2008年11月27日

「ほぼ日」が僕の原典だった(かもしれない)という話

 対談「適切な大きさの問題さえ生まれれば。」を追いかけている間にふと気づいた。そうか、僕は「ほぼ日」と深い縁があったのだ。「ほぼ日手帳」を使ってたとか、そういうレベルの話じゃない。知らず知らずのうちに「ほぼ日」は僕の人生に深いところで根を下ろしていた…。
 
 実は、僕の中にはMEGA PEACEの母体がある。庄司と構想した「想いのメディア」というプロジェクトだ。この企画はいったん潰れ、その後メガピの当日パンフへと形を変えて結実するのだけれど、驚く無かれ、それを思いついたのは、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』という古本屋で偶然手に取った一冊の本がきっかけだったのだ。

 「想いのメディア」は「情報」ではなく「想い」を人々に届けるという趣旨だった。当時よく使っていたフレーズは、「早稲田のベンチひとつにも、数え切れないストーリーが眠っていて、たくさんの「想い」が刻まれている」、「稲穂(南門前の食堂)の親父の人生を知れば、タンメンは1.5倍美味くなる」。「想い」を共有することが日々を豊かにすると信じていた。
 
 知られていないストーリーを雑誌やウェブといったメディアに載せる。それを読んで共感してくれた人たちで、目に見えない「想い」を身体で感じられる「歌」として形にしよう。手はじめに早稲田に散らばる「想い」を集めて、神宮球場を埋めて校歌を歌おう。そんなことを言って盛り上がっていた。結局、僕の力不足により数ヶ月で自然消滅してしまったが…。
 
 過去を懐かしみながら「ほぼ日の本」をぱらぱらとめくっていると、当時は気づかなかった「行間」が読めることに気がついた。ほぼ日の理念とか、今現在やっていることのすばらしさとか、そういうことの前に存在した糸井重里のチャレンジングな姿。そうか、「ほぼ日」もベンチャーだったんだ…。
 
 それに気がついた時、僕の中で新しい「ほぼ日」像が生まれた。「ほぼ日」は僕の中でMEGA PEACEの前身たるに留まらず、僕の原点、いや原典になっていたのかもしれない。何度も読み返し、ぼろぼろになり、ビールをこぼしたような痕も残っているこの本。近いうちにまた読んでみようと思う。

1 Comment:

ktr さんのコメント...

誕生日おめでとうございます^^