2008年11月19日

問題を世界から切り出す -- 適切な大きさの問題(2) 

 昨日、「ほぼ日」で連載されている梅田望夫と糸井重里と岩田聡の対談の4本目、「適切な大きさの問題さえ生まれれば、問題は自然と解決する」を紹介した。今日はこのタイトルの前半部分、「適切な大きさの問題さえ生まれれば」について僕が感じたこと。

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 「ある問題」をクリアするのに必要となるのはスキルだ。でも、「ある問題」がなければそもそも挑戦すらできない。そして、世の中には「自分を賭けられるほどの問題」は意外と落ちていない。逆に、自分を賭けられるほどの問題が見つかればスキルは自然と後からついてくる。

 昔は「自分を賭けられるほどの問題」なんてことを考えなくてもいい時代だったのだと思う。だが価値観の過渡期たるこの時代、たった一度しかない自分の一生を、賭けるべき場所が本当にここでいいのかと若者たちは悩んでいる。当然だ。それが「3年で辞める現象」の根本だと思う。大人たちはそれを「エゴ」や「甘い」と言うのだろうが、僕にはそんな彼らの問題意識が実に「曖昧」に思える。

 自分を賭けられるほどの問題には、たくさんの壁にぶつかり、喜怒哀楽を目一杯味わって、はじめて出会うことができる。そのために必要なのは、たとえ幾多の困難が待ち受けているのが分かろうと、非日常の世界へ自ら一歩踏み出し続ける力、すなわち頭と手と足を使って動き続ける意志だ。

 自分の人生を賭けるべき問題を探すため僕は大学を目指した。入学後、丸々4年間を終えた後の5年目になってようやく形を取りはじめた。それが MEGA PEACEのはじまりだった。そして今。僕はまた賭けるべき問題を世界から切り取り、その解決へ向けて走り続けている。ひとつ解決するたびに、またひとつ新しい問題を切り出してくる、そんなことを繰り返しているようだ。

 切り出した問題に共感してくれる仲間が過去にいたし、今もいる。皆それぞれ壁にぶつかってきた奴らだからこそ、共感してくれたのだと思う。そんな奴らと共に、ひとつの問題に向けて力をあわせる。解決すべき問題を切り出すことも、切り出した問題を解決に向けて動くことも、実際に問題を解決できることも、僕一人じゃできない。志を同じくする仲間と共に走れてこれて、そしてこれからも走り続ける僕は、ほんとうに恵まれた場所にいるなと感じる。

 「自分を賭けられるほどの問題」となかなか出会えない現代において、走り続けられる僕は幸せ者だ。だからこそ、僕はもっと早く走らなければと思う。より大きな問題を切り出さなければなと思う。そう思えば思うほど、僕はますます加速していく。いつか走り終わるその日まで、自分の限界の向こうへと突っ走り続けていたい。

2 Comment:

Satoshi さんのコメント...

うーん。難しいですねぇ…。
でもね、僕は、問題が見つからないのであれば、問題を作り出せば良いと思う。OJTの弊害だと感じるけど、結果を急ぐようなビジネス書にも問題があるかもしれないな。

さんのコメント...

ほぼ日のも、馬場さんのエントリーも
めっちゃいいよ。


「自分を賭けられるほどの問題」となかなか出会えない。

僕は中途半端でも
「問題」について全般を
語ることのできる自由な空気、
そういうものの大事さを感じるよ。