2011年12月3日

18歳からの10年間を振り返れば

今日もらったもの
生まれて28年たった昨日、少なからぬ人からお祝いの言葉をもらいました。そのひとつひとつには返信していないので、たいへん失礼ながら、ここでまとめてお礼を言わせてもらいます。ほんとうに、どうもありがとう。

ここ1年ほどブログを書いていなかったにもかかわらず「1年間、毎日見てましたよ」という起業初年度の教え子からの電話を受けたこともあって、久しぶりにブログに向かっています。そいつに限らず、教え子からは過去から今に至るまで、常々たくさんのことを教えてもらってきました。そう、お前と、お前と、お前のことです。どうもありがとう。

振り返れば10年前の僕は、18歳という記念すべき誕生日を孤独のうちに迎えていました。友達らしい友達もおらず、高校も中退して、この先どう生きればいいのかさっぱり分からなかった。ゲームセンターとインターネット以外の場所を知らなかった。誕生日なんて、小説や映画の中で見る青春とくらべて、あまりにもみじめな自分を直視しなければならない苦しいだけの一日だった。

それは大学に入っても変わらなかった。20歳になった日の夜のことはよく覚えているけれど、大学に入ったはいいものの、深い付き合いの友人はおらず、一緒に過ごしてくれる女の子がいるわけもなく、東京の六畳一間足らずの古いマンションでひとりウイスキーを飲んでいた。「きっとこの日のことは忘れないだろう」と思った通り、あの日の寂しさは焼きついています。それからもけっこう長いあいだ、誕生日を祝う意味は理解できなかった。

それでも、いま振り返れば僕は決して孤独ではなかった。あまり覚えていないけれど、18歳の時は母と妹と祖父の三人が祝ってくれた。20歳の日だって、ウイスキーを飲む前にはサークルの先輩や友人が祝いの言葉をくれた気がする。そう言ってくれる人がいるだけで、その日をやり過ごすには十分だった。

こうしたことを振り返ると、僕はほんとうに恵まれた環境にいたのだなと感じます。だからこそ今の僕がある。そのことには、感謝してもしきれない。

「Happy Birthday」と言われてどう答えればいいのかよく分からなかったし、いまも言葉につまるけれど、これだけは何のためらいもなく言えるようになりました。ふだんの僕は人に迷惑をかけるばかりで感謝を忘れる人間なので、一年に一度、この日くらいはそのことを思い出してもいいと思うので、あえて言い切ります。

この年まで無事に生きてこられた自分の運命と、それを可能にさせてくれたすべての人に、感謝したい。そして、来年も、再来年も、その先もずっと命の続く限り、そう言い続けられるように生きていきたい。

家族。中学・高校で出会った何人かの友達。受験生活を支えてくれた友人。大学のサークルでの先輩方・同期・後輩。大学で唯一まともに受けた授業(もぐりだったけど)を通じて知り合った人々。あるいは学生時代に僕が参加したイベントや、立ち上げた企画を通じて出会った人たち。起業してからは、一緒にやってきた仲間、指導スタッフと塾生と、その保護者の方々。それだけでなく陰に陽に応援してくれた、すべての人。このブログに関して言えば、とりわけネットを通じて出会った方々から多くの励ましをもらいました。自分の日記すらも一月も続いたことのない僕が、ここまでブログを書き続けられたのも、そうした人との出会いがあってこそ。

すこし思い返すだけでも色々あり過ぎて書けないし書かないけれど、たくさんの人の顔が思い浮かびます。それだけのものがいまの僕を成り立たせてくれているのだなと感じます。ありすぎる顔の誰にお礼を言えばいいのか分からないような気持ちです。

こうして僕というひとつの物語を振り返るだけでも、ほんの10年で、人間というのは出会いや学びによってこうも変わるのだなと驚かされます。錯覚であれ妄想であれ、世界でいちばん孤独だと感じていた人間が、世界でいちばん幸福かもしれないと思えるようになるのだと思うと、不思議なものです。でも、どんな人間にも、そうした可能性は開かれているのだと思う。そのことを信じ続けられれば、誰だってそれを手にすることができるのだと思う。それが教育というフィールドで起業してから5年ほどたった僕の確信です。

ここしばらくブログも書いていないし、ご無沙汰の人も多いので、こうした僕の近況報告と今後について、すこし書いてみたいと思います。

読んで分かる通り、相変わらず元気にやっています。そしてこれまでと同じように、僕は教育というフィールドに自分を賭けて生きていきたいと思います。

最近痛感するのは、僕が生きている場所、時間のありがたさです。人類の歴史が創造した、この奇跡のような場所や時間の脆さや儚さを噛み締めて生きていきたい。危ういバランスで成り立っている「いま」の幸福さを、日常に埋没して忘れかねない浅はかな自分に、ほっぺたをつねるように思い出させたい。こうして長々と書いているのも、思えば、勝手ながらそのことを確認し、自分に刻みつけておくためなのかもしれません。

さて、今年も受験のシーズンがやってきます。受験なんて、実のところ生き死ににかかわらないことであり、人生の本質とは縁遠いものです。しかし一方で、誰もが痛感しているように、受験はおそろしいほどに人生を左右することがあります。その理由は学歴云々という直接的な受験結果よりもむしろ、そうした「学歴云々」という価値観に侵されるのを拒むことが、親も子どもも教師も難しいという側面によってだと、僕は思います。

受験は、おそらく現代の若者にとって最も大きな壁です。それは単純に「高いハードル」といった意味だけでなく、社会の歪みや矛盾の象徴としての壁です。それは教育システムであると同時に、僕ら一人ひとりの心の中にあるものです。だからこそそれは見えにくいし、無視することも乗り越えることも困難で、多くの若者がその壁の手前で苦しんだり、どこかおかしくなっていくのだと思います。しかもこの壁は一世紀以上にわたって高く強固に築かれてきた壁であり、どんな権力者であれ、それを破壊するのは容易なことではありません。

それでも僕は、若者が自分の手でその壁を乗り越え、できることならぶち壊せるような社会や時代を創造するために全力を尽くしていきたいと思います。なぜなら僕は既定のレールを踏み外したことで、その壁を横から眺めて「おかしいな」と気づいた上で、偶然にもそれをうまく突破してここまで生きてこられたと感じるからです。同時に、これほどまでに進歩した時代・社会において、そこに生まれた人が自分の可能性を信じて生きることができないのなら、この先どんな時代・社会を目指せばいいのか、すくなくとも僕には想像がつかないからです。

よく日本の将来を憂いている人がいるし、僕にもその気持ちは理解できます。しかし一方で、食うにも困らず、金やモノばかりを追い求めるような精神に侵されることなく育った現代の若者ほど、真に自分自身の生を全うする可能性に満ちた人々は、人類の全歴史を振り返っても少ないのではないかと思います。そもそも国なんていう制度だって社会の発展過程の一機構に過ぎないわけです。この国の21世紀を生きる人々は、過去を見つめながらも過去に縛られることなく、それを超える新たな「理想」や「物語」を創造できる時代に生きているという意味で、この上ない可能性に恵まれていると僕が思うのは、言い過ぎでしょうか。

僕は、言い過ぎではないと思っています。道伴舎の現役学生であるスタッフを見ていても、あるいは塾生を見ていても、その多くがあと一歩踏み出しさえすれば、その可能性を最大限、発揮できるだけの力を秘めていると思う。その一方で、若者がそのように生きることができなければ、歴史上の多くの文明がそうだったように、活力を失い、錆びついていくのかもしれません。

世界中でこれまで信じられてきた主義主張(ism)が行き詰まり硬直化している今の段階では、この国がどちらに転ぶのかはまったく分かりません。新たな物語を創造できるのか、それとも理想を見失って没落していくのか、どちらも可能性としてはありえるでしょう。でも、それがわからない紙一重のところだからこそ、僕のような社会の片隅のちっぽけな存在にもやるべきことがあるのだと信じることができます。

僕は僕に限らずすべての若者の、一人ひとりの心の中に、これからの時代の可能性が詰まっていると思っています。特に「負」を背負っている若者であればあるほど、僕は、それを乗り越えた時に得る力も多くなるはずだと、自分の経験から信じています。そのような若者の可能性をどれだけ「先に生きている人」がひらくことができるのかで、僕らの未来は全て決まっていくのだと思います。

こんな長くて個人的なブログは、道伴舎(旧道塾)が拡大してからは、業務的にやや差し障りがあるかなと思ってなるべく控えるようにしてました。まぁ、でも、そんな風に遠慮していても創造的になれるはずもない。昔みたいに良いことも悪いことも、自分なりにオープンに書いていくのがスタイルだったなと思い返して、書いています。

さて、いろいろ脱線しましたが、話のはじまりは僕の誕生日でした。

早いもので起業してからもうすぐ丸5年。6年目となる28歳は、どうやら僕の人生の第三幕に突入しそうです。人生には、いろんなことがあります。泣きたいほど謝りたいこともあれば、打ち震えるほどワクワクすることもあります。この物語は、この先もどんなことが起こるのかは分かりません。でも、それでこそ物語の面白さは増すのだと、僕は信じたい。

物語といえば、今はやはり(ちょっと遅きに失した感はあるけれど)スティーブ・ジョブズでしょう。あれほどドラマチックで、どんなことが起こるか分からない人生は多くはないと思います。そのドラマの主人公らしく(まだ伝記は読んでいないけれど)スティーブ・ジョブズは間違いなく「問題を抱えたひどいヤツ」でした。そして人は、多かれ少なかれ、自分が思っているよりも「問題を抱えたひどいヤツ」であるものです。それでも僕はジョブズが好きだし、人が好きです。

だからこそ僕は「問題を抱えたひどいヤツ」に過ぎない自分の可能性を信じて、その生き様で人に何かを伝えられればと思って、これからもやっていきたいと思います。性懲りもなく、恥ずかしげもなく、その過程を、このブログで伝えていければいいなと思っています。失敗も、成功も、すべては"connecting the dots"。

その意味で、あらゆる出来事は、次に起こる出来事の「前フリ」です。大切なのは、次に起こる出来事の可能性を信じて一歩踏み出し続けること。いつだって「世界を変えられると本気で信じた」ジョブズが、その生き様で僕を魅了し、前に進む勇気を与えてくれたように。気宇壮大な物語を信じた若者が生まれた数だけ、次なる時代の生はより高くなっていくのだと僕は信じています。

あらためて18歳からの10年間を振り返れば、よくぞここまで歩いてこられたな、と感慨深いものがあります。たくさんの人のおかげで、28歳まで一歩ずつ何とかやってくることができました。それはこのブログも同じです。あらゆる文章がそうであるように、このブログを読んでくれる人がいなければ成り立ちません。いつも貴重な時間を割いて読みにきてくれて、どうもありがとう。相変わらずの未熟者だけれど、だからこそ、前に進み続け、すこしでも面白い物語を描こうと思います。これからも、よろしくお願いします。




(この話と関連する(いま思いついた)過去のエントリー)
『ウェブで学ぶ』から学んだ「無限の可能性」
最終回 Be hope, make hopes.
希望なき国に生まれて(1) / (2)
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人生最後の1日