2008年1月31日

6、落ち続けて凹んでいる人へ

 とにかく、はじめに書いた「就職活動とは恋愛である」を読んでほしい。その上で、これからの話を聞いてもらえればと思う。以下、書類審査と1分くらいの面接なら大丈夫だという前提で(恋愛だって相手にあわせた「身だしなみ」を身につけているのは当然だ)。

 まず志望理由が単なる夢に過ぎない、ということがないかを考えてみるといいと思う。このことは多かれ少なかれ、そして男女の別なく、わりと多くの人と話していて感じる。その企業が何を求めているのかを把握していなくて、イメージだけで語っているケースが多いんだ。

 前回のエントリーで書いた

 「僕はこういう人間です」
 「そして君(御社)はこういう人間(企業)だと思ってる」
 「だから僕は君(御社)にこれを与えられる」
 「そして僕は君(御社からこういうものをもらえると思ってる」

 でいえば「こういう人間(企業)だと思ってる」の部分が曖昧だったり、間違っていたりする。それによって「だから」以降で導き出す結論が間違ってしまう。選ぶ側からすれば「あなたにいいところがあるのは分かるけれど、私はあなたとつきあいたくない」ということになる。「ありがとう、でもごめんなさい」のパターンだ。

 この四つの項目に自分なりの解答を持っておくことは、とても大切だと思う。これができていないと、エントリーシートでも面接でも、何を自分の強みとして持ってくればいいのか分からず、どこの企業でも同じ話をすることになりかねない。

 「とっておきのストーリー」や「自分のいちばんの軸=強み」を持っておくことは大切だ。でもそれだけで希望する企業に受かるのは偶然に過ぎない。その企業が何を求めているのか、それに自分なりに誠実に応えることが欠かせない。業界や企業の研究はそれが目的だろうし、前回話したOB・OG訪問のようなチャレンジはそのためにすごく役立つのではないかなと思う。

 「こういう企業」と判断する時に何が大切かというと、「日々の地味な部分」だと思う。そしてそれは事業内容やパンフレットからはなかなか見えてこない。僕は去年の4月に立ち上げた塾を1年近くの間、自分の仕事としてやってきた。その間に強く感じたのは、追い求める夢と日々の仕事ってこんなにもかけ離れているんだなぁ、ということだ。

 知らない人へ向けて簡単に説明すると、僕の塾はいわゆる進学塾とはすこし異なる。指導方法は対面ではなく、ウェブ・メール・電話による個別指導。指導内容は勉強ではなくて、勉強の方法とスケジューリング。それから生活全般の指導とモチベーションの維持・向上といったこと。

 主な指導対象は受験エリートではなく、不登校児やニートやフリーターといったいわゆる「落ちこぼれ」で、そこから一流大学へ逆転合格しようという者たちだ。年齢は高1から25歳くらいまで幅広い。この塾の目的は、落ちこぼれでも一流と呼ばれる大学に半年足らずで合格できることを証明し続けて、受験戦争のシステムを変えること。さらには、日本の教育を変えることにある。

 と、すこし壮大な話になったけれど、実際にやっているのは地道な電話相談と文章を書くこと。その内容は受験指導ももちろんだけれど、「眠れない」とか「英文が読めなくなった」とか、そういうごくごく地味な悩みに応えることも多い。「お前ら男だろ!」って怒鳴りつけたくなるようなこともたくさんある。でも、、気持ちはわからないでもないから僕なりに応えることになる。

 仮に僕がこの塾にたくさんの応募があったとしたら「受験技術には絶対の自信があります」とか「英語に命を賭けてます」とか「日本を変えたい!」みたいな気持ちだけが先走っている志望者はパスするだろう。僕がまず求めているのは「(落ちこぼれを主とした)人の相談に乗ることが好き」という点で、他のことはどうにでも補えると思うから。

 受験技術は僕が教えるし、仲間と研究していけばいい。歴史を教えるが好きなのも、日本を変えたいのも、あればいいけれど絶対条件じゃない。でも日々いちばん多い作業への適性がなければ、やっていて面白くないと思う。どんなに頭がよくても面白くなければ伸びないし、続かないだろう。3か月でやめそうな人間を雇おうとは僕は思わない。これはどんな会社でも変わらないだろう。

 だからこそ「僕はあなたにこんな適している人間なんですよ」とアピールするときに、どれだけ的を射たアピールになっているのか、それを徹底的に探る必要があると思うんだ。再び僕の塾で例えるなら、僕と一度飲み語れば、僕が塾において何を求めているのかが直感的にも、具体的にも分かるはず。その経験とデータがあれば、どこが自分とあっていて、どこがあわないのか、自分なりに分析することができる。

 仮にこちらが3年で辞めるつもりだとしても、長く付き合っていけるか否かを互いに知りあうのが就職活動だと思う。マッチングがうまくいかなければ、互いにとって不幸な結末が訪れる。だからこその調査、分析だ。

 不採用通知が届いたら「ご縁がなかった」と書かれていても「あなたはうちの会社とはあいませんよ」と言われているということ。でもそれは人格を否定されているわけではなくて、多くは相性の問題なんだ。だから何度も繰り返すけれど、落ちたって傷つく必要はない。自分の研究・対策不足だったと悔やみ凹んで反省して、次に活かせばいい。

 企業によってはこういう細かいことは求めないこともあると思う。でも、こうして自分なりに丁寧な分析をすれば、自信をもって就活に臨むことができる。それはES一枚にも結果として現れる出てくるだろう。

 そう、自信というものが人生を決めるような大きな舞台では、とても大切なことになると僕は思ってる。そして自信を作りだすのは、それを裏打ちする努力にほかならない。基本的には今までの人生で培ってきたもので勝負するしかないけれど、直前期に悪あがきすることでだいぶ変わると思う。

 いろんな試験だって直前期がいちばん大事。そこでサボってたらそれまでの実力を十分に発揮できない。逆に言えば、実力不足なら直前期は追い上げるチャンスということ。そのためにどういうことが必要か、最後のまとめとあわせて次のエントリーで書いてみたい。

5、知る技術

 僕がいちばんいいと思うのは、積極的にOB・OG訪問をすること。というのも、僕が今まで書いてきたことすべてをOB・OG訪問では同時に試せるからだ。

 基本的なコミュニケーションの練習になる。また相手の会社を知ることができる。その上で、磨いてきた自分を最大限伝えてみる。何をどう語ればいいかの反応を見る。ちょっとした面接の練習のようなものだ。

 そしてOB・OG訪問が終わったら、家に帰って反省する。それを友人と相談しあい、共有するのもいいだろう。5人で協力すれば、単純計算で5倍の情報を集められる。生きた情報は多いほどいい。精度が増すし、アンテナも増える。就活中は何かと気をつかって友人と連絡を取らない人が多いけれど、就活がどういうものかの共有ができていれば、仲間と協力することはできるはずだ。

 OB・OG訪問は単純に情報をもらうだけの場にするにはもったいない。その人に愛され、応援してやろうと思わせること。ひいては「こいつと一緒に仕事したいな」と思わせること。それを第一目標に置いた「挑戦する場」とすべきだと思う。

 OB・OG訪問で相手に好かれるようになれば、企業のリアルな情報も入ってくるだろう。それは職場環境の本音というようなものもあるけれど、大切なのはその人の仕事への賭け方だと僕は思う。そのストーリーを聞くことで「この企業へ行きたいな」という思いも生まれ、エネルギーも湧いてくる。

 ここでリアルな情報を得られれば自分が合うかどうかも判断しやすくなる。自分から尋ねれば「短い時間での印象だけど」という前置きをつけた上で、どのように向いてるか・向いてないかという話をしてくれる人もいるだろう。

 もちろんOB・OG訪問に限らなくたっていい。たとえば説明会や相談会の場でリアルなサシ語りに持ち込むのも考えられる。ただそういう場でも別の機会を作れるくらいに踏み込んで関係を作ることが大切だと思う。逆に言えば、それくらいまでなっていれば自然と情報が入ってきて、良いサイクルで就活をやっていけるはずだ。

 もっと広げた手段だってあると思う。ネットがあり、携帯電話があり、さらにはmixiなんてものまである。いまや世界は本当にSix Degrees of Separation:「6次の隔たり」でしかないと思う。ちょっと本気出せば会いたい人に必ずたどりつける。ましてや就活というフィールドなら、そう難しいことなくコンタクトは取れる。そうしてつながりを構築する力を磨くことも、就職活動では大きく役に立つはずだ。

 こうしたことは数をこなさなければあまり意味がない。2,3人じゃ比較対象として少なすぎる。それで終わりにすると、「ここしかない!」みたいなことにつながりかねない。最低でも30人くらいは当たってみるべきだと思う。

 アダムとイブみたいに男女1人ずつなら必ずペアになれる。でも、実際には出会う男女はたくさんいる。ならばできるだけいろいろな人を知った方が、よりいい相手にめぐり合えると思う。

 単純な理屈だけれど、企業としても「御社しかない!」よりも「他もたくさん見たけれど、中でもやはり御社に行きたいと思う理由がこれだけあります」と言われた方が「よく物事見えてるし、うちの会社を分かってるな」という評価が下されるんじゃないだろうか。

 いっそのこと就活へ向けて名刺を300枚くらい作って、全部配りきるくらいのつもりでやったらいいと思う。そして、必ず数値目標を決めること。何日までに何人、何枚、何社。長期的な目標値を決めて、同時に短期的な今日からの目標値も決める。そして、毎日見直す。まず今日、今すぐ。明日じゃ遅い。それをしないと、いつまでたっても動けない。

 最終的には、こうして「良いサイクルでの就活の習慣化」まで到達できれば、かなりスムーズに進むんじゃないかと思う。迷いがあっても、僕のように決定的に就職に向いていないというのでない限り、行きたい企業も見えてくると思う。習慣化には日々の思考・努力が欠かせない。

 思い出すと、僕も初恋のときはいつも恋愛の大先輩とも言える友人たちにかわるがわる相談してた。本も読んだし、ネットも使ったし、周りの男たちに、そして女の子にまで相談してた(最悪だ)。でも当時の俺からすると、ものすごく恋愛経験豊富なやつらだった彼らが、何にもまして役に立ったなぁと思う。あれから5年たった今、僕らは時々集まっては酒を飲む、かけがえのない仲間になってる。


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 最後にひとつ。調子に乗りがちな自分への戒めも兼ねて。

 友人や先輩に相談するのも大切だと思う。特に初期段階での「自分磨き」をする際にはかなり役に立つ。思ってもなかった「強み」「弱み」を気づかせてくれることもあるだろう。でもやはり「知っている人」という甘えが出るし、相談に乗る側も身近過ぎて見えていないことも多い。これは僕自身が相談に乗ってきて感じたことだ。

 知り合いに語るのと、初対面の人に語るのとでは、かなり違う。見ず知らずの人に、いかに自分を伝え好意を持ってもらうかが大切だと思う。そして、そういうことが苦手だなと感じる人こそ、すこしハードルが高いように見えても、OB・OG訪問を繰り返す意味はあるんじゃないかな。

4、伝える技術

 就職活動って

 「僕はこういう人間です」
 「そして僕は君(御社)をこういう人間(企業)だと思ってる」
 「だから僕は君(御社)にこれを与えられる」
 「そして僕は君(御社からこういうものをもらえると思ってる」

 ということを、ひとつは言葉でもって明確に、もうひとつは言外のさまざまな要素で伝えるということから成り立っていると思う。そして利益が一致したと両者が判断すれば合意(契約)が成立する。そして、くどいようだけれどこれと恋愛とは、根本的に似通った構造であると僕は思う。だからこそ僕がこうして書き続ける意味もある。

 「就職活動は恋愛である」でも書いたように、就活はこのようなマッチングシステムなわけだから、「ご縁がなかった」といわれて傷つく必要はない。ただ技術を培うことによってそれをひっくり返すことはできる。必要なのは、相手に伝える技術、そして相手を知る技術。「技術」は先天的なものではないから、努力すれば身につけることができるはずだ。

 話を進める前に、一般的なコミュニケーション能力があるのは大前提となる。相手を思いやる行動ができればOKだと思う。あとは笑顔で、ポジティブな発言・思考ができ、物事をある程度まで論理的に思考でき、会話のキャッチボールができる力があれば十分。要するに話していて「苦痛だな」と思わせないこと。

 これらは一朝一夕で培えるものではなく、習慣化されているか否かがはっきり出るものだ。僕の周りで決定的に足りないと思う人はいないから心配ないけれど、不安なら短い間でも日々意識しておくにこしたことはない。気難しそうな顔をしてしまう人はとにかく笑顔を心がける。これをやるだけでコミュニケーションはだいぶ改善される。僕が今は南米にいる後輩の甲斐孝太郎から教わったいちばん大きなことだ。

 相手に伝える技術とは、こうした表面的な対人関係力を超えたところにある。この目標は「僕はこういう人間です」という語りを納得させること。それには「語りに自分を乗せる」ということが欠かせなくて、そのために前回書いたストーリーの構造化による軸の抽出が必要になってくる。

 いろんな要素を詰め込もうとして軸のブレた語りが多い。話は起伏に富んでいた方が面白いけれど、それを貫く軸はシンプルでないと伝わりにくい。軸というのは、要するに「自分」をぎゅっと閉じ込めたものなんだ。曖昧な「自分」では相手に伝わらない。だから、ちっちゃくして、大切なところをうまく伝える必要がある。

 これは頭のなかでもやもや考えていても意味がない。できるだけ語ったり、文章にしたりしなければ軸が見えてこないし、面白いストーリーにならない。手っ取り早いのが人に語って磨いていくという方法。その過程でストーリーの構造化がなされるし、自分をもっとも伝えやすい話は何か、ということも見えてくるはずだ。

 ただし。就活において語る相手はさまざまで、相手によって必要な語りが変わりもする。だから相手を知る技術を磨くことが大切だ。そうすれば、どんな話をすればいいかも分かってくる。

 就職説明会や相談会でどういうことが行われるのかは知らないが、通り一遍のあたりさわりのない話をすることが多いと聞く。それは不要だとは言わないけれど、きっと心には響いてこない。それだと頭の中での知識にはなっても、熱く語れたり、人生を決めたりするほどの材料にはなりにくいと思う。

 大切なのは自分の心に響かせること。それには生身の人間と語るのがいちばんだと思う。会社案内も読むひとの心を動かそうと作られてはいるが、差別化されてない情報じゃ心は震えない。そういうものを読むことは前提条件として、プラスアルファ、自分から動いてその企業をより深く知ることが大切なんじゃないかな。

 会社案内を読んだり、ホームページを見たり、あるいは会社が産み出しているものをチェックしたり、そういうことで知ることもできる。ただしそこに留まっているうちは、表面的なことしか見えてこない。もちろん学生に企業の実情なんて見えるわけはないのだけれど、それでももう少し踏み込んだやり方があると思う。「知る」ためにはどのように踏み込めばいいのか、それを次で書いてみたい。

3、自分を磨くということ

 前回に続いて、就活(と恋愛)の話。

 僕が「磨くこと」について語るのは、初恋にはじまり「磨くこと」を意識的にやってきたから。道のりは果てしないけれど、それでも磨く前よりはだいぶマシになったと思う。以前はそれくらいひどかった。だから、これは就活だけじゃなく、わりと普遍的に通じることだと思って書きます。

 ただ実際のところ僕はもう「磨く」という作業そのものにはこだわっていない。というのも磨くべき方向性のようなものが見えたから。すると意識せずとも磨いていけるし、そのことに自信がもてるんだ。「この方向で磨いていけばいい」という気持ちがあれば、たとえ道の途中で倒れても、立ち上がって歩きはじめる力が湧いてくる。

 「磨くこと」のゴールは歩むべき道を見つけること。そのために、歩んできた道のりを見直すことになる。僕は24になってようやくたどりついたから偉そうには語れない。でも、誰しもが今すぐというわけにはいかない中で、道を見つけるためのヒントになればと思って書く。

 さて、まずひとつめの「自分磨き」について。ビールのたとえでは「おいしくすること」にあたる部分。

 時々「自分探し」の迷宮に入り込んでいる人を見かける。たまにインドやアフリカに行ったり。それは楽しいことだと思う。でも本当の自分なんて実はどこにもいなくて、いま生きているこの自分を元に、そこに何かをくっつけていくこしかできないと僕は思っている。多くの人がそう感じているんじゃないのかな。その意味では「自分創り」と言った方が正確だと思う。

 ただ就活生はこれから内定をもらうまでの短い間に、あたらしく何かをくっつけるのは難しい。だから今あるもので勝負していくしかない。どこか遠くで自分探しもできないし、新しく何かをもってきて「自分創り」をするのも難しい。そうなると今のこの不格好な自分を整えるために「磨く」ということが必要になってくる。

 その時に大切なのは、自分が経験してきたことを意味づけること、すなわちストーリー化だと思う。ストーリーにするためには、前後の脈絡をつけ、その行動の意味を紡ぎだす必要がある。そうしてはじめて、人に語って伝わるものになるから。

 僕は初恋をした。ふられて落ち込んだ。努力したが、再びふられて落ち込んだ。100kmも離れたので、仕方ないから新たな地で次の恋を探した。悔しかった分だけ努力した。そのために日々挑戦してきた。いろいろあったけれど、5年目にしてようやく初恋に心から感謝できるようになった。

 これが僕の第一幕後半の大まかなストーリーだ。これを3分で語ることもできるし、数百の短いストーリーを散りばめて1日中語ることもできる。単純化するために初恋をベースにした努力話にしているけれど、実際には初恋は「きっかけ」という位置づけであって、心の中ではもっと大切にしているストーリーがたくさんある。

 「たくさんあって、どこを切り取ればいいのか分からない」と誰しもが言う。僕は思いつくだけ切り取ってストーリー化したらいいと思う。それが自分を磨く力にもなる。自分の人生を振り返れば、失敗も、成功も、すべて意味づけることはできる。個人的には、しないのはもったいないと思う。意味づけた方が、より「おいしく」なるのだから。

 どこからはじめたっていい。受験のことだっていいし、僕みたいに恋だっていい。バイトのことだって、サークルのことだっていいだろう。ひとつだけアドバイスをすると、ストーリーには「他者」を絡ませた方がいいと思う。自分ひとりで頑張ったというのも美談ではあるけれど、社会では役立ちにくいだろうし、他人が聞いてて面白くはない。

 ストーリー化する際、就活においては、「他者」に加えて「軸」を意識した方がいいと思う。小説でいうなら「主題」みたいなものだ。酒を飲みながら語るためのストーリーなら軸はなくてもいいけれど、それでもあった方が「なるほど」と興味を持ってもらえることが多い。

 軸は強みだけじゃない。「いかに自分が物事を成し遂げてきたか」を語ろうとする人がいるけれど、強みばかりの意味づけはアンバランスだと思う。小説の話なんて、だいたいが弱みや失敗の話だよね。その方が人間味があって面白い。ただし弱みばかりでバッドエンドではどうしようもないので、ハッピーエンドへ向けて話を収束させることになる。

 そうして強みと弱みの「軸」を見つけることができたら、それを他のストーリーにも当てはめてみる。違った角度から見たストーリーはいきいきとしてくる。もしそうならなかったら、そこには違う「軸」があるということ。それを繰り返すことで、いちばん大事な「軸」とその周りにある小さな「軸」とが見えてくる。

 小さな軸と大きな軸、短いストーリーと、それをつなぐ大きなストーリー。さまざまなストーリーを構造化してつながりあるひとつの世界を作り、それを貫く自分なりの軸を抽出することができれば、自分に関する受け答えで困ることはなくなるし、その時々に応じて必要な話を持ち出すことができる。

 これはとにかくしつこく繰り返す必要がある。1日くらいじゃ終わらない。こうした「反省」とか「省察」とか言われることは、習慣化することがいちばん大切だ。習慣化されないうちは、努力は結果として出てこない。習慣になってしまえば、自然な楽しみになってくる。僕が人と語ったり酒を飲んだりするのが好きなのは、こういう理由もあるんだと思う。

 それはそうと。 こうして自分を磨くことができたら、就活で語る準備は整ったということ。でもここに至るまでには長い時間がかかるし、一人でできる作業じゃない。だからたくさんの人と語ることが大切になってくる。また、就活で語る準備ができたとしても、誰(どこの企業)にむけて、どのように語ればいいのかという問題もある。

 そこについて触れるために、次は二つ目の磨くこと、「伝える技術・知る技術」について書いてみたい。
2008年1月24日

2、就職活動は恋愛である

 という例えがある。そう語られる多くは陳腐な比喩で、ふたつの存在が一緒になるかならないか、というような話が多い。僕は、就活と恋愛にはかなり似た構造があると思っている。ただしそれはもうちょっと掘り下げた意味でなんだ。

 「2008年を迎えて」でも書いた通り、僕の人生は初恋から急にスピードを上げて動きだした。それ以来、恋愛を自分の人生を語る上で欠かせないものとして扱ってきた。あの子が好きだ!みたいな意味合いではなく、さまざまな事象を考える際に恋愛という概念をベースにしてきた、ということ。

 いい年の男が恋愛論なんてものを語る時はだいたい脇にビールがある(僕の脇にはいつもビールがある)。そして、いつもビールを飲みながら恋愛について語っているうちに思いついたのが「ビールの泡理論」。

 ビールは泡との比率を3:7にするのが理想的らしい(僕は2:8くらいが好きだ)。「ビールの泡理論」とは、ひとりの人間を一杯のビールにたとえると、ふつうに友人として付き合って理解できるのは泡の部分まで、つまりせいぜい2~3割に過ぎない、という考え。ちなみに「告白」はその3割から先を知ろうという意思表示であり、「付き合う」のはそれを互いに認め合うこと、という意味になる。

 たいていの人において就活では辛い経験が続く。たしかに企業に落とされるのはしんどいのだと思う。いろんな人を横で見ていてつくづく感じた。でもそれであたかも自分の人格や人生が否定されたような泣き顔になっている彼らを見ていると、「そんなことないだろ、お前のいいとこ他にこんなにあるじゃん」と言いたくなる。

 上手くいかなくて落ち込んだり凹んだりするのはいい。でも、傷つくのは間違ってる。傷つくべきことは、世の中にもっと転がってるよ。ちょっと見方を変えれば、就活を傷つくための場ではなく、自分を磨き、楽しむための場にできるはず。

 そもそも3割しか自分のことは伝わらない。自分も3割しか相手のことを知らない。残りの7割は人間の手の届かないところにある。だから、伝わらなくても仕方ないんだ。就活(や恋愛)が上手くいかない時は、良くも悪くも、そういう割り切り方が必要だと思う。

 上手くいかない時、僕ならどうするか。きっと、割り切れない思いを抱きながら、前へ進もうと努力すると思う。いま就職活動で上手くいかないことがあって、どうしても割り切れない人がいるなら、こう伝えたい。

 世界には数十億の女性がいるように、世の中には働く場所が限りなく存在する。「運命の人」というのが美しい幻想であるのと同じく、「その会社以外は考えられない」というのは思い込みだ。

 努力はしたけれど、分かり合えなかった。僕がどんなに愛そうとしても、あるいは向こうがどれだけ愛してくれようとも、どちらかが愛せないのなら、その事実に逆らうことはできない。ならば、哀しいけれど、未来を信じて前に進むしかない。道の先でいつか、ふたりにより素敵な出逢いがあることを祈りながら……。


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 で、僕は失恋したわけでもなんでもないので、誤解しないようよろしく。就職と恋愛の構造が似てるというのを伝えようと、過去の経験を引っ張り出してみただけです。そういやこうやって初恋を乗り切ったんだったなぁ。。。なんて思いながら。

 ところで。時に「仕方ない」ことにも挑戦しなきゃならない。そして、たいていは解決する手段がある。そういうわけで、就活と恋愛の比喩において語り残したことがまだふたつ残ってる。

 再びビールで例えるなら、ひとつはビール自体をおいしくすること、もうひとつは泡をきめ細かくすること。言い換えれば前者は自分を磨くことで、後者は伝える技術・知る技術を磨くことだ。

 今回は心構えについて書いたので、次はすこし実践的なふたつの「磨くこと」について書いてみようと思う。今回は偉そうに「ビールの泡理論」なんて名づけて語ってみたけれど、酒の席での話くらいに思って大目に見てもらえれば幸いです。

 でもやっぱり哀しいね。愛しあえないのは仕方ないんだ。そうなっているこの世界が、とてつもなく哀しいと思う。それもまた、仕方のないことだとは思うのだけれど。。。

1、早大5年生による就職活動論

 時々、「就活の相談に乗ってください」といわれる。考えてみれば5年目の僕は就活をしている彼らよりも二回りも上。つまり、就活の相談を受けるのは3度目ということになる。

 とはいえ僕はリクナビの登録すらしたことがない。よく耳にする「ゼネコン」や「コンサルタント」がどういう職種なのか相変わらず分からないし、「外資系企業」なんて言われてもピンとこない。身内にも一般企業に勤める人間はいないから、いよいよ「企業」とは縁遠い(親父は中卒の大工だった)。

 僕は人と飲み語ることを大学生活の柱の一つとしてきた。だから相談の類には必ず乗る。ただし、そういうわけで話が就活に関する時は念のため前置きをするようにしてる。「話は聞くけれど、それが就活に使えるかは分からないよ」、と。

 だいたいの場合、彼らの方がよく承知していて、「まぁとりあえずこいつの話も聞いとくか」、くらいのノリのことが多い。だから机にはたいていビールがある。そうして、僕は好き勝手に語ることになる。

 実は、エントリーシートのチェックも含めて、就活へ向けた話を聞くのはとても楽しい。彼らががんばってきたこと、苦労してきたこと、そのエッセンスを聞くことができるから。ある時は笑い、ある時は涙できる。身近なやつでも「こいつはこんな思いをもってたんだなぁ」とおどろくことがある。

 人が本気で語るストーリー、どんな小説よりも、それが僕のいちばん聞きたい物語なんだ。そして自分を語る彼らの真剣な眼差しは、なんとか応えてあげたいなという気持ちを呼び起こす。

 ただ、彼らの話を聞いていると、焦りすぎて空回しているなぁと感じることがある。反対に、楽天的過ぎると思うこともある。だいたい男は「俺ならイケルと余裕こく」→「第一志望に落ちて一気に焦る」のケースが多過ぎる。

 僕も3年生の時は楽天的だった。当時はリンク&モチベーション一筋だった相棒の庄司に「お前なら楽勝っしょ」と言って安心させて、そのせいとも思ってないけれど、うまくいかず結局彼は就活浪人することになる。

 庄司のように再挑戦して、結果よかったねというケースもある(おかげでMEGA PEACEを一緒にやることもできたし)。僕のささやかな哲学として遠回りした方がいろんな景色が見えて楽しいとも思う。とはいえ、独立して歩む人生へのはじめの一歩。なるべく早いうちから考えて、行動したほうがいい 。

 試験もひと段落すると、いよいよ就活本番。あとひとつ落とすと留年確定の同居人コテツくんも、今は必死で勉強しているけれど、ぼちぼち本腰を入れることだろう。なんだんかんだ同じ部屋でよく話す彼とも、それからほかの後輩とも、就活について語ることが多くなるはずだ。

 僕自身は彼らと同じ立場で悩んだことはない。でも「傍観者」としての経験が役に立つことも、少しくらいはあると信じたい。就活生が次第に焦り、顔つき言葉遣い、そして心境が変わっていくのを間近で見ながら、その時々において自分なりに精一杯考え、応えてきたつもりだから。

 なにを考え、どう語ってきたのか。次から就活において必要だと僕が考えることを書いてみようと思う。
2008年1月10日

2008年を迎えて

 2008年1月9日をもって、人生の第一幕を終えたかなという気持ちでいます。つまり2008年1月10日である今日が、第二幕の幕開けということ。

 MEGA PEACEを終えた時点で「俺の大学生活はこれで終わった」という気持ちが生まれた。はじめた時から「大学生活の集大成」のようなイベントにしたいと思ってきたし、反省点はいくらでも出てくるにせよ、一緒にやってきた仲間たち、そして集まってくれた数百人の顔を見て「やってよかった」と感じられたからだと思う。

 でも実は僕の大学生活は終わっていなかった。まだ38単位残っているのを考えれば、「ぜんぜん終わりじゃない」と言うのがより正確だろう。祖父からの年賀状にまで一筆、「頑張って卒業してください」と書いてある始末。大方の人にとっては「何を勘違いしているんだ」という話に違いない。

 じゃあこの「区切り感」は何なのだろう?と思った時に、人生の第一幕、第二幕という言葉が浮かんできた。

 この一ヶ月ほどの間、メガピとそれに続く年末年始とで、僕の生き方に決定的な影響を与えた人たちとの関わりが多かった。とりわけ年明け1月2日の初恋の子との再会、そしてその一週間後にもらったメールとで、自分の歩んできた道のりが間違いではなかったと思えた。 そして、それで片がついた。

 たびたび話し、書きもしてきたことだけれど、その子との出会いが第一幕の道筋を決定付けた。早稲田に受かったのも、そこでたくさんの人と出会えたのも、そして今の自分があるのも、すべてその子からはじまっていた。あの頃はただただ情熱を燃やしていた。どこへ向かうのかも分からずがむしゃらに走っていた自分が懐かしい。

 今は「自分の足で、歩きたい方向へいこう」と言える。この何年間かで自分なりの歩き方を覚えた。行きたい場所も、おぼろげながら見えた。たとえ道からはずれることがあっても、自分で切り拓いていけばいい。歩みは遅くとも、進むべき方角を見失うことは、たぶんない。

 だからはっきりと言える。第二幕の幕開け。ここからが人生本番、勝負の時。やるしかねぇ。

 そう思ってから、なんだか新しい世界に生まれたような気持ちになった。この半年間はメガピへ向けてそれ以外への興味関心を意識的にシャットアウトしていたから、見るもの聞くもの触れるものすべてが新鮮で、心ふるえることの多い日々。

 この気持ちにあわせて、政友会で出会ってから大学時代の相棒であった庄司と共に書いてきたブログを終わりにしようと思った。そして生まれたこのブログ「午後2時のビール」。意味は横のバーに書いた通りで、好きなことを好きなように書いていくつもりです。

 僕は気分の上がり下がりが激しいので、今こうして張り切っているものの、3日後にはどうなっているか分からない。でも今この気持ちだけは忘れないでいたい。何年か後にこの第二幕の幕開けを振り返った時に、「あそこからよくここまで歩いてきたな」と胸をはれるように日々を送りたい。第一幕で出会った人たちに感謝しながら、彼らに恥ずかしくないように歩んでいければと思う。

 ちょっと気負いすぎかなぁとも思いつつ、本気でそんなことを考えている日々です。

 PS.第一幕の振り返りをいつか書きたいと思ってます。ただ第二幕に入ったとはいえ、まだ第一幕の整理がついていない。話したい人、お礼を言いたい人がたくさんいて、そういうことを一通り終えてから落ち着いて書きたい。メガピのことをはじめ「まだ過去の決着がいろいろついてないだろ」って気持ちもあるのだけれど、前に一歩進まないことにははじまらないので見切り発車してみました。ここまで読んでくれてありがとう。また飲み、語ってください。そういう語りの末に濾過されて残ったものが、きっと僕が書きたいものだと思うから。相変わらず足りないところだらけだろうけれど、精一杯やっていくので、今後ともよろしくお願いします。