2010年4月14日

青年よ、悩みを抱け。

昨夜遅く、とあるスタッフと話していた。端的に言えば、彼は悩んでいた。人生で初めてぶつかる問題を前に、過去を振り返って自分の内を探しても答えは出てこない。それをよくある青春の悩みと一笑に付すこともできるけれど、一度きりの人生においては誰にとってもかけがえのない経験だ。

僕にも悩んだ時期はあった。人にほとんど相談しなかったのは無駄なプライドが邪魔したせいだろう。その代わり読書を通じて乗り越えようと一人でもがいていた。そうして一時期のめり込んだのがビルドゥングス・ロマン(教養小説)だった。教養や教育と訳されるドイツ語のbildungだが、この場合は「自己形成」という方がしっくりくる。

他者に誇示するための衒学的な「教養」ではなく、自分が生きるための血肉となる教養。そうした意味で「教養小説」と呼ばれる一群の物語を、ある時期の僕は強く求めた。その過程で出会ったのがサマセット・モーム『人間の絆』であり、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』であり、あるいは五木寛之『青春の門』であった。自分の成長を彼らに仮託して貪り読んだ。

本気で悩めることは幸福だ。日々の仕事をやっていくの中で、あの頃のように自分のことで思い悩むことは少なくなった。いつの頃からか、悩みを自分固有のものとして引き受けつつも、それを客観的に眺めて解決するスキルを身につけた。それは物事を手早く処理するために必要な能力だった。ただ、それが良いことなのかは未だ分からない。

そうした今の自分と比べると、彼が真摯に悩む姿が羨ましく思えた。青年よ、悩みを抱け。そうして抱えた苦悩のサイズだけ、君という人間の器と可能性を拡げていく。悩め。悩め。もっと悩め。悩み抜いたその末にこそ、進むべき道を発見できるから。


「青年よ、悩みを抱け。それは金銭に対してではなく、自己の利益に対してでもなくまた世人が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。人間が人間として当然身につけるべきすべてのものを身につけることに対して、青年よ、悩みを抱け。」
クラーク先生をもじって。
2010年4月13日

仲間が増えていく 左手は添えるだけ。

自分には「仲間」がいない。そう自覚したのはいつのことだったろう。高校生の頃に何度となく読み返したスラムダンクのせいかもしれない。あるいは「竜馬がゆく」だったか。いずれにせよ、高校を辞めた頃の僕は、「自分は間違っていない」と思いながら、同年代の友人たちに対するコンプレックスと戦っていた。

大学生活では無意識のうちに「仲間」を強く求めていた。入ったサークルの先輩たちに憧れ、彼らのような関係性を築こうと努めた。それはたやすく手に入るものではなかったが、大学の5年目を終えた頃にはこれ以上の大学生活はなかっただろうと言えるくらい、素晴らしい仲間に恵まれた日々を送ることができた。

そして今。「第二幕」がはじまって2年以上が経ち、僕は道塾ではたらく仲間と共に日々を過ごしている。当たり前すぎて忘れてしまうこともあるが、ふとした時に「仲間」と言える人間と共に仕事をできることの幸せに気がつく。

仲間は友達と違う。本気でビジネスをやっていればぶつかることもある。不完全な人間が集う組織においては当たり前のことだ。でも目指した場所が正しいことを信じ、そのために全力を尽くす過程でぶつかることは、互いのことを知る過程に過ぎない。

人は、相手を信じたい。ぶつかるのは相手を信じるに足る理由を探しているからだ。ぶつかり合いの末に相手を信じると覚悟できた時、僕らは「仲間」という領域に踏み出せるのだと思う。

僕の人生のバイブル、スラムダンク。その最後の巻まで、桜木花道と流川楓は仲間ではなかった。でも、最後の最後で信じてパスをする。「左手は添えるだけ」。魂を込めたボールを、信じて相手に渡せること。そんな関係性を作っていきたい。
2010年4月12日

新しいシェアハウス 「まれびとハウス」

道塾PRスタッフの小野が新たに住み始めたまれびとハウスでの集い。東京の夜景が見える素晴らしく眺めの良い部屋で、昼から仕込んでいたという料理が振る舞われ、楽しい時間を過ごす。隣の部屋には別の団体がいて、真っ暗闇の中で目隠しをするワークショップのようなものをやっていた。

約3年前、道塾を立ち上げるのとほぼ同時にシェアハウスを借り、仲間を募ったのを思い出す。早稲田から徒歩1分、築40年のオンボロマンションの3,4階を6人で借りきり、僕は12畳の部屋に2人で住んでいた。家賃は光熱費をあわせて2万5千円。道塾はその部屋で生まれ育った。

当時、家賃を削らなければ生きていけないという金銭的な事情もあったが、「『日常レベルの誠実さ』を他者と共に暮らす中で身につける」という(いま思い返すと随分崇高な)目的もあった。それは未だ達成できていないけれど、あの家で暮らした2年間は、一人暮らしでは決して味わうことのない学びを多くできた。なにより、楽しかった。

若いうちは家賃をはじめとする固定費をできるだけ減らし、その分を自分が学びたいことに費やすのがいいと思う。それは僕にとって酒であり、本であった。ボロい家に住み、時には飯も食えないような状況でも、飲み語り合う相手はいて、読むべき書はいつもあった。

シェアハウスでは「学び」が自然発生的に起こる。共に住む人間との摩擦は生じるけれど、その摩擦自体を楽しめる心さえ持てば最高の環境だ。「まれびとハウス」は家も設備もリッチなので家賃が削られるわけではないが、その分だけ「学びの場」としての環境に優れている。この家が一つのモデルとなり、シェアハウスがどんどん増えれば面白い。

2010年4月11日

錐のように貫き通す「変さ」

いいな、と思う人を思い浮かべる。なぜ僕がそう感じるのだろう。突き詰めていくと、その答えの一つにその人が持つ「変さ」があるように思う。世間の常識に縛られないこと。それを超えて、己の哲学を貫き通す姿。

変人であること。その先で突き抜けること。若い人が僕の肩書きだけ見れば「変わった人」と思うのかもしれないが、自分はいつも「まとも」だと思ってきた。まとも過ぎる。まだまだ「変さ」が足りない。もっと変であることを突き詰めたい。

たとえば、僕がよく引き合いに出す梅田望夫。原点に当たれないので不確かな記憶だが、一見まともに思えるこの人は、自分が希望して入った会社の入社式や新人研修をすべて欠席したはず。それが正しいかどうかはともかく、そうした「貫き通す姿勢」があるからこそ今の彼があるのだろう。

日々は川の流れの中にいるようなものだと思う。様々なものと摩擦を起こす中で、自分の角はなくなり、すべすべした石になっていく。でも、川の流れに自覚的であることで、ある一点を尖らせることもできる。

分かりやすく「変」である必要はない。でも、ある一点において自分の流儀を貫き通せる強さを持ちたい。錐のように尖り、どんな硬いものでも突き刺せる「変さ」を持つこと。それは僕にとって何なのか。まだまだ模索する日々。


最近見つけた、変な人を起点にして社会運動が起こる動画。変さのフォロワーの偉大さ。
2010年4月10日

生き延びた奇人と出逢う

「子どもの頃から、周囲と同じではなかった。みんなが夢中になる話題と合わせてはいたが、本当に愛するものは別のところにあった。意識の中で感じられる質感「クオリア」の問題に目覚め、取り組みはじめてからは、脳科学の通常の研究スタイルとからさえ距離を置かざるを得なかった。」
(茂木健一郎『文明の星時間』p237)

茂木健一郎というとモジャモジャ頭で「クオリア」とか「アハ体験!」と叫び、よく分からないけど頭が良いらしい「変なおっさん」というのが一般的なイメージだろう。4億円の税をうっかり申告漏れするところも「変さ」を際だたせる。

最近、久しぶりに彼の著書をいくつか続けて読んだ。それで感じたのは、多くの本を出しテレビにも頻繁に出演している割に、彼の真意は伝わるべき人に伝わっていないのではないかということ。「脳」に興味を持つ4,50の主婦層がコアなファンらしいが、彼女たちに占有させておくのはもったいない。

茂木健一郎は多くの人が想像するような「奇人」で正しいのだろう。だが、この国では奇人でありながら生き延びるのはかなり難しい。奇人であることに悩み続け、その葛藤を学び続けることで克服した男。僕らはそうしたロールモデルを必要しているのではないか。

「はたして、私たち日本人の生き方は普遍性を持ちうるのか。日本の中に、価値あふれるなにかはあるのだろうか。そんなことをずっと考えながら生きてきた。本書で展開してきた議論は、日本を疑い、それでも日本人であることを離れられない私という人間の「魂の探究(ソウルサーチング)」を背景にしている。私は、なんとか日本の中に未来への希望の「種火」を見つけたいといつも思ってきたのである。」
(同『ひらめきの導火線』p153)

種火はここにある。でも、まだほとんどの人に気付かれていない。放っておけば自然と消えてしまう「種火」。僕はそれをどこから見ても一目で分かるような「燃え盛る炎」にしたい。それがあれば、そこにいる人すべてが暖かくなるような炎を起こしたい。そのために、僕らは薪をくべ続ける。
2010年4月9日

世界を変えたい若者をまた一人見つけた

過去に自分が歩んできた道のりの中でたまたま学ぶチャンスのなかった知識の欠如によって未来の可能性が縛られるのはたまらないと思う気持ちが強い起業家は、独学によって自ら道を切り開いていく。起業家精神と独学は不可分なものなのである。
「世界を変えたい」と語る塾生と話をした。でも、どうやって変えればいいのか分からない。「レールを走る過程で多くの人の目が死んでいくけれども、ほんとうに自分はこのまま大学受験を目指していいのか」。

問いかける彼の切実さに、どれだけの人が向き合えるだろうか。「とりあえず大学に行ってから考えよう」などという生ぬるい答えを、彼は決して許容しないだろう。

僕が彼に答える資格があるかは分からない。そう思いながら僕が答えたのは「学ぶことによって「自分の世界は広がる」ということ。まだ君は風呂場の手桶のような、あるいは浴槽くらいのサイズで思考している。

世界は海のように広い。解決すべき問題は山のようにあり、世界は君の意欲と知性を必要としている。まずは世界を知ること。その上で、自分がどの切り口から世界を変えられるのかを求めればいい。そのために必要なのは、学ぶこと。

いろいろ問題はあるにせよ、日本の受験システムは、世界を知るための第一歩としてはかなり優れた仕組みだと僕は思う。問題なのは、ただ暗記することだけに終始して、その先の世界を指し示してくれる人がいないことだ。

「世界を変えたい」と語る貴重な若者の志を、曲げず、すり減らさず、育てていくこと。いま求められているのは、そうした教育なのではないか。いたずらに大人が考える枠の中に押し込めようとするのではなく、一人ひとりが自然と持つ意欲を伸ばしていきたい。

学ぶことで自らを成長させ、新たな地平を開拓していく。結果として自分だけでなく、社会や世界がよりよくなることへ貢献する。そうした「学び続ける意志」を持ち、世界を変えていくロールモデルが必要なのだと思う。目指すべき方向を場所を指さし、道を切り開く姿を見せる人がいれば彼の志は失われずに済むのだと思う。

甚だ僭越なのを承知で言えば、僕はそうありたい。
2010年4月8日

「パソコン」の変化

ここ数日、メインのパソコンがやたらとフリーズするようになってしまったのでOSから再インストールした。一昔前はアプリケーションやら各種データや設定やらのバックアップに膨大な手間をかけていたが、今回はローカルのフォルダ一つをUSBに保存しておくだけで済んだ。

まっさらなWindows7に入れ直したソフトウェアはChrome、Firefox、オフィス、ATOK、iTunes、ノートン、Evernoteの7つだけ。アドオンや設定を自分用にチューンナップする時間を含めても、すべての作業が2時間足らずで終わり快適なパソコン環境を取り戻すことができた。「クラウド化」によってデータはネット上の「あちら側」に格納され、アプリケーションは主としてローカルとの同期のために使う。僕は既にそんな環境でパソコンを使っている。

今回インストールし直したのは7つだったが、やがてこれが5つになり、3つになり、そして1つになる時がいずれやってくるのだろう。端末は複雑さを減らし、シンプルになることで多くの人がストレスなく使えるようになっていく。これは素晴らしいことだ。

先日iPadの実物を見る機会があったが、その見やすさ、持ちやすさ、軽快さを感じ、これでようやく僕の母や祖父といった「マウス+キーボード」に不慣れな人でもウェブにアクセスできる時代がやってきたと確信した。iPadに関しては色々と言われているが、いずれにせよ今月末の発売が待ち遠しい。

僕がはじめてパソコンに触れた中学生の頃、この四角い箱はもっと大きく、それでいて複雑怪奇なものだった。その仕組みを理解し、紐解いていくこと自体が楽しみだった。もはやその時代は終わりつつあるのだろう。

最近は「パソコン」という言葉すら古くさく感じる。コンピューターは繋がり合い、共有され、Personalなものとは言い難くなった。それは旧時代の感覚を残す僕にとって少し切ないことでもあるのだけれど、この素晴らしい時代の変化を愛し、追い続けていきたいと思う。
2010年4月7日

ブリンカーを外す

小学校5年生くらいの頃、とある競走馬育成のゲームに熱中していた。そのゲーム内には「ブリンカー」という馬の視野を狭めて前だけを見えるようにするアイテムがあった。気性の荒い馬をレースに集中させるための人工的な矯正器具だった。

ゴールを目指し、速く走る。そうした日常生活の中で、ふとスピードを緩めて落ち着いてみると、気付かぬうちに「ブリンカー」に覆われている自分がいることに気がつく。視野を狭めることで目指すべきゴールに近づこうとしているが、自分が見るべき景色、拾うべき大切なものを取りこぼしているような哀しさを感じる。

大学時代は酒を飲むことに明け暮れていたが、そうした日々の中でも本を読み、人と語ることによって自分の世界を広げ、感性を磨くことだけは大切に守ってきたのだと思う。若すぎるゆえの誤解だとしても、人類や宇宙のレベルで思考すると同時に、目の前のささやかなものを大切にしようという意志があった。

日常から離れた場所に身を置いてみると「ブリンカー」をつけて走っている自分の異様さに気がつかされる。たしかに黒いマスクを頭からすっぽりと被って、勝つことだけを目的化した馬を見ていて格好いいと思ったことはなかった。競走馬は、確かに勝つために存在する。でも、その世界観を押し広げて行くと、一位になれない馬はすべて屠殺場行きになる。

草を食み、野山を駆ける中で自分らしい生き方を見つける。それぞれの道で自由に個性を発揮し、違ったペースで走る。そうした生き方を忘れずにいたい。大学受験においても、社会人になってからも、確かにレースは存在する。でも僕らはレースで勝つためだけに存在するわけではない。

古い友人と電話で話す中で、ブリンカーの中から見ていた世界がひどく醜いものに思えてきた穏やかな春の夜の話。
2010年4月6日

超・日本的経営

組織というのは見た目よりよほど複雑なもので、道塾くらいの小さな集団であっても一人のスーパースターによっては成り立たない。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツがどんな天才だと言われようと、日々の事業運営においては複数の人が協力して物事を進めているのだと僕は思っている。

彼の国においてはスーパーマン的な一人の天才が好まれる(らしい)のに対して、僕らが子どもの頃から好んで見てきたのは5人組の戦隊モノであり、やがてはスラムダンクやワン・ピースのように一人ひとりの個性を最大化させて戦う物語だった。

そこでは設定上の主人公はいるにせよ、一人の突出した才能ではなく個性の絡み合いによって話が進む。中学・高校と部活にも属さず「組織」というものが大嫌いだと公言していた僕は、一方で「仲間」という人間関係への憧れを心の内に秘めていた。

翻って、今。外から見ると道塾は僕が引っ張っているように見えるかもしれない。でも、内側で働いている人は知っての通り、この組織の経営は絶妙なバランスの上に成り立っている。それは僕やジョン、みっちゃんに加えて、今年の1月にメンバー入りした庄司によって基本的な形が整ったと思う。

ベンチャーは概して天才的創業者のような人間が持て囃される。だが、まだ未経験で未成熟な僕にそんな力はない。けれども、この4人を一人のスーパースターとして捉えれば「天才的経営者」と呼んでもいいのかもしれない。少なくとも、いつかその日はやってくるだろうと僕は信じている。

もちろんその4人だけで成り立つはずもなく、詩音、シオメ、大谷さんの3人をはじめ、道塾ではたらくスタッフは、旅立っていった卒業者たちも含めて、誰一人として欠けていたら今のようになってはいない。その上で、皆が「4人からなるスーパースター」を信じて物語を進めていければ、きっと新しい経営の在り方が生まれるのではないかと思う。

そうした意味で僕がモデルとしているのはH2Oと呼ばれたスターバックスの経営陣。ハワード・シュルツ、ハワード・ビーハー、オーリン・スミスの3人(頭文字を取ってH2O=コーヒーに欠かせない「水」)が協力し、全従業員を大切にしながら、彼らの信頼を受けて事業を展開する在り方に心惹かれる。いわゆる「日本的経営」とも「アメリカ型経営」とも違った新しい組織成長の物語

経営の在り方なんて、そんな簡単に答えは出ない。でも道塾が一人ひとりの個性を最大限発揮し、スターバックスのような素晴らしい組織に成長していけるよう、僕は僕なりに全力を尽くしていきたい。
2010年4月5日

奇跡的な出逢い

道塾で使う教材を調べるため池袋のジュンク堂書店へ向かう。「どうやったら最短で合格できるか」を考えるのは精巧なパズルを解くようなものだ。そんなパズルを解いていると気付かぬ間に熱中し、あっという間に日が暮れた。

昼過ぎ頃から受験生と思しき人が増えてくる。手にとっては、棚に返す。それを繰り返す若者たち。その眼差しは真剣だ。彼らの視界の内には僕の本もある。そんな時、一人ひとりに声をかけてあげたいと思う。「その本を手に取って読んでみるといいよ!」。

大切なのは、出逢うべきものに出逢えるかどうか。振り返れば僕にとっても決定的な出逢いが幾つも積み重なり、今ここにいる。「それ」との出会いがなければ、今の自分はなかった。なぜ僕が「それ」をたぐり寄せられたのか。誰もができているわけではないだろう。自分の奇跡に感謝する他ない。

ネットが広がり個人の可能性は大きくなったかのように見える。だが、数万冊はあるであろうジュンク堂の参考書コーナーの中で感じたのは、自分の可能性をたぐり寄せることの難しさ。でも、希望がないわけじゃない。

ジュンク堂の参考書コーナーという世界に限れば、僕は彼らよりも多くを知っている。その場所から見ると、彼らの生きる視界の中には必ず「それ」がある。「それ」は彼らが手を伸ばすのを待っているかのように見える。大切なのは、無数にある候補の中から「それ」と出逢うことができるかどうか。

「それ」は押しつけられてもいけない。でも、偶然に任せているだけでは十分でない。その微妙なバランスを探りながら、彼らが出逢うべき何かに出逢える社会を作っていくこと。受験参考書だけではない。それはジュンク堂の参考書コーナーで解くよりも格段に複雑なパズルだが、それになら人生を賭けられるかもしれないと思った。
2010年4月4日

もののあはれ

千鳥ヶ淵には大学に入学してから毎年のように行っている。平日に行くことが多かったが、今年は母の誕生日にあわせて土曜に行ったため、天気の良さとも相まって経験したことのない人出。ほんとうに日本人は桜を好きなんだなぁと実感する。

毎年この時期に誕生日を迎える母曰く「すぐ散るから日本人は桜を好きなのよ」。本居宣長が明らかにした「もののあはれ」の精神がそこには脈打っているのだろう。長い冬を経てた春の素晴らしさを感じようと皆が押しかける。そこにもまた「もののあはれ」を感じる。

なんて書いているうちに「もののあはれ」を追求したくなってグーグルで検索すると色々なことが分かる。たとえば「春はただ花のひとへにさくばかり物のあはれは秋ぞまされる」(拾遺集)。なるほど、そういう捉え方もあるのか。

最近よく花について書いている。はじめは「可能態」としての受験生を表現するために使っていたが、次第に人生そのものを肯定する概念として僕の中に根を下ろしつつある。そんなことを思いながら桜の下で出会った一節。

「一般に、生物界におけるシグナルの強度は、そこに濃縮されたエネルギーに比例する。花は、植物が次世代を残すために全勢力を結集して咲かせるものである。そこには、生けるものの精励があり、もう戻ることのできない時間の流れがある。」(茂木健一郎「文明の星時間」p102)

目に見えるものはほんのわずかで、だからこそ儚く、尊い。日々の仕事は地味だからこそこの言葉に胸を打たれる。冬の時代を経て、やがて春が来る。どんな花が咲くかはその間にどれだけ「全勢力を結集」したかにかかっている。その日のために、今日も生きよう。
2010年4月3日

冬の時代を経て

約1ヶ月前の「ゆうどきネットワーク」放映の慰労会。いちばん右が元塾生の金安。道塾を立ち上げる前に一度会っていたから、もうかれこれ3年以上経つ。一人でやっていた頃は今と比べればシステムや指導法はひどいものだったけれど、その分だけ塾生一人ひとりと時間を取って関われていた。だから、当時の塾生のことはよく覚えている。金安はほんとうに変化し、成長した。人がこれほど変われるんだなということを目の当たりにする。

「金安はほんとうに変わったよなぁ。自分ではどう思う?」
「変わったと思います。かなり」
「当時の写真は危険すぎて放送で使えなかったもんなぁ。それと比べたら今は・・・」
「楽しいですね。あの頃には戻りたくない」

過去を茶化して話せるほどに成長した。その後、真ん中の③さんが言う。

「でも、この先はもっと辛いことがたくさんあるよ」

たぶんそうなのだろう。でも、この先どれだけ辛いことがあっても、笑い飛ばして歩いてほしい。金安は既にその第一歩を踏み出していると思う。「あの頃には戻りたくない」とまで言える成長の軌跡を思い描いて、この先どうやって道を切り拓いていくかを考えればいい。その時に、道塾で学んだことは必ず力になるはずだ。

「すべての学びは必ず役に立つ。学んでいることに意味がないように思えても、それは必ずどこかで繋がるんだ。学ぶことで世界を知り、それによって自分にふさわしい生き方を見つけることができる。あまりに複雑になったこの世界において、必死に学ぶことなく自分が真にやりたいと思えることを見つけることなんてできるわけがない。

(中略)

学ぶことで、どんな場所にいても人生を切り拓くことができる。そして君たちが学ばない限りこの国はどんどん暗くなる。逆に君たち一人ひとりが学ぶことで、この国は次第に明るくなっていく。一度きりしかない人生が、暗いよりは明るい方が楽しいと思う。道塾で学んだ塾生が学び続ける意志を持ち、日本に希望の火が灯されてほしいと思う。一人ひとりが世界を明るくすることに貢献するようになれば、世界はもっと面白くなっていくと思う。」

2009年度最後の「塾報」より

変化には必ず痛みが伴う。春を迎えるためには木枯らしが必要なように。だからこそ変化をも楽しめる心を持っていたい。冬の時代を経験した人間だからこそ、季節の移り変わりを愛でる強さを持てるはず。

金安にも、スタッフにも、そして今の塾生にも、皆にそうであってほしい。ちなみに金安の指導を最後に担当していたのは僕ではなく小竹。(ジョンと三井を除くと)いちばん最初の指導スタッフである小竹はこの4月で指導をはじめてから3年目を迎えた。スタッフもまた、塾生の成長に歩みを合わせるかのようだ。振り返れば1年前、2年前の自分がこうなっていると誰が想像できただろう。

それは何より僕自身に言える。学び、変化し続けていくこと。それによって自分の可能性を花開かせること。それを身をもって示していきたい。

2010年4月2日

花は咲き続ける

3月31日。3年前の道塾が立ち上がった日、偶然にもちょうど当時の僕と同じ歳にして京都へ挑戦しに行ったシオメこと熊谷一誠。元々フルタイムで働いてはいたけれど、この日をもって道塾初の新卒採用の「入社式」が行われ、7人目の社員が生まれた。彼の「挑戦する意志」と「誠実な精神」こそが「ミスター道塾」であり、彼ならば切り拓いてくれると僕は信じている。

1年間道塾をやってきて、思うことがあります。それは「自分の可能性を守れる人間こそが、他人の可能性を守れる」ということです。(中略)。だから僕は、中学と、京都と、道塾の新たな可能性を追求することで、自分の可能性、道塾の可能性を守ります。道塾の全スタッフに、その先に在る全ての塾生に、可能性を追求することがどういうことなのか、僕は身をもって示したいと思っています。だからこそ僕は、京都へ行くのです。
さようなら、東京!(道塾・中学部統括 熊谷一誠のブログ)

そして4月1日で入社丸1年を迎えた教務統括のシオン。もうこの人については言うことはないでしょう。試行錯誤の一年を経て、次の1年で共に突っ走れることが楽しみでならない。

別に世界を変えようとかそういう大それたことは僕は全く考えていない。
そもそも興味がまるでない。
そして、世界を変えるのは僕でなくたっていい。
その世界を変える人間を育てるのが、僕なんだ。
ダメ男のエッセンス

庄司も書いていたけれど、あらためて道塾が奇跡の上に成り立っていることに感謝せざるを得ない。同時に、道塾から旅だった「有志」たちの活躍を願う。新天地に旅立ったヤツもいれば、日本の将来を左右する場へ赴いたヤツもいる。その一人ひとりがどんな花を咲かせるのか、今からわくわくする。

道塾の裏を流れる神田川の桜は五分咲きくらいで、じき満開になる。
その花が一晩のうちに散るように、大学合格という喜びもまた一瞬で消える。
でも、花が咲くという事実を知っていれば、それは新しい一年の始まりだと分かる。
それどころか、夏も、秋も、木枯らし吹き荒れる冬も、季節の移り変わりを楽しめるようになる。

祝賀会へ来た一人ひとりに伝えたかったこと。
花は咲く。
そう信じ続ける力を身につけること。
大学受験は、そのための修行期間に過ぎない。

花が咲けば、実がつき、やがて種がこぼれ落ちる。
季節は巡り、その種が後にまた新たな花を咲かせることになる。
その時にこそ、自分自身がどんな可能性を秘めていたかに気がつくことができる。
「花は咲く」 祝賀会を終えて(道塾スタッフブログ

道塾は、この奇跡のメンツなら楽勝だと、旅だった「有志」も含めて一人ひとりが信じられてる。そのこと自体がいちばんの奇跡なのだと思う。今年も気持ちのよい春がやってきて、新しい1年がはじまる。さぁ、どんどん咲かせていこう。