2009年3月3日

希望なき国に生まれて(1)

 1983年12月2日に、僕はこの国に生を受けた。それから25年と3ヶ月。その間には、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、、、たくさんのことを味わってきたが、そのすべてを糧に一歩ずつ踏み出してきた。その結果としては僕は、2009年3月2日、それまでの道のりで得てきたものを賭けて歩める新たな道に踏み出すことができた。

 合同会社道塾。

 最高の仲間と、応援してくれる人たち、そして僕らに希望を託してくれる若者と共に、これからの日々を噛みしめながら生きていこうと思う。


 去年のはじめ、人生3つめとなるこのblog「午後2時のビール」を立ち上げるにあたり、はじめてのエントリーで僕はこう書いた。
 「だからはっきりと言える。第二幕の幕開け。ここからが人生本番、勝負の時。やるしかねぇ。」
第二幕の日々を記録しておこうと思ってこのblogを書いてきた。ただ、今日を迎えてようやく分かったのは、これまでの1年間は、第二幕のプロローグに過ぎなかったということ。ようやくここから第二幕の本編がはじまるような気がしている。僕は、これからよりいっそうスピードを上げていくだろう。

 だが、その前に。

 ここに今日の想いを、そして誓いを刻んでおこうと思う。語りたいことは尽きないが、いま僕にできる限りの時間と言葉で書いてみたい。まだ小さく弱いひとりの若者に過ぎない僕の綴る物語が、いつか誰かの心を打ち震わせることを願って。

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「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」
p314
村上龍が『希望の国のエクソダス』の主人公にこのセリフを語らせてから10年。その間に「希望だけがない」というフレーズは多くの書籍やブログに引用され、21世紀の日本の幕開けを象徴する一節となった。

 好景気に沸いたのも束の間、二度と立ち直れないように感じられる恐慌へ、僕らの国はゆっくりと、だが確実に突き進んでいる。舵を取るべきリーダーの支持率は下がる一方で、かといってそれを代わりに担うべき人も見あたらない。政権交代が行われてもしばらく混乱が続くだけで、根本的に何かが変わるようには思えない。そんなこの国の未来に対し、国民の肉声であるウェブでは、絶望的な叫びばかりが聞こえてくる。

 経済的な恐慌で済むのなら、まだいい。アダム・スミスが説いたように経済はやがて回復するからだ。だが、人々の心が荒んでしまえば、取り返しがつかないことになる。

 国民の誇りが経済だったこの国にあって、それが崩壊しつつある今、僕らは拠って立つべき基盤を失ってしまった。国全体が自信喪失に陥る中で、数限りない歪みが社会の表に現れてきた。状況を打開するためには新たなモデルが提示されなければならないのに、その方向を指し示す人が見あたらない。
 「いずれこの国の教育も変わっていくのでしょうが、過渡期に生まれたぼくたちはそれを悠長に待つことができなかったというのも事実です。まあ、子どもの場合ですが、とりあえず大人のやり方を真似るっていうか、参考にしていく以外に生き方を考えることはできないわけで、要するに、誰を真似すればいいのか、みたいなことがまったくわからなくなってしまっているわけです。」
P315
社会に生じた歪みの犠牲者となって、悲嘆に暮れたまま未来への希望を、すなわち生きようとする意志を、失ってしまった若者を僕はたくさん見てきた。この国のどこかで、今日もそうした若者が生まれているのだろう。それは目には見えにくいけれど、誰かの命が失われるのと同じくらい、悲しいことだと思う。

 だが、こんな国で、こんな状況で、どうやって若者が希望を胸に抱けるだろう? なぁ、おっさん達、答えを聞かせてくれよ。今時の若いヤツはと非難をする前に、自分を省みてくれ。この時代に、「俺の生き方を真似ろ」って、曲がりなりにも息子に語れるヤツはいるのか?胸を張って、息子に希望の在処を伝えられるヤツはいるのか?
 「政治家とかどうなんでしょう。いいからおれを真似て生きればいいんだ、みたいなことを言う政治家の人っているんですかね? どうですか? みなさん?」
P315
僕はこの文章で誰かを非難したいわけじゃない。おっさん達はおっさん達なりに、精一杯やってきたんだと思う。それは分かる。でも、分かってほしいのは、若い奴らだって精一杯やっているということだ。その結果が今なんだ。大切なのは、その前提を受け入れることだと僕は思う。そうでなければ非難や争いや憎しみばかりが生まれ、決して前には進めない。

 『希望の国のエクソダス』は、そうした前提を受け入れた上で、大人に見切りをつけた子どもたちが主役のフィクションだった。
 「僕は、この国には希望だけがないと言いました。果たして希望が人間にとってどうしても必要なものかどうか、ぼくらにはまだ結論がありません。しかし、この国のシステムに従属している限り、そのことを検証することは不可能です。希望がないということだけが明確な国の内部で、希望が人間になくてはならないのは無理だとぼくらは判断しました」 
p319
そう言って彼らは日本を脱出(=エクソダス)し、自らの国を立ち上げる。この作品は「あり得ないストーリーだ」と非難されてきたが、フィクションなんだからあり得なくて当り前だ。恐ろしいのは、この作品が書かれはじめて10年が経った今、主人公が中学生だからあり得ないように思えるだけで、希望なき国に生まれた子が祖国を脱出して新しい国へ活動を求めること自体は、もはやどこにでも転がってるあたりまえの話になっているということだ。

 『希望の国のエクソダス』が書かれた当時、僕はまだ13歳だった。そして、主人公たちが通っているのとそっくりの、横浜にある私立中学に通っていた。物語に登場する駅は、僕が使っていた駅だった。彼らは14歳になる年に日本から脱出する計画の最初の一歩を踏み出すが、僕は14歳になる年に通っていた私立中学を中退し、逃げるように母の実家へと移った。

 僕がこの小説と出会ったのは、二十歳を過ぎてしばらく過ぎた頃、既に道塾を立ち上げていた時だった。はじめて読んだ時、自分の境遇とあまりに似ていることが多く、なにか運命的なものを感じずにはいられなかった。最近の僕の活動を「希望の国のエクソダスみたいだね」と言う人もいるくらいで、このエントリーを書きながら、あらためてこの小説が僕に与えた影響の大きさを感じている。

 希望なき国に生まれて25年と3ヶ月。僕はずっと憤ってきたのだと思う。この社会に、日本に、世界に、そしてそれを生み出すシステムに。14歳になる頃の僕には小説の中で描かれるような智恵も力もなかったが、数多くのフィクションの言葉に励まされながら、なんとか絶望せずにここまでたどりつくことができた(『龍と春樹と司馬遼太郎』)。その過程で僕は、小説の主人公が知らなかった「希望」の必要性と力強さを知った。

 そして今。

 道塾という素晴らしい場所で、最高の仲間と共に、微力ながら「システム」と戦うことのできる智恵と力をつけた。僕は小説の中の主人公たちのようにこの国から脱出するもりはない。僕は愛する場所で、愛する人たちと共に、愛するこの国を変えていこうと思ってる。ひ弱な僕にできることは、まだごくわずかに過ぎない。でも、世界の片隅で、僕は自分のできるところから変えていくつもりだ。

 きっと今晩も、この国のどこかでは希望や生きる意志を失う人がいるのだろう。世界は広すぎて僕の言葉なんか、どこにも届いていないように感じられる。でも、世界は回り続け、今日もまた新たな子どもが生まれてくる。誰かが動かなければ、世界は何も変わらない。「歪み」に飲み込まれる一歩手前で踏みとどまることのできた僕は、その幸運を忘れないで生きなければならないと思う。

 すべてを変えようとしなくていい。できるところからでいい。

 わずかでも、希望は今ここにある。だから、この国から脱出する話はもう要らない。これからは希望の国を創造する記録をつけていこう。そのひとつが、この blogであればいいと思う。希望がないように思えた国に、希望を創造していく軌跡を綴っていこう。そう、今書かれるべきは、「希望の国の創世記」。

 やがてその記録は、だれかの胸に希望の光を灯すだろう。だから、僕は歩き続ける。幸いにも見つけることのできた、自分の進むべき道を。

 この道がどこまで続くのかは分からない。どこまで走り続けられるのかも分からない。ただ、ひとつだけ誓っておこう。

 この道を歩けなくなるその日まで、僕は希望を胸に、全力で生き抜いていく。

 Hope is a good thing,
 maybe the best of things,
 and no good thing ever dies.


 希望なき国に生まれて(2)へ続く。

1 Comment:

cancan さんのコメント...

道塾の合同会社化おめでとうございます。馬場さんの頑張っている様子を人から聞いたりブログで読んだりすると、俺も頑張ろう、とパワーが湧いてきます。これからも馬場さんの<道>を突き進んで行ってください。陰ながら応援しています。それではまた。