2008年12月21日

僕らは孤独から逃れることはできない。ならばいっそのこと、

 なんかね、最近よく孤独を感じるんだ。みんなは最近どうなのかな。クリスマスとか色々近づいてきたけどさ。僕が孤独を感じる理由はそんなんじゃないって強がってみたけれど、事実そうなのかもしれないと思う。その半面、心の声は「いやそれだけじゃないんだ」と主張してもいる。だって、年を明けても変わる気がさらさらしないんだよ。これだけ幸せなはずなのに孤独を感じるってことは、たぶん僕はいつまで経っても孤独のままなのかな。

 なんてことを考えていたら、茂木健一郎がblogで興味深い文章を書いていたので、ちょっと長いが引用。

 曇りのない目でものごとのありさまを見れば、生命と非生命の間には絶対的な差異はない。ただ、自然法則に従って黙々と変化していく物質の群れがあるだけである。宇宙のそもそもの創造者としての神はあるかもしれないが、その後神は介入しない。スピノザは、宇宙そのものが神だと看破した。時空という神の「精神=身体」の中で、万物は動き回り、移り変わる。時間こそは絶対的な支配者であって、だからこそ、「神」という至高の存在の属性として相応しい。そのことを思う時、私たちは決して孤立していない。 (「『孤独』ではない」


 僕は自分をスピノジストの一人だと思ってる。趣味の範囲でだが、スピノザの本はわりとよく読んできた。だからこの説にはちょっと言いたいこともあるのだけれど(時間や精神=身体の「神」との関係性とか)、それは細かい話だからしばらく差し控えることにして、もうひとつ別の引用をしよう。少し前に自殺した、偉大な哲学者であり現代最高のスピノザ理解者だったジル=ドゥルーズ。彼はその著書『スピノザ』の中でこう語っている。

 「たとえばゲーテや、またヘーゲルでさえもある点ではスピノジストとみなされうると考えられてきた。しかし彼らは本当のスピノジストではない。略。スピノジストとはむしろ、ヘルダーリンであり、クライスト、ニーチェである。

 中略。

 哲学的知識などもたずにただ、ある情動を、ある情動の総体を、ある運動的な決定を、ある衝動をスピノザから受けとり、こうして彼に出会い彼を愛するようになる者もまたスピノジストなのだ。他に類を見ないスピノザの特徴は、じつに哲学者中の哲学者である彼が(ソクラテストさえちがって、彼は哲学にしか訴えなかった…)、哲学者自身に、哲学者でなくなることを教えている点にある。」 
(ドゥルーズ『スピノザ』 p248-p250)


 ヘーゲルをして、ベルクソンをして、「哲学にはスピノザ主義かそれ以外しかない」と言わしめた、通称「神に酔える哲学者」。そのスピノザによって、僕は哲学と訣別したと言ってもいい。なにかと「宗教家」とか言われることのある僕だが、そう、ほんのわずかな時にせよ、たしかに僕は論理の世界を飛び越えた地点にまで達したことがある。スピノザの遺稿につけられた『エチカ(幾何学的秩序によって論証された)』というタイトルの通り、何にも増して厳格な論証によって、僕は哲学から宗教の世界へと導かれたのだ。

 で。

 僕がここで伝えたいのは、僕がその宗教の世界、すなわち「悟り」と呼ばれるような世界を垣間見た、という勝手な思い込みじゃない。それは些細な僕の個人的経験に過ぎない。そうではなくて、たとえ僕の思い込みが真実であるとしても、あるいは茂木健一郎の言うように「生命と非生命の間には絶対的な差異はない」としても、人は孤独からは逃れられないのではないかということだ。茂木健一郎がどんなに「孤独ではない」と言っても、生きるという日常の中で生まれる孤独を避けることはできないうことだ。

 最後に、先ほどの続きを引用して、この話を終わりにしよう。

 
 「そして、けっして最も難しくはないが、最も速い、無限の速度に達している『エチカ』の第五部に於いて、まさに哲学者と哲学者ならざる者、この両者はただひとつの同じ存在となって結び合っているのだ。この第五部はなんと並外れた構成をもち、どれほどここでは概念と情動とが出会いをとげていることだろう」 (ドゥルーズ『スピノザ』 p250)


 確かにそうだと思う。僕はスピノザを根底から覆すような実感を持った哲学と出会ったことはない。あれほど「啓示」を受け、「閃光」を感じることは今後もないようにすら思う。しかしそれでもなお、やはり僕は孤独だと感じるんだよ。

 茂木さん、きっとあんたもそうなんだろう。「曇りのない目」と、「現実に孤独を感じる心」との隔たりのどうしようもなさ。それこそ脳科学の領域の話なのだろうけれど、いつかその話を彼と酒を飲みながらしてみたいと思ってるよ。

 つまるところ、僕らは孤独から逃げることはできない。ならばいっそのこと、そのすべてを引き受けて、逃げずに真っ向勝負する以外に道はない。たとえ勝ち目のない勝負であるとしても、それが僕が生きる道なのだ。


 【フォト】 イルミシリーズ8。熊谷駅前。