2010年12月11日

本日、朝日新聞に道塾が登場

道塾に関する記事が本日の朝日新聞朝刊社会面(38)に掲載されています。

今回の内容は中学部に関して。主役は道塾中学部の指導スタッフ甲斐大輔と、甲斐が指導する塾生「ユウタ」。

「エチカの鏡」をきっかけに中学部がスタートしてから1年半。中学部統括の熊谷を中心に、中学部スタッフ全員で地道にやってきたことがこうして日の目を見ることになり感無量だ。道塾の指導のねらいと、そこに込める想いとをストレートに伝えてくれる記事だと感じた。

記事にもあるように道塾は塾生にとって「秘密」の存在になりやすく、意外と広まりにくいという面がある。これをきっかけに道塾が新たな人たちに知られ、一人でも多くの人に僕らの想いと指導が届くといいなと思う。その積み重ねがいつか日本の教育の在り方を変えると信じて、これまでと変わらず地道な指導を続けていきたい。

今回の掲載に間に合うようにとウェブサイトの会社案内ページをリニューアルした。両方あわせて、ぜひご覧ください。

(写真は左が甲斐、右が中学部統括の熊谷)
2010年10月22日

「世界」を変える教育

先週、「忙しくて勉強する機会もないでしょう」というご好意である知人に声をかけていただき、大隈講堂で行われた寺島実郎氏の「リレー塾」の第1回を聴講した。大隈講堂に東大教授の藤原帰一氏と元国連事務次長の明石康氏を迎えてのパネルディスカッションと、それに続く寺島氏のショート講演。

「世界は複雑化しているにもかかわらず、メディアで語られる多くは単純化された『二項対立』ばかりで、その背景にある文脈を読み取る力が失われている」。「『近隣諸国に舐められたくない』という甘いレベルのナショナリズムに振り回されるのは日本にとっても世界にとってもマイナスであり、今は国民の『成熟度』が激しく問われている」といった話は刺激的だった。

とりわけ最後の「成熟度」についての話は、僕がその末端を穢す「教育」の意味を新たな視点で捉えるきっかけを与えてくれた。それは国民一人ひとりが「世界を知る」ことを通じて成熟しなければ21世紀に日本という国が国際社会に貢献することは難しい、というよりもむしろ、下手をすれば国として立ち行かなくなる可能性すらあるということ。

まっとうに「世界を知る」ためには、あらゆる意味において学び続けなければならない。新聞やテレビから流れる情報を自分なりに濾過するフィルターを持ち、複雑化した世界を自分の言葉で語れるようになること。そうして獲得した言葉を元によって他者や世界とコミュニケーションを繰り返すこと以外に「世界を知る」道はないのだろう。
「世界を知る」とは、断片的だった知識が、さまざまな相関を見出すことによってスパークして結びつき、全体的な知性へと変化していく過程を指すのではないか。
寺島実郎『世界を知る力』P176
多かれ少なかれ、若者にはこうした「世界を知る」ことへの欲求があるのだと思う。振り返れば受験期の僕を突き動かしたのも「この広い世の中の在り方を知りたい、激動の真っ只中で生きたい」という想いだった。そのルーツは「竜馬がゆく」のような手近なものたちだったが、あの情熱は遥か彼方の世界を視界に捉えていた。

恐ろしいことに「情熱」は扱い方によっては一瞬で失われてしまう。あれだけ遠くを見つめていた目が曇り、濁り、虚ろになってしまうのを見ることほど悲しいことはない。単純化された情報に満ち溢れている世界においては、少し放っておけば思考はすぐ安易な言説に侵されてしまう。でも、それによって問題を解決できるほど世界は単純ではない。

だから大切なのは一人ひとりの「世界を知りたい」という欲求を失わせず、育み続けること。そのために世界の複雑さに目を見開かせ、それと向きあう力を育てること。そうした後押しをすることによって、偶然には生まれることのなかった世界との「出会い」を、必然のものとして創造すること。

最近は、それが幸いにも何とかここまで生き延びることのできた僕の、教育における使命なのではないかと思うようになった。
わたしたちは、「世界を知る」という言葉を耳にすると、とかく「教養を高めて世界を見渡す」といった理解に走りがちである。しかし、そのような態度で身につけた教養など何も役に立ちはしない。世界を知れば知るほど、世界が不条理に満ちていることが見えてくるはずだ。その不条理に対する怒り、問題意識が、戦慄するがごとく胸に込み上げてくるようでなければ、人間としての知とは呼べない。単なる知識はコンピュータにでも詰め込んでおけばいい。
世界の不条理に目を向け、それを解説するのではなく、行動することで問題の解決にいたろうとする。そういう情念をもって世界に向き合うのでなければ、世界を知っても何の意味もないのである。
同書 P197
世界を知り、不条理に立ち向かおうとする若者の目を曇らせないこと。そのために僕は人間の本質的な可能性を見つめながら、同時にコンテンポラリーな問題も見据えて「世界を知る」ために学び、行動し続けなければならない。それは即ち、これだけ世界が狭くなった現代において教育もドメスティックではいられない時代になったということなのだろう。

僕は完璧にドメスティックな人間だが、幸いにもウェブと教育は最高に相性のいい組み合わせだ。きっと、何かしらやれることはあるだろう。そうした可能性に目を凝らし、僕のできることを追求し続けたい。そんなことを思わせてくれた夜だった。
2010年9月22日

『ウェブで学ぶ』から学んだ「無限の可能性」

この本は、残念ながら日本の教育界には大きなインパクトを及ぼさないだろう。理由はシンプルで、著者二人の「見晴らし」が、日本で教育に携わるほとんどの人と次元が違いすぎるからだ。どれほど噛み砕いて語っても伝わらないほどに。

でも、だからこそ敢えてこのブログに書きたい。僕ほどこの本を必要としていた人間は少ないだろうし、僕や道塾に関わったり、その活動に興味を持つ人であれば本書の価値を理解できると思うからだ。

この本は「オープンエデュケーション」という概念を中心に、インターネットとIT技術を通じた「千年に一度」の世界的な教育革命について語られている。(梅田氏の)結論は、日本人にとってのオープンエデュケーションは「日本から世界に出ていくために活用できるとてつもなく素晴らしい道具だ、ピリオド」であり、だから優秀な日本の若者は、(留学して)「英語で学ぶ」ために、(日本では)この道具を使って「英語を学べ」ということになる。

現在の僕の仕事は「日本の教育システムの中で受験を目指す人」に対して、ネットを使って「勉強法とモチベーション」の両面から支援する私塾の経営だ。その立場にいながら大きな声で言うのは憚られるが、この結論は、その機会と能力と意欲があるのなら、ほぼ「100%正しい」と思う。

9年前。僕はおそらく、日本ではじめて海外留学のためにウェブを有効活用することができた世代だった。当時としては最も良質だった「北米留学上級技術マニュアル」というウェブサイトを中心に、集められるすべての留学に関する情報を集めた。その上で「僕がアメリカの一流校に入るのは無理そうだ」と判断した。

今は異なる道もあるのかもしれないが、最悪の成績で高校を中退した17歳の若者は、必死に英語を勉強しながら、少なくとも2年か3年、地道で単調で下らない「全科目でAという成績を取るゲーム」に命を削る覚悟で参加しないと、アメリカの一流校には入れない(編入できない)らしいというのが情報を集めた結論だった。

当時は高校を中退して「人から遅れている」という意識もあって生き急いでいた。そんな僕に「少なくとも2,3年」というのは長過ぎる時間だった。そもそも、僕はそんなに長く一つのことを継続して努力できる人間でもなかった。だから一年以内で次のステップへ進める日本の大学を選択した(この「少なくとも2,3年」の道を選んで生き残った猛者が僕の友人に一人いるが本当にタフだと思う)。

大学に入ってからも「留学」は時々考えたが、様々な事情が重なりあってその機会に巡り合うことはなかった。そうやって今に至るわけだが、振り返れば悪くない、おそらくは最良の結果につながる選択をしたと思う。今こうしている以上の人生が僕にあり得たとは想像しがたい。

それでも、それは選ぶべき道を「類稀なる幸運」によって選ぶことができたからに過ぎない。大学4年の末まで小説家を目指すという無謀な道を歩んでいた僕が、こうして飯を食べ、ブログを書けていることは僥倖以外の何者でもない。

それに僕は未だ「何とか生き延びている」だけで、一寸先は闇という状態だ。だから留学という選択肢が十分に残っているのなら「迷うことなく留学する、というのを最優先事項に置く(p239)」ことへ強く賛同する。「様々な事情が重なりあった」とはいえ、「英語」と「留学費用」という条件をクリアしていれば、おそらくその事情を乗り越えてでも僕は海を渡ったと思うから。

だが、いくら梅田氏が「留学すべきだ」と言っても、結果としては僕と同じように何らかの理由によって日本の大学を受験することになる若者の方が圧倒的に多いだろう。

彼ら彼女らに伝えたいのは、留学を目指すのなら、大学に入ったらすぐにあらゆる手段を使って実現するために行動すること。入学した途端、目の眩むような楽しい雰囲気に心を奪われて学びへの意欲を失う大学生が多いが、何も考えてないと(普通は)すぐ3年の夏になって就職活動の波に飲まれること、そして本気で留学しようと思えば手段はいくらでもあることを忘れてはいけない。そのような形で「英語で学ぶ」ことを志すとき、この本は勇気をくれるだろう。

だが、それでも。

最終的にはやはり僕のように日本に残り続ける若者の方がずっと大いに違いない。そういう結論に達した人に僕が勧めたいのは、①「学び続けながら『チャレンジ』する」という生き方だ。②「潰れない大組織を選んで逃げきる」という方法もあるけれど、そもそも日本という船自体が沈みかねない状況でその選択はあまりにリスキーだ(リスクということに関していえば、どちらの選択もリスクではあるが、リスクを負わないのが一番リスクだ。どちらも選ばないのは最悪だ)。

「見晴らしのいい場所」や「新しい職業」を探し求め、世の中の多くの人がまだ気づいていない知識や経験を学ぶ。その経験を元に「自分がやらない限り世に起こらないことをやる」ために一歩踏み出して「チャレンジ」する。そして「チャレンジ」した「けもの道」で、成功を目指して学び続けながら頑張る。その結果が成功であれ失敗であれ、そこでの成果を元に次の「見晴らしの良い場所」や「新しい職業」を探し求め……

「正しい時に正しい場所にいる」ために、こうした「学びとチャレンジのサイクル」を繰り返すことがこの国で何事かを成し遂げる秘訣だと思う。その際に重要なのは、ただチャレンジするためにチャレンジする無謀さではなく、「学ぶためにチャレンジする」という姿勢だ。それは即ち「学びのための環境」としての「場の選択」が非常に重要であることを意味する。

日本というローカルな世界に生きるということは、それだけでグローバルな世界で生きる人間に遅れをとっていることだ。危機感を抱き、執拗なまでに「場の選択」にこだわり、そして一度選んだら学ぶために全力を尽くさなければ、一瞬で世界中に散らばっている「先を行く人々」に突き放されてしまう。

だからこそ、もし日本で生きていくことを決めたのなら、激しく「チャレンジ」する道が最もリスクが少ないと思う。ぬるま湯のような組織に浸かっていたら、(それが大学であれ、会社であれ、それ以外の組織であれ)5年もすれば社会における価値は極端に下がってしまうだろう。30にもなって取り立ててスキルも経験もないような人間を、世界の誰が欲しがるのだろう?

以上の僕の考えをまとめると、21世紀の「知識資本主義社会」で日本人が生き残るためには「英語で学ぶ」ために早期の留学をすることが間違いなく良いと思う。だが、理由はどうあれ、そうでない道を歩むのであれば、「英語で学ぶ」人に負けない「学びのための環境」を選びぬき、そこに全てを賭けて勝負すべきだということだ。

そして、その勝負に勝つことができさえすれば、「ローカルな世界」における「学び」をテコに、さらなる「学び」を求めてより大きな「チャレンジ」をすることができる。そうした道には「先進国でありながらローカル」だからこそのチャンスが存在するように僕は思う。

たとえば、一人の若者が梅田氏の言う「グローバルウェブ」を志向する際にも、覚悟と努力と戦略性があれば、日本という「ローカルウェブ」の中でできる限りのことをやり、そこで徹底的に学んだ上で「グローバルウェブ」を目指す「別ルート」が存在する。

日本人が一般に「オープンエデュケーション」の恩恵に預かるのは、たとえあってもしばらく先の話だ。そして、その波が来るまでのんびり待っている余裕もない。であるならば、日本という「ローカルウェブ」を通じて教育に携わる僕のような者の道は一つ。

目下の問題と格闘しながらも、自分がより良い学びをできる環境を追求すると同時に、日本という国の強みを活かして、この国を「オープンエデュケーション」を創造する側に回らせることだ。

「21世紀に学びを解き放ち、誰もが道を切り拓ける時代を創造する」という僕らの理念を達成するために、これ以上の道が他に考えられるだろうか?

まさに理念そのもののフロンティアが存在し、そこに分け入ることが不可能ではない場所にいるという意味で、17歳の頃にアメリカに飛べずに、のたうち回りながら日本で23歳の時に教育ベンチャーを立ち上げることになったのは、それがたとえ遠回りであっても僕にとっては最良の道だったのではないかと、それが本書を読んで思ったことだった。

同時に、ここから(「次の10年」や「その次の10年」の長期的スパンの話で)どう切り拓いていけばいいのかのヒントも学ばせてもらった。「ウェブ進化論」からはじまった梅田氏との(一方的な)対話がここまで達した奇跡と、そのきっかけを作ってくれた飯吉氏に深く感謝したい。

読み終えて印象的だったのは梅田氏の立ち位置の変化だった。「日本語が亡びるとき」という本が流行る前後からそうだったが、今回は決定的だった。非常に用心深く語ってはいるけれど、以前は日本をより良くできることに期待を抱いていた氏が「日本で学べることは少なく、未来はかなり苦しいよ」というメッセージを積極的に発しているように感じられた。

それはそれで「10代20代の若者へ向けた真摯なメッセージ」だと思う。でも、僕は違った角度からメッセージを送りたかった。なぜなら、僕がそうだったように、すべての若者が今すぐ留学できるわけではないから。その道を歩んでいる者として、これまでも僕なりの考えを示してきたし、これからも記し続けていきたい。

どうすれば日本が「オープンエデュケーション」を主導するような側に回ることができるのか。あるいは、先進国において「オープンエデュケーション」の効果を高めるために何が必要なのか。そういった国に移行することが、果たして今の教育界において本当に可能なのか。

これは日本の教育問題の根本とも通じるものだと思うが、一言でまとめれば、アメリカの『フロンティア精神』と対置されるべき「日本人の根底にあるメンタリティーの復興」に答えがあると思っている。それができれば、まだまだチャンスはある。こうした「ローカルな可能性」を支えるモチベーションについては、そう遠くないうちにまとめて世に問いたいと考えているので、お楽しみに。

最後に。

本書で飯吉氏が繰り返されている通り「教育とは無限の可能性を信じること」に間違いない。これを絶対に忘れてはいけない。この言葉を、信念と共に語れる人間を、この国に一人ずつ増やしてみせる。

「「未来は予測不可能」という前提に立って、一人ひとりが、少しでも可能性があると思える方に向かって行動し、試行錯誤を繰り返していくしかないのだと思います。そしてそのプロセスにおいていちばん大切なことが、「学ぶ」ことでしょう。ある時点でもう「学ぶ」ことはおしまいと考えてしまうと、自らの可能性空間をぐっと狭めてしまうことになります。」(P261)

本当にその通りだ。だから僕らは学び続け、「少しでも可能性があると思える方に向かって行動」し、一歩ずつ進んでゆこう。


※いきなり本書を読むのは敷居が高いと感じる人は、そこまでのガイドブックとして『ウェブ時代をゆく』『私塾のすすめ』の2冊を読むことをすすめたい。Amazonに注文しても明日まで待てない、という人はウェブブック『生きるための水が湧くような思考』を。

2010年8月13日

学べ、学べ、ひたすら学べ。

ブログを書いていないのは怠慢のせいだ。

が、この数カ月はそれだけじゃなく、目の前により優先すべきことがあったのも事実だ。文章を書く作業は結構な時間と意識のリソースを消費するから、それなりの目的がないと続けるのは難しい。道塾の「塾報」で週1回、数百字の文章を書いているのを除けば、今年はほとんど文章らしい文章を書いていない。ひたすら文章を書いていた去年とは雲泥の差だ。

振り返るとこの数カ月はインプットの時期だったのだと思う。数カ月前の自分の文章を読むだけでも過去の自分の浅はかさに愕然とする。道塾の塾生は素晴らしいスピードで成長していると思うけれど、正直言って僕もそれに負けないスピードで成長していると感じる。あと数カ月すれば27歳になる男がそこまで言える環境に身を置けている幸福に感謝せずにはいられない。

つい数時間前、昨年の明治大学の学園祭実行委員長だったTから久しぶりに電話があった。携帯に「大阪浪人生」と表示され、あいつとは道塾を立ち上げる前からの付き合いだったのを思い出した。皆が羨む大手を二社蹴って、道塾より少し大きいくらいのベンチャーに行くという。既に内定先でバイトをはじめていて「僕は会社の営業記録を破ってみせますよ」と語っていた。

素晴らしく成長したTに言うことはほとんどなかったけれど、ひとつだけ。本を読むことだけは忘れるなよ。社会に出れば、人から学ぶか、本から学ぶか。基本的にはこの二つしかない。どんな会社であれ、営業記録を破るなら毎日15時間くらい働くことになるだろう。そうなると付き合う人は限られてくるから、必然的に隙間時間に学べる読書が基本になる。

こんなことは人に言われなくてもやるべきだ。少なくとも本気でこの世界で何事かを成し遂げようと願うのであれば、それくらいのことは当たり前に身に付けていなければ道は切り拓かれない。たとえばウチの教務統括は、そんなことを一言も言わずに、そんなそぶりも見せずに、ひたすら学び続けている。

だが僕は一応「塾長」だし、性格的に説教を垂れても許されると思ってあえて言おう。学生という時間が残されているのなら最低でも毎日一冊の本を読むこと。そうやって学べ。学べ。ひたすら学べ。

大切なのは自分の価値観を築きあげること。小手先の技術や仕事術なんかは、社会に出ればいくらでも身に付けられる。でも自分がどう生きたいのかという問いを、時間を気にせずに考えられるのは学生の時だけだ。そうやって学んだことこそが生きるための、あるいは生涯かけて学び続けるための、最も根源的なエネルギーになる。

それだけの知性と自由と時間を与えられているのにもかかわらず、それをしないで生きるのは、誤解を恐れずに言えば犯罪的だとさえ僕は思う。「どんな本を読めばいいのですか」とよく聞かれるのだけれど、それは愚問だ。自分が読みたい本を読めばいい。自分の心の声をよく聞いて、ひたすら読み続けていけば読むべき本とは必ず出会える。人の価値観や評価に騙されないこと。僕も学生時代はそうやって遠回りをした(それもいい経験だったが)。

「21世紀に学びを解き放ち、誰もが道を切り拓ける時代を創造する」

今は道塾はお盆休みだけれど、このビジョンを実現する楽しみと比べたら休暇というのは退屈で仕方ない。今年受験の塾生はまさに今、山場を迎えているだろう。もし君が塾生ならば、この一瞬に頑張れるかどうかに君の未来がかかっていることをいつも思い起こそう。いつだって、人生はこの一瞬しかない。そこに全力を込めよう。振り返って後で後悔しないように生きよう。僕も事あるごとに自分に言い聞かせている。

さて、道塾のお盆休みもあと数日。2010年度の後半戦に向けて今しばらく準備してくるよ。
2010年6月20日

DO IT! DO IT! GO AHEAD!  〜世界を変える男たち〜

道塾スタッフの朴の紹介で、久しぶりにスピード全開で走っている青年に会った。税所篤快(さいしょあつよし)という早稲田大学を2年近く休学している彼は、若干21歳ながらバングラデシュの教育を本気で変えようとしている。

ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス率いるグラミン銀行。その中で彼はドラゴン桜ならぬ「グラミン桜 E-Education」プロジェクトを立ち上げ、貧しさゆえに高い教育を受けられない農村部の若者に、インターネットを利用してトップレベルの教育を授けている。

「マザーハウス」を通じてバングラデシュのことを聞きかじってはいたが、彼の話によって別の角度から実態を知ることができた。曰く、アジア最貧国であるバングラデシュは日本を超えるほどの学歴社会であり、にもかかわらず教育格差は日本以上に激しいということ。

中学、高校の成績が一生ついてまわる。大学を受験できるかどうかすらその成績によって決まる。だがトップ校であるダッカ大学に入る若者のほぼ全員、一般の市民では到底払えない学費の必要な予備校に通うか、専属の家庭教師をつけて学ぶかしている。

農村部の貧しい家庭に生まれた瞬間に高等教育への道は絶たれ、それは即ち人生でたどり着ける限界があることを意味する。そうした高い壁を、インターネットというテコを使ってぶち破ろうとしている彼のスピード感に、久しぶりに刺激を受けた。

税所くんのブログ「Breaking the Wall」の中で、ムハマド・ユヌスに「DO IT! DO IT! GO AHEAD!」と言われるくだりには、本気で世界を変えてきた男と出逢い、彼自身もまたその一人になっていく瞬間が立ち現れている。走り続ける彼の視界には、目の前のバングラデシュの教育という枠組みを超えて、その国全体や世界までが入っていることだろう。

今を駆け抜けている若者は全身で充溢巻を表現している。僕もまだ26歳ではあるが、でも、もう26歳。あと数年で30代になり、おっさんの仲間入りだ。やばいやばい、負けていられないなと気合が入った。

今週末の6月26日は道塾の新たな旅立ちの日になる予定。率直に言って、道塾にはまだまだ使われていない力があり、それを活かせば全然違うスピード感になると思っている。そして、この半年間でそれができるだけの力も蓄えてきた。

ということで、そろそろギアを二段くらい上げる時期かなと考えています。

世界を変えるために、

ガンガンいこうぜ。

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全然違う話になるけれど、今日発売の『WEDGE』に掲載されました。新幹線「のぞみ」のグリーン車にタダで置いてある雑誌とのこと。夜行バス常連の道塾にとっては残念ながら縁遠い雑誌だけれど、「にっぽんの100人の青年」というコーナーで、作家の林えり子さんが書いてくれています。素晴らしい記事にしていただいたので、興味のある方は駅売店のキオスクや書店で手にとってみてください。
2010年4月14日

青年よ、悩みを抱け。

昨夜遅く、とあるスタッフと話していた。端的に言えば、彼は悩んでいた。人生で初めてぶつかる問題を前に、過去を振り返って自分の内を探しても答えは出てこない。それをよくある青春の悩みと一笑に付すこともできるけれど、一度きりの人生においては誰にとってもかけがえのない経験だ。

僕にも悩んだ時期はあった。人にほとんど相談しなかったのは無駄なプライドが邪魔したせいだろう。その代わり読書を通じて乗り越えようと一人でもがいていた。そうして一時期のめり込んだのがビルドゥングス・ロマン(教養小説)だった。教養や教育と訳されるドイツ語のbildungだが、この場合は「自己形成」という方がしっくりくる。

他者に誇示するための衒学的な「教養」ではなく、自分が生きるための血肉となる教養。そうした意味で「教養小説」と呼ばれる一群の物語を、ある時期の僕は強く求めた。その過程で出会ったのがサマセット・モーム『人間の絆』であり、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』であり、あるいは五木寛之『青春の門』であった。自分の成長を彼らに仮託して貪り読んだ。

本気で悩めることは幸福だ。日々の仕事をやっていくの中で、あの頃のように自分のことで思い悩むことは少なくなった。いつの頃からか、悩みを自分固有のものとして引き受けつつも、それを客観的に眺めて解決するスキルを身につけた。それは物事を手早く処理するために必要な能力だった。ただ、それが良いことなのかは未だ分からない。

そうした今の自分と比べると、彼が真摯に悩む姿が羨ましく思えた。青年よ、悩みを抱け。そうして抱えた苦悩のサイズだけ、君という人間の器と可能性を拡げていく。悩め。悩め。もっと悩め。悩み抜いたその末にこそ、進むべき道を発見できるから。


「青年よ、悩みを抱け。それは金銭に対してではなく、自己の利益に対してでもなくまた世人が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。人間が人間として当然身につけるべきすべてのものを身につけることに対して、青年よ、悩みを抱け。」
クラーク先生をもじって。
2010年4月13日

仲間が増えていく 左手は添えるだけ。

自分には「仲間」がいない。そう自覚したのはいつのことだったろう。高校生の頃に何度となく読み返したスラムダンクのせいかもしれない。あるいは「竜馬がゆく」だったか。いずれにせよ、高校を辞めた頃の僕は、「自分は間違っていない」と思いながら、同年代の友人たちに対するコンプレックスと戦っていた。

大学生活では無意識のうちに「仲間」を強く求めていた。入ったサークルの先輩たちに憧れ、彼らのような関係性を築こうと努めた。それはたやすく手に入るものではなかったが、大学の5年目を終えた頃にはこれ以上の大学生活はなかっただろうと言えるくらい、素晴らしい仲間に恵まれた日々を送ることができた。

そして今。「第二幕」がはじまって2年以上が経ち、僕は道塾ではたらく仲間と共に日々を過ごしている。当たり前すぎて忘れてしまうこともあるが、ふとした時に「仲間」と言える人間と共に仕事をできることの幸せに気がつく。

仲間は友達と違う。本気でビジネスをやっていればぶつかることもある。不完全な人間が集う組織においては当たり前のことだ。でも目指した場所が正しいことを信じ、そのために全力を尽くす過程でぶつかることは、互いのことを知る過程に過ぎない。

人は、相手を信じたい。ぶつかるのは相手を信じるに足る理由を探しているからだ。ぶつかり合いの末に相手を信じると覚悟できた時、僕らは「仲間」という領域に踏み出せるのだと思う。

僕の人生のバイブル、スラムダンク。その最後の巻まで、桜木花道と流川楓は仲間ではなかった。でも、最後の最後で信じてパスをする。「左手は添えるだけ」。魂を込めたボールを、信じて相手に渡せること。そんな関係性を作っていきたい。
2010年4月12日

新しいシェアハウス 「まれびとハウス」

道塾PRスタッフの小野が新たに住み始めたまれびとハウスでの集い。東京の夜景が見える素晴らしく眺めの良い部屋で、昼から仕込んでいたという料理が振る舞われ、楽しい時間を過ごす。隣の部屋には別の団体がいて、真っ暗闇の中で目隠しをするワークショップのようなものをやっていた。

約3年前、道塾を立ち上げるのとほぼ同時にシェアハウスを借り、仲間を募ったのを思い出す。早稲田から徒歩1分、築40年のオンボロマンションの3,4階を6人で借りきり、僕は12畳の部屋に2人で住んでいた。家賃は光熱費をあわせて2万5千円。道塾はその部屋で生まれ育った。

当時、家賃を削らなければ生きていけないという金銭的な事情もあったが、「『日常レベルの誠実さ』を他者と共に暮らす中で身につける」という(いま思い返すと随分崇高な)目的もあった。それは未だ達成できていないけれど、あの家で暮らした2年間は、一人暮らしでは決して味わうことのない学びを多くできた。なにより、楽しかった。

若いうちは家賃をはじめとする固定費をできるだけ減らし、その分を自分が学びたいことに費やすのがいいと思う。それは僕にとって酒であり、本であった。ボロい家に住み、時には飯も食えないような状況でも、飲み語り合う相手はいて、読むべき書はいつもあった。

シェアハウスでは「学び」が自然発生的に起こる。共に住む人間との摩擦は生じるけれど、その摩擦自体を楽しめる心さえ持てば最高の環境だ。「まれびとハウス」は家も設備もリッチなので家賃が削られるわけではないが、その分だけ「学びの場」としての環境に優れている。この家が一つのモデルとなり、シェアハウスがどんどん増えれば面白い。

2010年4月11日

錐のように貫き通す「変さ」

いいな、と思う人を思い浮かべる。なぜ僕がそう感じるのだろう。突き詰めていくと、その答えの一つにその人が持つ「変さ」があるように思う。世間の常識に縛られないこと。それを超えて、己の哲学を貫き通す姿。

変人であること。その先で突き抜けること。若い人が僕の肩書きだけ見れば「変わった人」と思うのかもしれないが、自分はいつも「まとも」だと思ってきた。まとも過ぎる。まだまだ「変さ」が足りない。もっと変であることを突き詰めたい。

たとえば、僕がよく引き合いに出す梅田望夫。原点に当たれないので不確かな記憶だが、一見まともに思えるこの人は、自分が希望して入った会社の入社式や新人研修をすべて欠席したはず。それが正しいかどうかはともかく、そうした「貫き通す姿勢」があるからこそ今の彼があるのだろう。

日々は川の流れの中にいるようなものだと思う。様々なものと摩擦を起こす中で、自分の角はなくなり、すべすべした石になっていく。でも、川の流れに自覚的であることで、ある一点を尖らせることもできる。

分かりやすく「変」である必要はない。でも、ある一点において自分の流儀を貫き通せる強さを持ちたい。錐のように尖り、どんな硬いものでも突き刺せる「変さ」を持つこと。それは僕にとって何なのか。まだまだ模索する日々。


最近見つけた、変な人を起点にして社会運動が起こる動画。変さのフォロワーの偉大さ。
2010年4月10日

生き延びた奇人と出逢う

「子どもの頃から、周囲と同じではなかった。みんなが夢中になる話題と合わせてはいたが、本当に愛するものは別のところにあった。意識の中で感じられる質感「クオリア」の問題に目覚め、取り組みはじめてからは、脳科学の通常の研究スタイルとからさえ距離を置かざるを得なかった。」
(茂木健一郎『文明の星時間』p237)

茂木健一郎というとモジャモジャ頭で「クオリア」とか「アハ体験!」と叫び、よく分からないけど頭が良いらしい「変なおっさん」というのが一般的なイメージだろう。4億円の税をうっかり申告漏れするところも「変さ」を際だたせる。

最近、久しぶりに彼の著書をいくつか続けて読んだ。それで感じたのは、多くの本を出しテレビにも頻繁に出演している割に、彼の真意は伝わるべき人に伝わっていないのではないかということ。「脳」に興味を持つ4,50の主婦層がコアなファンらしいが、彼女たちに占有させておくのはもったいない。

茂木健一郎は多くの人が想像するような「奇人」で正しいのだろう。だが、この国では奇人でありながら生き延びるのはかなり難しい。奇人であることに悩み続け、その葛藤を学び続けることで克服した男。僕らはそうしたロールモデルを必要しているのではないか。

「はたして、私たち日本人の生き方は普遍性を持ちうるのか。日本の中に、価値あふれるなにかはあるのだろうか。そんなことをずっと考えながら生きてきた。本書で展開してきた議論は、日本を疑い、それでも日本人であることを離れられない私という人間の「魂の探究(ソウルサーチング)」を背景にしている。私は、なんとか日本の中に未来への希望の「種火」を見つけたいといつも思ってきたのである。」
(同『ひらめきの導火線』p153)

種火はここにある。でも、まだほとんどの人に気付かれていない。放っておけば自然と消えてしまう「種火」。僕はそれをどこから見ても一目で分かるような「燃え盛る炎」にしたい。それがあれば、そこにいる人すべてが暖かくなるような炎を起こしたい。そのために、僕らは薪をくべ続ける。
2010年4月9日

世界を変えたい若者をまた一人見つけた

過去に自分が歩んできた道のりの中でたまたま学ぶチャンスのなかった知識の欠如によって未来の可能性が縛られるのはたまらないと思う気持ちが強い起業家は、独学によって自ら道を切り開いていく。起業家精神と独学は不可分なものなのである。
「世界を変えたい」と語る塾生と話をした。でも、どうやって変えればいいのか分からない。「レールを走る過程で多くの人の目が死んでいくけれども、ほんとうに自分はこのまま大学受験を目指していいのか」。

問いかける彼の切実さに、どれだけの人が向き合えるだろうか。「とりあえず大学に行ってから考えよう」などという生ぬるい答えを、彼は決して許容しないだろう。

僕が彼に答える資格があるかは分からない。そう思いながら僕が答えたのは「学ぶことによって「自分の世界は広がる」ということ。まだ君は風呂場の手桶のような、あるいは浴槽くらいのサイズで思考している。

世界は海のように広い。解決すべき問題は山のようにあり、世界は君の意欲と知性を必要としている。まずは世界を知ること。その上で、自分がどの切り口から世界を変えられるのかを求めればいい。そのために必要なのは、学ぶこと。

いろいろ問題はあるにせよ、日本の受験システムは、世界を知るための第一歩としてはかなり優れた仕組みだと僕は思う。問題なのは、ただ暗記することだけに終始して、その先の世界を指し示してくれる人がいないことだ。

「世界を変えたい」と語る貴重な若者の志を、曲げず、すり減らさず、育てていくこと。いま求められているのは、そうした教育なのではないか。いたずらに大人が考える枠の中に押し込めようとするのではなく、一人ひとりが自然と持つ意欲を伸ばしていきたい。

学ぶことで自らを成長させ、新たな地平を開拓していく。結果として自分だけでなく、社会や世界がよりよくなることへ貢献する。そうした「学び続ける意志」を持ち、世界を変えていくロールモデルが必要なのだと思う。目指すべき方向を場所を指さし、道を切り開く姿を見せる人がいれば彼の志は失われずに済むのだと思う。

甚だ僭越なのを承知で言えば、僕はそうありたい。
2010年4月8日

「パソコン」の変化

ここ数日、メインのパソコンがやたらとフリーズするようになってしまったのでOSから再インストールした。一昔前はアプリケーションやら各種データや設定やらのバックアップに膨大な手間をかけていたが、今回はローカルのフォルダ一つをUSBに保存しておくだけで済んだ。

まっさらなWindows7に入れ直したソフトウェアはChrome、Firefox、オフィス、ATOK、iTunes、ノートン、Evernoteの7つだけ。アドオンや設定を自分用にチューンナップする時間を含めても、すべての作業が2時間足らずで終わり快適なパソコン環境を取り戻すことができた。「クラウド化」によってデータはネット上の「あちら側」に格納され、アプリケーションは主としてローカルとの同期のために使う。僕は既にそんな環境でパソコンを使っている。

今回インストールし直したのは7つだったが、やがてこれが5つになり、3つになり、そして1つになる時がいずれやってくるのだろう。端末は複雑さを減らし、シンプルになることで多くの人がストレスなく使えるようになっていく。これは素晴らしいことだ。

先日iPadの実物を見る機会があったが、その見やすさ、持ちやすさ、軽快さを感じ、これでようやく僕の母や祖父といった「マウス+キーボード」に不慣れな人でもウェブにアクセスできる時代がやってきたと確信した。iPadに関しては色々と言われているが、いずれにせよ今月末の発売が待ち遠しい。

僕がはじめてパソコンに触れた中学生の頃、この四角い箱はもっと大きく、それでいて複雑怪奇なものだった。その仕組みを理解し、紐解いていくこと自体が楽しみだった。もはやその時代は終わりつつあるのだろう。

最近は「パソコン」という言葉すら古くさく感じる。コンピューターは繋がり合い、共有され、Personalなものとは言い難くなった。それは旧時代の感覚を残す僕にとって少し切ないことでもあるのだけれど、この素晴らしい時代の変化を愛し、追い続けていきたいと思う。
2010年4月7日

ブリンカーを外す

小学校5年生くらいの頃、とある競走馬育成のゲームに熱中していた。そのゲーム内には「ブリンカー」という馬の視野を狭めて前だけを見えるようにするアイテムがあった。気性の荒い馬をレースに集中させるための人工的な矯正器具だった。

ゴールを目指し、速く走る。そうした日常生活の中で、ふとスピードを緩めて落ち着いてみると、気付かぬうちに「ブリンカー」に覆われている自分がいることに気がつく。視野を狭めることで目指すべきゴールに近づこうとしているが、自分が見るべき景色、拾うべき大切なものを取りこぼしているような哀しさを感じる。

大学時代は酒を飲むことに明け暮れていたが、そうした日々の中でも本を読み、人と語ることによって自分の世界を広げ、感性を磨くことだけは大切に守ってきたのだと思う。若すぎるゆえの誤解だとしても、人類や宇宙のレベルで思考すると同時に、目の前のささやかなものを大切にしようという意志があった。

日常から離れた場所に身を置いてみると「ブリンカー」をつけて走っている自分の異様さに気がつかされる。たしかに黒いマスクを頭からすっぽりと被って、勝つことだけを目的化した馬を見ていて格好いいと思ったことはなかった。競走馬は、確かに勝つために存在する。でも、その世界観を押し広げて行くと、一位になれない馬はすべて屠殺場行きになる。

草を食み、野山を駆ける中で自分らしい生き方を見つける。それぞれの道で自由に個性を発揮し、違ったペースで走る。そうした生き方を忘れずにいたい。大学受験においても、社会人になってからも、確かにレースは存在する。でも僕らはレースで勝つためだけに存在するわけではない。

古い友人と電話で話す中で、ブリンカーの中から見ていた世界がひどく醜いものに思えてきた穏やかな春の夜の話。
2010年4月6日

超・日本的経営

組織というのは見た目よりよほど複雑なもので、道塾くらいの小さな集団であっても一人のスーパースターによっては成り立たない。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツがどんな天才だと言われようと、日々の事業運営においては複数の人が協力して物事を進めているのだと僕は思っている。

彼の国においてはスーパーマン的な一人の天才が好まれる(らしい)のに対して、僕らが子どもの頃から好んで見てきたのは5人組の戦隊モノであり、やがてはスラムダンクやワン・ピースのように一人ひとりの個性を最大化させて戦う物語だった。

そこでは設定上の主人公はいるにせよ、一人の突出した才能ではなく個性の絡み合いによって話が進む。中学・高校と部活にも属さず「組織」というものが大嫌いだと公言していた僕は、一方で「仲間」という人間関係への憧れを心の内に秘めていた。

翻って、今。外から見ると道塾は僕が引っ張っているように見えるかもしれない。でも、内側で働いている人は知っての通り、この組織の経営は絶妙なバランスの上に成り立っている。それは僕やジョン、みっちゃんに加えて、今年の1月にメンバー入りした庄司によって基本的な形が整ったと思う。

ベンチャーは概して天才的創業者のような人間が持て囃される。だが、まだ未経験で未成熟な僕にそんな力はない。けれども、この4人を一人のスーパースターとして捉えれば「天才的経営者」と呼んでもいいのかもしれない。少なくとも、いつかその日はやってくるだろうと僕は信じている。

もちろんその4人だけで成り立つはずもなく、詩音、シオメ、大谷さんの3人をはじめ、道塾ではたらくスタッフは、旅立っていった卒業者たちも含めて、誰一人として欠けていたら今のようになってはいない。その上で、皆が「4人からなるスーパースター」を信じて物語を進めていければ、きっと新しい経営の在り方が生まれるのではないかと思う。

そうした意味で僕がモデルとしているのはH2Oと呼ばれたスターバックスの経営陣。ハワード・シュルツ、ハワード・ビーハー、オーリン・スミスの3人(頭文字を取ってH2O=コーヒーに欠かせない「水」)が協力し、全従業員を大切にしながら、彼らの信頼を受けて事業を展開する在り方に心惹かれる。いわゆる「日本的経営」とも「アメリカ型経営」とも違った新しい組織成長の物語

経営の在り方なんて、そんな簡単に答えは出ない。でも道塾が一人ひとりの個性を最大限発揮し、スターバックスのような素晴らしい組織に成長していけるよう、僕は僕なりに全力を尽くしていきたい。
2010年4月5日

奇跡的な出逢い

道塾で使う教材を調べるため池袋のジュンク堂書店へ向かう。「どうやったら最短で合格できるか」を考えるのは精巧なパズルを解くようなものだ。そんなパズルを解いていると気付かぬ間に熱中し、あっという間に日が暮れた。

昼過ぎ頃から受験生と思しき人が増えてくる。手にとっては、棚に返す。それを繰り返す若者たち。その眼差しは真剣だ。彼らの視界の内には僕の本もある。そんな時、一人ひとりに声をかけてあげたいと思う。「その本を手に取って読んでみるといいよ!」。

大切なのは、出逢うべきものに出逢えるかどうか。振り返れば僕にとっても決定的な出逢いが幾つも積み重なり、今ここにいる。「それ」との出会いがなければ、今の自分はなかった。なぜ僕が「それ」をたぐり寄せられたのか。誰もができているわけではないだろう。自分の奇跡に感謝する他ない。

ネットが広がり個人の可能性は大きくなったかのように見える。だが、数万冊はあるであろうジュンク堂の参考書コーナーの中で感じたのは、自分の可能性をたぐり寄せることの難しさ。でも、希望がないわけじゃない。

ジュンク堂の参考書コーナーという世界に限れば、僕は彼らよりも多くを知っている。その場所から見ると、彼らの生きる視界の中には必ず「それ」がある。「それ」は彼らが手を伸ばすのを待っているかのように見える。大切なのは、無数にある候補の中から「それ」と出逢うことができるかどうか。

「それ」は押しつけられてもいけない。でも、偶然に任せているだけでは十分でない。その微妙なバランスを探りながら、彼らが出逢うべき何かに出逢える社会を作っていくこと。受験参考書だけではない。それはジュンク堂の参考書コーナーで解くよりも格段に複雑なパズルだが、それになら人生を賭けられるかもしれないと思った。
2010年4月4日

もののあはれ

千鳥ヶ淵には大学に入学してから毎年のように行っている。平日に行くことが多かったが、今年は母の誕生日にあわせて土曜に行ったため、天気の良さとも相まって経験したことのない人出。ほんとうに日本人は桜を好きなんだなぁと実感する。

毎年この時期に誕生日を迎える母曰く「すぐ散るから日本人は桜を好きなのよ」。本居宣長が明らかにした「もののあはれ」の精神がそこには脈打っているのだろう。長い冬を経てた春の素晴らしさを感じようと皆が押しかける。そこにもまた「もののあはれ」を感じる。

なんて書いているうちに「もののあはれ」を追求したくなってグーグルで検索すると色々なことが分かる。たとえば「春はただ花のひとへにさくばかり物のあはれは秋ぞまされる」(拾遺集)。なるほど、そういう捉え方もあるのか。

最近よく花について書いている。はじめは「可能態」としての受験生を表現するために使っていたが、次第に人生そのものを肯定する概念として僕の中に根を下ろしつつある。そんなことを思いながら桜の下で出会った一節。

「一般に、生物界におけるシグナルの強度は、そこに濃縮されたエネルギーに比例する。花は、植物が次世代を残すために全勢力を結集して咲かせるものである。そこには、生けるものの精励があり、もう戻ることのできない時間の流れがある。」(茂木健一郎「文明の星時間」p102)

目に見えるものはほんのわずかで、だからこそ儚く、尊い。日々の仕事は地味だからこそこの言葉に胸を打たれる。冬の時代を経て、やがて春が来る。どんな花が咲くかはその間にどれだけ「全勢力を結集」したかにかかっている。その日のために、今日も生きよう。
2010年4月3日

冬の時代を経て

約1ヶ月前の「ゆうどきネットワーク」放映の慰労会。いちばん右が元塾生の金安。道塾を立ち上げる前に一度会っていたから、もうかれこれ3年以上経つ。一人でやっていた頃は今と比べればシステムや指導法はひどいものだったけれど、その分だけ塾生一人ひとりと時間を取って関われていた。だから、当時の塾生のことはよく覚えている。金安はほんとうに変化し、成長した。人がこれほど変われるんだなということを目の当たりにする。

「金安はほんとうに変わったよなぁ。自分ではどう思う?」
「変わったと思います。かなり」
「当時の写真は危険すぎて放送で使えなかったもんなぁ。それと比べたら今は・・・」
「楽しいですね。あの頃には戻りたくない」

過去を茶化して話せるほどに成長した。その後、真ん中の③さんが言う。

「でも、この先はもっと辛いことがたくさんあるよ」

たぶんそうなのだろう。でも、この先どれだけ辛いことがあっても、笑い飛ばして歩いてほしい。金安は既にその第一歩を踏み出していると思う。「あの頃には戻りたくない」とまで言える成長の軌跡を思い描いて、この先どうやって道を切り拓いていくかを考えればいい。その時に、道塾で学んだことは必ず力になるはずだ。

「すべての学びは必ず役に立つ。学んでいることに意味がないように思えても、それは必ずどこかで繋がるんだ。学ぶことで世界を知り、それによって自分にふさわしい生き方を見つけることができる。あまりに複雑になったこの世界において、必死に学ぶことなく自分が真にやりたいと思えることを見つけることなんてできるわけがない。

(中略)

学ぶことで、どんな場所にいても人生を切り拓くことができる。そして君たちが学ばない限りこの国はどんどん暗くなる。逆に君たち一人ひとりが学ぶことで、この国は次第に明るくなっていく。一度きりしかない人生が、暗いよりは明るい方が楽しいと思う。道塾で学んだ塾生が学び続ける意志を持ち、日本に希望の火が灯されてほしいと思う。一人ひとりが世界を明るくすることに貢献するようになれば、世界はもっと面白くなっていくと思う。」

2009年度最後の「塾報」より

変化には必ず痛みが伴う。春を迎えるためには木枯らしが必要なように。だからこそ変化をも楽しめる心を持っていたい。冬の時代を経験した人間だからこそ、季節の移り変わりを愛でる強さを持てるはず。

金安にも、スタッフにも、そして今の塾生にも、皆にそうであってほしい。ちなみに金安の指導を最後に担当していたのは僕ではなく小竹。(ジョンと三井を除くと)いちばん最初の指導スタッフである小竹はこの4月で指導をはじめてから3年目を迎えた。スタッフもまた、塾生の成長に歩みを合わせるかのようだ。振り返れば1年前、2年前の自分がこうなっていると誰が想像できただろう。

それは何より僕自身に言える。学び、変化し続けていくこと。それによって自分の可能性を花開かせること。それを身をもって示していきたい。

2010年4月2日

花は咲き続ける

3月31日。3年前の道塾が立ち上がった日、偶然にもちょうど当時の僕と同じ歳にして京都へ挑戦しに行ったシオメこと熊谷一誠。元々フルタイムで働いてはいたけれど、この日をもって道塾初の新卒採用の「入社式」が行われ、7人目の社員が生まれた。彼の「挑戦する意志」と「誠実な精神」こそが「ミスター道塾」であり、彼ならば切り拓いてくれると僕は信じている。

1年間道塾をやってきて、思うことがあります。それは「自分の可能性を守れる人間こそが、他人の可能性を守れる」ということです。(中略)。だから僕は、中学と、京都と、道塾の新たな可能性を追求することで、自分の可能性、道塾の可能性を守ります。道塾の全スタッフに、その先に在る全ての塾生に、可能性を追求することがどういうことなのか、僕は身をもって示したいと思っています。だからこそ僕は、京都へ行くのです。
さようなら、東京!(道塾・中学部統括 熊谷一誠のブログ)

そして4月1日で入社丸1年を迎えた教務統括のシオン。もうこの人については言うことはないでしょう。試行錯誤の一年を経て、次の1年で共に突っ走れることが楽しみでならない。

別に世界を変えようとかそういう大それたことは僕は全く考えていない。
そもそも興味がまるでない。
そして、世界を変えるのは僕でなくたっていい。
その世界を変える人間を育てるのが、僕なんだ。
ダメ男のエッセンス

庄司も書いていたけれど、あらためて道塾が奇跡の上に成り立っていることに感謝せざるを得ない。同時に、道塾から旅だった「有志」たちの活躍を願う。新天地に旅立ったヤツもいれば、日本の将来を左右する場へ赴いたヤツもいる。その一人ひとりがどんな花を咲かせるのか、今からわくわくする。

道塾の裏を流れる神田川の桜は五分咲きくらいで、じき満開になる。
その花が一晩のうちに散るように、大学合格という喜びもまた一瞬で消える。
でも、花が咲くという事実を知っていれば、それは新しい一年の始まりだと分かる。
それどころか、夏も、秋も、木枯らし吹き荒れる冬も、季節の移り変わりを楽しめるようになる。

祝賀会へ来た一人ひとりに伝えたかったこと。
花は咲く。
そう信じ続ける力を身につけること。
大学受験は、そのための修行期間に過ぎない。

花が咲けば、実がつき、やがて種がこぼれ落ちる。
季節は巡り、その種が後にまた新たな花を咲かせることになる。
その時にこそ、自分自身がどんな可能性を秘めていたかに気がつくことができる。
「花は咲く」 祝賀会を終えて(道塾スタッフブログ

道塾は、この奇跡のメンツなら楽勝だと、旅だった「有志」も含めて一人ひとりが信じられてる。そのこと自体がいちばんの奇跡なのだと思う。今年も気持ちのよい春がやってきて、新しい1年がはじまる。さぁ、どんどん咲かせていこう。

2010年3月25日

大学卒業


僕は大学に合格した7年前から「いつか中退しよう」と思っていた。「中学中退、高校中退、大学中退」。こんな響きはなかなか世にないし、「中退一流、留年二流、卒業三流」と呼ばれる早稲田ではいっそう魅力的に思えた。道塾が軌道に乗りはじめた大学6年末には「もういいだろう」と思って中退届けをもらいに行った。

ハンコも押して「さぁ、これから中退届けを出しに行こう」という時に、既に有名企業で働いていて、大学時代にいちばん深い付き合いだった男が僕に言った。「お前が大学を中退するなら、俺はもう二度とお前と一緒に何かをすることはないと思う。残念だけれど、大切な人の気持ちさえ想像できない人間を俺は信じることはできない」。

「中学中退、高校中退、大学中退」という肩書きは捨てがたかった。でも、それ以上に僕には魅力的な生き方を思い描いていた。それはこれまでに出逢い、これから出逢うであろう仲間たちと、どんな映画より面白い人生を生きること。僕の中退を6年にわたって諫め続けたその男は、僕が人生ではじめて出逢った心からの「仲間」と呼べるヤツだった。

仕方ない。

諦めて僕は単位を取りに行き、1年かけて今日、卒業してきた。

卒業してしまった僕は「中退一流」に数え入れられないのはもちろんのこと、もうスティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、マイケル・デルといった「生きる伝説」を自分に重ねて考えることはできなくなった。彼らは大学中退者だった。経営の神様と呼ばれる松下幸之助に至っては小学校中退のまま自分の道を切り拓いた。僕は彼らの生き方に憧れていた。

「大学卒業」という肩書きに意味がないように、「大学中退」という肩書きにも意味はない。それは分かっていたけれど、なかなか断ち切れぬ思いだった。だが14年にわたって僕の卒業を願い続けた母親にもらったばかりの卒業証書を「息子さんの卒業祝い」としてプレゼントした後、オフィスへの帰り道に感じたのは意外にも「清々しさ」だった。

卒業とか、中退とか、そうした(あまりに贅沢な)悩みから僕は自由になった。無意味なこだわりを捨てたことで、シンプルに未来のことだけを思い描けるようになった。同時に、それよりもっと大きなものを僕は手に入れた。そのひとつは、先に出てきた男、庄司裕一。僕と話を交わした頃には「組む」と言っても早くて十年後くらいだろうと互いに思っていた。だが時代の巡り合わせか、その時からわずか10ヶ月足らずで道塾にやってきた。

第一希望のリクルートに入社し、誰よりも会社を愛していた庄司。道塾に転職する際もほとんどの同僚に止められたと聞く。でも自分の人生と、道塾の未来と、なにより日本の将来のために敢えて危険な道を庄司は選んだ。何かを得るためには何かを失わなければならないとはよく言ったものだが、充実した職場と輝く未来を捨てた庄司は、道塾という危険な道に踏み入ったことで新たな何かを手にしているのだと僕は信じている。

庄司の選択が正しいものと言えるようになれば、日本の社会ももう少し明るくなるように思う。今年大学に入学した子たちが就職する頃にはそれを証明していたい。そのために大学中退という肩書きを失った僕は、庄司と、そしてその後に得た「仲間」たちと共に、この道塾に文字通り「すべて」を賭けていくよ。


ということで、中退はなくなりました。期待してた皆さん、ごめんなさい。笑 これからは学生ではなく、道塾の経営者ならびに塾長としてやっていくことになります。あらためて、よろしくお願いします。


最後に、お礼を。僕に「卒業しろ」と言い続けた母、祖父、庄司、それから僕の単位取得のために協力してくれた無数のひとたち。この卒業は、すべてあなたたちのおかげです。大学には7年間も通ったけれど、出席日数は普通の1年分にも満たないはず。でも、普通の人が10年通っても得られないものを、僕は大学で得ることができたと思います。ここで得たことを、最大限誰かに返せるように僕は生きていきたいと思います。どうもありがとう!
2010年3月18日

KKP(あるいはKプロ) ~暖め、孵化させるために~

前回書いた通り、道塾が会社化して一年が経つ。本気で走り続けてきた一年を振り返って終えて思うのは、道塾の指導には改善の余地が大いに残されているということ。もしそれを達成できれば、どんな学校や塾も真似できない圧倒的な塾になるだろうということ。

来年度はそれを一年間かけて達成することを目指す。そのために発足したのが「教務強化プロジェクト」=略して「KKP(あるいはKプロ)」。私立文系に関しては僕が、国立・理系に関しては詩音が中心となり、指導法の確立とカリキュラム再編および徹底を中心に「道塾の指導」を盤石なものにする。

・・・というKKPの裏目的は「勉強法を教える塾」というイメージから脱却すること。誤解を恐れずに言えば、勉強法なんてそこらの本に書いてある。本屋に行けば膨大な勉強法の本が置いてあり、その上位10%くらいの本はごくまっとうなことが書いてあると思う。その正しい10%を選び、適切に理解し、実行できれば成績は確実に上がる。

問題は正しい勉強法を「選び」「理解し」「実行する」ことが難しいことで、だからこそ道塾が多くの人に必要とされるのだろうと思うけれど、でも僕はそれだけの塾に満足できない。それだけで終わる塾なら、きっと僕以外の道塾スタッフも全員、これだけ本気で道塾に打ち込んでいないだろう。

僕は、エリートたる人々は卵を孵化させる責任を引き受けるべきだと思う。一人で自由に大空を飛びまわれる鳥を育てなければならないと思う。そのために必要なのは、僕らひとりひとりが「熱」を持つこと。いたわり、他人の痛みを感じること、やさしさ。そうした「暖かさ」があれば、生まれてくる卵は化石にならず、鳥となって飛び立てるはずだ。
2009年2月28日 「龍と春樹と司馬遼太郎」--- 午後2時のビール

今日に至る過程で、道塾は「勉強法を指導する塾」という在り方を確立できつつあるんじゃないかと思う。次の一年は、勉強法もブラッシュアップしていくけれど、それ以上にスタッフひとりひとりが「熱」を持った指導ができるようになることに力を注いでいきたい。

卵という「可能性の塊」を孵化させるための「暖める力」を身につけること。その結果、一人ひとりの塾生が鳥のように大空を飛び回れる「自由」を手に入れること。ようやく、本当にやりたかったこと---たぶん僕らが時代に要請されていること---に本腰を入れられそうな気がして、春めいた陽気のせいかもしれないが、僕は日々すごくわくわくしている。
2010年3月2日

道塾、会社化1周年

実は、今日で道塾が会社になって1年。

目まぐるしい変化の中、感傷に浸る間もない日々。色んな人が道塾に関わってくれたけれど、大学4,5年生が多い道塾では卒業生たちが去っていく。この日を迎えられたのは、すべて道塾に貴重な時間を費やしてくれた皆のおかげ。その一人ひとりに感謝しながら、今日くらいはこの1年間を振り返って眠りにつきたい。

じょん、みっちゃん、庄司。
シオンにシオメに大谷さん。
小竹、砂川、揚げ男、
それから根津、ぽにょ、越田、まぐ、井上、服部、渡会、照屋、田中、かんとく、ぱくりさ、小西、山形、町元、平井、斎藤、しもにぱ、石原、金、森定、伊田、ぺぺ。
それから真野、渋谷。
そしてこてつくん。
桐山に加藤ちゃんに副島。
ホスト時代が懐かしい草刈、天才小川、きむ、こまい、柳館、まりっぺ、今井さん、もにかちゃん、福島、小池ちゃん、野村さん。
甲斐に藪本。
絶対に忘れられない俊、嶋津、小島、なおやくん、たっきー、草。それに小野ちゃん。

ざっと書いたので忘れてる人がいたらごめん。
忙しい時に手伝ってくれた人とか、たくさんいます。
そして、ここに出てこない道塾スタッフではないけれど、関わってくれたり、応援してくれたすべての人。

本当にありがとう。
おかげで合同会社道塾は1周年を迎えました。

ずっと「ペースを上げていくよ」と言い続けてきたけれど、もうそう言ったり、強がったりする必要のないところまでやってきた。後は最高の仲間たちと淡々とやっていくだけ。

それじゃ、上がります!

また明日から頑張りましょう!


(写真は一足早く昨日から働きはじめたコテツくん+経営チーム))
2010年2月27日

最終回 Be hope, make hopes.

受験生に向けて、毎週金曜日に送ってきたメールマガジン『受験の道草』の最終回(当初のはこれ)。夏前にはじめたのに、最終的には1500人くらいが購読してくれていた。今回は長いので読めない人もいると思うし、メルマガを取ってない受験生にも読んでもらいたいので、ここにも併せて掲載。何はともあれ、本当におつかれさま。

道塾メールマガジン 『受験の道草』
-- Stay hungry. Stay foolish. --
最終回「Be hope, make hopes.」

2月26日で国立の前期試験が終わった。3月入試や後期試験に向けて勉強している人もいるので、そういう人には忍びないのだけれど、多くの受験生が第一に目指していたことに区切りがついたこともあり、今号を以て今年の受験へ向けた俺と詩音による「受験の道草」を終わりにしようと思う。

3月は「号外」という形で不定期に何らかの内容を送ろうと思っている。もし俺や詩音に伝えたいことや聞きたいことがあれば遠慮なく送ってくれていい。すべてに答えられるわけではないけれど、送ってくれたものには必ず目を通すし、できるだけ答えていくつもりだ。

まだ試験が残っている人は最後の最後まで信じて走り続けよう。それはこれまでの「道草」で語ってきた通り。

さて、最終回は受験を終えた人へ伝えたいこと。もしまだ終わってないのなら、また後で読んでくれればと思う。内容は、受験結果をどう受け止めるべきかということと、大学でどう過ごすべきかについて。すこし長くなるが順に書いていこう。

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知っての通り、俺の「道草」のサブタイトルは"Stay hungry, stay foolish"。訳せば「ハングリーであれ、馬鹿であれ」。これは俺の言葉ではなく、MacやiPod、そしてiPhoneといった時代を変える製品を創り出してきたApple社の創業者兼社長であるスティーブ・ジョブズが、あるスピーチで「常に自分がそうありたい」と語った言葉だ。

ジョブズは1970年代にApple社を創業して「パソコン」を世に広め、1980年代には時代の寵児となった。が、やがて自分が創った会社からの追放され、新しい会社でゼロからのスタートをすることになる。数年の後、その会社の成功を経て再びApple社の社長に就任し、iPodをはじめとする新商品によって再び世界の表舞台に戻ってきた。そのジョブズの生き様が、このスピーチと、その締めくくりの言葉である「Stay hungry, stay foolish」というフレーズに詰め込まれている。

このスピーチはYouTubeにあるから観てみるといい。この「道草」で取り上げたいのは、そのスピーチの冒頭で話される以下の一節だ。以下にその原文と訳文を載せる。1年前には歯が立たなかっただろうが、今なら少しは読めるはず。ちなみに最初に出てくる"dot"(点)というのは、人生の時々で起こる様々な出来事のこと。

you can't connect the dots looking forward. You can only connect them looking backwards, so you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something--your gut, destiny, life, karma, whatever--because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart, even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference. --- Steve Jobs.

訳:「先を見て『点を繋げる』ことはできない。出来るのは、過去を振り返って「点を繋げる」ことだけなんです。だから将来その点が繋がることを信じなくてはならない。根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから信じること。点が繋がって道となると信じることで、心に確信を持てるんです。たとえ人と違う道を歩むことになっても。信じることで全てのことは、間違いなく変わるのです。」(スティーブ・ジョブズ)

いいかい。

僕らは起こったこと(点)を、今すぐ意味づけることはできない。もしかしたら君は第一志望に受かったのかも知れない。あるいは、残念ながら落ちてしまったのかも知れない。でも、そのことが未来にどういう意味があるのかは誰にも分からないんだ。

第一志望に落ちて悔しい思いをしたが故に、希望ではない大学で全力を尽くして輝いたヤツを俺はたくさん知ってる。逆に、志望校に受かったせいで浮かれてしまい、ただ遊ぶだけの虚しい4年間を過ごして後悔したヤツはそれ以上によく知っている。

だから。

君がどんな状況であれ、いま起こったことを将来につなげるべく行動しよう。希望した大学に行くにせよ、希望していなかった大学に行かざるをえないにせよ、もう一年間受験生をやるにせよ、あるいは大学進学とは別の道を歩むことになるにせよ、君が起こった事実と真摯に向かい合い、自分の可能性を信じて行動を起こせば、どんな状況からでも未来を切り拓くことができる。

そんなことを言っていると世の「大人」は笑うかもしれないが、そんな奴らの考え方は笑い飛ばしてやればいい。そのためには自分が信じて選んだ道で全力を尽くすこと。それができなくなった時に、僕らはそうなりたくなかった「大人」の世界に吸い込まれてしまうのだから。

いつまでも少年のような心を持ち、未来に夢を見て、あらゆることをポジティブに捉え、果敢に行動を起こし、自分のすべてを一瞬一瞬に賭けて生きよう。そのために、まず自分の可能性を信じよう。必ず点と点が繋がって道となると。ジョブズの言う通り「信じることで全てのことは、間違いなく変わる」んだ。

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念のために付け加えておくと、「自分の可能性を信じよう」と言っても安易な浪人という選択は勧めない(2浪目以降は特に)。受験は限られた時間の中でのレースだと俺は思う。走りはじめた時点で、残された時間でどこまで自分が到達できるのかを予測し、その中で選んだゴールを全力で目指すレースだ。

君は走りはじめた時に、残り時間の限られたレースの中で合格することを誓ったはず。にもかかわらず志望校に届かなかったということは、①予測が間違っていた、②予測を実現するための努力が足りなかった、③本番で上手くいかなかった、といったことが原因のはず。①に気がついた時点で(過去に書いた)「戦略的撤退」をすべきだったし、②や③といった理由で「誓ったけれど十分にできなかった」のであれば、より辛くなる浪人生活では同じ失敗を繰り返す可能性が高い。だから、受験ではない次のレースを探して新たな舞台で全力を尽くすべきだと思う。

俺が積極的に浪人を薦められるのは、たとえば部活等の理由によって受験をはじめた時点で物理的に時間が足りず、その中でも自分なりの最大限の努力をしていて、かつ次の1年間を走るための気力とポテンシャルが十分残されている場合だけだ。

大学受験というのは長い人生のはじまりに過ぎない。このレースで躓いても、その悔しさをバネに自分の未来を信じて進んだ大学で全力を尽くせば、「あの時の失敗が今の自分をつくっている」と思える時がやってくるはず。だからたとえ今が「失敗」だと思っても、進むべき道があるのなら踏み出した方がいいと思う。

俺は中学を中退した。高校も中退した。それは絶望的な失敗だった。周りの人間から見れば「こいつの人生は終わった」というくらいだった。でも、俺は未来を信じて切り拓いてきた。そうして今、あの頃の失敗もすべて笑い飛ばすことができる。むしろ、その失敗に感謝することすらできる。

ジョブズの生き様に俺が感動するのは、まさにジョブズがそれをやってのけたからだ。俺の失敗は10代の頃だった。だからまだ取り返しやすかった。でもジョブズは30歳からでも致命的な失敗を乗り越えて未来を切り拓いた。そしてジョブズだけでなく、この世界にはいつだって、どんな状況でも、どんな年齢でも、未来を信じて道を切り拓いてきた人がいた。

もし君がすべての志望校に落ち、浪人する以外の選択肢がなく世界が真っ暗闇に感じられ、進むべき道がないように思えても、そこに道を創ることはできる。まずそのことを信じてほしい。それができれば前へ進む力が湧いてくるはずだ。そうやって進んだ道の先では、いつかきっと今のことを振り返って意味づける日がやってくる。

「あの時の失敗が今の自分をつくっている」と。

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「正しい方法で努力すれば伸びることができる」というのは、たとえ志望校に届かなかったにせよ、この道草を読んでる人なら受験を通して実感できたはず。志望校を目指して一歩ずつ進んだ過程で君は確実に少しずつ成長できただろう。

そのことに自信を持とう。1年前の君には想像すらできなかった努力と成長をしてきたはずだ。(でなければ、こんな長い文章を真剣に読んでいないだろう)。反省すべきところは徹底的に見つめ直すべきだけれど、努力しきれなかったことも含めて、大きな目標に向かって精一杯やってきた自分を心から褒めてやろう。

君が大学に進むのであれば、その努力を続ければ今はまだ想像もできないくらい面白い人生を君が歩んでいけるということを信じよう。自分の進みたい未来を貪欲に求め、見つけたらそれに全力を尽くせば、君にしか送れない素晴らしい人生が待っている。

俺は受験生にいつも「大学は最高だよ」と話す。励ますためにも「大学ではめちゃくちゃ遊べて楽しいよ」と伝えることもある。でも、それは高校生が思い描くような「遊ぶ」という意味じゃない。

『受験はゲーム』という本のタイトルにも使ったくらい、10代の俺にとって「遊ぶ」という言葉はネットゲームやゲームセンターといった「ゲーム」のことを意味していた。でも、どんなに面白いゲームでもやり続ければ飽きるし、生きていることの喜びを感じることはできなかった。突き詰めれば、人が作った「遊び」はいつか飽きてしまうんだ。

だから自分の人生を味わい尽くすために、自分が最高に楽しめる「遊び」を追い求めること。もっとも面白いゲームは、自分の人生そのものなんだ。大学はそれを探すためにこれ以上ない場所だと思う。そのために大学という時間を一秒に無駄にしちゃいけない。

どんなゲームをするかは君が選ぶことができる。世界平和を目指してもいいし、貧困の撲滅を目指したっていい。自殺を減らすことや、若者のチャンスを増やすことでもいい。もっとささやかな、たとえば奥さんを見つけて幸せにすることでもいいし、子供を愛することだっていい。何であれ、君が自分の人生を賭けられると思えるゲームを探すこと。

「合格」というゴールが明確なこれまでと違い、大学では明確なゴールがない。何となく過ごしていると4年間(あるいは6年間)という時間は、あっという間に終わる。俺は色々な事情があってまだ大学7年という肩書きはあるが、道塾を大学4年の末に立ち上げてからは大学生というよりも起業家として生きてきた。これは俺なりに大学4年間を通じて自分の生きる道を探し求めた結果だと思ってる。

でも、そこまでは迷いの連続だった。道塾を立ち上げるまでは小説家になりたかった。その前は学者で、その前は政治家だった。一度描いた夢が合わないと思ったり、諦めて次に行かざるをえない時は、ほんとうに辛かった。でも、それは誰もが通らなければならない道なのだと今は分かる。

人生を賭けられるゲームはそう簡単に見つからない。すぐそばに転がっていて誰もがすぐ手に出来ているのなら、こんな問題だらけの社会にはなっていないはずだ。だから必死で見つけなくちゃいけない。なかなか見つからないのは当たり前なんだ。困難だからこそ挑戦する価値があるし、心から求めていれば必ず出逢うことができると俺は信じてる。そして、それを見つけるためのキーワードこそ"Stay hungry, stay foolish"なのだと思う。

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この文章で君に伝えたかったのは、まず自分の可能性を信じようということ。その上で、自分の人生を賭けられるゲームを探し求めようということ。そしてこれから最後に伝えたいのは、君が自分だけのゲームに没頭する姿によって後に続く人たちの希望になろうということだ。

先にも話した通り、大学では自分の人生を賭けられるゲームを探すべきだ。そのためには「かっこいい」と思える人との出逢いを求めること。その人との出逢いはきっと君の人生に決定的な影響を与える。まだ自分がすべきゲームが見つかっていないのなら、大学ではそうした人との出逢いを探していこう。

俺自身、「かっこいい」と思った数多くの人との出逢いのおかげで今があると思ってる。歴史上の人もいれば、ごく身近にいる人もいる。一人ひとりの名前を挙げるとキリがないので止めておくが、スティーブ・ジョブズはもちろんその一人だ。

ただ、俺が思うにこの国で普通に生きていると、若い時に「かっこいい」「こうなりたい」と思える人との出逢いが少なすぎる。だからこそ、もし君が一瞬一瞬を全力で生きていけば、その姿は必ず誰かにとっての「かっこいい」と思う対象になるはずだ。そして全力で生きた未来の君と出会った若者は、きっと君に対して憧れを抱くだろう。

君が全力で生きることは、君だけのためではなく、誰かの希望になりうる。君自身が希望となることで、君に触れた誰かの心に火が燃え移る。俺はそうありたいと思うし、これを読んでくれる君にもそうあってほしいと思う。もし君が道塾の塾生なら、きっと君の担当スタッフがそうした存在であったはず。俺はそうした生き方を、少し前に思いついてからこんな風に表現している。

Be hope, make hopes.

自らが希望となり、それによって新たな希望を創り出す。

俺はまだまだジョブズみたいにかっこよく生きられるわけじゃないけれど、俺なりに全力で生きていく。これからいろんな逆境が待っているのだろうが、それを一つずつ味わいながらすべてを乗り越えていこうと思う。もし君が「希望」となるような存在を見いだせないのなら、俺の姿を見ていてほしい。それに刺激を受けて俺を軽く乗り越えるくらいになってほしい。

希望を見いだし、それに近づこうとする中で自分自身が希望になる。そして、自分が次の時代の希望を創っていく。そうやって生きる間のどこかで出逢い、「あの頃、『道草』を読んでましたよ」と言ってもらえたなら、それ以上に嬉しいことはない。

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最後に。

大学では人と深く関わろう。恋をして、親友と呼べるような仲間を見つけること。そのためには待ってないで自ら一歩を踏み出すこと。それは勉強以上に大切なことだと断言できる。俺は道塾を最高の仲間とやれていることが一番の幸せだし、離れた仲間とどこかで巡り逢うことを一番の楽しみにしてる。

Be hope, make hopes.

そうなった君と、いつかどこかで逢えるのを楽しみにしてます。最後まで読んでくれてありがとう。

道塾塾長
馬場祐平

【参考】
スティーブ・ジョブズのスピーチ

【関連エントリー】
希望なき国に生まれて(1) 
希望なき国に生まれて(2) ~拝啓、若者へ~
2010年2月6日

#titchangeより チェンジメーカー講演録

最近僕のTwitterで話題になっていた、アショカ財団CEOビルドレイトンをはじめとする人々の講演会。社会起業というホットなテーマに、今年のカギとなるTwitterとUstが生中継したイベント。生では最後の方しか見れなかったのでログを追っただけなのだけれど、ぜひ周りの皆に見てもらいたいと思ったので共有。#titchange/(ログ)Ustream

以下#titchangeより、面白いコメントをピックアップ。現在京都にいて思うことは色々あるのだけれど、それはまた後ほど時間が許せば。ログを追いながらTwitterとUstreamの素晴らしさを改めて感じた。本当に社会を変えるツールたちだ。

hatorikei今までの“教育”のルールからはずれたことをやった。自分自身に許可を与えて、実現し、それを外に広げた。(byビル・ドレイトン) #titchange2010-02-06 14:05:30

ippechan#titchange 社会の一部になりたい、という人間の欲求がある。自分自身に許可を与え、社会の問題を見つけ、解決することは決して難しいことではない。by ビルドレイトン氏2010-02-06 14:11:15

hatorikei今、15歳の人は、チェンジメイキングができないことの方が、勉強ができないよりも問題。古い勉強ができたほうがいい世界は、10年もすれば終わる。(byビル・ドレイトン) #titchange2010-02-06 14:34:40

kbs_m32誰もがチェンジメーカーになれる。チームが大事だよ。いまそこにいる職場・学校で始められるんだ byビル・ドレイトン #titchange2010-02-06 14:35:52

hatorikeiまずは学生の方々に伝えたい。誰もがやっていないことをやりなさい。そうすれば比較をされないですよ。(byデイビッド・グリーン) #titchange2010-02-06 14:40:18
hatorikeiというか、社会起業の講演で、初めてサプライチェーンという言葉を聴きました。たしかにこれは本物のビジネスだわ。 #titchange2010-02-06 15:01:14
hatorikei企業のCSRは、ちょっとした社会貢献はしても、社会変革はしない。コアコンピタンスを使って社会変革をしなければいけない。(byデイビッド・グリーン) #titchange2010-02-06 15:09:46
hatorikei社会的企業は、投資家が投資したいという形にしないといけない。今は社会セクターはその価値を倍増させるようなことはできていない。それをできる、“アセットクラス”にしなければいけない。(byデイビッド・グリーン) #titchange2010-02-06 15:12:59
TaejunShin企業家精神教育:ドレイトン「日本は恐竜時代のよう。 停滞している。 アメリカの大学では皆が変革を常に追い求めている。状況を変革するためのチーム(卒業者や大学関係者からなる)が常に組まれている。」 #titchange2010-02-06 15:52:44
TaejunShin企業家精神教育:渡辺孝「世界でソーシャルアントレプレナーを始めたのはハーバード。トップの大学から始めるのが日本との違い。」 #titchange2010-02-06 15:54:06
TaejunShin企業家精神教育:渡邊奈々「86%の高校生、54%の中学生が自分はダメだと思っている。 起業家精神を育てるために重要な教育は自己肯定感を抱かせ、綿密な調査を求めるものであるべき。それとともに、リスクテイクを許容する環境が重要」 #titchange2010-02-06 16:03:11
TaejunShin渡邊奈々「最初から大規模を目指すことと、結果をしっかり測定することが、社会企業と草の根活動の違い。だからこそ、社会企業は世界を変えることができる」(Taejun:この違いは、社会企業に限ったものでなく、企業活動全般に云えるること)  #titchange2010-02-06 16:16:45
TaejunShin社会的企業と一般企業の差は:グリーン「最近は社会的とはあまり言わなくなった。単に高ボリューム・低マージンモデルのビジネス。 ただ、豊かな事業家の中には事業と慈善を分ける場合が多いが、その点では違うのでは。」 #titchange2010-02-06 16:30:14
2010年1月24日

人生を味わう。 がんばることの正当性

ブログを通じて出会った友人は多い。これからはTwitterによってネットを通じた人との出会いは加速していくのだろうけれど、相手がブログを持っているのといないのとの違いにより、その後の広がり方には大きな差が出てくるだろう。

梅田望夫と茂木健一郎の対談本『フューチャリスト宣言』で、「本」がアンカー(錨)としての役割を果たすという議論があった。Twitterというフロー型メディアの発展に伴い、ブログが本に替わるリファレンス・ポイントとしての役割を強めていくのだと思う。

それはともかく。

僕がブログを通じて「志向性の共同体」に参加し、友人(というと失礼かもしれないけれど)を増やすきっかけを作ってくれた方に、ブログ「横浜逍遙亭」の亭主である中山さんという方がいる。2008年の「シュンポシオン横浜」を主催した人と言えば昔から僕のブログを読んでいる人には分かるかもしれない(昔のエントリー:「シュンポシオン横浜 第一部 青年の主張 「絶望の淵でこそ『大人の流儀』を」)。

「横浜逍遙亭」では以前から、ちょっと離れた視点から見守る父親の胸中といったような内容で、息子さんのことが描かれていた。最近は高3になる息子さんの受験生活のことが触れられていて、ちょうど僕が指導する塾生たちの年齢と重なることもあり、塾生の保護者の声のような気持ちで僕は読んでいたのだった。

前回のエントリーで書いたとおり、私は受験生である自分の息子に向かって「がんばれ~」などとポストモダンな掛け声をかけるのですが、いったい何のために「がんばれ」というのか。がんばることの正当性、妥当性はどこにあるのか。がんばることで給料が上がったり、物質生活が豊かになるとは限らない。いえ、彼や彼女に明らかに人とは異なる能力や才能がない限りは、がんばたって、そんなに結果は変わらないというのが多くの人々にとって現実です。そんな社会を私たちの子供らは生きています。

じゃ、がんばらなくっていいのか。そう問いかけてみると、思考はもう一回転し、物質主義とは違う、がんばることの意味が見えてくるのではないか。実に難しい時代に我々は生きています。もしかしたら、面白い時代なのかもしれません。
横浜逍遙亭「がんばること」

このエントリーを読んで、僕は塾生の保護者たちすべてに答えるような気持ちで、以下のようなコメントを書いた。

(続きまして)ご無沙汰しています。ようやくネットに復帰しました。受験期でしばらく落ち着かないのですが、また以前のようにお会いしてお話しできればいいなぁと思っています。

僕は昔のことは分かりませんが、GDPの伸びというのは具体的に言えば、冷蔵庫だったり、洗濯機だったり、テレビだったり、エアコンだったりに現れるのでしょうか。そうした意味では、分かりやすくていい時代だなと羨ましくなります(それはそれで苦労はあったのだと思いますが・・・)。

今のようにがんばることの正当性がない時代には、人のモチベーションは上がりにくいのだと思います。道塾がやっていることは、若者に対してがんばることの意味を自らの生き方でもって示し、正当性の根拠を与えることだと思っています。がんばる対象は受験に限らなくてもいいと思うのですが、この時代において受験は多くの若者がぶつかる壁であり、それをうまく乗り越えることができれば(必ずしも第一志望に合格という意味ではなく)、その先の人生においても活かせる貴重な学びの場になると考えています。もうすこし拡大して言えば、孤独でありながら同時に親や友人の「支え」を感じてがんばる受験は、人生の縮図であるとも思います。

僕が若い子たちに馬鹿のひとつ覚えのように言っているのは、自分が大切だと思う時にがんばれれば、その後もがんばれるということです。そして、僕は身を懸けた「がんばる」という行為の中に、単純だけれども生きる本質があると思います。がんばることがなければ、喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、その多くは失われてしまうのではないでしょうか。人生は結果ではなく、湧き上がってくる感情を味わう「過程」がすべてだと僕は考えています。だから人生を深く味わうためのキーワードは、その対象は何であれ、がんばることではないかと思っています。

そうした意味では、ごく個人的な考えですが、せっかくこの世に生を受けたのであれば、その限られた時間の中でできる限りたくさんのことを味わうためにがんばる意味はある、と僕は考えています。

現状では、多くの若者は「がんばり方」を知らないまま成長してしまいます。それは「がんばる方法」という意味でも、中山さんのおっしゃる「がんばる正当性」という意味でもそうだと思います。

もう一年以上前になりますが(懐かしいですね!)、あの頃「SMAP構想(Speak,Make,Attack,Pink!)」をお話ししたように、今もってそうした20代が増えることで、がんばることが正当化され、もう少しわくわくできる時代になるのではないのかなという想いは変わりません。

今は他者との競争のためにがんばる時代ではなく、己の人生を味わうためにがんばる時代なのだと思います。辻さん(ご無沙汰しています!)がおっしゃる通り「自己満足」だと思います。それが結果として他者の人生に役立つことになればと願うのが、凡人である僕にできる最大限のことだと考えています。

ふと思い出したので引用しますが、敬愛するスピノザは自己満足についてこのように語っていました。「まことに自己満足は我々の望みうる最高のものである」(スピノザ『エチカ(下)』p64 岩波文庫)。

豊かになって価値が多様化し、ありふれたモノのためには誰もがんばれなくなった時代だからこそ、たとえそれが自己満足であれ、がんばる正当性を様々な形で創造し、循環させていく必要性がある。そう信じて日々精進していきたいと思います。

さて、僕の粗雑な議論の結論は脇に置いておくとして。

僕はその後のコメントのやりとりが嬉しく感じる。なかなかお会いして話すことはできないけれども、こうしてゆるやかな繋がりを保っていられることに感謝したい。ということで、Twitterをはじめた皆さん、その勢いでBlogもぜひどうぞ。

PS.ちなみに僕の後に続けてコメントを返してるgitacatさんは京都校での大恩人。道塾関係者は要チェックです。
2010年1月19日

輝く道塾スタッフたち。 ウェブスタッフ急募

道塾にとって「勉強法」はひとつの武器に過ぎない。技術やスキルといったこと以前に、まずスタッフ一人ひとりが抱く「塾生に成長してほしい」という想いが存在する。その想いを実現するために、塾生に寄り添い、そして勉強法を教えるということがある。

そうした道塾のスタッフに求められる素質は単純な受験技法ではなく、「情熱」をはじめとするトータルな人間力だと僕は考えている。だからこそ道塾のスタッフには「大学生として輝くこと」を大切にしてほしい。自分の本業である「大学生」として輝き(早稲田的によくある「サークル」に限らず、たとえば「学問」も含まれる)、人間力が鍛えられるほど、指導する塾生へ伝えられるものも増えると思うからだ。

昨夜、指導スタッフではないが、裏方で頑張っている道塾ウェブスタッフの木村が早稲田祭運営スタッフ新代表に決定したと聞いた。道塾スタッフ内においてはジョン(竹内)に続く二人目の運スタ代表。

木村の代表立候補は個人的にも応援していたし、日本最大規模と言える学園祭代表が道塾内から出ることは道塾スタッフが「大学生として輝く」という意味においても嬉しい。のだれども、一方で事業を運営する側の人間としては「さてどうしよう」という悩みも生まれる。

現在ウェブ制作をしているのはこの木村と、英字新聞や『早稲田魂』などを発行する「The WASEDA Guardian」の新代表になった(元塾生である)駒井の二人。豪華なウェブスタッフではあるのだが、そう遠くないうちに二人とも自分の責任を果たすことで忙しくなり、道塾のウェブ制作に集中する時間がなくなるのが目に見えている。

ということで、彼ら二人の代わりを務めてくれる道塾のウェブスタッフを募集します。条件は今の道塾ウェブサイトを見て、その程度は作れる自信があること(要実績)。待遇は能力・仕事量によって応相談。

道塾の入り口となるウェブは今年、かなり戦略的に作っていきます。トップスピードの中で伝説を作る一人となって、揉まれながら成長したいという意欲のある人を歓迎します。合いそうな人がいたら、ぜひ伝えてあげてください。
2010年1月18日

諦めないこと。最後まで戦うこと。

センター試験も終わり、ついに受験は終盤を迎える。僕らにとってはこれまでの指導が試される時であり、塾生にとっては人生の転換点となる時期。指導スタッフたちの緊張はピークに達するだろう。でも、受験生はそれ以上に張り詰めた時間を過ごしている。

彼らは押し潰されそうな孤独の中、未来に不安を抱きながら一人で世界と戦っている。これから僕らにできるのことは彼らに全力で寄り添うこと。道塾というシステムだからこそ、そして道塾のスタッフだからこそできることを大切にしていきたい。

諦めないこと。最後まで戦うこと。もっとも大事な時にどれだけ突き詰められるかで、その後の生き方も決まってくるから。

そう塾生に言い続けているけれど、それは僕ら指導する側の一人ひとりにも言えることだ。事業としてやっている以上、道塾はそろそろ来年度の準備を本格的に始めるけれども、塾生全員の入試が終わるまでその緊張感を持って指導に臨みたい。
2010年1月16日

自分が救われたもの。 打ち込めることの探し方

本気で打ち込めることを見つけるのは難しい。幸いにも僕は道塾という場を見つけることができたけれど、大学の2年から4年頃まで自分が小説家になるものだと思っていたから、その目標を失った時は何をすればいいか途方に暮れたものだった。

梅田望夫『ウェブ時代をゆく』にある「ロールモデル思考法」は自分の打ち込めるものを探しながら生き延びるための一つの方法だと思う。僕もそうだったし、他の多くの人もなんとなくやっているものだろうけれど、この文章に出会ってから僕は意識的に行うようになった。

「好きなこと」「向いたこと」は何かと漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう。頭の中のもやもやは容易に晴れない。ロールモデル思考法とは、その答えを外界に求める。直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
『ウェブ時代をゆく』 p119(第四章 ロールモデル思考法))

ただ僕が最近意識しているのはこのような「外界」に見つけるやり方ではなく、自分の内側を探す方法だ。引用部でも書かれている通り「漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう」から、「自分が救われたものは何か」を考え、それを手がかりにしている。

具体的には、たとえばウェブ。たとえば読書。あるいは先輩、仲間、家族。映画や音楽にもそうしたものがある。その中から、いつ、どんな風にそれと出会い、どのように自分は救われたのか。それを考えていくと澱のようなものが言葉として残る。その澱こそが打ち込めることであったり、本気で語れることであったりするのだ。

ただし、この方法にはひとつの危険がある。過去ばかり見て未来を見なくなってしまう可能性だ。たとえば大学生の多くが高校生に何かをしたがるような心情。それはそれでいいことだけれど、そこで止まってしまっては成長はない。そんな時にこそ「ロールモデル思考法」は過去と未来を結びつけるものとして役立つのだろう。

僕は「早稲田への道」を立てた時、今のように道塾に結びつけるつもりはなかった。無意識のうちにその危険性を感じていたからこそ最初の書き込みで「受験が終わったのにこんな場所に来るのはアホだ」と書いたのだと思う。

でも今は違う。僕にとって「救われたもの」である受験を通じて、より良い未来を創りだすことに本気で打ち込みたいという明確な思いがある。だからこそ、僕は道塾において過去の自分では知ることのなかったエネルギーが心の内に湧き上がってくるのを感じられるのだ。

「救われたもの」のエネルギーは絶大だ。そのエネルギーを上手く利用することさえできれば、未来を切り拓く原動力になる。僕は自分が過去に耽り、そこで止まってしまう危険性を認識しながら、一歩ずつ前に進んでいきたい。
2010年1月15日

置いてくる。 受験とスラムダンク

僕のバイブルはいくつかあるが、その筆頭に来るのはやはりスラムダンク。小学校の頃から読み始め、受験期にも唯一読み続けていたマンガだった。僕もいつの間にか桜木より10も歳をとった。今はキャプテンである赤木(ゴリ)の年齢の子たちにも指導しているが、不思議なことに赤木は僕にとって永遠の先輩であり続ける。

名作と呼ばれる作品が概してそうであるように、スラムダンクもまた読み返すたび違うシーンに惹きつけられる。中高生の頃に好きだったのは小暮(メガネくん)が綾南戦で3ポイントを決めて「入った」というシーンだった。地味な努力をコツコツと重ね、それがある瞬間に花開き、実を結ぶ。僕はそういう人生が好きだし、今でもそう生きていきたいと思う。コツコツなんて言うとスタッフには笑われるかな?

この作品の序盤に主人公の桜木がはじめて庶民シュート(レイアップ)を決めるシーンがある。小学校高学年の頃はこれに刺激されてレイアップの練習をしたものだったが、そのコツを桜木は「ひざを柔らかく高く飛んで置いてくる」と言う。不思議なもので、実際にこれを意識するとレイアップが入る。

センターを明日に控えて思うのは、試験のような大切な非日にこそ「ひざを柔らかく高く飛んで置いてくる」のが大切だということ。緊張しすぎたり、力みすぎたりしても実力以上のものは出ない。心を落ち着け、静かな昂ぶりの中で自分がたどりつける限りの高みを目指すことが上手くいくコツだ。

人事を尽くして天命を待つという言葉が僕は好きだ。やるべきことをやれば結果は後からついてくる。それでも不安に思う気持ちを消せないのは百も承知で言うけれど、試験会場に入ったらまず「ひざを柔らかく高く飛んで」みよう。そうすれば、後はこれまで培ってきたものを解答用紙の上に「置いてくる」だけだから。
2010年1月14日

ブログを書くことの効用

ブログというのはパソコンに向かってから「さて何を書こうか」と考えても簡単には書けない。エピソードだけで面白い大事件が毎日起こるわけはないからだ。単純化すれば、僕の毎日は歩いて5分の家と道塾との往復でしかない。

どんな人であれ、その人が生きる世界はその人にとって平凡な日常に過ぎない。でも、そこから非日常を掬い出すことができれば世界の相貌はだいぶ変わる。ブログは、そのために「ちょっとした気づき」を表現し続ける場なのだと思う。

ブログを書くという行為が生活の一部となることで、歩いている時も、本を読んでいる時も、人と話している時も、ブログへ結びつけるというのを前提とした思考ができる。アウトプットの場がひとつあるだけで、インプットへの緊張感は飛躍的に高まるのだ。

さらに言えば、僕はかなり忘れっぽい性格なのだけれど、ブログを書いていることでその時々の思考や感覚を留めておくことができる。時を経て読み返すことで、「結構いいこと考えてたけど、いまは失いがちだなぁ」なんて思って気を引き締めることができる。

そして何より、こうやって朝からブログを書くと気持ちがいい。予定通りに起きられないと朝からげんなりしてしまうように、ブログを習慣づけると気持ち良く一日をはじめられる。このささやかな達成感。それがブログを病みつきにさせる理由のひとつなのだと思う。

久しぶりにブログを書きはじめて(できるだけ力を入れないように書いているのだけれど)、いかに自分がブログを愛していたのかを再確認している。
2010年1月13日

ヒーローの循環を創る


ブログを再開したのと同時に、登録してあるblogの巡回も再開した。その中のひとつ、『大人げない大人になれ!』の著者、元マイクロソフト社長の成毛眞さんのブログでFUNKY MONKEY BABYSの新曲『ヒーロー』が紹介されていて、聞いてみたら泣けてきた。

『ヒーロー』と言うと個人的にはMr.Childrenが思い出されるけれど、この曲は「お父さん」としてのヒーローを描いたもの。だいぶ前に亡くなった僕の父親は幼い頃の僕の目に「ヒーロー」として映ることはなかったけれど、自分が仕事をする立場になると「なかなか頑張ってたよなぁ」と思う。

父親の頑張ってる姿を見る機会がなければ「ヒーロー」と思えるはずはない。残念ながら、僕が目にするのは仕事から帰ってくるとすぐ風呂に入り、ビールを飲みながら巨人戦を観て、それが終わると僕より先に寝る父親だった。当時の僕は、父親が僕よりずっと早く起きて仕事場で汗まみれになっていることを知る由もなかった。

身近なヒーローがいないこと。それが現代の問題点のひとつでもあると思う。成長過程では小説やマンガやアニメや映画を通じて数多くのヒーローに出逢うけれど、それではなかなかリアルなヒーローにならない。だからこそ道塾のスタッフ一人ひとりが塾生にとってのヒーローであってほしい。道塾に来れば自分に語りかけてくれる身近なヒーローに出逢える。そんな風になればいいと思う。

僕は読書が好きだったこともあり、本を通じて僕にとってのヒーローをその時々において見つけてきた。でも誰も彼もがそういう出会いを自ら作り出せるわけではないだろう。ヒーローに憧れれば、それに近づくために自然と努力する。憧れに近づくことは楽しく、だからこそ激しく頑張れる。そうやって成長した人が数年のうちに次代のヒーローとなる。道塾を通じてそんな循環を創りしていきたい。

2010年1月12日

祈り


指導を終えれば僕らは祈ることしかできない。 1週間後に彼らが送ってくる報告のメールを恐る恐る開き、結果が良ければ安堵する。悪ければ、さてどうしようかと考える。それを繰り返すのが道塾の毎週の指導だ。

センター試験を週末に控え、道塾のスタッフは誰もが強く祈りながら指導している。試験まで数日ともなれば劇的に点数が変わるということはあまりない。一点でも多く伸ばすために、行うのは塾生の持つ力を最大限発揮するための指導。それが終わればいつもと同じように祈り、結果を待つだけだ。

先日の日曜日にはスタッフの井上が自発的に立てた企画、湯島天神への合格祈願のお参りを行った。道塾オフィスを出て徒歩で1時間ちょっと。既に済ませていた一部のスタッフを除き、すべての指導スタッフが絵馬を書いて塾生の合格を願った。

僕はこの時期に湯島天神に行くのは二度目だった。掛けられた絵馬が多いのはもちろんだけれど、なによりそれを書いている親の数に驚かされる。九州出身のスタッフに聞いたら「僕の代わりに太宰府天満宮に行ってましたね」と言っていた。




受験生の頃は知らなかったけれど、おそらくは僕の親もそう思っていたのだろうと思う。きっと指導スタッフはそれを同じような心境にあるのだとも思う。頑張れ。頑張れ。超頑張れ。自分の限界を超え続けて頑張ってきた彼らにわざわざそう言うことはないにせよ、誰もがそう思ってる。

もし塾生が読んでいるのなら、その祈りを自分の力に変えてほしい。ほんのわずかな力にしかならないかもしれないが、道塾は一人ひとりが実力を発揮し、悔いのない試験を終えることを願ってる。僕はただ、その祈りが届くことを祈りたい。


2010年1月11日

道塾「中学部」がはじまりました



1月11日、PM11時。約半年間の準備期間を経て、今日ついに「道塾・中学部」を公開した。

はじまりは5月頃に「エチカの鏡」で取り上げられた頃のこと。テレビを見た中学生の保護者から問い合わせを受けたが、その頃はまだ中学生に指導を行う術がなかった。問い合わせた方には申し訳なかったが結果としてその多くを断った。

その中でも、不完全な受け入れ態勢ということを踏まえた上で、なお入塾を強く希望してくれた一部の中学生を受け入れた。その担当となったのが現在の中学部・教務統括を務める熊谷一誠だった。

道塾の持つ大学受験への指導法をベースにしたとはいえ、指導カリキュラム構築はゼロからのスタートにも等しい道のりだった。勉強内容は大学受験とは異なり、指導を理解する能力にも大きな差がある。そうしたハードルを一つひとつクリアし、ようやくたどりついたのが今日という日だった。

どんなことでも完璧ということはない。まだ立ち上がったばかりの中学部は、大学受験部と比べればその経験値において歴然たる差があるのだろう。でも中学部の指導スタッフの尽力に加えて外部からの助力を得たことで、今までは存在しないまったく新しい指導法を確立できたと思う。

そのすべては「一誠」という名前の通り、ただひたすらに中学部のオープンのために、まっすぐ道を走り続けた熊谷の努力が根本にある。今晩は、遅くまで残っていたスタッフと我が子が生まれたかのように喜んだ。

ごく控えめに言っても、中学生の頃に熊谷をはじめとする道塾スタッフとの語り合いを重ねるだけでも人生の行き先は変わると思う。同じように、中学部がはじまったことで道塾の進む角度もまた大きく変わるだろう。

これから大変な日々がはじまるのだろうけれど、ここから育っていく多くの若者のことを考えると、つい顔がほころんでしまう。そのひとつひとつを、すべての仲間と共に乗り越え喜びを分かち合っていきたい。

まぁ何はともあれ、シオメ、おつかれさま!!

道塾・中学部
2010年1月10日

第二幕、本編突入

 今日でこの「午後2時のビール」をはじめてから丸2年。

 「人生の第二幕」と位置づけ、その記録をリアルタイムで残そうと思って立ち上げたブログだった。実際、それと同時に僕の人生の第二幕ははじまったと思う。

 今は「自分の足で、歩きたい方向へいこう」と言える。この何年間かで自分なりの歩き方を覚えた。行きたい場所も、おぼろげながら見えた。たとえ道からはずれることがあっても、自分で切り拓いていけばいい。歩みは遅くとも、進むべき方角を見失うことは、たぶんない。

 だからはっきりと言える。第二幕の幕開け。ここからが人生本番、勝負の時。やるしかねぇ。

 あの時から走り続けてここまでやってきた。毎日違うことが起こり、必死で対処してきた。同時に常に未来に目を向け、自分にしかできないことを探し続け、すこしでも形にしようとしてきた。その結果として二年前とはまったく違う景色が見えるようになった。

 でも、実感としてはようやく第二幕のプロローグが終わったくらいだ。二年前はまだ僕だけの視点でしかなかった。道塾はたった一人でやっていたものだった。それから時が流れて仲間が一人、また一人と集まってきた。それぞれが力を尽くしたことで、ようやく道具が揃い舞台が整ったと感じる。

 遅まきながら、ようやく第二幕の本編に入れる時期になったのだと思う。仲間たちと共に旅する過程、その一瞬一瞬を楽しみ味わうと共に、その軌跡をここに記録し続けていきたい。このブログがいつの日にか読み返され、誰かの胸に希望の火を灯すことを願って。

 ということで、あけましておめでとうございます。遅くなったけれど、今年もよろしくお願いします。