2008年9月18日

自由と健康と幸福と・・・

 4月1日から2月末までの中間地点ということで、9月半ばに道塾のスタッフ全員で受験後半戦へ向けた決起飲み会を開いた。場所は早稲田近辺のとある有名な焼き鳥屋。実は4人でしっかり飲むのは初めてだったので、前から行きたかった店を予約して、僕の大好きな白レバ刺をメインに、新鮮で高品質な「はず」の鶏肉をバクバク食べた。

 この記念すべき会の二日後、ジョンとみっちゃんが腹痛を訴える。翌日になるとみっちゃんは39度の熱。そしてジョンは入院・・・!塾生との電話相談を初めて全面延期するという緊急事態に。mixiでは意識不明だとか死んだとかいう情報が流れ、庄司が心配して電話をかけてきたりもした。

 診断結果は「食中毒」。カンピロバクター症という、衛生管理の行き届いていない生肉に付着する菌が原因の病気とのこと。連日の無理がたたって体調を崩していたジョンとみっちゃんがやられ、見るからに体調万全っぽい僕と小竹は無傷という結果に。

 受験生に「とにかく体調だけは万全にしろよ」と口酸っぱく言っている僕らがこれでは示しがつかないが、これからはそのことをより心をこめて語ることができるようにはなった。なにはともあれ、みっちゃんはほぼ(?)復活、ジョンも予定通りにいけば明日退院とのこと。もうしばらく療養が必要だろうけれど、とりあえず一安心だ。

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 こうした非日常を経験することによって、僕らは「あたりまえ」の大切さを忘れていたことに気づく。

 「全般的に見て、われわれの幸福の九割までもはもっぱら健康に基づいている。」「これに反して健康に恵まれなければ、たといどんな外部的財宝でも、これを享楽することができない。」「だから何よりもまず互いに健康状態を尋ねあい、互いに無事を祈りあうのは、理由のないことではない。事実、無事息災ということが人間の幸福の断然主要な用件だからである。」 (ショーペンハウエル「幸福論」 p29-30)

 サイドバーの「午後2時のビールについて」の中で、「病気でない人が「健康だなぁ」なんて言わないように」と書いた。いつだって、「あたりまえ」のことがもたらしてくれている恩恵は、それが失われてはじめて気がつく。ベッドに座るジョンや、病院の中で出会う人々を見てようやく、自分が健康であることのありがたみをかすかに感じることができる。

 健康を感じれるか。恵まれた環境に気がつけるか。目の前の幸福が見えるか、否か。そうしたことへの感性ひとつで、僕らの目に映る世界はだいぶ違ってくる。これも「あたりまえ」のことだけど、しんどい時期にはなかなか気がつけない・・・。人間ってつくづく不自由な生き物だ。

 ところで。

 世界でいちばん孤独になったとしても、自由を噛み締めていると知れば、寂しくなんてないというのは本当だろうか? ショーペンハウエル先生は「その通り」と言いそうな気配をぷんぷん漂わせている。だとすると、僕はまだまだ自由を知らないということになる。でも・・・。それじゃいつまで経っても僕は自由になれそうもないよ・・・!


 【フォト】 カンピロバクター症のジョン君。病室の引き出しの中から出てきた色々なブツ見て、お見舞いの品も色々あるもんだなぁ・・・と知る。たしかに、何も食べれない男に花や食べ物を持ってっても仕方ないもんね。草苅くんの思いやりに拍手・・・!