2010年4月11日

錐のように貫き通す「変さ」

いいな、と思う人を思い浮かべる。なぜ僕がそう感じるのだろう。突き詰めていくと、その答えの一つにその人が持つ「変さ」があるように思う。世間の常識に縛られないこと。それを超えて、己の哲学を貫き通す姿。

変人であること。その先で突き抜けること。若い人が僕の肩書きだけ見れば「変わった人」と思うのかもしれないが、自分はいつも「まとも」だと思ってきた。まとも過ぎる。まだまだ「変さ」が足りない。もっと変であることを突き詰めたい。

たとえば、僕がよく引き合いに出す梅田望夫。原点に当たれないので不確かな記憶だが、一見まともに思えるこの人は、自分が希望して入った会社の入社式や新人研修をすべて欠席したはず。それが正しいかどうかはともかく、そうした「貫き通す姿勢」があるからこそ今の彼があるのだろう。

日々は川の流れの中にいるようなものだと思う。様々なものと摩擦を起こす中で、自分の角はなくなり、すべすべした石になっていく。でも、川の流れに自覚的であることで、ある一点を尖らせることもできる。

分かりやすく「変」である必要はない。でも、ある一点において自分の流儀を貫き通せる強さを持ちたい。錐のように尖り、どんな硬いものでも突き刺せる「変さ」を持つこと。それは僕にとって何なのか。まだまだ模索する日々。


最近見つけた、変な人を起点にして社会運動が起こる動画。変さのフォロワーの偉大さ。