2010年4月7日

ブリンカーを外す

小学校5年生くらいの頃、とある競走馬育成のゲームに熱中していた。そのゲーム内には「ブリンカー」という馬の視野を狭めて前だけを見えるようにするアイテムがあった。気性の荒い馬をレースに集中させるための人工的な矯正器具だった。

ゴールを目指し、速く走る。そうした日常生活の中で、ふとスピードを緩めて落ち着いてみると、気付かぬうちに「ブリンカー」に覆われている自分がいることに気がつく。視野を狭めることで目指すべきゴールに近づこうとしているが、自分が見るべき景色、拾うべき大切なものを取りこぼしているような哀しさを感じる。

大学時代は酒を飲むことに明け暮れていたが、そうした日々の中でも本を読み、人と語ることによって自分の世界を広げ、感性を磨くことだけは大切に守ってきたのだと思う。若すぎるゆえの誤解だとしても、人類や宇宙のレベルで思考すると同時に、目の前のささやかなものを大切にしようという意志があった。

日常から離れた場所に身を置いてみると「ブリンカー」をつけて走っている自分の異様さに気がつかされる。たしかに黒いマスクを頭からすっぽりと被って、勝つことだけを目的化した馬を見ていて格好いいと思ったことはなかった。競走馬は、確かに勝つために存在する。でも、その世界観を押し広げて行くと、一位になれない馬はすべて屠殺場行きになる。

草を食み、野山を駆ける中で自分らしい生き方を見つける。それぞれの道で自由に個性を発揮し、違ったペースで走る。そうした生き方を忘れずにいたい。大学受験においても、社会人になってからも、確かにレースは存在する。でも僕らはレースで勝つためだけに存在するわけではない。

古い友人と電話で話す中で、ブリンカーの中から見ていた世界がひどく醜いものに思えてきた穏やかな春の夜の話。