2010年1月24日

人生を味わう。 がんばることの正当性

ブログを通じて出会った友人は多い。これからはTwitterによってネットを通じた人との出会いは加速していくのだろうけれど、相手がブログを持っているのといないのとの違いにより、その後の広がり方には大きな差が出てくるだろう。

梅田望夫と茂木健一郎の対談本『フューチャリスト宣言』で、「本」がアンカー(錨)としての役割を果たすという議論があった。Twitterというフロー型メディアの発展に伴い、ブログが本に替わるリファレンス・ポイントとしての役割を強めていくのだと思う。

それはともかく。

僕がブログを通じて「志向性の共同体」に参加し、友人(というと失礼かもしれないけれど)を増やすきっかけを作ってくれた方に、ブログ「横浜逍遙亭」の亭主である中山さんという方がいる。2008年の「シュンポシオン横浜」を主催した人と言えば昔から僕のブログを読んでいる人には分かるかもしれない(昔のエントリー:「シュンポシオン横浜 第一部 青年の主張 「絶望の淵でこそ『大人の流儀』を」)。

「横浜逍遙亭」では以前から、ちょっと離れた視点から見守る父親の胸中といったような内容で、息子さんのことが描かれていた。最近は高3になる息子さんの受験生活のことが触れられていて、ちょうど僕が指導する塾生たちの年齢と重なることもあり、塾生の保護者の声のような気持ちで僕は読んでいたのだった。

前回のエントリーで書いたとおり、私は受験生である自分の息子に向かって「がんばれ~」などとポストモダンな掛け声をかけるのですが、いったい何のために「がんばれ」というのか。がんばることの正当性、妥当性はどこにあるのか。がんばることで給料が上がったり、物質生活が豊かになるとは限らない。いえ、彼や彼女に明らかに人とは異なる能力や才能がない限りは、がんばたって、そんなに結果は変わらないというのが多くの人々にとって現実です。そんな社会を私たちの子供らは生きています。

じゃ、がんばらなくっていいのか。そう問いかけてみると、思考はもう一回転し、物質主義とは違う、がんばることの意味が見えてくるのではないか。実に難しい時代に我々は生きています。もしかしたら、面白い時代なのかもしれません。
横浜逍遙亭「がんばること」

このエントリーを読んで、僕は塾生の保護者たちすべてに答えるような気持ちで、以下のようなコメントを書いた。

(続きまして)ご無沙汰しています。ようやくネットに復帰しました。受験期でしばらく落ち着かないのですが、また以前のようにお会いしてお話しできればいいなぁと思っています。

僕は昔のことは分かりませんが、GDPの伸びというのは具体的に言えば、冷蔵庫だったり、洗濯機だったり、テレビだったり、エアコンだったりに現れるのでしょうか。そうした意味では、分かりやすくていい時代だなと羨ましくなります(それはそれで苦労はあったのだと思いますが・・・)。

今のようにがんばることの正当性がない時代には、人のモチベーションは上がりにくいのだと思います。道塾がやっていることは、若者に対してがんばることの意味を自らの生き方でもって示し、正当性の根拠を与えることだと思っています。がんばる対象は受験に限らなくてもいいと思うのですが、この時代において受験は多くの若者がぶつかる壁であり、それをうまく乗り越えることができれば(必ずしも第一志望に合格という意味ではなく)、その先の人生においても活かせる貴重な学びの場になると考えています。もうすこし拡大して言えば、孤独でありながら同時に親や友人の「支え」を感じてがんばる受験は、人生の縮図であるとも思います。

僕が若い子たちに馬鹿のひとつ覚えのように言っているのは、自分が大切だと思う時にがんばれれば、その後もがんばれるということです。そして、僕は身を懸けた「がんばる」という行為の中に、単純だけれども生きる本質があると思います。がんばることがなければ、喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、その多くは失われてしまうのではないでしょうか。人生は結果ではなく、湧き上がってくる感情を味わう「過程」がすべてだと僕は考えています。だから人生を深く味わうためのキーワードは、その対象は何であれ、がんばることではないかと思っています。

そうした意味では、ごく個人的な考えですが、せっかくこの世に生を受けたのであれば、その限られた時間の中でできる限りたくさんのことを味わうためにがんばる意味はある、と僕は考えています。

現状では、多くの若者は「がんばり方」を知らないまま成長してしまいます。それは「がんばる方法」という意味でも、中山さんのおっしゃる「がんばる正当性」という意味でもそうだと思います。

もう一年以上前になりますが(懐かしいですね!)、あの頃「SMAP構想(Speak,Make,Attack,Pink!)」をお話ししたように、今もってそうした20代が増えることで、がんばることが正当化され、もう少しわくわくできる時代になるのではないのかなという想いは変わりません。

今は他者との競争のためにがんばる時代ではなく、己の人生を味わうためにがんばる時代なのだと思います。辻さん(ご無沙汰しています!)がおっしゃる通り「自己満足」だと思います。それが結果として他者の人生に役立つことになればと願うのが、凡人である僕にできる最大限のことだと考えています。

ふと思い出したので引用しますが、敬愛するスピノザは自己満足についてこのように語っていました。「まことに自己満足は我々の望みうる最高のものである」(スピノザ『エチカ(下)』p64 岩波文庫)。

豊かになって価値が多様化し、ありふれたモノのためには誰もがんばれなくなった時代だからこそ、たとえそれが自己満足であれ、がんばる正当性を様々な形で創造し、循環させていく必要性がある。そう信じて日々精進していきたいと思います。

さて、僕の粗雑な議論の結論は脇に置いておくとして。

僕はその後のコメントのやりとりが嬉しく感じる。なかなかお会いして話すことはできないけれども、こうしてゆるやかな繋がりを保っていられることに感謝したい。ということで、Twitterをはじめた皆さん、その勢いでBlogもぜひどうぞ。

PS.ちなみに僕の後に続けてコメントを返してるgitacatさんは京都校での大恩人。道塾関係者は要チェックです。
2010年1月19日

輝く道塾スタッフたち。 ウェブスタッフ急募

道塾にとって「勉強法」はひとつの武器に過ぎない。技術やスキルといったこと以前に、まずスタッフ一人ひとりが抱く「塾生に成長してほしい」という想いが存在する。その想いを実現するために、塾生に寄り添い、そして勉強法を教えるということがある。

そうした道塾のスタッフに求められる素質は単純な受験技法ではなく、「情熱」をはじめとするトータルな人間力だと僕は考えている。だからこそ道塾のスタッフには「大学生として輝くこと」を大切にしてほしい。自分の本業である「大学生」として輝き(早稲田的によくある「サークル」に限らず、たとえば「学問」も含まれる)、人間力が鍛えられるほど、指導する塾生へ伝えられるものも増えると思うからだ。

昨夜、指導スタッフではないが、裏方で頑張っている道塾ウェブスタッフの木村が早稲田祭運営スタッフ新代表に決定したと聞いた。道塾スタッフ内においてはジョン(竹内)に続く二人目の運スタ代表。

木村の代表立候補は個人的にも応援していたし、日本最大規模と言える学園祭代表が道塾内から出ることは道塾スタッフが「大学生として輝く」という意味においても嬉しい。のだれども、一方で事業を運営する側の人間としては「さてどうしよう」という悩みも生まれる。

現在ウェブ制作をしているのはこの木村と、英字新聞や『早稲田魂』などを発行する「The WASEDA Guardian」の新代表になった(元塾生である)駒井の二人。豪華なウェブスタッフではあるのだが、そう遠くないうちに二人とも自分の責任を果たすことで忙しくなり、道塾のウェブ制作に集中する時間がなくなるのが目に見えている。

ということで、彼ら二人の代わりを務めてくれる道塾のウェブスタッフを募集します。条件は今の道塾ウェブサイトを見て、その程度は作れる自信があること(要実績)。待遇は能力・仕事量によって応相談。

道塾の入り口となるウェブは今年、かなり戦略的に作っていきます。トップスピードの中で伝説を作る一人となって、揉まれながら成長したいという意欲のある人を歓迎します。合いそうな人がいたら、ぜひ伝えてあげてください。
2010年1月18日

諦めないこと。最後まで戦うこと。

センター試験も終わり、ついに受験は終盤を迎える。僕らにとってはこれまでの指導が試される時であり、塾生にとっては人生の転換点となる時期。指導スタッフたちの緊張はピークに達するだろう。でも、受験生はそれ以上に張り詰めた時間を過ごしている。

彼らは押し潰されそうな孤独の中、未来に不安を抱きながら一人で世界と戦っている。これから僕らにできるのことは彼らに全力で寄り添うこと。道塾というシステムだからこそ、そして道塾のスタッフだからこそできることを大切にしていきたい。

諦めないこと。最後まで戦うこと。もっとも大事な時にどれだけ突き詰められるかで、その後の生き方も決まってくるから。

そう塾生に言い続けているけれど、それは僕ら指導する側の一人ひとりにも言えることだ。事業としてやっている以上、道塾はそろそろ来年度の準備を本格的に始めるけれども、塾生全員の入試が終わるまでその緊張感を持って指導に臨みたい。
2010年1月16日

自分が救われたもの。 打ち込めることの探し方

本気で打ち込めることを見つけるのは難しい。幸いにも僕は道塾という場を見つけることができたけれど、大学の2年から4年頃まで自分が小説家になるものだと思っていたから、その目標を失った時は何をすればいいか途方に暮れたものだった。

梅田望夫『ウェブ時代をゆく』にある「ロールモデル思考法」は自分の打ち込めるものを探しながら生き延びるための一つの方法だと思う。僕もそうだったし、他の多くの人もなんとなくやっているものだろうけれど、この文章に出会ってから僕は意識的に行うようになった。

「好きなこと」「向いたこと」は何かと漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう。頭の中のもやもやは容易に晴れない。ロールモデル思考法とは、その答えを外界に求める。直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
『ウェブ時代をゆく』 p119(第四章 ロールモデル思考法))

ただ僕が最近意識しているのはこのような「外界」に見つけるやり方ではなく、自分の内側を探す方法だ。引用部でも書かれている通り「漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう」から、「自分が救われたものは何か」を考え、それを手がかりにしている。

具体的には、たとえばウェブ。たとえば読書。あるいは先輩、仲間、家族。映画や音楽にもそうしたものがある。その中から、いつ、どんな風にそれと出会い、どのように自分は救われたのか。それを考えていくと澱のようなものが言葉として残る。その澱こそが打ち込めることであったり、本気で語れることであったりするのだ。

ただし、この方法にはひとつの危険がある。過去ばかり見て未来を見なくなってしまう可能性だ。たとえば大学生の多くが高校生に何かをしたがるような心情。それはそれでいいことだけれど、そこで止まってしまっては成長はない。そんな時にこそ「ロールモデル思考法」は過去と未来を結びつけるものとして役立つのだろう。

僕は「早稲田への道」を立てた時、今のように道塾に結びつけるつもりはなかった。無意識のうちにその危険性を感じていたからこそ最初の書き込みで「受験が終わったのにこんな場所に来るのはアホだ」と書いたのだと思う。

でも今は違う。僕にとって「救われたもの」である受験を通じて、より良い未来を創りだすことに本気で打ち込みたいという明確な思いがある。だからこそ、僕は道塾において過去の自分では知ることのなかったエネルギーが心の内に湧き上がってくるのを感じられるのだ。

「救われたもの」のエネルギーは絶大だ。そのエネルギーを上手く利用することさえできれば、未来を切り拓く原動力になる。僕は自分が過去に耽り、そこで止まってしまう危険性を認識しながら、一歩ずつ前に進んでいきたい。
2010年1月15日

置いてくる。 受験とスラムダンク

僕のバイブルはいくつかあるが、その筆頭に来るのはやはりスラムダンク。小学校の頃から読み始め、受験期にも唯一読み続けていたマンガだった。僕もいつの間にか桜木より10も歳をとった。今はキャプテンである赤木(ゴリ)の年齢の子たちにも指導しているが、不思議なことに赤木は僕にとって永遠の先輩であり続ける。

名作と呼ばれる作品が概してそうであるように、スラムダンクもまた読み返すたび違うシーンに惹きつけられる。中高生の頃に好きだったのは小暮(メガネくん)が綾南戦で3ポイントを決めて「入った」というシーンだった。地味な努力をコツコツと重ね、それがある瞬間に花開き、実を結ぶ。僕はそういう人生が好きだし、今でもそう生きていきたいと思う。コツコツなんて言うとスタッフには笑われるかな?

この作品の序盤に主人公の桜木がはじめて庶民シュート(レイアップ)を決めるシーンがある。小学校高学年の頃はこれに刺激されてレイアップの練習をしたものだったが、そのコツを桜木は「ひざを柔らかく高く飛んで置いてくる」と言う。不思議なもので、実際にこれを意識するとレイアップが入る。

センターを明日に控えて思うのは、試験のような大切な非日にこそ「ひざを柔らかく高く飛んで置いてくる」のが大切だということ。緊張しすぎたり、力みすぎたりしても実力以上のものは出ない。心を落ち着け、静かな昂ぶりの中で自分がたどりつける限りの高みを目指すことが上手くいくコツだ。

人事を尽くして天命を待つという言葉が僕は好きだ。やるべきことをやれば結果は後からついてくる。それでも不安に思う気持ちを消せないのは百も承知で言うけれど、試験会場に入ったらまず「ひざを柔らかく高く飛んで」みよう。そうすれば、後はこれまで培ってきたものを解答用紙の上に「置いてくる」だけだから。
2010年1月14日

ブログを書くことの効用

ブログというのはパソコンに向かってから「さて何を書こうか」と考えても簡単には書けない。エピソードだけで面白い大事件が毎日起こるわけはないからだ。単純化すれば、僕の毎日は歩いて5分の家と道塾との往復でしかない。

どんな人であれ、その人が生きる世界はその人にとって平凡な日常に過ぎない。でも、そこから非日常を掬い出すことができれば世界の相貌はだいぶ変わる。ブログは、そのために「ちょっとした気づき」を表現し続ける場なのだと思う。

ブログを書くという行為が生活の一部となることで、歩いている時も、本を読んでいる時も、人と話している時も、ブログへ結びつけるというのを前提とした思考ができる。アウトプットの場がひとつあるだけで、インプットへの緊張感は飛躍的に高まるのだ。

さらに言えば、僕はかなり忘れっぽい性格なのだけれど、ブログを書いていることでその時々の思考や感覚を留めておくことができる。時を経て読み返すことで、「結構いいこと考えてたけど、いまは失いがちだなぁ」なんて思って気を引き締めることができる。

そして何より、こうやって朝からブログを書くと気持ちがいい。予定通りに起きられないと朝からげんなりしてしまうように、ブログを習慣づけると気持ち良く一日をはじめられる。このささやかな達成感。それがブログを病みつきにさせる理由のひとつなのだと思う。

久しぶりにブログを書きはじめて(できるだけ力を入れないように書いているのだけれど)、いかに自分がブログを愛していたのかを再確認している。
2010年1月13日

ヒーローの循環を創る


ブログを再開したのと同時に、登録してあるblogの巡回も再開した。その中のひとつ、『大人げない大人になれ!』の著者、元マイクロソフト社長の成毛眞さんのブログでFUNKY MONKEY BABYSの新曲『ヒーロー』が紹介されていて、聞いてみたら泣けてきた。

『ヒーロー』と言うと個人的にはMr.Childrenが思い出されるけれど、この曲は「お父さん」としてのヒーローを描いたもの。だいぶ前に亡くなった僕の父親は幼い頃の僕の目に「ヒーロー」として映ることはなかったけれど、自分が仕事をする立場になると「なかなか頑張ってたよなぁ」と思う。

父親の頑張ってる姿を見る機会がなければ「ヒーロー」と思えるはずはない。残念ながら、僕が目にするのは仕事から帰ってくるとすぐ風呂に入り、ビールを飲みながら巨人戦を観て、それが終わると僕より先に寝る父親だった。当時の僕は、父親が僕よりずっと早く起きて仕事場で汗まみれになっていることを知る由もなかった。

身近なヒーローがいないこと。それが現代の問題点のひとつでもあると思う。成長過程では小説やマンガやアニメや映画を通じて数多くのヒーローに出逢うけれど、それではなかなかリアルなヒーローにならない。だからこそ道塾のスタッフ一人ひとりが塾生にとってのヒーローであってほしい。道塾に来れば自分に語りかけてくれる身近なヒーローに出逢える。そんな風になればいいと思う。

僕は読書が好きだったこともあり、本を通じて僕にとってのヒーローをその時々において見つけてきた。でも誰も彼もがそういう出会いを自ら作り出せるわけではないだろう。ヒーローに憧れれば、それに近づくために自然と努力する。憧れに近づくことは楽しく、だからこそ激しく頑張れる。そうやって成長した人が数年のうちに次代のヒーローとなる。道塾を通じてそんな循環を創りしていきたい。

2010年1月12日

祈り


指導を終えれば僕らは祈ることしかできない。 1週間後に彼らが送ってくる報告のメールを恐る恐る開き、結果が良ければ安堵する。悪ければ、さてどうしようかと考える。それを繰り返すのが道塾の毎週の指導だ。

センター試験を週末に控え、道塾のスタッフは誰もが強く祈りながら指導している。試験まで数日ともなれば劇的に点数が変わるということはあまりない。一点でも多く伸ばすために、行うのは塾生の持つ力を最大限発揮するための指導。それが終わればいつもと同じように祈り、結果を待つだけだ。

先日の日曜日にはスタッフの井上が自発的に立てた企画、湯島天神への合格祈願のお参りを行った。道塾オフィスを出て徒歩で1時間ちょっと。既に済ませていた一部のスタッフを除き、すべての指導スタッフが絵馬を書いて塾生の合格を願った。

僕はこの時期に湯島天神に行くのは二度目だった。掛けられた絵馬が多いのはもちろんだけれど、なによりそれを書いている親の数に驚かされる。九州出身のスタッフに聞いたら「僕の代わりに太宰府天満宮に行ってましたね」と言っていた。




受験生の頃は知らなかったけれど、おそらくは僕の親もそう思っていたのだろうと思う。きっと指導スタッフはそれを同じような心境にあるのだとも思う。頑張れ。頑張れ。超頑張れ。自分の限界を超え続けて頑張ってきた彼らにわざわざそう言うことはないにせよ、誰もがそう思ってる。

もし塾生が読んでいるのなら、その祈りを自分の力に変えてほしい。ほんのわずかな力にしかならないかもしれないが、道塾は一人ひとりが実力を発揮し、悔いのない試験を終えることを願ってる。僕はただ、その祈りが届くことを祈りたい。


2010年1月11日

道塾「中学部」がはじまりました



1月11日、PM11時。約半年間の準備期間を経て、今日ついに「道塾・中学部」を公開した。

はじまりは5月頃に「エチカの鏡」で取り上げられた頃のこと。テレビを見た中学生の保護者から問い合わせを受けたが、その頃はまだ中学生に指導を行う術がなかった。問い合わせた方には申し訳なかったが結果としてその多くを断った。

その中でも、不完全な受け入れ態勢ということを踏まえた上で、なお入塾を強く希望してくれた一部の中学生を受け入れた。その担当となったのが現在の中学部・教務統括を務める熊谷一誠だった。

道塾の持つ大学受験への指導法をベースにしたとはいえ、指導カリキュラム構築はゼロからのスタートにも等しい道のりだった。勉強内容は大学受験とは異なり、指導を理解する能力にも大きな差がある。そうしたハードルを一つひとつクリアし、ようやくたどりついたのが今日という日だった。

どんなことでも完璧ということはない。まだ立ち上がったばかりの中学部は、大学受験部と比べればその経験値において歴然たる差があるのだろう。でも中学部の指導スタッフの尽力に加えて外部からの助力を得たことで、今までは存在しないまったく新しい指導法を確立できたと思う。

そのすべては「一誠」という名前の通り、ただひたすらに中学部のオープンのために、まっすぐ道を走り続けた熊谷の努力が根本にある。今晩は、遅くまで残っていたスタッフと我が子が生まれたかのように喜んだ。

ごく控えめに言っても、中学生の頃に熊谷をはじめとする道塾スタッフとの語り合いを重ねるだけでも人生の行き先は変わると思う。同じように、中学部がはじまったことで道塾の進む角度もまた大きく変わるだろう。

これから大変な日々がはじまるのだろうけれど、ここから育っていく多くの若者のことを考えると、つい顔がほころんでしまう。そのひとつひとつを、すべての仲間と共に乗り越え喜びを分かち合っていきたい。

まぁ何はともあれ、シオメ、おつかれさま!!

道塾・中学部
2010年1月10日

第二幕、本編突入

 今日でこの「午後2時のビール」をはじめてから丸2年。

 「人生の第二幕」と位置づけ、その記録をリアルタイムで残そうと思って立ち上げたブログだった。実際、それと同時に僕の人生の第二幕ははじまったと思う。

 今は「自分の足で、歩きたい方向へいこう」と言える。この何年間かで自分なりの歩き方を覚えた。行きたい場所も、おぼろげながら見えた。たとえ道からはずれることがあっても、自分で切り拓いていけばいい。歩みは遅くとも、進むべき方角を見失うことは、たぶんない。

 だからはっきりと言える。第二幕の幕開け。ここからが人生本番、勝負の時。やるしかねぇ。

 あの時から走り続けてここまでやってきた。毎日違うことが起こり、必死で対処してきた。同時に常に未来に目を向け、自分にしかできないことを探し続け、すこしでも形にしようとしてきた。その結果として二年前とはまったく違う景色が見えるようになった。

 でも、実感としてはようやく第二幕のプロローグが終わったくらいだ。二年前はまだ僕だけの視点でしかなかった。道塾はたった一人でやっていたものだった。それから時が流れて仲間が一人、また一人と集まってきた。それぞれが力を尽くしたことで、ようやく道具が揃い舞台が整ったと感じる。

 遅まきながら、ようやく第二幕の本編に入れる時期になったのだと思う。仲間たちと共に旅する過程、その一瞬一瞬を楽しみ味わうと共に、その軌跡をここに記録し続けていきたい。このブログがいつの日にか読み返され、誰かの胸に希望の火を灯すことを願って。

 ということで、あけましておめでとうございます。遅くなったけれど、今年もよろしくお願いします。