもやっちゃいけないことだと決めたのに。今日、それに気づけたことに感謝。また一段ギアを上げることができそうだ。
2009年1月4日

100年に1度の危機は、100年に1度の大チャンス

 年明けの新聞をめくると、「100年に1度の危機」みたいな話でもちきりだった。わずかな希望はオバマの話くらいで。実際、どの新聞記事やblogを読んでも、身近にいるベテランのビジネスマンに聞いても、あるいはタクシーの運ちゃんに聞いても、「バブルの時よりひどい」という答えが返ってくる。たしかに100年に1度の危機らしい。

 僕を含めて、僕より下の世代はバブルの記憶なんてほとんどないから、不況と言われても「ふーん」という程度だろう。だがここ最近、僕みたいな一般市民にまで不況の波がじわじわと押し寄せているのを感じている。あと数年の間はこのまま冬の時代が続くのだろう。そして、多少の変動はあるにせよ、日本は数十年単位で「温暖化」ならぬ「寒冷化」が進むに違いない。

 そういう空気が漠然とだが確実に浸透している。だから、この国は閉塞感に覆われはじめている。政権が民主党に移ったとしても事態が打開されるようには思えない。そりゃ気持ちも暗くなるよ。じめじめして、愚痴のひとつでもこぼしたくなってくる。そんな気持ちで書いたのが、昨日のblogだった。読み返すと、頑張ってはいるけれど、だいぶ凹んでたのが分かる。

 でも。

 もう回復した。すっかり忘れていたけれど、危機の時こそチャンスなんだ。思い出したよ。そんな時にこそ立ち上がらなくてどうする。冷え込みは厳しくなるにせよ、いつか春はやってくる、なんて勘違いして春を待っていてどうする。春に花開かせるためには、冬の間も火は消しちゃいけない。それに、僕にはこの冷え込んだ空気すらも暖かくするだけの可能性があるんだ。

 なら、やろう。

 春を待つのではなく、今すぐ、この冬に火を焚きつけてやろう。100年に1回しか来ない危機なら、それを潜り抜けられるのも100年に1度しかない。こんな大チャンスを逃してどうする。そう思って、久しぶりに「午前8時の積ん読」も更新した。

 昨日、今日と、人の暖かさのおかげで自分の熱を絶やさずにすんだ。おかげで、再び走り出せそうだ。そのことに感謝。今日は筆が進む、進む。今年もめっちゃ面白い1年にします。この調子でやっていくよ。「積ん読」とあわせて、あらためてよろしく。
2009年1月3日

しぶんぎ座流星群

 流星群で思い出すのは、たしか中学生だった頃のしし座流星群。真夜中、学校に忍び込んで校舎の屋根に登って夜空を見上げた。星々の間を切り裂いた流れ星が、180度に広がる天空を真っ白に染めたのを思い出す。

 星空を眺めながら、初恋の子と結ばれることを必死で願った。「3回なんて言えるわけない」と気づきながらも、その事実を誤魔化して言えた事にして家路についた。が、それから願い事が叶った様子はない。

 あの日からもう10年くらい。もはや僕は星に願い事をする必要はなくなった。

 長いあいだ探し求めていたものを、僕は手に入れた。それは、自らを賭して戦う舞台だ。MEGA PEACEにはじまり、今年やろうとしていることに至るすべて。舞台は整い、道筋も見え、共に戦う仲間もいてくれる。昔の僕には夢みたいに恵まれた環境だ。

 だが、決定的にひとつ足りてないものがある。それは僕の中の熱だ。僕は夜空を一瞬輝かせて消える流星ではなくて、世界を燦々と照らし続ける太陽でありたい。それだけの熱を、光を、自分の中に生まなくてはと思う。だが、それがまだ十分だとは思えない。

 そんなだから「最近元気ないね」と言われてしまうのかもしれない。が、そんな言葉のひとつが、僕の消えそうな火をすこし焚きつけてくれる。諦めず続けていけば、燻ってた火も、いつか大きく燃えあがる。そんな日が来ると信じて、今年一年も走りきりたい。
2009年1月2日

「午後2時のビール」 2008年 エントリー10選

1月10日 2008年を迎えて
3月7日 まだ見ぬ早大生へ
3月16日 天国に一番近い島
4月19日 声をあげよう
4月25日 ちいさく握りしめる
5月26日 手に入れるために捨てるもの
8月31日 嵐の向こうへ
9月16日 オリンピックと敬老の日
11月25日 適切な大きさの問題(まとめ)
12月14日 シュンポシオン横浜 第一部 青年の主張 「絶望の淵でこそ『大人の流儀』を」 

 「このまま2008年の間に100エントリーくらい書ければ理想的だ」と書いた『50Entry』から半年足らず。結局、その時の3倍を超えるエントリー数に達した。「5行日記」すら続かない僕が、よく書いたと我ながら思う。

 が、年末に飲んだ旧友からは「最近blogがおとなしいんじゃないか」というようなことを指摘された。そりゃ、こんなものを書いてた時期から比べたら、たしかに大人しくなった。読んでくれる人が増えた分だけ書けなくなったこともある。でも僕なりにギリギリのラインで勝負してるのは変わらない。それが「大人しくなった」のならば、僕の生き方がその程度のものに成り下がったということだろう。それは読者の判断に委ねたい。

 僕が読者の心の中に生み出したいもの。ひとつは生きる勇気や希望だ。そして、もうひとつはその対極にあるものだ。僕らは希望や勇気を持ちたいと願うけれども、現実にはその正反対のものばかりを見せつけられる。その間で揺れ動き続けるのが生きるということだ。生身の生きる人間、それを書き残していくのがこのblogを続ける一番の意味だと僕は思っている。

 僕は小説家じゃないから想像力では書かない。だから僕の生み出す文章は、僕がどれだけの「生」を送るかにかかっている。過去を懐かしむこともあるし、未来への推進力をつけようとすることもあるが、僕が生きた現実の瞬間の積み重ね、それが僕の書ける文章のすべてだ。

 そうして綴られた文章は、いわば僕の分身だ。その分身が、去年よりも今年の方が読み応えがあるように、日々を生きていきたいと思う。
2009年1月1日

新年の誓い

 あけましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。一層スピードを上げていきますので。

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 さて、さっそくだけれど、年が明けての誓いを3つ発表。

 ・ペスクタリアン(肉食を断つ)になる
 ・午後9時以降は禁酒
 ・毎日blog更新

 時々「意思が強いね」と言われる。が、実のところまったくの逆で、意思が弱いからこそ折れないための方法をいつも考えてる。これらの誓いもその一つ。年明けにblogで宣言してしまえば、さすがの僕でも守るだろう、と。

 それぞれ去年から意識していたが、どうしても守りきれなかったものだ。たとえばblog更新にしても振り返ると毎日更新しているように見えるけれど、間に合わなくて翌日以降に書いたことが多かった。投稿時間が「23:55」になっているものはすべてそうだ。

 上に挙げた誓いはすべてごく個人的なもの。今年は外向けの活動を増やしていくつもりで、そのための目標は別に立てた。大きな目標に到達するために大切なのは、日々の小さな積み重ね。そのために、この個人的な誓いを守っていきたい。