2008年7月31日

東京家学 ホームページオープン!


 2008年7月31日。ようやく「東京家学」ウェブサイトをオープンすることができた。このスタートを「日本の教育が変わった日だったね」と振り返られるよう走り続けていきたい。

 「家は学校になる」という一行に込めた僕らの想いは、これからの日本に必要なものだと考えている。リアルなご家庭の話を聞けば聞くほど、そのことを強く感じる。

 まだまだ小さい事業で、これが世の中にどれだけ認められるのかは分からない。でも、変えなくちゃいけない問題が目の前にある。だから、僕はやれるかぎりのことをやるだけだ。

 これから、僕らの想いを、日本中へ、伝え、届けていく。

 オープン前から申込みを数件(偶然)頂いていて、そちらのご家庭での反応も上々。スタッフも熱を帯びてきて、手応えを感じている。ホームページの公開で、この勢いに加速がつけばと思ってる。

 ここまでお世話になった方々、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。今日からまた、僕自身のスピードも加速させていきますので。


 【フォト】 東京家学のホームページ。できるだけシンプルに、それでいながら「顔の見える」デザインにしたかった。まだ文章に頼りすぎているので、もっと直感的に伝わるように改善していきたい。
2008年7月25日

50 Entry

 気がついたら「49」という数字があって、これが50エントリー目になる。大した数ではないけれど、僕にとっては偉業だ。これほどblogを書き続けたことは未だかつてない。このまま2008年の間に100エントリーくらい書ければ理想的だ。あわせてblogに関して今年の目標は1000PV/day。今のところ1/3くらいまでは達成してる(まずまずだ)。

 いい機会なので、折り返し地点でのアクセスの多かった記事をピックアップして掲載しておくことにする。最近知り合ってblogを訪ねてくれている人にもぜひ読んでほしい記事があると思ったので。

#1 『まだ見ぬ早大生へ』
#2 『7、早大5年生による就職活動論(まとめ)』
#3 『ちいさく握りしめる』
#4 『一歩踏み出す』
#5 『2008年を迎えて』

 過去の文章を読んでもらう時に怖いのは、読み手が「馬場がいま考えてること」と錯覚してしまうこと。受験生によく読まれている2ch周りの過去ログなんて5,6年前のものが大半なわけで、もはや今の僕とは別人だ。読み返すと目を覆いたくなるようなことをたくさん書いてる。それはこのblogの半年前のエントリーにしても同じこと。

 とはいえ、そういうかっこ悪さを背負いながらも、なんとか前に進み続けようとする姿は変わらず「僕らしい」だろう。ウェブに蓄積された一連の文章からそれを読みとってもらえるのなら、僕のやっていることになにがしかの意味が生まれるのだと思う。

 どんな人間も、表面に見えていることだけじゃ決して分かりきれない。過去のすべてを引き連れた「今」は、そうたやすく理解できるものじゃない。けれども、点たる過去を、線として今につなげると、意外と一貫性のある「その人」が見えてきたりもする。その事実は、人と人とが理解しあうための数少ない拠り所になり得ると僕は思っている。

 だからこそ。

 僕の「生き様」の積み重ねが誰かに届くことを願って、これからも書き続けていきたい。

 
 【フォト】 カフェ125にて。この日差し、暑いけど、僕は好きだ……! 読んでくれるみんな、コメントをくれる友人たち、話題にしてくれる仲間たち、すべての人に感謝を。
2008年7月18日

イージュー★ライダー


 この5日の間に上げた4本の記事は、その時の気分にあった曲をBGMにしながら書き、歌詞の一部をどこかに引用して、曲名をエントリーのタイトルにしてみた。

 1,7月13日 「Prism」 Mr.Children You Tube 歌詞
 2,7月14日 「美しき人間の日々」 サンボマスター You Tube 歌詞
 3,7月15日 「情熱の薔薇」 THE BLUE HEARTS You Tube 歌詞
 4,7月17日 「ボーイズ・オン・ザ・ラン」 馬場英俊 You Tube 歌詞

 読み返すと、わずかな期間に驚くほど自分の気分が移り変わっていることに気がつく。実験的にやってみたのだけれど、ここまで露骨に結果に出ると、ふだん気づかないふりをしてる自分の性分を思い知らされる。

 1,ミスチルの活動再開時、終わりなき旅ではなく、この曲をシングルA面にするつもりだったそう。不意に口ずさんでしまう時がある。 2,このところサンボマスターに打ちのめされてる。歌声よおこれ、光のロック、愛しさと心の壁、世界はそれを愛と呼ぶんだぜ、etc、、、 3,世代間格差を感じるのは、音楽とマンガの話ですれ違う時。ブルハはもはや僕らの世代でギリギリなんだろう。 4,僕にとっての、MEGA PEACE隠れテーマソング。ほんと、ずっと聞いてた。

 歌シリーズの最後に、メガピvol.1.5のリコーダーズのPV(byよか)で気に入った、奥田民生「イージュー★ライダー」。 You Tube 歌詞

 「名曲をテープに吹き込んで あの向こうの もっと向こうへ」。最近はそんな気分。いい調子になってきた。

 【フォト】 昨日の大隈講堂。
2008年7月17日

ボーイズ・オン・ザ・ラン


 昨日、自己表現論のラストのラストで、僕の想いを語らせてもらった。テーマは「大学時代につかんだもの」。あまり考えなしに喋ったぶんだけ、僕が想い続けてきたことがシンプルに伝えられたのかなと思う。何人かが声をかけてくれ、その中の何人かとは深い話もすることができた。たぶん、あれが僕の大学時代のまとめなんだと思う。

 大学1~4年は、政友会での活動を除けば、本ばかり読んでいる日々だった。ある人の言葉を真似れば、本を読んで、酒を飲んで、そして人と語ってきた。そうして小さなものを拾い続けていたら、いつしか自分なりの「核」のようなものができていた。それを原動力にして5年目を駆け抜けた。

 一巡して、いまは再び落ち着いた時期に戻っている気がする。周りから見ると派手に見えるのかもしれないけれど、僕はものすごく地道な作業を日々していると思う。読んでいる本にしても今すぐ役立つようなものばかりではない。でも、それでいい。次なる目標地点は、7年くらい先にある。

 人生は打率だ。僕はバットを握りしめて、静かに振り続ける。なかなかヒットに結びつくことはない。それでも、僕は十分に耐えて生きていくだけの力をつけた。打順を待ち、時が来たらバッターボックスに立つ。たくさんの人の顔を思い浮かべながら、僕は迷うことなくバットを振り続ける。いつかホームランになることを信じて。

 「でもオレは次の球をいつだって本気で狙ってる いつかダイヤモンドをグルグル周りホームイン そして大観衆にピース!」

 わりと最悪だった時期、一人暮らしの部屋でこの一節を聞くたびに涙し、励まされてきた。そして、その約1年後にMEGA PEACE vol.1が生まれた。どんな道が僕を待っているのかは分からないけれど、次に心からの「ピース」ができる日を想いながら、僕はただひたすらに走り続ける。

 Hey, Boys do it, Do it, Do it, Do it, Boys...
 Hey, Boys do it, Do it, Do it, Do it, Boys... I Like You!


 【フォト】 世一が声をかけてくれて、海くんと藤本っちゃんとの四人で、村松っちゃんの働く洋菜OEuf(ウッフ)でランチを食べた。とても美味しい。村松っちゃんは今月限りで辞めてしまうそうなので、行くつもりだった人はお早めに(たしか火曜と木曜だったはず)。
2008年7月15日

情熱の薔薇

 夜中の2時を回る頃、油麺の「麺珍亭」へと向かう。足し算をすると今年で100歳になる4人。およそ早稲田を歩くのに似つかわしくないおっさん達。満足した帰り道、神田川に沿って「チェリー」を、「大地讃唱」を、「あのスバ」を、アカペラサークルみたいに合唱しながら歩いた。

 村上春樹に、たしかエッセイだったと思うのだけれど、時々出てくる「小確幸」って言葉がある。小さい、でも確かな、幸せ。日常の中にある些細な幸せ。午後2時のビールよりも、もっと小さな幸せ。そんな意味だったと思う。当時の僕は「しゃらくせーこと言うなぁ」くらいに思っていたのだけれど、今はその大切さがよく分かる。

 20年くらい前に、「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう」と叫ぶ少年がいた。はじめてそれを聞いた時は、不幸せまで集める理由が分からなかった。でも、今はその大切さがすこし分かる。

 大学1年の真夜中、中野にある平和の森公園にヘタクソなギターを担いでいって、政友会の仲間たちとモンパチを歌った。大学5年の深夜、清野とグランド坂を裸足で駆け上がりながらブルーハーツを歌った。100歳の男達が渋いハーモニーを重ねる中、僕はそんなことを思い出していた。

 しんどいことばかりに目を向けると、そこに映る世界には悲惨なことしか起きてないような気になる。実際、そういう世界はあるのだと思う。でも、僕の周りは違う。小粒なものから、一抱えあるものまで、幸せがたくさん転がってる。

 もちろん、しんどいこともないわけじゃない。でもそれもひっくるめて、目に映るものすべてをひとつひとつていねいに拾い集めていかなきゃと思う。僕は未だ、ぜんっぜん幸せな場所にいるのだから。

 「花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方」

 乾涸らびそうになるたび、音楽はいつも僕の心を潤してくれる。肩肘張らずに、出会うものすべてを素直に受け入れ、重みを感じていきたい。

 【フォト】 メガピvol.1.5の打ち上げにて。本当はドンペリのはずだった八海山(僕の手配ミスにより)。「慶」太の字が間違ってるよね(ごめんよ)。
2008年7月14日

美しき人間の日々


 昨晩日付が変わってから、ある後輩と「冷静と情熱の間」に座ってビールを空けた。夏の夜は僕が好きな時間のひとつだ。3年前には「端麗グリーンラベル」が横にあって、2年前には「Heineken」がいつも隣にあった。物思いにふけることが多いこの頃は、ひとつひとつの物事にまつわるストーリーに敏感になる。

 彼は将来に対する不安を語っていた。自分の中途半端さ、人と違う道を行くことへの恐れ。「どうすればいいのだろう」という不安げな表情。答えを出すこともなく、行動に移しきることもなく、不安を不安のまま僕にぶつける彼は、今の僕からすれば、自分の人生を曖昧なまま扱いすぎているように感じられた。

 僕は彼に語っていた。僕は、溜め息はつくけれど、不安にはあまりならない。不安がないと言えば嘘になる。でもそれを語っても仕方がない。人生は打率だ。その道の長さに溜め息が漏れることはあっても、ただ自分の信じたフォームで黙々とボールを打ち返すだけだ。いつかヒットが、ホームランが出ることに賭けて。

 ずいぶんと厳しいことを言っていたように思う。自分だって彼の学年の頃はもっと単純な夢追い人だったのに。「1日24時間あるうちの23時間55分はため息だっていい」、なんて話しながら、俺はいつからこんなにストイックになったんだろうと思わず笑ってしまった。

 「それでも 本当の事は それでも わからないの」

 それでも。残りの300秒を糧に日々をやり過ごしていく。

 【フォト】 毎年思うのだけれど、夏の盛りはいつの間にかやってきて、気がつかないうちに過ぎ去ってしまうんだよなぁ。。。
2008年7月13日

prism


 暑い。今夜はふらっと海にでも行こうかと考える。何年か前の夏によく、鎌倉と湘南の間を走る江ノ電沿線、特に由比ヶ浜の山から海へ抜けるあたりを目指して、文庫本一冊をポケットに突っ込んで小田急線に乗った。昔は思い立ったら迷わず行動していたのだけれど、今は「いや、でも仕事が……」という思いが先に来る。

 大学在学中を振り返って(籍は今も置いているが)、映画みたいな日々だったなと思う。それはたぶん、本当に映画みたいな日々を過ごしていたからなのだろう。最近の僕の生活は、詩は生み出せても、映画になることはないだろう。自由は失われ、他者とのコミュニケーションが決定的に欠けている。

 たぶん、そう感じる時にこそ文学は必要なのだろう。ビジネスで人と相対峙する時には仮面をかぶらざるをえない。でも小説の登場人物に対して仮面をかぶる必要はない。だから、ふだん見過ごしてきた自分の心の表情が、はっきりと見える。「仮面をつけた姿が だんだん様になってゆく」のに気がつける。

 海へ行く代わりに、1号館前のベンチに横たわってジョンが教えてくれた小説を読んでいた。真夏の木陰で山田詠美。滋養豊富な『風味絶佳』。この作品を書ける作者が、またこういう感覚で生きられる人が、心底羨ましいと思った。内心くだらないと自嘲しながらビジネス書を読み続けていた分だけ、この一冊から感じることが大きかったのかもしれない。

 僕は仮面を剥いで生きていきたい。信条は、生活と仕事の一致だ。いつかそうなることを目指して、今日もビジネスの世界を走ろう。


 【フォト】 昨夜、銀座の某ワイン屋主宰のパーティーにて。ご招待いただいたこのパーティー、ワインはもちろん美味かったのだけれど、それ以上にご令嬢と大坂くんとの絡みが最高のつまみだった。
2008年7月11日

新規事業とスタッフ募集


 3月末頃から、新規事業の立ち上げをしている。とある中堅企業の社内ベンチャーとしての扱いながら、僕とジョンが実質的な戦略部分の中心スタッフとなり、コンサルタントをチームに入れて、会社の資産を使って自由にやらせてもらっている。ウェブ上でこのこと触れるのははじめてだと思うので、ざっと説明してみたい。

 事業内容は、一言でいえば「日本版ホームスクールの支援」というもの(参考:Wikipedia「ホームスクーリング」)。学校に行かない・行けない若者達を、在宅で学習面を中心に支援しようという事業。狙いは「学校以外の教育ルート」をポジティブな選択肢として日本につくること。「学校以外の教育ルート」に関しては僕の読書メモふたつ(「笑う不登校」「子どもは家庭でじゅうぶん育つ」)も参考にしてほしい。

 価格を抑えてスタッフには半ばボランティア的に働いてもらっている道塾とは違い、新規事業はガチのビジネスとして立ち上げている。予算も人件費も道塾とは比べものにならない分、サービスの値段もそれなり。今は事業を回す仕組みを整えながら、実験的なサービスを行っている状態。

 ホームページを来週にも公開する予定なのだけれど(既にほぼ完成していて、テストサーバーにアップ済み)、今日は正式オープンへ向けたスタッフの募集について。以下、その要項。

 仕事内容は、1パソコンを使った事務作業、2電話対応、を主として色々。思いつく要件は、1向上心があること、2有能であること、の二点。2について補足しておくと、僕とジョンが(相変わらず)かなり無能なために、一緒にやってくれている仲間に迷惑をかけているので、その分を補ってくれる着実な仕事ができる人がほしい、という意味です。笑

 8月~9月はがっつり入れる人を募集します。給与は文句ないくらいは出すけれど、それよりも「経験」「楽しさ」重視でやってくれる人を求めています。新規事業を成功させるための、一緒に燃えていける仲間として迎えたいので。

 興味ある人には詳細な事業内容・仕事内容を送ります。募集人数は一人ないし二人。細かいことはいくらでも相談に乗れるので、とりあえず話を聞いてみたいという人は気軽に連絡を下さい。

---------------------

 ちなみに。

 「学校以外の教育ルート」をポジティブな選択肢として日本につくること、という狙いに関して言えば新規事業も道塾も同じ。違うのは道塾は「独学支援」の要素が強く、「上昇志向のある人間に安価な教育サポートを提供する」という点。

 予備校はその効果からすれば正規の費用はぼったくりとしか言いようがない。本人にやる気さえあればその数分の一の予算で、独学だけで圧倒的に成績を伸ばすことができるというのを、現在データと共に証明しようとしている。

 既存事業での経験を元にこの事業を立ち上げている今、そのせいで道塾の展開が遅くなってしまっている。新規事業が公開までこぎ着けたら一段落つくので、ホームページの更新・リニューアルをはじめ、安心して入塾してもらえる事業にしていきたいと思っている。

 このところ道塾について語っていなかったからサボってると思われそうだけれど(笑)、仕事自体は日々ちゃんとやってます。受験生には休みも何もないので。

 受験生へ。オープンキャンパスに合わせてイベントをやる予定。今のところ塾生限定なのだけれど、それ以外でも要望があれば考えたいと思っているので、興味のある受験生は早めに連絡をしてほしい。


 【フォト】ジョンがchuする0.5秒前。(17:37訂正 これは世界平和語ってる時だった。本物はこっち でした。笑 ジョンに怒られたら消すよ!)

で、昨日、その戸塚ちゃんからこんなメールが。

馬場さん、夜遅くにすいません(>_<)馬場さんのブログを読んでコメントを書いたんですがどうにもこうにもアップできません。なので直接送ります。

↓↓
あの鐘を歌ったとき、
みんなが円になって、客席には誰もいなくて、みんなが笑顔で歌っていて、なんだかすごく幸せで安心しました。
馬場さんたちが始めたことを、想いを、理想を、自分はただただ終わらせたくなかったんだ、と自然にふっと感じました。
馬場さん、メガピはすごいよ!!!!
馬場さん、おいらエンジン全開だよーーー!!!!
vol.2 に向けて走り出します。見ていてあぶなかっかしいと思うし、イライラするかもしれないし、不安だと思うけど、もうちょっと見守ってください!
まりやちゃんがメガピ前日に「メガピは利害関係のない人間関係ですよね」ってぽろっと言いました。すごく嬉しかった。


 書き込めないことが時々あるみたいで申し訳ない(連絡ください)。返信は原則しないことにしているのだけれど、コメント・スター(ビール)共にめっちゃ嬉しく感じています。みんな、いつもありがとう。メガピは最高だ。12月へ向けて、実は今が大事な時だと思います。応援してます。頑張ってね。
2008年7月10日

MEGA PEACE vol.1.5


 MEGA PEACE vol.1.5が終わった。タイトル通り12月のvol.2へのステップという位置づけの今回の企画。傍から見る感じで参加していた僕は、正直言って期待よりも不安の方が大きかった。でも、そんなものは完全に余計なお世話で。1日目のラスト、「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌っているたくさんの笑顔を見た時、最高だ、とただそれだけを感じた。

 すこし前に星野ちゃんの「学芸会」という言葉を聞いてから、MEGA PEACEというのは「大人の学芸会」だと思うようになっていた。来る人は、だいたい誰かの友達や家族。そうじゃない学生イベントがそもそも少ない中で、それを受け入れてあえて特徴にしてしまう。「内輪のイベントだね」という批判を真っ向から捕らえて投げ返す。それが参加型の音楽祭であるMEGA PEACEの強みだと思う。

 どこまで内輪で、どこからが輪の外かだなんて、現実に区別することはできない。たぶん、そこにいる人が「受け入れられている」と感じられれば内輪になるんじゃないかな。「ほら、その線なんて超えてこっちおいでよ」という声が届けば、その境界線を飛び越えることはできる。一度飛び越えてしまえば、それが大したものじゃないことに気がつける。

 昨晩、大学一年の頃に出会った友達に電話をかけた。大学の二年目に京都に移籍してからはあまり話す機会がなかったが、4月から働きはじめた彼と「利害のない時代の付き合いって、ほんとかけがえないよな」って話していたら、どういうわけかぐっと来て涙が出そうになった。あの頃の何でもない瞬間を、青春ドラマの1コマのように感じて。

 ビジネスの世界に片足を突っ込んでみてつくづく思うのは、利害とか縄張りから生まれる「所属」の存在。会社なんてその代表格だ。たぶんそれが当たり前なんだと思う。でも、その「当たり前」の状況って、実は当たり前じゃないんだ。メガピ「また明日」チームのムービーにあったように、僕らの間には「本質的な違いはない」という感覚がどこかにはあって、それを感じた時、理屈抜きで心が震える。

 そのことをMEGA PEACEは気がつかせてくれる。学生にはあまり利害の意識がないから(それが学生時代のいちばん大切なことだ)、本当にこれを必要としているのは、ビジネスの世界で喉がからからに渇いている大人たちなんじゃないかな、と思う。MEGA PEACEがなければ、昨日の夜、僕が懐かしい友人に電話することはなかっただろうから。

 ジョンの言うように、5分でいいから、ビジネスマンも、学生も、赤ちゃんもじーさんばーさんも、みんなが利害抜きの人間関係で、互いを感じられる瞬間があればいい。この地上すべてが舞台の学芸会が、たった5分でも行われれば、僕らの世界の感じ方はもう少し変わる。肩を組み円になって「あの鐘」を歌うみんなを見た時、それをあらためて確信した。

 MEGA PEACEの二日目が終わって会場を出る時、辻さんという7年生のお母さんが、「こんな空気を感じるのはひさしぶりで、大きな声で歌っていたら、なんだか涙が出ちゃったわ」と話してくれた。青春ドラマは取り戻せない時間のようで、一歩踏み出せばいつだってすぐそこにある。現実には大変なことがたくさんあるだろうけれど、そういう声が存在することを自信にして、より素敵なvol.2へと走り続けてほしいなと思う。


 【フォト】 メガピ終了後、隈前に集まる直前の、強い女の子たち。男は泣いてばかりだった。笑 みんなおつかれさまでした。そしてありがとう!
2008年7月7日

キーワードとスタイル化


 この一連のエントリーのはじめの「スタイル化の技術」において僕は、「スタイル化とは、世界にただ一人しかいない自分自身にぴったりのフォームを探り続ける、ということだ」と書いた。

 スタイルとは、その人に固有のものだ。英語だとか、ロジカルシンキングだとか、それをWHATにしようとする人がいるけれど、それは単なるツールに過ぎない。ツールは自分のスタイル作りに役立ちはしても、スタイルを決定づけるものにはならない。

 世界にただ一人しかいない「自分」が何(=「WHAT」)のスタイルを選ぶのかについては、自分自身と関連づけるしかない。具体的には僕の話をすることになるのだけれど、それは長くなるから後ですることにして。昨日は選んだスタイルによる中長期的な影響について書いた。今日はそのスタイルをどのように選ぶのかについて、つまりHOWの部分の話をしてみたい。

 スタイルの元になるのは、あくまで自分固有の物語(=ストーリー)だ。だいたいそれは、冷凍庫で凍っている。まずそれをしっかりと温めることからはじまる。そうして溶け出したストーリーをさらに熱し続けて、固形物だけを取り出す。その固形物とは、自分の核となるキーワード群のかたまりだ。

 キーワード群を取り出したら、次はそれをふるいにかける。それでも残るのがその時の自分のキーワードだ。このキーワードをしっかりと取り出すことが大切だ。これがスタイル化の核になる。僕はだいたいいつでもキーワードを5~7個くらいをストックしておくようにしている。

 もう少し具体的に述べれば、僕は自分というストーリーを人と語ることで「温め」、文章に書くことで「結晶化させ」、時という「ふるいにかける」という一連の作業を経て抽出している。いちど抽出してしまえば冷凍庫に入れずともストックしておける。

 キーワードという使いやすい形にして、いつでも手元にストックしておく。そうすることで、そのキーワードに近いものに出会った時にすぐさま反応できる。次第にそのキーワードを中心とした新しいストーリーができる。そして然るべき時にまた抽出の作業を行う。

 繰り返し行われて抽出されたキーワード。そのいくつかを組み合わせることで、世界に自分だけと自信を持って語れるスタイルを確保する。これが僕のスタイル化のやり方だ。

 自分の指向性や専門性や人間関係を拠り所に「自分にしか生み出せない価値」(さまざまな要素からなる複合技)を定義して常に情報を発信していくこと(ブログが名刺になるくらいに。自分にとって大切ないくつかのキーワードの組み合わせで検索すると自分のエントリーが上位に並ぶようなイメージ)。(梅田望夫『ウェブ時代をゆく』 P102)

 僕がどのようなキーワードをストックしているのかについては、ここでは触れない。正直に言えばまだ自信を持って語れないのだ。でも僕の人生を知り、このblogを注意深く読んでいる人であれば、ある程度は察することができるのではないかと思う。

 僕自身、だいたいの道筋は見えている。これから新しい経験をして、人と語り、こうしてblogを書き、そして時を経ることで、僕のスタイルは少しずつ確固たるものになっていくと思う。すくなくとも、この一連のエントリーを書き終える頃には、多少なりとも自信の持てるスタイルを確立させていたい。

 僕のスタイル化のやり方が、こうして読んでくれているあなたをはじめ、誰かの役に立つのかは分からない。たぶん、ひとりひとりやり方は違うのだろう。ただ最近「スタイル化の名手」とたびたび出会うようになり、そうした人々が共通して「生の推進力」のようなものを持っていることは確かだと感じている。

 【フォト】 中に入れなかった井上雄彦展。スタイル化の極致。。。
2008年7月6日

スタイルと未来の自分


 昨日のスタイル化の技術の話の続き。

 そもそもなぜスタイルを選ぶことが必要なのかといえば、それなしには僕らは(すくなくとも僕は)その時々の気分に流されてしまうからだ。感情の奴隷にならないため、理性による自由を得るのがスタイル化だと思ってる。

 その上で今日は、あるスタイルを選び取ることが、長いスパンでどのように自分に影響を及ぼすのか、ということについての僕の考え。

 昔の話をしよう。

 中学2年の頃、ゲームセンターで遊んでいたら7万円の入った財布を拾った。僕はすぐさまポケットに突っ込んで店の奥にある便所へと向かった。中身を抜いて、カードと財布はゴミ箱に捨てた。一緒にいた仲間と二人で等分し、僕らはそのままゲームを続けた。

 すこしして二十歳くらいのヤンキー風の兄ちゃんがやってきた。焦った様子で「ここに財布落ちてなかったか?」と聞いてきた。僕はすこし胸をドキドキさせながらも、きょとんとした顔を装って、いえ知らないっすよ、と答えた。人相の割に人の良さそうな彼は、辺りをすこし探してから店を出ていった。

 確信を持っていえるけれど、今の僕は昔と同じ行動を取らない。そうした生き方をしないとは思わないからだ。倫理的にというよりも、あくまで戦略的に、僕のスタイルとして然るべき場所へ届ける。

 後になって、かっこ悪い行動をしたな、と振り返りたくないという気持ちもある。が、それ以上に僕をそうした行動へと促すのは、ひとつひとつの行動の積み重ねが「自分」を形づくっていくと思うからだ。

 スタイルの真価は、中学生だった僕が7万もの大金を拾った時のような、思いがけない偶然の瞬間にこそ試される。その時にスタイルに沿った行動ができるか否かは、日常の些細な行動の積み重ねによって決まる。それは野球のバッターがプロになっても地道に素振りを続けることに似ている。

 僕らはふだん過去の自分の経験からその時の選択肢を選ぼうとする。そうではなくて、あえて未来にいる想像上の自分から、現在の自分を選び取る。1年後、5年後、10年後、30年後に理想とする自分から振り返るようにして、今この瞬間の選択を決定する。

 その選択が、未来の自分を形づくっていく。思い描いた理想へと近づけていく。それがスタイルの力だ。

 未来から振り返って今を考えることは、自分が何かをする時に必要か必要でないかを判断するのにも役に立つ。1年後にもこれは必要か? と問えば、たいていのことは省ける。ゴミ捨てのような身近なことから、一生を左右する重大な決断においても、僕はそれをいつも自分に問うようにしている。

 その時に、それでも必要だと確信したものは、僕は絶対に譲らない。スタイルを貫くとはそういうことだ。


 【フォト】 MEGA PEACE vol.1.5、本日開幕。6(日)は16:00開演(15:30開場)、7(月)は17:30開演(17:00開場)で、場所は小野梓記念講堂(大隈講堂横の建物の、地下二階にあるホール)。僕はいち参加者として歌います。会場のサイズからしても、アットホームな空間になればいいなと思って舞台に立ちます。よかったら、ぜひ。
2008年7月5日

スタイル化の技術


 この数ヶ月間ものすごく意識してきたのが、自分をどのようなスタイルにするかということ。野球で言えばバッティングフォーム。自分がどのバットを握り、どのような姿勢で、どれくらいのスタンスで、どのような意識を持ってボールを打つのか。つまり自分がどのようなスタイルでバッターボックスに立つのか。

 選び取ったスタイル次第で、未来の結果は自ずと決まる。

 なぜなら確固たるスタイルを保てば、あとの物事は確率の問題だからだ。人事を尽くして天命を待つ。十数年前に祖父に言われて以来、ずっと僕のどこかで生き続けている思想だけれど、尽くせる人事の方向性を決めるのがスタイル化ということだと思ってる。

 もちろんスタイルの変更をすることはある。でも基本的には一度それと決めたら行けるところまでとことん突っ走る。それがスタイル化のルールだ。プロ野球の選手だって、シーズン中に何度もバッティングフォームを変えたりはしない。よほどひどい時を除けば。

 このスタイル化について口やかましく繰り返していうのが、僕がよく引き合いに出す梅田望夫。数日前にすばらしい講演録がアップされたから、興味があれば目を通すといいと思う。彼自身がどのように自分のスタイルを形作ってきたかについては著書『ウェブ時代をゆく』を参照。

 彼は「個の固有性に意識的に生きる」と語る。今日の小飼弾も、そのことを別の角度から書評として述べていた。

 「自分を知り、自分自身であることは、口で言うほど簡単なことではない。もし簡単なら、これほど多くの人がが借り物のポーズで歩きまわり、どこかで聞いてきたような考え方をまくしたて、集団からはみだすことを恐れて、必死に社会に適合しようとしているはずがない。」 (「リーダーになる P101」)

 スタイル化とは、世界にただ一人しかいない自分自身にぴったりのフォームを探り続ける、ということだ。梅田望夫には梅田望夫の、小飼弾にはDan Kogaiの、そして僕には僕のスタイルがある。人は変わり続けるから、スタイルも変わり続ける。でも僕がスタイル化し続けることだけは変わらないだろう。

 スタイル化の基本要素を大きく分けると、1,中長期的に何を自分のスタイルとして選び取るのか、 2,選び取ったスタイルを徹底するために、どのように24時間を生きるのか、という2点に集約されると思ってる。詳しいことはこれから少しずつ書いていこう。


【フォト】 同室人のコテツ君。水泳の授業前。彼のスタイルは、野獣。「ばばちゃんより本を読んだら俺無敵じゃん」というので、「コテツ君より筋肉ついたら俺無敵じゃん」と言い返す。現在、平山ビルでは体脂肪率レースが開催中。
2008年7月4日

耳を澄ませ、目を凝らせ

 2年くらい前に「想いのメディア」という企画を立ち上げた。僕と庄司でアイデアを練って、声をかけて集まったのが甲斐孝太郎、杉山啓太、逸見康成の3人。大隈庭園に寝っ転がって話し合いを重ねたのが懐かしい。「こぶしを握りしめた男」ですこし触れた通り、人が何を握りしめているかに敏感になりたい、というのが当時の想いだった。

 この企画は結局うまくいかず立ち消えになってしまう。でも実はいまMEGA PEACE7月企画の統括をしている星野ちゃんが1週間授業を切って走り回ってくれたおかげで、昨年12月のMEGA PEACEの当日パンフレットへと形を変えて結実した。今日のタイトルは、その「想いのメディア」を立ち上げた頃、とても大切にしていたフレーズ。


 そうは見えないと思うのだけれど、僕はこのところ他者との距離感がうまくつかめずにいた。自分が声を出しても、どこにも響かないように感じていた。周りとの間に薄い膜があって、それがすべてを遮っているような・・・。

 「耳を澄ませ、目を凝らせ」と言いはじめてから時間が経ち、そのことを伝えようとするあまり、僕自身が耳を澄ませたり目を凝らしたりすることを長い間忘れていたように思う。僕は語りすぎていた。想いのメディアを、メガピースを、道塾を、教育を、それらに賭ける想いを伝えようと喋りすぎた僕の喉は、からっからに渇いていた。

 僕の声を遮っている膜の存在に、最近ようやく気がついた。ずいぶんと時間がかかったが、それくらい僕が周りを見えていなかったということなのだろう。

 今まであった膜を取り払って、周りに意識を向ける。他者と真正面から向かってみる。すると、今まで気がつかなかったものが見えてくる。聞こえてくる。

 耳を澄ませば聞こえてくる相手の響き。目を凝らせば見えてくる相手のしぐさ。声にならない声、流れない涙。僕はこうしたものを聞き流し、見逃していたのかと思い、はっとする。

 あやうく干からびて倒れるところだった。でも、今回もどうにか乗り越えられそうだ。一時沈みかけていた調子が、また本調子に戻りつつあることに気がつく。

 みんな、僕にまたいろんな声を聞かせてください。いろんな表情を見せて下さい。それが僕の生きるための水であり、楽しみなんだ。


【フォト】 井上雄彦の「最後のマンガ展」に行こうとしたのだけれど、平日の昼間にも関わらず1時間以上待つということで悔しいが諦めた。その時に上野公園で見かけた猫、は実に神々しかった・・・。